蛭川研究室ブログ 新館 ホームページ

(改装工事中です。さしあたり、新しいお知らせはありません。)

連絡先

〒101-8301
東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学研究棟 221号室

お問い合わせは、以下のアドレスに電子メールでお送りいただくのが、もっとも確実です。

連絡先・アクセスの詳細はこちらをご覧ください。

「なぞなぞ認証」について

いくつかのページには、はてなブログ特有の「なぞなぞ認証」という、軽いパスワードをかけています。

上記のような画面が表示される場合には、指示に従ってパスワードを入力してください。パスワードをお忘れの場合は、お手数ですが想起していただくか、上記メールアドレスまでお問い合わせください。詳細は「『なぞなぞ認証』について」をご覧ください。



CE2019/02/25 JST 作成
CE2022/05/17 JST 最終更新
蛭川立

アマゾン先住民・アヤワスカ関連映画

制作された年代順に並べているが、よりノンフィクション的な描写が強まる順でもある。

『Blueberry』


www.youtube.com
『Blueberry』(2004年)
 
アメリカを舞台にした西部劇のような映画なのだが、主人公は最後にメキシコに脱出し、そこでシャーマンから幻覚茶を差し出され、自身のトラウマ的物語を回想し、超越する。この内的経験のCGが、誇張されてはいるが秀逸。
 
メキシコ先住民という設定のはずが、出てくるシャーマンはシピボであり、幻覚茶はアヤワスカ茶のようである。

『彷徨える河』


www.youtube.com
『彷徨える河』(2016年)
 
民族植物学者エヴァンス・シュルツがヤヘ(アヤワスカ)よりもさらに強力だと伝えられている「ヤクルナ」(おそらく実在しない植物)を求めてコロンビア・アマゾンを旅する。
 
百年前という設定であり、ほぼ全編が静かなモノクローム映像(だが、ラストシーンだけは演出過剰)。先住民の精神世界と過酷なゴム農園、そして狂信的なミッションが織りなす世界をリアルに描いている。

『ラスト・シャーマン』


www.youtube.com
『ラスト・シャーマン』(2016年)
 
うつ病になったアメリカ白人の大学生がペルー・アマゾンに向かい、アヤワスカ茶で自己治癒。主な舞台はイキトスとシピボの村。実話に基づいた半フィクションだが、2019年に起こった「京都相思茶会事件」と非常によく似ている。
 
映画の最後で、シャーマニズムの商業化に反対し村を追われる「ぺぺ」も実在する人物だが、ぺぺを「最後のシャーマン」として描いているのは演出で、じつは現在、ぺぺは世界各地に呼ばれてアヤワスカの茶会を行っているという。
 
商業化によって真のシャーマニズムが失われてしまった、というのは作者の投影であって、先住民のシャーマンが飛行機に乗って世界中に出張しているという現実のほうが驚くべきことである。

『カナルタ 螺旋状の夢』


www.youtube.com
『カナルタ 螺旋状の夢』(2021年)
 
エクアドル・アマゾンの先住民シュアール(ヒバロ系)の生活世界が等身大で描かれている。映画やドキュメンタリーらしい脚色が少ないという意味で、リアルな映像である。
 
アヤワスカも他のたくさんの薬草の一種として描かれており、シャーマニズム儀礼的な側面の描写としては物足りないが、儀礼の神秘的な側面に焦点を当てた映像は(上に紹介した映画など)他にもたくさんある。逆に先住民文化を過度に神秘化していないのは、むしろ貴重な記録だといえる。
 
これを書いている蛭川じしんはエクアドル・アマゾンには行ったことがない。二十年前にペルー・アマゾンに少し滞在したことがあるだけだが、熱帯の田舎の人たちの暮らしを懐かしく思い出させてくれる映像でもあった。
 
「Paris」や「NY」と書かれたTシャツを着て、「adidas」と書かれたジャージを履いて、なぜだか大麻のハッパの帽子をかぶっている人たちのダサい服装は悲しきグローバリゼーションの産物である。二十年前に比べると、会議中にスマホタブレットをいじっている人が増えたかなというところだが、そのことが余計に彼ら彼女らを身近に感じさせる。

アマゾンまで行ってアヤワスカを体験したというカジュアルな動画は日本語だけでも相当数あるが、それはまた別の場所にまとめたい。



CE2016/06/10 作成
CE2022/09/22 最終更新
蛭川立

超心理学と関連学会の動向

アメリカの「Parapsychological Association」は、American Association for the Advancement of Science (AAAS)に加盟している学術団体であり、日本超心理学会(JSPP: Japanese Association for Parapsychology)は、かつては日本心理学諸学会連合にも加盟していたそうだが、「超心理学」は、英語の「parapsychology」の和訳として適切だろうか。

超心理学」はおかしい?

意味が違う?

「para」は、たとえば化学では「側」と訳される。「超」に対応する英語は「super」である。たとえば「supernatural」は「超自然的」である。

「paranormal」は「超常的」と訳されるが、ほんらいは「普通ではないが病的でもない」というニュアンスである。詳細は「心理学における『異常』と『超常』」(ブログ内記事)を参照のこと。

「超」のイメージが悪い?

数物系では、「超伝導」や「超対称性」など、「超」は、ふつうに使う言葉。「超新星 supernova」といえば、程度が大きいというだけで、そこに神秘的な含意はない。

しかし「超古代史」といった場合には、非常に古い時代という意味合いはなく、偽史疑似科学というニュアンスを帯びる。

カタカナを使う?

「バイオテクノロジー」や「エスノメソドロジー」のように、もっぱら英語直訳カタカナ語のほうが一般的な分野もある。「transpersonal psychology」は、そのまま和訳すれば「超個心理学」となるが、それよりも「トランスパーソナル心理学」という日本語が定着した。

心理学では「personality」を「性格」と訳すか「人格」と訳すかで意見が分かれているが、「パーソナリティ」というカタカナ語が折衷案として使われるようになり、「日本性格心理学会」は「日本パーソナリティ心理学会」に改称した。

「パラ心理学」という日本語もあるらしいが、ほとんど使われていない。全部をカタカナにした「パラサイコロジー」は、大谷宗司、井村宏治、村上陽一郎の著書や訳書にみられる。

また、学問としての「生態学」と、思想としての「エコロジー」は、使い分けられている。

関連分野とその現代史

心霊研究

「psychical research」は、イギリスでは今でも一般的に使われている。日本語では「心霊研究」と訳されるが、「霊」という言葉が怨霊のようなニュアンスを持つのと、「心霊主義」と区別しにくいのが難点である。「Spiritualism」は、霊魂の死後存続を前提としている点で「主義」であり、心霊研究とは異なる。そのまま「スピリチュアリズム」と訳されることもある。これは、哲学における唯心論との訳し分けでもある。なおフランス流のspiritismは「霊魂主義」と訳されることもあるらしい。

