蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「人類学A」2024/04/11 講義ノート

毎週の講義の補足メモです。オンライン授業のときにはじめたものですが、講義をする私にとっても、この講義メモは役に立っています。

人類学の講義ですが、最初に「人類学とは何か」というところから始めると抽象的すぎるかもしれません。人類学では、ヒマラヤやアマゾンの少数民族の文化や、縄文時代旧石器時代の人間の話を扱います。そんな研究をして何の役に立つのかというと、役に立つというよりは、知的な冒険心が基本にある分野ではあります。

それが現代の情報社会と何の関係があるのか、ということの一例として、まずは「京都アヤワスカ茶会事件」のお話をします。五年前のことですが、京都のとある大学の大学生が、引きこもりで不登校うつ病になっていたのですが、ネットで買った薬物を飲んで救急車で運ばれたという事件です。その薬物が違法薬物だったというので、その大学生は逮捕され、裁判にまでなってしまいました。

その大学生は薬物を大量に飲んで自殺しようとしたと報じられたのですが、実態はまったく逆でした。アヤワスカという薬草をネットで買って飲んで、自分のうつ病を治してしまったというのです。

四年前のことになりますが、この裁判の弁護士さんから、私のところに連絡が来ました。アヤワスカというのは、南米アマゾンの先住民族が使っている薬草です。その薬草を研究しているというので、私のところに問い合わせが来たのです。

アヤワスカという薬草には、ジメチルトリプタミンという物質が含まれていて、脳に栄養分を補給して、疲れた神経細胞を再生させるという不思議な作用があります。いま、うつ病自殺念慮の特効薬としての治験が進んでいます。

アマゾンの先住民の文化についてはまた別途、お話をしますが、これは不思議な事件でした。ジャングルに住む少数民族が使ってきた薬草と、なんでもネットでスマホで買う、現代の引きこもり大学生の問題がリンクした、人類学の研究が現代の情報社会の問題とつながってしまった事件でした。私もこの事件を通じて人類学という学問の現代性について考えなおすことになりました。

ちなみにこの授業では出席はとりません。成績評価は期末試験か期末レポートのみで評価します。教室での試験かレポートかは、まだ決めていません。



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CE2024/04/11 JST 作成
CE2024/04/11 JST 最終更新
蛭川立

「人類学A」講義日程 西暦2024年度

この記事は常に書きかけです。

授業はライブであり、シラバスどおりには進まない。受講生からのフィードバックや時事的な話題なども考慮しながら進めていく。

春学期の「人類学A」と秋学期の「人類学B」は独立の科目だが、「人類学A」は自然科学的な基礎知識として、脳神経科学を概観し、神経伝達物質、精神活性物質、そして芸術や宗教などの精神文化を論じる。

進行計画

04/04 (学習指導期間)
04/11 概論と展望
講義メモ(2024/04/11)
京都アヤワスカ茶会事件
ポストモダン的社会状況における人類学の役割)
人類学の科学史的位置づけ
04/18 講義メモ(2024/04/18)
アマゾン先住民の精神文化と薬草
04/25 脳の構造と機能
講義メモ(2024/04/25)
ヒトの脳の構造
神経伝達物質と精神活性物質
05/02 (休講)
05/09 精神活性物質の民俗分類
脳の進化と精神文化
神経系の系統発生と個体発生
化石人類の芸術文化
05/16 オーストラリア
「オーストラリア先住民の親族構造」
オーストラリア先住民美術と現代美術
精神疾患と創造性
05/23 中米
世界の精神文化と精神展開薬
中米先住民の精神文化と精神展開薬
「精神科治療薬としての精神展開薬」
05/30 南米
アンデス先住民の薬草文化
アマゾン先住民の精神文化と薬草
文化としての勤勉
生業と労働時間
ブラジルの多文化主義とシンクレティズム
06/06 北インド・ネパール
大麻とカンナビノイドのことなど
カンナビノイドの生化学
アサの起源と伝播
アサ(大麻)の精神作用と文化
ヨーガと瞑想
06/13 タイ
タイでの一時出家
06/20 日本列島
日本列島の歴史年表
縄文文化と美術
06/27 日本列島の精神文化史
07/04 沖縄のシャーマニズムと世界観
07/11 モンゴル
モンゴルー宗教文化の復活ー
07/18 全体のまとめ
統制と禁制の社会史
07/25 (教室で期末試験を行うかどうかは未定)


