蛭川研究室

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【記事の改装工事中】モンゴル ー復活する宗教文化ー

高校と予備校を卒業した後、まず京都大学農学部農林生物学科に入学した。集団遺伝学を学びたかったからでもあるが、漠然と今西錦司に憧れていたからでもある。

国立民族学博物館でモンゴルの特別展が行われているらしく、Twitterに展示の写真が投稿されていた。


1939年の写真らしい。

それから60年後に、モンゴルを訪ねた。


1999年、ウランバートルにて。通訳のゲレレさんと。

ロシア製のジープは無骨だが乗り心地が悪かった。

1999年8月にウランバートルモンゴル国立大学で行われた国際シャーマニズム会議に参加した。

それから飛行機でフブスグル(Khövsgöl)県のムルン(Mörön)まで飛び、それからジープでウラン・ウール(Ulaan-Uul)まで北上、いつの間にかロシア領に入ってしまい、国境警備隊に追い返された。

本当にロシア国境を越えたのかどうかもわからない。地面に線が引いてあるわけでもない。人間に指摘されなければ、国境など、どこにあるのかわからない。旧ソ連圏では紛争が絶えないけれども、そもそも国境線というものが曖昧なのである。



明治大学のサーバー上にアップした以下のページを加筆修正しながらブログに移転中。
www.isc.meiji.ac.jp

ソ連崩壊後のモンゴルでは、民族主義が盛んになり、シャーマニズムが復活しつつあった。

ここに書いたのも1999年に短期滞在したときに聞いただけの話だが、21世紀の20年間にモンゴルで起こった社会と宗教の変化について、日本語で読める良い研究書が出た。

島村一平の『憑依と抵抗』。

『彼岸の時間』の第8章「非局所的な宇宙ー旧ソ連圏における認識論的政治学ー」にもモンゴルのことを書いたので、これも、まとめなおしたい。

後半部分では、マッハの極論に対するレーニンの批判を取りあげたけれども、そのことよりも、アインシュタイン実証主義の観点から絶対時空の概念を捨てたことのほうが重要なことだから、それはクイーンズランド大学の「物理学の哲学」のノートとともに整理したい。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)

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  • CE2022/06/13 JST 作成
  • CE2022/06/13 JST 最終更新

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