日本には「心霊科学協会」という団体もある。

超心理学

イギリスではpsychical researchが使われ続けているのに対して、アメリカではparapsychologyが一般的である。APSR(アメリカ心霊研究協会)は影が薄い。Parapsyochological Associationは「scientific explanation」学会と合同大会を開いていたりする。

意識研究

1990年代からの流行は意識研究(consciousness studies)や意識科学(science of consciousness)である。ただし、扱っている分野が漠然として広すぎるという難点もある。

トランスパーソナル心理学

欧米のサイケデリックカルチャーやニューエイジ運動がアカデミックな心理学へと統合してきた歴史を背景としている。日本に導入されたが、文化的な背景が違うのでうまく根付いていない。一般向けのワークショップを行うトランスパーソナル学会と、アカデミックな研究学会を目指すトランスパーソナル心理学・精神医学会に分裂したが、両者ともに人数が少なく、近年では合同で学会を行っている。

トランスパーソナル心理学は、欧米においても積極的な発展は見られないが、1960年代に流行したサイケデリックスや大麻、禅や瞑想の文化が、逆に「ルネッサンス」を迎えている。医療用の大麻サイケデリックス、健康法としてのヨガや気功、マインドフルネスが認知行動療法に取り入れられるなど。

懐疑主義

懐疑主義にもとづく研究団体としては、日本ではSCICOPの流れをくむ「Japan Skeptics」があるが、今はむしろ「超常現象の懐疑的調査のための会」(Association for Skeptical Investigation of Supernatural: ASIOS)が活発に活動している。しかし懐疑主義は、懐疑するというよりは、否定ありきという「逆ビリーバー」という立場に偏りがちなのが問題である。

特異心理学/変則的心理学

エディンバラ大学のKPU(Koestler Parapsychology Unit)はRobert Morrisの急逝によって変質し、どちらかといえばRichard Wisemanのような懐疑主義が主になった。ロンドン大学ゴールドスミス校を中心とした「anomalistic psychology」(特異心理学/変則的心理学)は、「moderate skeptics」(穏健派懐疑主義)という立場に立っている。

そもそも、何を研究する分野なのか?

「超常現象」の科学的研究は自己矛盾

「超常現象=科学では説明できない現象」という退行的定義では、研究対象が積極的に定義できない。「UFO」も同様の語義矛盾をはらんでいる。

心霊研究の系譜

もともと心霊研究は、肉体の死後も霊魂が存続するかのような現象を研究対象にしていた。この流れでは、前世の記憶を語る子どもや、臨死体験の研究が進んできた。

ヴァージニア大学を中心とする、前世の記憶の分析研究は、客観的な実証性を持っている。

臨死体験研究は、主観的な体験の研究が主で、客観的な実証性にとぼしい。しかし、臨死体験サイケデリック体験が類似している(臨死体験の「深さ」は臨床的な死への距離とは相関しない)ことや、内因性DMTの発見などを通じて、脳神経科学との接点が強まっている。

また、臨死体験が死後の世界の体験かどうかにかかわらず、その前後で人生観が変わることもサイケデリック体験と類似しており、これはサイケデリックスやカンナビノイド(〜大麻)の精神医学への応用とも結びついている。

日本では、大学生がアヤワスカ・アナログ(DMT植物茶)を服用し人生観を変え、希死念慮を自己治療したという事件があり、裁判になっている。(事件は2019年7月で、判決は2022年9月26日。詳細は「京都アヤワスカ茶会裁判」を参照のこと。)

実験超心理学

実験超心理学では、行動主義心理学と同様に、研究対象を操作的に定義する。

1、精神が物質的身体を介さずに物質に作用する
2、精神が物質的身体を介さずに物質から情報を得る
3、精神と精神が物質的身体を介さずに情報を交換する

1はPKで、RNG(乱数発生器)の実験へ発展。

2と3は[操作的に区別できないので]まとめてESPとする。ガンツフェルト実験へ発展。

PKとESPすべてに共通するPSI(英語なまりではサイ)という実体があるかどうかは、操作主義的には触れられない。

意識研究

体外離脱体験は臨死体験においても体験されるが、それ以外の状況、とくに入眠時にも体験されることが多い。肉体の死後も霊魂は存続するかという問いかけをより一般化するなら、身体と意識、物質と精神の関係を問う、心身問題という普遍的な問題へとつながっていく。超心理学は心理学とは別の分野だというよりは、心理学の基本にある分野だといえる。

実験心理学が「科学的」であろうとするあまりに統計的手法が主となり、なぜ統計学を使うのかという基本が問われない傾向にある。心理学の基礎論の研究は少ない。日本では理論心理学会、心の科学の基礎論研究会などがある。

西欧近代の外部で

世代間の世界観の変化?

「先進国」では経済的進歩に伴う物質主義とそれに対する反発が減ってきた。若い世代が霊的現象に親和的になってきた一方で、科学的、分析的な思想が希薄になってきた?(岩崎美香による臨死体験の世代差研究。)アニメやゲームへの世界観への親和性が高くなってきた。

英米中心の超心理学は欧米圏外へ拡大?

中国

気功や中医学の伝統の延長線上に「人体科学」があるが、1999年の法輪功事件以来、衰退している。ただし、これは政治的な理由が大きい。日本にも人体科学会がある。日本の国際生命情報科学会もこうした流れの延長線上にあった?

日本

スピリチュアリズムと日本の民間神道との習合としては、本山博の「国際宗教・超心理学会」があるが、学会としての活動は衰退してしまった。

ブラジル

先住民文化と移民文化が混交する社会だが、とくにヨーロッパ由来の霊魂主義(エスピリティスモ)の伝統が残っている。Psychobiofisica(心理生物物理学)といった分野もある。



CE2020/02/16 JST 作成
CE2022/09/10 JST 最終更新
蛭川立

心理学における「異常」と「超常」

超心理学(parapsychology)とは、超常現象(paranormal phenomena)を対象とする心理学の一分野である。しかし、「超」心理学や「超」常現象という訳語は、いささか意味不明である。あるいは、一種の「いかがわしさ」さえ感じさせる。

以下、断りがないかぎり、欧語は英語で表記するが、「paranormal」や「parapsychology」という語は、19世紀末、現代的心理学の黎明期に使われるようになったフランス語の「psychologie pathologique」にまで遡るという。これに対応する概念として英語では「abnormal psychology(異常心理学)」の語が用いられたが、ここでいう「abnormal」という語は、「subunormal」「supernormal」「paranormal」という三個の下位概念を含んでいた。