  • CE2024/04/10 JST 作成
  • CE2024/04/25 JST 最終更新

蛭川立

【資料】佐保田鶴治

インド哲学者からヨーギーになった佐保田鶴治が、自らのLSD実験体験にもとづき、身体と精神、自由と不自由について考察した一文。

ここで解脱、この世の中から脱れた状態についてお話したいとおもいます。インド流の考え方をすると、この世でわれわれは縛られていることになります。牢獄につながれた罪人のような存在です。縛られているから苦しいのは当然ですが、しかしまた、縛られているから生きていることができるとも考えられます。
 
仏数といえば話が難しそうになるので手近なところから考えていくと、まず物理的な東縛があります。仮りにわれわれがビルの三階や四階、あるいは五階から飛びおりたらどうなるでしょうか。必ず落ちます。落ちずにおこうとおもっても落ちます。高い所から飛んだら重傷を負うか、死んでしまうか、どちらかです。なぜかというと、物理的必然、物理的束縛があるからです。誰が考えても同じです、それが、人間の自由が物理的に縛られているということです。
 
われわれはまず物理的に、自由ではありません。高い所から飛んだら必ず下に落ちるに決まっているのは地球に引力があるからで、誰もこの引力から脱れることはできません。人は例外なく物理的束縛から脱れることができませんが、同時に、引力があるから生きていくこともできるのです。もし引力がなくて、ちょっと足を上げたら風船玉みたいにどこかへ行くかもしれないのなら、われわれは生きていくことができません。
 
引力は地球上だけではなく、宇宙全体に天体の引力があり、それがあるからわれわれは生きていくことができます。つまりわれわれはひじょうに不自由な存在だから生きていることができるのです。われわれの存在の本質、根本は不自由であるにもかかわらず、自由が欲しいとか、自由になりたいとわれわれは願っています。
 
LSDという薬がありますね。僕も昔、飲んだ経験がありますが、これを飲むと、早く言うと気が変になります。危険だからということでアメリカでまず禁止され、日本でも禁止されましたが、あの薬はおもしろいと僕はおもいました。
 
自由意志がひじょうに拡張するような気がするのです。高い所から飛んでも「自分は落ちない!」とおもうと落ちないような気がします。僕にもその気持はわかります。僕がLSDを飲んだ時、街頭へ出て、猛烈なスピードで走ってくる車を見ても「ストップ!」をかけると急に止まるようにおもいました。実際には止まるわけがありません。車は勢いづいて走っているのですから、その前にとび出して「ストップ!」をかけてもひかれてしまいますが、そうはおもわないのです。
 
つまりLSDを飲むと、自分の自由が制限されないとおもってしまうのです。米国では少年が飲んで三階から飛び降りて死んだので危険だからということで禁止されましたが、そういうことがなければあの薬はおもしろいとおもいます。
 
次に心理的束縛があります。われわれは心だけは自分の思い通りになると考えていますが、心はちっともわれわれの自由にはなりません。あなた方は子どもが死んで悲しい時、悲しいとおもうのをやめようとおもってもやめられないでしょう。ですから心の自由もじつはないし、外界の物理的な自由もじつはありません。われわれは自由がまったくない世界に生きており、同時に、自由がまったくないから生きていることができます。にもかかわらずわれわれには、そういう不自由な世界から逃げたいという要求があり、それで三階から飛ぼうとします。
 
この矛盾する二面性 ー 不自由だから生きていくことができるが、同時にそこから脱れたいとおもうところに東洋の仏教や、その他のインドの思想があります。
[*1]

「不思議現象の心理学」2024/04/22 講義ノート

hirukawa.hateblo.jp

承前。先週はスプーン曲げ騒動に巻き込まれた清田さんのお話をしましたが、森達也さんの『職業欄はエスパー』のDVDですが、探していたものが出てきましたので、清田さんがスプーンを折る部分をすこしだけお目にかけます。

それから、超能力騒動ということからいったん離れて、あらためて、近代的心理学の歴史をお話していきます。

人間の心や魂を扱う学問としての心理学の歴史を辿っていくと、心霊研究や超心理学というオカルト的な分野と区別されていなかったものが、じょじょに分化し確立していったという歴史があります。それは、近代ヨーロッパで精神的な支柱であったキリスト教と新しく発展してきた自然科学の折り合いをつけなければならなかったという地域的な歴史でもあります。

それは、西洋文化圏の外にあった日本ではまたちがった文脈になります。日本では、仏教や神道のような宗教はあったのですが、それが学術的な権威とは結びついていませんでした。しかし、そのゆえに、日本では宗教と科学の葛藤ということも起こらなかったのです。仏教という宗教が特殊な宗教で、超自然的な存在を信じるというものではなく、むしろ自己の心を客観的に観察するという色彩が強かったという理由でもあります。ですから、むしろ日本でのほうが、心の科学は研究しやすかったという有利な事情もあります。


〈聖なるもの〉としての精神展開薬(サイケデリックス)

この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、個人の感想も含まれており、その正確性は保証されていません[*1]

  

興奮剤と抑制剤

朝起きて一杯のコーヒーを飲み、目を覚まして出勤し、仕事が終わるとビールや日本酒を飲んで、そして寝る、というのは日常的、かつ合法的や精神活性物質の使用である。

睡眠に問題があり、処方薬を服用している人がいるかもしれない。朝は神経刺激薬、夜は睡眠薬など、医師から処方されたものであれば、合法である。

それを毎日続けるのが習慣になっているとしたら、そういうサイクル自体に依存しているともいえる。

幻覚剤(psychedelics)・興奮剤・抑制剤の依存性

じつは、カフェインもメタンフェタミン覚醒剤)と同じ興奮剤=刺激薬(stimulant)である。エチルアルコールは、アヘンやヘロインと同じ抑制剤であり、もっとも依存性や毒性の強い物質群である。

精神活性物質の法的な規制は、依存性や毒性とはあまり関係がない。むしろ、それらの物質が文化的にどう使われてきたかという歴史、政治的な文脈が背景にある。

サイケデリックス=精神展開薬

サイケデリックス(精神展開薬)の作用は、興奮剤⇄抑制剤という日常性の平面からの超越である。「覚醒剤」の「覚醒」とは、睡眠からの覚醒だが、サイケデリックスの超越的な薬理作用は、日常的な睡眠と活動のサイクル自体からの「覚醒」である。

〈俗なる〉円環と〈聖なる〉超越

サイケデリックスは、睡眠と覚醒、休養と労働という、日常的な〈俗なる〉世界自体から、それとは次元が異なる〈聖なる〉世界へと意識を「覚醒」させる。

伝統社会において、サイケデリックスを含む薬草は、日常的な〈ケ〉の状況では使用されない。儀礼や祭礼などの〈ハレ〉の状況でのみ用いられ、人間を日常の〈俗なる〉世界から非日常の〈聖なる〉世界へと超出させ、社会的な日常をリセット(再起動=死と再生)するために使用される。

ペルー・アマゾンの先住民は個人や共同体の問題解決のため、治療儀礼においてアヤワスカ(DMT含有植物茶)を使用する[*2]。ブラジルのサント・ダイミにおいては新月と満月の晩にアヤワスカの礼拝を行う[*3]

インドでは、マハー・シヴァ・ラートリ(インド暦の大晦日)の夜だけ、違法なバング(大麻ラッシー)が解禁される[*4]。バング=ガンジャは人間に幻覚を見せるのではなく、人間を〈俗なる〉世界という幻覚(マーヤー)=仮想現実から覚醒させる[*5]

バリ島では、ウク暦の210日ごとに行われるガルンガン・クニンガン(盆のような祭礼)で、しばしば集団的なトランス状態が起こる[*6]。これは精神活性物質の作用ではなく、音楽のリズムによって誘発される。脳内でもサイケデリックスと同様の物質が分泌されている。

変性意識の周縁化

近代社会は労働と休息の往復という〈俗なる〉世界のシステムを効率的に発展させ、社会の世俗化は不合理な宗教的権威からの解放でもあったが、人間を〈聖なる〉世界へと誘う儀礼や祭礼は形骸化した。