「subnormal」とは、普通以下という意味であり、それは病的な精神異常というニュアンスがあり、精神疾患の治療という実用的な必要性もあって、この分野の研究が「psychiatry(精神医学)」や「clinical psychology(臨床心理学)」として発展し、現在に至る。

いっぽうの「supernormal」は、普通以上という意味であり、たとえば天才的な創造性がこれに相当する。この概念は、病跡学(pathography)のような、精神異常と創造性の両面を研究する分野に受け継がれている。

そして、第三の「paranormal」であるが、接頭辞「super-」が「超」であるのに対し、「para-」は、化学などの分野で「側」と訳される。普通ではないが、といって、普通以上でも普通以下でもない、上でも下でもない、強いて言えば「横」というニュアンスである。だから「para-」を「超」と訳すのは、誤訳である。

西欧での心理学の黎明期には、精神疾患(とくに「ヒステリー」)、心霊現象、催眠、夢などの多様な現象が、まだ未整理の状態にあった。それより以前の時代には、神がかりや心霊現象は、自然現象(natural phenomena)を超えた「超自然現象(supernatural phenomena)」だと考えられてきたのだが、「心霊現象(psychic phenomena)」を科学的な心理学の研究対象とし、それと病理的なものを区別しつつ、催眠や夢など、正常な人間の変性意識体験が「paranormal」な現象として整理されていった。この分野の研究は、当初は「psychical research(心霊研究)」と呼ばれることが多かったが、より実験心理学的な方法で研究する分野は「parapsychology」と呼ばれるようになった。

西欧から心理学を輸入した日本では、「parapsychology」には「超心理学」という訳語が、「abnormal psychology」には「異常心理学」または「変態心理学」という訳語が当てはめられた。その後「異常心理学」は臨床心理学の中に吸収されていく。また「変態」は、もっぱら性的倒錯を意味する俗語へと変化していった。現在では「hentai」の語が、日本発のサブカルチャーとして逆輸出されている。

「parapsychology」が、ESPやPKなどの現象を客観的にとらえようという方向に収束してきたのに対し、臨死体験明晰夢などの、異常ではないが特殊な体験自体を、あらためて「anomalous experience」と名づけて研究していこうとしているのが「anomalistic psychology」である。この語には定訳はないが、「特異体験/特異心理学」や「変則的体験/変則的心理学」といった日本語が使われている。



記述の自己評価 ★★★☆☆

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2019/06/27 JST 作成
  • CE2022/09/09 JST 最終更新

蛭川立

研究資料整理・2023年度講義計画草案思案中

この記事は書きかけです。

今年度は諸事情あって大学での講義はいったんお休みにさせてもらっている。去年と一昨年は授業はすべてオンラインだったから、来年度、2023年度からは、ひさしぶりに教室での授業が再開となる予定。今年度はすこし余裕があることもあり、毎年同じ内容で続けてきた学部生向けの講義も、大幅にバージョンアップしたい。

以下に思いついたことを書き綴りながら、随所に「書き散らかし」た資料にリンクを張って整理し、資料の整理を続けているところである。この記事自体が「書き散らかし」だが、2022年の冬頃までには、徐々にまとめなおして2023年4月からの講義計画として整備したい。



研究と教育は相互的なもので、授業を行うことはまた研究を進めていくことでもある。

授業計画を作るということは、自分の知っていることを他の人たちに教えることでもあるのだが、自分自身の勉強でもあり、講義ノートは自分のための勉強メモである。同じ内容ならもっと優れた教科書はあるのだが、それでも自分で書いてみるほうが、自分じしんの研究の整理にもなるし、その研究をまた教育活動へフィードバックしていくことでもある。ネット上にアップされている画像や動画へのリンクを集めてリンク集にする方法もあるし、それとは別に、自分が調査旅行をする中で集めた資料を旅行記のように思い出しながらまとめることにも意義がある。

この作業は、もう二十年も続けてきたが、自分が勉強することと、他人に勉強を教えることはフィードバックであるし、その中で、他人から教わることも多い。

ブログ上に資料をアップし、随時書き直していくという方法は、WEB2.0の動きとも親和性があり、インターネット時代の情報発信のあり方としても実験的な意義があると考えている。WWW上に情報を公開するということについては、著作権などの問題もあるが、そのことは「リンクと引用の指針」にまとめている。特定の大学での特定の授業であるということを超えて、良い意味で不特定多数に情報が共有されるように情報をアップしていくのはより普遍的な研究活動になるだろうと考えている。

たとえば精神医学の歴史の中では、フロイトは論考を書きながら思想を発展させたが、クレペリンはひとつの教科書を何度も改定しつづけた。いまから振り返って読むと、クレペリンの教科書の記述はよく整理されていて、時間を超えた一般性を持っている。

講義計画

人類学

学部の1・2年生向けの講義は「人類学A」と「人類学B」である。春学期の「人類学A」と秋学期の「人類学B」は独立の科目だが、人類学は文理融合の総合科学であるという主張は「人類学の科学史的位置づけ」に書いたとおりだが、二つの授業は、いずれも自然人類学の話から始めて、社会人類学文化人類学へと発展させていくという構造は続けたい。

「人類学A」は自然科学的な基礎知識として、脳神経科学を概観し、神経伝達物質、精神活性物質、そして芸術や宗教などの精神文化を論じたい。

「人類学B」は自然科学的な基礎知識として、遺伝学・進化論を概観し、配偶システム、親族と婚姻、社会人類学、経済人類学等々を論じたい。自然科学から人文・社会科学への境界領域としては、個人遺伝子解析や生殖技術、優生学論争、社会生物学論争などを中心に取りあげたい。

人類学A

→「人類学A 講義計画」(ブログ内サイト)を参照のこと。

人類学B

→「人類学A 講義計画」(ブログ内サイト)を参照のこと。

自然人類学的な背景として、まず生命の起源と進化、人類の起源と進化、現生人類の拡散、日本人の起源論を順に追っていく。これで講義3回ぶんぐらいになる。

また、現代的な問題として、個人向け遺伝子解析や認知機能とパーソナリティの小進化(と、それをめぐる生命倫理)も論じたい。これで講義2回ぶんぐらいになる。

人類遺伝学を論じるにあたっては、DNAからタンパク質へという遺伝学の基礎知識が必要だが、これはRNAウイルスやウイルスと宿主の共進化という現在進行形のトピックとも関係する。これで講義1回ぶん、追加である。

新型コロナウイルス、COVID-19の世界的流行は、特定のウイルスが変異しながら「進化」していくプロセスを人類的規模で精密に追跡した、人類初の小進化の研究でもあった。新型コロナウイルスの世界的流行自体が史上初なのではなく、それを細かく追ったのが史上初だったといえる。その背景には、PCR法やmRNAワクチンのような新技術の発展があり、また少数の人命を守るためには社会全体が活動を制限するという社会のあり方の変化でもあった。これはまた、性権力の社会学のテーマでもある。

有性生殖や配偶行動の進化生態学については『性・死・快楽の起源』に書かれたものを書き直したものをブログ教材として使用する。類人猿と化石人類の配偶システムの進化についても論じたい。ここにもまたセクシュアリティをめぐる倫理的な議論が必要になる。これで講義2回ぶんぐらいになるだろうか。

2003年に中国の雲南省モソ人の婚姻制度と社会構造について調査している最中に旧型コロナウイルスSARSの流行に巻き込まれたのは貴重な経験だったが、かんじんの婚姻体系の議論が途中で止まってしまっていた。雲南少数民族の社会は古代の日本社会と共通のルーツを持っており、歌を読み交わして妻問い婚を行う文化が日本の奈良時代平安時代の文化とよく似ていること、また中国のマルクス主義フーリエの社会思想の関係など、研究が途中で止まったままだった。

講義で扱う地域については、以下に列挙するとおり。

  • ミクロネシア、ヤップ島(1回)
  • インドネシアのジャワ島・バリ島(2回)
    • 象徴的二元論によって構成される文化
  • 中国の少数民族、ナシ族・モソ人(2回)
    • 走婚と送魂(通い婚から情死へ)と日本古代文化との類似性
  • 中国の漢民族(1回)
    • 中医学の象徴論
    • 近現代文明における象徴的二元論

不思議現象の心理学

→「人類学A 講義計画」(ブログ内サイト)を参照のこと。

「不思議現象の心理学」は、心霊研究から超心理学への歴史、懐疑論からの反論、そして科学と疑似科学の境界設定問題へと話をすすめる。

心霊現象・超常現象を扱うにあたっては、錯覚や認知バイアス、さらには陰謀論や終末論、精神疾患と関係する幻覚や妄想との比較も行う。

いわゆる超心理学・パラサイコロジーの扱う領域だが、これは心霊現象や超常現象を裏づけるための研究ではない。といって不思議な現象を既存の科学で説明し尽くしてしまおうという研究でもないし、根拠のないことを信じる人たちをすべて精神病とする研究でもない。

超常現象の研究は、物質と観測者の関係、物質と精神の関係を再考してきた現代物理学の領域につながっている。心物問題は心身問題ともつながっていく。量子力学の不思議なイメージを雰囲気的に取り入れた疑似科学も多い一方で、同じ超常現象でも予知とPKは相反する概念であって、つまりは自由意志(があるかのように「錯覚」することが本当の超常現象だという、これは映画『マトリックス』の第二話のテーマでもあり『ユリイカ』に論文を書いたのが2003年だった。

講義は心理学の歴史を辿るところから始めたい。肉体の死後も霊魂は残るのか?という素朴な問いかけを発端にして、心霊研究から心理学という科学が分化してきた過程でもある。これで講義2回ぶんである。

現代の心理学の基本的な方法論は統計学である。超常現象を扱う超心理学の基本も統計学である。超心理学は超心理現象を、ESP(テレパシーなど)とPK(念力)に分類し、統計的な実験を進めてきた。これで講義3回ぶんぐらいになる。

超心理現象を扱うにあたっては、精神疾患疑似科学との見きわめも必要になる。錯覚、認知バイアス陰謀論と終末論、精神病と神経症、因果性と共時性といったテーマにも触れる。そもそも、科学と疑似科学の間には線引きができるのだろうか。これで講義4回ぶんぐらいに相当する。

とくに、「予知」と「念力」は物理学の基本法則に反するような現象だが、これは量子力学のような現代物理学によって説明できるとか、それもまた疑似科学だという論争がある。これで講義2回ぶんぐらいである。

さらに、精神と物質の問題を整理するためには、インドやヨーロッパの哲学が心身問題や心物問題と呼んできた普遍的な問題に行き当たる。これを議論するのには講義2回ぐらいは必要だろう。

身体と意識

→「身体と意識 講義計画」(ブログ内記事)を参照のこと。

「身体と意識」は、意識の諸状態というテーマで議論を進める。変性意識状態のうちで、もっとも身近にあるのが睡眠と夢であり、それを導入とする。睡眠と覚醒のリズムは生活の基本であるが、同時に、個人的にはこの概日リズムが不安定だという体質もあって、当事者的に研究を進めてきた分野でもある。

その後、臨死体験や瞑想体験などの特殊な(じつは普遍的な)意識体験を概観し、同時に西洋と東洋における心身問題の哲学史を概観する。最後は、現代的、近未来的なテーマとして、AI、VRへと論を進めたい。

意識の諸状態としては、以下のようなものが列挙できる。

睡眠と覚醒を繰り返しているだけの生活であれば、薬物体験や瞑想体験などする必要はないのかもしれない。しかし、多様な意識状態を体験することは、意識の視野の拡大である。もしすべての人が死の間際に臨死体験のような体験をするのであれば、多様な意識状態は「死の予行演習」だといえるのかもしれない。

遺伝と文化

大学で最初に学んだのが行動遺伝学だったので、これは今でも研究の基礎になっている。分子遺伝学の進歩とともに、20世紀後半のパラダイムは、文化から遺伝へと動いた。このことは、個人の平等や文化の相対性という理念からの逆行のようでもあるが、事実と価値は分けて考えられなければならない。

大学院を出たあたりから精神活性物質に関心を持つようになった。これは睡眠と覚醒のリズムを整えるために睡眠薬や刺激薬を試行錯誤で使ってきたという個人的な事情もあるが、向精神薬が遺伝決定論と自由意志という矛盾を解決しうるテクノロジーではないかと考えるようになったからでもある。

たとえば精神病の代表的なものである統合失調症の遺伝率は高く、かなりの部分、遺伝病だといえる。環境や教育では治せないと考えると悲観論になるが、生物学的なメカニズムが解明されるほどに、薬物療法が奏効するようになってきた。これは技術の進歩による生活の改善である。

能力には個人差があって遺伝的に決まっていると考えることが、教育の無力や差別を意味しないし、なによりも技術の発展が人間の能力を大幅に補強するようになった。走る速さには才能と努力があるだろうが、電車や自動車を使えばより速く、より重いものを持って移動できるし、飛行機に乗れば空を飛ぶこともできる。