サイケデリックスが見せるビジョンは〈幻覚〉とされ、非日常的な陶酔作用は〈狂気〉あるいは〈犯罪〉として周縁化され、病院で治療されるべき、監獄で矯正されるべき状態として管理されるようになった。

封入性・負目性・超越性

サイケデリックスは、加速する労働に支えられた近代社会によって周縁化された〈聖なる〉ものへの回帰を引き起こす物質でもある。それは、統合失調症などの〈精神病〉を引き起こす物質として忌避される一方で、抑うつや不安などの〈神経症〉の治療薬ともなる。

テレンバッハの精神病理学において、メランコリー親和型うつ病は、封入性、つまり日常的な秩序に閉じ込められることと、負目性、つまり日常的な秩序のサイクルに遅れをとり、取り返しのつかない状況に陥ることの、二つの条件が重なることによって引き起こされる[*7]

封入性・負目性・超越性

つまり単極性のうつ病は、変更不能な過去の記憶を背負いこんでしまう「後の祭り」の病である。木村敏の時間論[*8]における「祭の後 post festum」であり、それに対する躁病=てんかんの時間は「祭りの中 intra festum」における、痙攣的超越(cranpus transcendentdi)である。

サイケデリックスは、この痙攣的超越を薬理的に引き起こし、わずか数時間で労働⇄睡眠、興奮剤⇄抑制剤というサイクルへの依存を消滅させ、抑うつ状態を消滅させる[*9]

実験精神病から実験美学へ

ポストモダンは、モダンからの逆行の試みであった。ヨーロッパでは、ボードレールが『人工楽園』においてアルコール・阿片→大麻の比較を行い、これを受けてベンヤミン『陶酔論』やミショー『みじめな奇跡』は、さらに大麻→メスカリンへと比較対象を前進させた。

1930年代にLSDが合成されると、まず精神異常発現薬、つまり統合失調症を引き起こす原因物質としての研究が行われた。

日本でも1950年代には京都大学東京大学を中心に、精神異常発現薬としての研究が進み、研究者自ら(加藤清、木村敏、徳田良仁など)が統合失調症を疑似体験するためにLSDを服用したが、ここではサイケデリック体験が生み出す〈狂気〉は同時に〈美〉への超越でもあると考えられた。

東大系の精神科医たちがLSDを作家や詩人(谷川俊太郎安部公房、多田智満子など)に投与し、作家自らが生化学的な〈狂気〉の中で〈美〉を創造する「実験美學」のパフォーマンスが行われ、華道草月流などが場所を提供、テレビやラジオでも放映された[*10]が、この実験は1960年代に入ると急速に衰退し、後の時代には引き継がれなかった。

サイケデリックルネサンス

SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)をはじめとする抗うつ薬の流行と、そしてその限界があきらかになるにつれ、2010年代から[長い歴史を持つ]ケタミンやシロシビンが「新しい」抗うつ薬として研究され、実用化されるようになっている。サイケデリックルネサンスである。

メランコリーとは近代社会への過適応と労働への依存によって封入された自己の様相である。サイケデリックスは、ポストモダン的な状況の中で、近代社会から疎外された〈聖なる狂気〉を取り戻すための生化学的なツールとして復活しつつある。


記述の自己評価 ★★★☆☆ (つねに加筆修正中であり未完成の記事です。記事の後に追記したり、切り取って別の記事にしたり、内容が重複したり、そういう動的な冗長性がハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)


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*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:hirukawa-archive.hatenablog.jp

*3:hirukawa-archive.hatenablog.jp

*4:hirukawa.hateblo.jp

*5:現代のVR技術は古代インド哲学の世界観に回帰しているともいえる。「シミュレーション仮説」を参照のこと。

*6:hirukawa.hateblo.jp

*7:

*8:

*9:2019年には、京都の大学生がアヤワスカを模した植物を茶にして服用し、自らの抑うつ状態と自殺念慮を自己治療したが、「麻薬」の所持・施用の疑いで逮捕され、現在でも大阪高裁で裁判が続いている。詳細はブログ内記事「京都DMT茶会裁判」を参照のこと。