身体的な能力よりも精神的な能力が生得的だという議論のほうがより受け入れにくいようだが、たとえば記憶力には個人差があるかもしれないが、文字で書きとめておくという技術、コンピュータに記憶させておくという技術が発展したことのほうが、はるかに重要なことである。

向精神薬は、特殊な精神病の治療薬としてだけではなく、日常生活の調整にも役立つ。睡眠と覚醒のリズムを整えるのには中枢神経刺激薬と睡眠薬が役に立つ。中枢神経刺激薬と書くと大げさだが、カフェインはもっとも日常的に使用される向精神薬である。

目を覚まして活動的にする物質と、鎮静作用があり眠りを導く物質以外に、注意の方向を無意識に深める第三のグループの精神活性物質があり、サイケデリックスやカンナビノイドがこれに該当する。意識の状態を、覚醒、夢のない眠り、夢見の三状態に分けるなら、夢見に対応するのがサイケデリックスである。これは、無意識へのアクセスを軽視してきた近代的理性のバランスを取り戻すのに役立つ。

行動遺伝学と同様、精神活性物質の使用にも近代的な自由の観念に反するところがある。これが薬物乱用の規制という社会問題になっているのだが、そうであればこそサイケデリックスはポストモダン文化において重要な役割を果たすのだといえる。

薬物は誤用すると事故が起こるが、これは自動車という便利な乗り物は事故を起こすと致命的だというのに似ている。だから自動車には安全運転というルールがあり、教習を受けて運転免許をとる必要がある。

カンナビノイドは自動車のような道具であり、サイケデリックスはロケットのような道具である。しかし、カンナビノイドは、使いかた次第では飛行機のように使うこともできる。

大麻はアルコールのような嗜好品にもなるが、サイケデリックスとしても使える。そのように使うには知識と経験が必要とされる。たとえば自動車しか知らない人が飛行機の操縦席に載っても、滑走路の上を走ることしかできないだろう。空に向かって飛翔するには、この乗り物が空を飛ぶことができるものだという知識と、離陸するための操縦法を学ばなければならない。

薬物ばかりに頼っていると自分で努力することをやめてしまう、脳が自力で神経伝達物質を分泌する能力が下がってしまうという問題もある。これは、自動車ばかりに乗っていると運動不足になるという議論と同じである。自動車は便利だが、散歩やランニングも健康のためには必要である。

さらに、サイケデリックスを使用することは、ロケットに乗ることに似ている。ロケットに乗れば宇宙空間や他の星に行くことができるが、それによって生活が便利になることはない。しかし、ロケットに乗って宇宙へ行くことは、人間の視野を広げ、あらたな知見をもたらしてくれる。宇宙空間から地球を見返したときに、神秘体験を得る宇宙飛行士も多いという。サイケデリック体験によって人生観がより広いものに変わったり、その結果としてうつ病や依存症が治るのは、宇宙空間から地球を振り返る俯瞰効果と対比されされる。

精神文化とサイケデリックスと神経科

サイケデリックスについては1990年代からずっと研究を続けている。もともとは世界各地を旅して、芸術や宗教などの精神文化とサイケデリックスを含む薬草の関係に興味を持ったからでもあるが、精神文化の背景にある意識状態の変化が神経伝達物質や受容体のタンパク質をコードする遺伝子の進化という生物学的メカニズムに還元できることにも関心がある。大学入学後、学部から大学院にかけては、行動遺伝学を学んだので、生物学的な脳神経科学のパラダイムには親近感をおぼえる。高次の精神文化のすべてが分子レベルに還元できるわけではないが、どこまで還元できるかを見きわめなければ、分子レベルよりも高次の「構造」を見きわめることはできない。

そういう理論的な関心で研究を進めてきたところが、ここのところ「裁判沙汰」という角度から問題を見直すことになった。精神を変容させる物質や薬草が違法薬物として犯罪視されているのはかねてより問題があるとは思ってはいたのだが、被告人が正論を言って争う裁判は珍しい。そもそも、幸か不幸か、犯罪や裁判などとは身近に関わったことがなかったから、非常に新鮮な「フィールド」に投げ込まれたような感覚でもあった。現代の日本で起こっている事件であるがゆえに、先住民社会の調査よりもリアルな状況だともいえる。

DMTをめぐる状況

アヤワスカの精巧な模造品とでもいうべき植物がネット上で流通、摘発されて裁判になっているという事件には本当に驚いている。この件については「Kyoto DMTea Ceremony Case / 京都アヤワスカ茶会裁判」という別のブログにまとめている。

卒業生を通じて担当弁護士から連絡があったのが2020年の4月だっただろうか。弁護士さんも優秀な人ではあったが、国選で担当になっただけで、アマゾンの先住民族が使っていた薬草のことなど知るはずもない。

しかし思い起こせば、薬草協会の活動については、2017年ごろにゼミの学生さんから聞いてはいた。アヤワスカを飲むお茶会が行われているので、興味があると聞いて、薬草協会なる団体のサイトを見たが、アニメのような絵にラノベのような文章、なんとも怪しいと思い、その学生さんには、関わらないほうがいい、と助言したものだった。

薬草協会の存在を知ったのもゼミ生からの情報で、裁判が始まったということを知ったのも卒業生からの情報だから、大学教授という仕事をしていても、アンダーグラウンドな文化の現在形については、むしろ学生たちから教わることのほうが多い。

青井さんがネット上でDMT植物を売ったこと、それを買って飲んだ大学生が救急搬送されたことが問題だと思われている事件だが、じつは大学生の希死念慮が数時間で消えてしまったということ、これは大学生が未成年でしかも精神を病んでいたためにあまり公表されていないことなのだが、DMT植物をめぐる議論の発端と核心はそこにあると見ている。この大学生の話を聞くと、抑うつが、抗うつ薬を飲むように治ったのではなく、光に出会うという神秘体験をしたということで、しかもその大学生はショーペンハウアーヴェーダーンタ哲学でその体験を解釈しているという点で、非常に貴重な証言だと思っている。

もとより私はサブカルチャー的な文脈の中でのドラッグカルチャーにはあまり関心がなく、サイケデリックスについては、世界各地の少数民族の伝統文化として、また神経系に作用して意識状態を変容させるという意識科学的な、アカデミックな研究のほうに知識が偏っていた。

京都での裁判のことについては、海外からの注目のほうが高いということもあって、別のところに裁判記録を書いたが、最初は、アヤワスカとは何か、という専門家として試料を提供するだけの予定だったのが、その後、薬物事件をめぐる法律や裁判のありかたについても考えさせられることになった。法律のことは詳しくは知らなかったのだが「麻薬」として規制されている植物や物質は、所持しているだけで懲役刑になるのがふつうである。誰も傷つけていないのに犯罪と見なされるのは、たとえば銃や刀を所持しているのと同じ理屈なのだという。しかし、サイケデリックスやカンナビノイドにかぎっていえば、適度に嗜めば感性を高め精神性を高めてくれる上品な嗜好品にもなるし、瞑想修行の補助にもなるし、あるいは精神疾患や薬物依存症の治療にも有効だということは、弁護士さんに頼まれて資料を調べていくうちに学んだ。

カンナビノイドをめぐる状況

大麻カンナビノイドについても、むしろ若い学生さんたちに教わることが多かった。日本でも欧米の文化の影響を受けて、若い人で大麻の使用者が増え、逮捕者も増えているという。それとは別に、CBDなど、各種のカンナビノイドサプリメント感覚で流行しているのだと、これも去年あたりに学生さんたちから聞いて知ったことである。

法律や取締のありかたについても大きな変化が起こってきているようで、そもそも大麻がなぜ懲役刑まで科せられるほどの犯罪なのかという基本的な問題があらためて論じられてきているのだと知った。このあたりは「先進国」の中では、日本は相当に遅れをとっている。このこと自体も、文化人類学的に考察しなければならないテーマではある。

麻紐を使って縄文土器を復元している大藪龍二郎さんが大麻取締法をめぐって2021年から裁判になっていることについても、2020年から始まっているアヤワスカ・アナログ裁判と並行して関心を持っている。大麻の合法化をめぐる言説は、処罰から治療へという犯罪学的な視点や、難治性てんかんの治療など、医療大麻という視点に向かう社会学的要因があるのだが、カンナビノイドが芸術的な感覚を高めるという主張が行われているのが興味深い。サイケデリックス・カンナビノイドは感覚や認知、そしてより高次の情報処理を分子レベルで理解する(あるいは操作する)ための「効率的な」アプローチでもあるはずだし、その操作可能性が社会的法的な通念により忌避されることでもある。

睡眠と時間

睡眠と覚醒

睡眠の問題については睡眠障害の当事者でもあり、治療と養生のプロセスで入院したり検査したりと、いろいろな体験をしてきた。これも参与観察であり当事者研究として教育研究活動にフィードバックしていきたい。

概日リズムのサイクルの中で、セロトニンメラトニン、そしてDMTが順番に分泌されるプロセスなども治療と裁判の過程で学んだ。睡眠リズムの調整のため、ということで精神科病院に入院することになったのだが、統合失調症うつ病のような病的な苦痛がない状態で、精神科病院という場所で暮らした体験は、まるで異民族の世界でフィールドワークをしているようでもあったし、フーコーやゴッフマンが論じてきた権力論もよく理解できるようになった。

規律正しい入院生活の中で考えた時間論については「パノプティコン/監獄の誕生」、「カントの道徳律・フーコーの規律」に覚書を書いた。それに先立って「『純粋理性批判』と『視霊者の夢』」というカント論を書いた。

時間論

時間には、物理的時間、生理的時間、心理的時間、社会的時間がある。

物理的時間と、そして心理学的時間については、授業に関連する部分については、「不思議現象の心理学」の中で、「超常現象」とされる「PK」と「予知」を、時間対称性とその破れ、として議論する内容と関連する。『現代思想』に寄稿した『マトリックス』論についても改稿したい。

生理的時間については、当事者的には、概日周期と睡眠時間について、ずいぶんと考えさせられた。半分は個人的な、まったく生活の問題だが、なぜ周期的に眠るのか、夢とは何か、という一般的な問題提起については「身体と意識」の最初のほうで論じたい。

生理的時間と社会的時間が生権力によって媒介されていることも学んだが、同時に物理的な時間の根拠もまた間主観的な要請によって構築されるのだということもわかった。これは、相対性理論量子力学などの現代物理学が古典的な絶対時空の概念を捨てたこととも関係がある。学部での授業の内容からはすこし離れるが、コスモロジー宇宙論の歴史についてもまとめていきたい。以前、自分で取材して見聞きしたことを「風の旅人」にエッセイを連載したが、この原稿を切り出して加筆修正したい。連載は字数制限もあって十分な内容が書けなかったという理由もある。ヨーロッパの天文学史については、たとえば「天動説と地動説 ー 西欧ルネサンス期のコスモロジー ー」という記事をまとめている。

ヨーロッパにおける天動説から地動説へのパラダイム・シフトについては、科学史の典型例として、科学史の中では論じ尽くされてきたテーマではあるが「重力波望遠鏡」など、自分なりに観光旅行も兼ねて取材して見聞きした話はまた別のコラムのようにまとめたい。

『風の旅人』の連載にも書いたことだが、ヨーロッパの天文学史を古代のギリシアまで遡っていくと、数学・音楽・天文学という三位一体の世界観にたどり着く。この中で天文学が物質科学として分離していくいっぽうで、音楽は数学とともに発展し、バロック音楽のような西洋音楽として集大成される。これは天文学ニュートン力学として集大成されたプロセスと並行関係にある。そしてその体系は、ヨーロッパという地域の限定を超えて普遍的なものである。惑星探査機ボイジャーにもバッハの音楽を録音したレコードが搭載されている。

ウイルスと認知バイアス

2019年に世界中に拡散したSARS-CoV-2は非常に学際的な問題を引き起こした。

個人的な体験だが、2003年に中国の雲南省でナシ族・モソ人の調査中にSARS-CoVのヒト・ヒト感染に遭遇したのは貴重な体験だったが、それから16年後にまた「第二波」が拡大したのも驚きであった。

大学一回生の時には京都大学ウイルス研究所で学んでいたが、その後のウイルス学の進歩を振り返ることにもなった。ウイルスという、体外に飛び出したトランスポゾンと宿主との共進化の過程がこれほど詳細に追いかけられたのは史上初のことだろうし、このことは、圧倒的多数の無害または有益なウイルスが水平伝播によって進化を引き起こしていることを再考させられる出来事でもあった。

世界的な非常事態は、ウイルスそのものとは異なる次元での社会的な事件でもあった。リスクの認知バイアスと最適ではない意思決定が集団で共有されるという、遺伝子・文化共進化のような現象も起こった。

話が拡散してしまい、大学での授業とも関係ないことも書いているが、同じことを何度も繰り返しているようでもある。WEBサイトというハイパーテキストに断片的な文章を書くようになってから、むしろ思考の断片がまとめやすくなったし、それが知識の情報化の新しい方法なのではないかと思う。