*10:hirukawa.hateblo.jp

サイケデリック・ルネサンス前史 ー当事者研究ー

この記事は書きかけです。この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、個人の感想も含まれており、その正確性は保証されていません[*1]

理系男子として

戦争の次々の世代に生まれて、中産階級の賢くて優しい両親のもとで育った。反抗すべき親世代が消えていったからである。学生運動やヒッピーの時代は終わっていた。

大学では進化遺伝学や進化心理学を学んだ。進化論か宇宙論かのどちらかを専攻したかった。時間的にも空間的にも、宇宙の広大さには幻惑されていたのである。

大学生のとき、学生合宿で徹夜で議論し、夜明けに意識を失った。ただ眠ったのではなく、けいれん発作を起こして意識を失った。脳波を調べたが、てんかんではなかった。ではどういう病気か。京大の保険診療所の新宮先生は、軽度の躁うつ病かもしれないが、軽躁は才能でもあるし、治さないほうがいいでしょう、と言った。とくに服薬はしなかった。

キノコブーム

大学院生のころだったか、マジック・マッシュルームが流行した。それは、天文学のような外的な宇宙ではなく(もっと魅力的な)内宇宙に望遠鏡を向ける作業であった。

共進化

それは学術的に研究しなければならない。すでに研究してきた進化生態学からすれば、たとえば牛糞に生えるキノコは、ウシに食べられることで多幸感を引き起こし、その糞は胞子が菌糸へと成長する栄養源になっている。

シャーマニズム

またこの物質は、単なる嗜好品や濫用薬物とは質的に異なるものであり、それが儀礼的に使用されていた場所に戻って研究する必要が必要だと思った。

自分じしんはシャーマニズムについての研究を進めてきたので、ルネサンスが急速に進んでいることに気づくのが遅れた。

中南米の先住民社会では、シャーマンがサイケデリック植物を摂取し、患者の病気の原因を探すという使い方が主であったから、サイケデリックス自体が精神疾患を治療するということはあまり考えたことがなかった。

カウンター・カルチャーの衰退

私が大学生になったころには学生運動カウンターカルチャーも衰退した後だった。

2013年から2014年にかけてはロンドン大学で心理学を学んでいたが、学生たちが元気だったのは1980年代で、その後は無力化と右傾化が進んでいるという。これは先進国に共通する問題である。

ルネサンスの胎動期

ロンドンでもサイケデリックスの話題には意外に触れなかった。ただ、もうすぐケタミンが医療用途で合法化されるという話は聞いた。しかし、ケタミンは麻酔薬である。それがどういう病気の治療に使えるのか、はっきり理解できなかった。

2015年には、オーストラリアで科学哲学、とくの物理学の哲学を学んだ。

メチルフェニデートフルニトラゼパムも処方されない状況で、過眠と倦怠感は相当に悪化した。楽しい研究に対する意欲は失われていなかったので、定型的なうつ病の診断基準を満たさなかったが、日本人の精神科医に勧められたSSRIセルトラリン)を服用したところ、持病の過眠症が大きく改善した。このころから、抗うつ薬について本格的に関心を持つようになった。

トラウマの改善

2016年には、研究室のゼミ生がペルーに調査に行き、サン・ペドロを持ち帰ってきた。これを何人かの人たちと食べてみたのだが、とくだん、抗うつ作用のようなものは感じなかった(このとき自分はうつ病ではなかったのだろう、と今になってそう思う。)

しかし、サンペドロには、むしろMDMAに似た、親近感を強める作用を感じた。カヴァと同じようにマッサージと組み合わせてみたが、あまりうまくいかなかった。サン・ペドロが引き起こす親近感は心理的なものであって、肉体的なものではなかった。

しかしこの時、サン・ペドロを食した知り合いの女性が幼少時のトラウマを克服したという事実を知り、ここではじめてMDMAがPTSDに著効だということを知った。

睡眠障害から精神科入院へ

2017年から2018年にかけては、睡眠障害の検査をきっかけにして、国立精神・神経医療研究センターと晴和病院に入退院を繰り返したが、このときに睡眠障害気分障害の専門研究者たちとずいぶん議論をした。日本でもケタミンの抗うつ作用にかんする実用研究が始まるという話を聞いたが、依然としてケタミンのような麻酔薬が精神状態を改善するようなものではないだろうという懐疑的な気持ちがあった。