付記・テーマ別・地域別リンク

地域別のテーマ

今まで、アフリカ・中近東・東欧を除く世界各地で現地調査を行ってきた。これはテーマによって人類学AとBに振り分けながら、授業で順々に触れていきたい。

意識の諸状態と精神文化というテーマだと、地域的な偏りがある。精神展開薬の文化的使用は中南米の先住民文化に偏っており、また瞑想の文化は南アジアから東アジアに偏っている。

中米

中米の先住民文化は、アステカやマヤなどの文化圏とも重なる。ここでは、ペヨーテ、シビレタケ、サルビアなど多様な薬草の文化が発展した。トウガラシ、トウモロコシ、カカオなどの栽培とも並行している。
中米先住民文化と精神展開性植物

南米

DMTを含むアヤワスカ茶のことはずいぶんとあちこちに書いたものだが、重複も多く、また自分で現地に行ったのも二十年ぐらい前で情報が古いということもあり、まとめなおしたい。
誇り高きマテ茶道
アマゾン先住民シピボのシャーマニズム
アヤワスカの宴(プロローグエピローグ)」(彼岸の時間)
アヤワスカの時代」(彼岸の時間)
世界を夢見ているのは誰か
ブラジルからの逆襲
ブラジルにおけるアヤワスケイロ宗教運動の展開
聖ダイミの恍惚」(彼岸の時間)
アヤワスカ茶による脳機能とパーソナリティの変化(加筆中)
アヤワスカ茶の生化学
DMT含有植物と薬草としての使用
京都アヤワスカ茶会事件 ーDMT植物茶が争われる日本初の裁判ー
DMTーありふれた構造の特異な物質ー



記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2022/07/09 JST 作成
  • CE2022/08/14 JST 最終更新

蛭川立

睡眠変調療養記 ー当事者研究としてー

睡眠時無呼吸症候群などの睡眠障害脂肪肝高脂血症の治療を進めています。医療法人ともしび会ファイヤークリニック(代表、江越正敏)に通院し研究協力も行っていますが、診療報酬以外の資金等の授受は行われていません。

この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、個人の感想も含まれており、その正確性は保証されていません[*1]

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Henri_Rousseau_010.jpg
Henri Rousseau (1897) La Bohémienne endormieアンリ・ルソー『眠るジプシー女』)[*2]

睡眠と覚醒

なかなか眠れない、なかなか起きられない、というのが持病である。人間の体内時計の周期は平均で25時間だというから、睡眠時間のズレは誰にでもありそうなことだが、重度になると社会生活にも支障をきたす。十年も二十年もかけて、試行錯誤しながら養生してきた。

医学的なことについても、自分を実験材料にしながら多くのことを学んだ。とくに脳の生理学的な機能や、その遺伝的背景などについては、ひとつの当事者研究として、本業の研究と教育にもフィードバックしていきたい。

遺伝学の勉強から始めて変性意識状態の研究などを進めてきたのは、なにより知的好奇心からではあったが、睡眠や夢見が不調だったという当事者的な事情も背景にはなっている。

食事制限

眠りが浅いということにも、いろいろな要因があるが、ひとつは加齢とともに肥満が進み、睡眠時無呼吸が悪化してきたことにも関係がある。

これは、とくに2016年ごろに悪化し、頑張って減量して2018年にはいったん寛解した。

ところがこれがまた2021年ごろから体重の増加とともに悪化した。3月の人間ドックでは脂肪肝も再発していた。

今回の減量は、医療法人ともしび会・ファイヤークリニックの江越正敏先生と相談しながら、とくに2022年の4月から計画的な体脂肪の減少プログラムを開始した。


https://www.fire-method.com/lp/01/img/webp/message_01.webp 
https://www.fire-method.com/lp/01/img/webp/fv_01_0.webp?220602
ファイヤークリニックの広告。左が江越正敏院長[*3]

痩身願望が流行するこの飽食の時代にあって、人の弱みにつけ込む悪徳商法も多いのだが、江越先生はじつは精神科医である。もともとは松沢病院で知り合い、睡眠サプリの話で盛り上がったのが交流の始まりだったから、睡眠医学の観点からも適切なアドバイスをいただいた。

この治療のプロセスについては、私的なブログのほうにダイエット日記を書きつづけてきた。
hirukawa.hatenablog.jp

6月に入ってからは、薬を減らしながら、さらに減量を進め、6月16日には、中性脂肪が正常値に入る目安の体重、63kgに下がった。あとは、リバウンドしないように水平に維持していくのが目標。



iPhoneに記録された体重の推移

4月と5月の2ヶ月で体重は75kgから67kgに、無理なくきれいに直線的に減った。数字の上からすれば、2ヶ月で-8kgというファイヤークリニックの宣伝どおりの結果になった。(資料の開示に対する資金の授受、データの恣意的な公表等は行っておりません。)

体組成の推移

睡眠時無呼吸の治療のために減量したのが2017年の10月から2018年の5月にかけてで(→「睡眠時無呼吸症候群・周期性四肢運動障害」)、2018年の3月に体組成計を買い替えた(→「脂質代謝と脳」)。その後、AppleWatchも買い足した。これは血圧を測るのに役立った。全体をまとめたグラフはこちらに移動。

医療化

睡眠障害」や「睡眠時無呼吸症候群」など、病名を列挙していくと自分が重病人であるかのように思えてきてしまうので、タイトルを「睡眠障害」から「睡眠変調」という言葉に代えてみた。精神疾患の呼称も「disease(病気、障害)」から「disorder(調子が悪い)」という意味に置き換わってきたようである。とくに精神疾患においては偏見が根強いという背景もある。

古き良き時代なら、中年太りになっていびきがひどいというのは、ありふれた話であって、それに「障害」や「症候群」といった名を与えなかっただけでもある。

あるいは学校で落ち着きがなく動き回っている子どもに「注意欠陥多動性障害ADHD)」という診断名をつけたりはしなかっただろう。私も落ち着きのない男の子だったが、四十年前の日本では、先生のいうことを聞かない悪い子どもとして叱られて廊下に立たされたりしたものである。その後、「処罰」から「治療」へという社会の変化が起こった。

こと発達障害についてはこの十年ほど医療化(medicalization)が進み「診断名」の流行が起こっているように感じていたが、じっさいには「発達障害という診断名」の流行は、日本では2000年代がピークで、その後は減少傾向にあるという。


発達障害に関連した新聞記事の数の推移[*4]