合法サイケデリックスがネットで流通

2019年には京都で大学生がDMT植物のお茶を飲んで自殺念慮を自己治療するという事件があった。植物を譲渡した青井さんの裁判が始まったのが2020年で、弁護側証人としてアヤワスカやDMTの薬理作用についての研究を網羅的に調査した。この調査の中で、ようやくサイケデリックスがうつ病や依存症に対して著効であるという事実を知った。

インターネット上で「脱法」THCアナログやLSDアナログが流通を拡大させていることを知ったのは2022年のことである。大学生など若い人たちから合法的に流通している物質のサンプルをわけてもらい、自分でも少しずつ試してみた。その中でも、1V-LSDや1D-LSDは、毒味のために少々摂取しただけなのに、強い意識変容は起こらなかったのに、慢性的に重かった身体が急速に軽くなるのを感じた。サイケデリックスに抗うつ作用があることを体感したのはこのときが初めてだった。逆にいえば、緊急事態宣言下で、いつの間にか自分がうつ病になっていたことに気づいたともいえる。

日本のルネサンス

2023年には、気分障害の研究をしている精神科医のもとで、ケタミンを初体験した。予想どおり、ケタミンにはサイケデリック作用があったが、麻酔薬特有のボンヤリした感覚があった。しかし、その直後から翌日にかけて、やはり重たかった身体が軽くなり、陽光がまぶしく感じられた。すでにケタミンの治験からシロシビンの治験へと進みつつある慶應大学病院の先生かたとの出会いもこの2023年の秋のことだった。

このころから、日本でのサイケデリック研究の第一人者だと思われるようになったらしく、取材や執筆、講演などの仕事が急増した。それは良かったのだが、2023年の末には過労が重なったのか、夏から冬への温度低下が急激すぎたのか、倦怠感はさらに悪化した。一発逆転を狙ってSSRIを服用したものの、症状はさらに悪化した。とうとう、絶望的な自責の念に押しつぶされるような、典型的なメランコリー型うつ病のような抑うつエピソードを生まれて初めて体験した。

この文章を書いているのは2024年の3月だが、やっと回復してきたところである。


CE2024/03/11 JST 作成
CE2024/03/18 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

アイヌの他界観と臨死体験

アイヌの他界訪問説話についての記事が重複しているので整理中。

hirukawa.hateblo.jp

今から十年ほど前、2005年ごろだったか、東京でアシリ・レラさんというアイヌの中年女性から臨死体験談を聞いたことがある。

アシリ・レラさんはアイヌの「シャーマン」で、アイヌの伝統を伝えるために活動しているということで紹介してもらったのだが、お会いしたかぎりでは、とくに神秘的な霊能者のような感じではなく、人なつこいおばさんだった。

アシリ・レラさんは、山で山菜を探していたときに滑落、大怪我をした。そのときに、洞窟をくぐってあの世に行って帰ってきた、という。あの世にも、この世と同じような村があって、そこには死んだ人たちが住んでいたという。

現代人がこういう臨死体験をすると、「死後の世界を見てきた」と驚き、死生観や人生観が大きく変わってしまう人が多い。しかし、アシリ・レラさんは、自身の体験については、とくに驚いたというわけでもなく、洞窟をくぐっていったことを、面白そうに語っていた。むしろ、子どものころから聞いていたアイヌの昔話とよく似ていたので、ああ、やっぱり、と思ったのだそうだ。

山での滑落以外にも、アシリ・レラさんはもう一回、死にかけた経験があると言っていた。二回も死にかけたのに、まだ生きているんだと、からからと陽気に笑っていた。

その後、2011年にアシリレラさんの語りが『アイヌ、風の肖像』という本になって出版された、ということは、去年になって知った。それによると、彼女は病気になり、手術している最中に、三度目の「死にかける」体験をしたとのことである。

2023年の8月に聞いたところでは、それでもアシリ・レラさんはまだご健在で、北海道の生まれ故郷の、ニブタニ(二風谷)にお住まいとのことである。

アイヌの他界観・霊魂観

北海道アイヌの人たちの伝統的な死生観によれば、死者の霊は、アイヌ・モシリ(人間の国)を離れて、地下にあるポクナ・モシリ(下方の世界=死者の国)へ行くと考えられている。

地下世界ではなく、天上にあるカムイ・モシリ(神の国)へ行く、という話もある。

あるいは、世界はカムイ・モシリ、アイヌ・モシリ、ポクナ・モシリの三層からなっていて、死者の霊はまず地下のポクナ・モシリに行き、それから天上のカムイ・モシリに行くという考えもある。

アイヌの伝統的世界観の構造[*1]

天と地上と地下の三層からなっていて、それぞれの世界が軸やトンネルによって結ばれているという宇宙観は世界各地に広くみられる。たとえば、天国や地獄という観念がそのわかりやすい例である。

古代の日本人の世界観にも、高天原(たかあまがはら)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、黄泉(よみ)の国という三層構造がみとめられる。人間が他界、つまり別の世界というものを考えるときには、それが天上や地下にあると想定することが多いようだ。

ただ、アイヌの場合は、死者の霊が天上の他界に行くにせよ、地下の他界に行くにせよ、そこはいずれも地上のこの世とほとんど同じ世界だと考えられている。あるいは、そこは現世よりもいくらか美しい場所でしあわせな生活ができるともいう。

殺されたり、自殺など、苦しんで死んだ者は幽霊になるという考えはあっても、生前の行ないの善悪によって行く世界が異なるという発想はない。そのような伝承も聞かれることがあるが、それは、近年になって仏教など、外来の文化の影響を受けてできあがってきたものらしい[*2]

国立アイヌ民族博物館(白老)[*3]アイヌの他界観がわかりやすく展示してある

アイヌ語で死はライ[・オマン](下の方[に行く])と呼ばれ、死者の霊(ラマッ)は、死ぬと肉体から離れるとされる。霊魂が肉体から離脱するのは死の時だけではなく、たとえば寝ているときに夢を見ているのは、ラマッが肉体を抜け出してさまよい歩いているからだという。

地下に他界(ポクナ・モシリ)を考える場合、その後、ラマッは、海岸や川岸にあるアフン・ル・パラ(入る・道・口)という洞窟を通って他界へと赴くとされる。その出口は、ポクナ・モシリの地面の上に開いた穴だ。生者の世界と死者の世界とは上下が逆だから、下へ下へとトンネルを下降していくと、いつのまにか死者の国の地上に到達するのだ。

あの世はこの世とほとんど同じような場所だが、ただし、あの世ではすべてがこの世とはさかさまになる、と考えられている。あの世はちょうどこの世の陰画として描かれる。このような「さかさまの他界」という観念は、アイヌ以外にも、シベリアの先住民族の間に広く見られる。死者の世界では、上下が逆で、時間も逆に流れるので、川は河口から源流に向かって流れる。あの世の昼はこの世の夜である。この世の朝、日の出のときはあの世の日没で、この世の夕方、日が沈むときにはあの世では日が昇る[*4]

二風谷と白老への旅

2023年の夏には、アイヌの集落が再現されている博物館のある、二風谷と白老を訪ねた。

hirukawa.hateblo.jp

二風谷の宿で、たまたま明治大学の大学院生さんと同宿することになった。二風谷は研究者が集まるところでもある。

大学院生さんに、海岸にある死者の洞窟に行ったときの写真を見せてもらった。

登別(ヌプㇽ・ペッ)港の近くの海岸にある「アフン・ル・パラ(入る・道・口)」

(2023年8月撮影)

伝説に出てくる他界へのトンネルは、たんなる空想ではなく、じっさいの洞窟のイメージと重なっており、各地にそういう洞窟があるということは、教えてもらって学んだ。

アイヌの他界訪問説話

日本・沖縄に比べて、アイヌには臨死体験(ブログ内記事「臨死体験」を参照のこと)に似た他界訪問説話が多い。

暗いトンネルの中を進んで行くと、その先に、すでに死んだ人たちがいる。その人たちに「まだ来るな」と言われて死者の世界を去り、生者の世界に戻ってきた、という、西洋で研究されてきた臨死体験の共通パターンとよく似た要素がみられる。