もちろん医療化にも良い部分がある。なによりも疾患としての分類が進むほどに、治療薬が保険で安価に処方されたり、障害者としての福祉が受けられるというメリットがある。そのことが製薬会社の儲けを増やしているのだという側面もあるが、製薬会社が新薬を開発して儲けること自体が悪いわけではない。

過眠症の特効薬だったメチルフェニデートは、日本ではリタリンという商品名で流通しており、副作用が少なくスマートなこの薬にはずいぶんと助けられた。しかし、2007年の「リタリン騒動」とも呼ばれる濫用事件がをきっかけに、日本では処方が強く制限されてしまった。

同じメチルフェニデートが「コンサータ」という名前の徐放剤として復活したときには、なぜかADHDの薬として変身していた。さらに、2013年には、成人期のADHDへと適用が広がった。発達傷害の研究が進んだともいえるし、小児期の発達上の問題だったはずの発達障害が、成人してからも続く病気として拡大解釈されるようになったのだとも解釈できる。

同じ成分の薬剤が違う診断名の疾患の治療薬として使われるというのは、たとえば不眠症に対して処方されるベンゾジアゼピン系の薬剤が「睡眠薬」であると同時に「抗不安薬」でもあり、「抗てんかん薬」が双極性障害に対しては「気分安定薬」として処方されたり、他にも不思議な例は多い。

このことは、とくに精神疾患ー精神的な症状が出てくるが、ほんらいは神経の病気であり、しかしバイオマーカーが見つからないものだと言ってもいいだろうーの領域では少なくない。これは、精神疾患の分類が未だに暫定的なものであり、疾患に対応する生物学的な機序が不明だからでもある。

てんかんのように、脳神経系における機序が明らかになった疾患は、精神疾患から神経疾患へと移動し、原因不明の疾患が精神疾患に取り残されてきたのだともいえるが、それではなぜ「抗てんかん薬」が「気分安定薬」でもあるのだろうか。

睡眠障害を訴えれば、精神的な苦痛がなくても、神経科というよりは精神科に行くことになる。不眠に対しては「睡眠薬」が処方されるが、これはまた「抗不安薬」とも重なる。過眠に対しては「精神刺激薬」が処方されるが、これはまたADHDの治療薬でもある。

ドーパミン再取り込み阻害薬であるメチルフェニデートが強い眠気や倦怠感に著効であるというのは、作用機序からして(も体感からしても)明らかだが、落ち着きがなくそわそわしている状況で「精神刺激薬」を飲んだら、余計に落ち着きがなくなってしまいそうなものである。(この逆説を説明する理論については別の場所で議論した。)

睡眠サプリとカンナビノイド

2019年に、コカコーラの歴史とからめて、近代は興奮へ、ポストモダンはリラクゼーションへ向かうという記事を書いた。

hirukawa-archive.hatenablog.jp

この時点では、コカ・コーラは、アメリカではCBDドリンクを売り出し、日本ではカンナビスは時期尚早、テアニンドリンクを売っていくだろう、と書いたのだが、すでに2019年の秋には、コカ・コーラEndian社に投資する形で、CHII OUTというCBD入りの飲料を発売することを計画していたらしいとを知った。

i-ne.co.jp
endian.co.jp

コカ・コーラの歴史も書き直したい。

時間論

経時的にバラバラに書きためた日々の治療のプロセスを、あらためてテーマごとにまとめてみたい。
hirukawa.hateblo.jp
『彼岸の時間』以来の、時間の人類学的研究についても徐々に進行中。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2022/06/13 JST 作成
  • CE2022/06/16 JST 最終更新

蛭川立

【資料】レヴィ=ストロース「世界における日本文化の位置」

『やきもち焼きの土器つくり』[*1]
でアマゾン先住民の土器について議論したレヴィ=ストロースは、日本の縄文土器もまた同様の驚嘆すべき異文化として、西欧という視点からの三角測量を試みている。

「縄文の精神」とアクション・ペインティング

これに対して、狩猟・漁撈や採集を営み、農耕は行わない定住民で、土器作りの名手として知られる人たちが生んだ日本の一文明は、私たちに独創性の一例を示してくれます。人類諸文化のすベてを見ても、これに比肩できるものはありません。なぜなら、縄文の土器が、他のどんな土器にも似ていないからです。まずその年代ですが、これほど古く遡ることのできる土器作りの技術は、他に知られていません。次に一万年も続いたという、長い期間もそうです。そしてとりわけ樣式が独創的なのです。その様式は、縄文中期の「火焰様式」とでも呼ぶべき土器において、見る者の心をとらえずにおかない表現に到達しています。これを他と比較する言葉などありません。それであまりにも突飛な形容をしてしまうのです。「構成がしばしば非対称」とか「あたりかまわぬフォルム」とか「ぎざぎざ、突起、瘤、渦巻き、植物的な曲線がからみ合う造形装飾」といった表現をきくと、五、六千年前に「アール・ヌーボー」が生まれていたような気持ちになりますし、別の側面からは、アメリカのいく人かの現代芸術家が言うように、叙情的抽象とかアクション・ペインティングが想起されます。完成された作品にも、どこか素描のようなところが残っているのです。作者がある突然のひらめきにとらわれ、その一つ一つの作品が創作の意図せぬ勢いのなかで、最終的なフォルムを与えられたかのようです。

おそらく、これは誤った印象でしょう。これらの器の用途や、社会的、心理的、経済的条件は、私たちがほとんど何も知らない一つの社会に具わったものであったはずだからです。いずれにせよ、私がしばしば自問することは、弥生文化によってもたらされた大変動にもかかわらず、「縄文精神」と呼ベるかもしれないものが、現代の日本にも存続していないだろうかということです。もしかすると、日本的美意識の変わることのない特徴は、この縄文精神かもしれません。日本的美意識の特徴は、素早く、確かな創作を実行することであり、これには二つのことが必要です。一つは技術をこの上なく見事に操ること、もう一つは仕上げる作品を前にして長い時間考えることです。この二つの条件は、霊感を得た縄文土器の名人たちも、おそらく有していたと思われるのです。そして、様式上の同じ原則が、遥かな時をこえて、変化した形で残っているのではないでしょうか。太さも堅さも違う竹の薄片を不規則に編んだ、風変わりな造りの籠編みのうちにそれを見ることはできないでしょうか。この手の籠は、日本の展覧会や博物館では重要な場所を与えられていないように思えますが、私はそこに、極めて興味深い、そしてさまざまな点でめずらしい、日本美意識の表現の一つを見るのです。

 
レヴィ=ストロース「世界における日本文化の位置」[*2]


  • CE2022/06/27 JST 作成
  • CE2022/06/27 JST 最終更新

蛭川立