アイヌの一青年が愛妻を亡くして一人で暮らしていた。青年は漁のため神に出て、尻場の絶壁の磯で亡くした妻に似た婦人を見て近づく。婦人が後ろも見ずに洞窟の中に逃げこんだので、あとを追っていくと、フイヌのコタンが見える。エカシ(老翁)が小屋から出てきて、「まだ来るな」と言って洞窟の外に青年を追い出す。青年はコタンに帰るが仕事も手につかず、悶々として日を送り間もなく死んだ。この洞窟を「オマンルバラ(死んでいく道)」と言う。(余市町 p.357)[*5]

死者の世界に行こうとすると「まだ来るな」と言われたり、「戻らなければ」と自己判断し、引き返してくるというのは臨死大家に多い要素である。

男が死んだ妻を追って冥界に行くという説話はすでに類型化されている。古代日本神話では、イザナキが死んだイザナミを追って冥界に行くが、引き返してくるという同じ構造がみられる。

アイヌの説話では、男が追いかけるものは、妻だけではなく、熊や狐などの獲物を追うというヴァリアントもある。

一人の美しい青年が、山で熊を追っていた。しかし、熊は穴の中に逃げてしまう。熊を追って洞窟の中に入っていくと、行く手にかすかな光が見えるので、その光の方向に向かって手探りで進んで行くと、それは死者の世界への出口だった。死者の世界にも村があって、生きている人と同じように暮らしていた。ただ、死者の世界は自分たちが住んでいる村よりもずっと美しい場所だった。その後、青年は洞窟をくぐって元の世界に帰り着くが、じつは彼が追いかけていた熊は瞑府の女神が化けていたもので、女神は彼と結婚したくて熊に姿を変えて他界へと誘い出したのだった。けっきょく青年は女神によってふたたび死者の世界に呼び戻され、二度とこの世に戻ることはなかった[*6]

死者の世界では生者の世界と同じように集落を作って暮らしているという語りは多いが、ここでは死者の世界のほうが美しいとされている。

また、死者の世界から生者の世界に戻ってきた人間が、また死者の世界に戻ってしまう、というヴァリアントも多い。

疑い深い男がいて、人間が死ぬと冥府に行くというが本当かと疑い、冥府の入り口と言われる穴の中に入っていく。真暗なところを手探りで進んでいくと冥府に着く。そこには海も川も村も木もあり、海には五、六腹の舟が浮いていて魚や海草が積んである。冥府の人は男の姿を見分けることができず、大だけが男の姿を見てほえる。冥府の人たちは犬のほえる声を聞いて、「何か怪しいものがやってきたに違いない」と言って、肉った飯や魚の骨を投げつける。男は体中についた飯や魚の骨を引き離して投げ返しながら急いで引き返し、穴の出口から人間世界にとび出し家に帰った。(松元益話 p.152)[*7]

他界を訪問するの男性だが、誰かを追いかけるのではなく、自分の好奇心で穴に入って行くという説話もある。

彼岸のコタンと此岸のコタンは対称性のある構造だと語られることが多い。

伝承では、あの世の人間が穴からこの幽霊がこの世に出てくることもあるが、その姿は人間には見えず、犬にだけ見えることになっている。逆に、生者が死者の世界に行くと、死者として住んでいる人間には生者の姿が見えず、犬にだけは見えるという対称的な構造をとっている。


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CE2024/03/24 JST 作成
CE2024/04/12 JST 最終更新
蛭川立

*1:山田孝子 (1994) 『アイヌの世界観 ー「ことば」から読む自然と宇宙ー』 講談社、 pp.20-65。

*2:児島恭子 (1996) 「口承文芸から探るアイヌの霊魂観」、 梅原猛+中西進[編] 『霊魂をめぐる日本の深層』 角川書店、 pp.161-171。

*3:nam.go.jp

*4:藤村久和 (1995) 『アイヌ、神々と生きる人々』 小学館、 pp.234-240。

ハルヴァ,U. (1971) 『シャマニズム――アルタイ系諸民族の世界像』 田中克彦訳、 三省堂、 pp.312-330。

*5:

*6:ヒッチコック,R. (1985) 『アイヌ人とその文化』 北構保男訳、 六興出版、 pp.168-170。

*7: