蛭川研究室ブログ 新館 ホームページ

お知らせ

【2020/05/27】
6月1日より駿河台の研究室での活動を再開する可能性については「6月1日からの入構制限措置等について」に書かれている内容で検討中です。詳細は5月28日に決定されます。

下記リンクも併せてご覧ください(随時更新中)

蛭川研究室ブログの構成

蛭川研究室ブログは旧館から、こちらの新館に移動しました。蛭川研究室ブログの新館は、このブログ自体と、以下の4個のブログの、合計5個の部屋に分かれています。

資料集 授業や研究発表のための資料集 公開
授業情報 明治大学での授業の時間割と内容 限定
著作アーカイブ 蛭川の著作のデジタルアーカイブ 限定
断片的覚書 その他の断片的なコンテンツ 限定

「授業情報」と過去の「著作アーカイブ」については、著作権上の問題もあり、パスワードをかけています。

「断片的覚書」も、内容が私的であり学術的な信頼性にも欠くので、これも一般公開はしていません。

学術的な公共性がある記事は「資料集」にアップし、パスワードをかけずに公開しています。このブログ自体も一般公開しています。

お知らせ

【2020/04/26】
リンクと引用の指針」を加筆修正しアップしました。
【2020/04/20】
研究・教育における遠隔通信」をアップしました。
【2020/04/15】
2020年度の研究・教育計画」をアップしました。
【2020/04/01】
2020年度の授業についてのページをアップしました。
【2020/02/03】
連絡先・アクセス情報を更新しました。
【2019/10/27】
来年度から再開する蛭川ゼミの紹介動画がアップされました。(→詳細

連絡先

〒101-8301
東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学研究棟 221号室

お問い合わせは、以下のアドレスに電子メールでお送りいただくのが、もっとも確実です。

連絡先・アクセスの詳細はこちらをご覧ください。

「なぞなぞ認証」について

いくつかのページには、はてなブログ特有の「なぞなぞ認証」という、軽いパスワードをかけています。

上記のような画面が表示される場合には、指示に従ってパスワードを入力してください。パスワードをお忘れの場合は、お手数ですが想起していただくか、上記メールアドレスまでお問い合わせください。詳細は「『なぞなぞ認証』について」をご覧ください。



CE2019/02/25 JST 作成
CE2020/05/27 JST 最終更新
蛭川立

【重要】西暦2020年度の研究・教育計画

2020年度は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)[*1]の影響により、新年度業務の開始が変則的になっている。

蛭川が行う研究・教育活動について、とくに例年との変更点について、このページにまとめておく。

明治大学としての対応は、随時「新型コロナウイルス感染症に関する明治大学の対応について」にアップされていくので、こまめに確認しておくことをお薦めしたい。

現在、明治大学では授業は行われておらず、入構制限が行われている。原則として教職員は入構でき、学生は入構できない。

【5月24日追記】5月22日、明治大学では、6月17日までとしていたオンライン授業の期間を、7月29日まで延長することを決定した。いっぽうで、5月25日に、外出自粛をともなう緊急事態が解除された場合、外出はできるが大学には入れない、という矛盾した状況になってしまう。引きつづき最新情報を見ながら適宜、試行錯誤しながら進んでいきたい。

現状を踏まえた研究・教育活動

遠隔授業をどのように行うか、経済的、心理的に困窮している学生諸君に対してどのような援助ができるか、等々、大学教員として急ぎ取り組むべきことは多い。

同時に、今まで学び、研究してきた知識や経験を活かした活動も積極的に進めていきたい。

  • 学部学生の時ではあるが、実験遺伝学やウイルス学の研究室で生物学を学んだこと
  • たまたま人類学的な調査の途中ではあったが、中国でSARSの事件に巻き込まれたこと
  • 原発事故のときに認知バイアスや科学コミュニケーションについて学んだこと
  • 情報系の学部で情報化社会の問題について考えてきたこと

知識や技能が各方面に広く浅く、どの分野のスペシャリストでもないが、それを浅くても広いと前向きにとらえれば、異なる研究分野間、研究者とそれ以外のコミュニティの間の橋渡しのような仕事ができればと考えている。

現在までの感染症の状況について、自分なりに体験し考察したことは「ウイルス感染症にかんする考察」にまとめおり、随時更新中である。

学術研究の応用的な側面にばかり目を奪われて本来の基礎的な研究活動ができなくなってしまってはいけないが、現在進行中の状況を踏まえながら、今までの研究・教育活動にフィードバックしていきたい。

研究計画

研究については、自宅で、一人で、パソコンを使ってできる仕事が多いので、しばらくは、その形態で続ける予定。研究室に泊まり込んで研究をすることも検討しているが、セキュリティ上の問題があり、実現していない。

2020年度の特定個人研究費による研究テーマは、意識状態と身体感覚である。17年前に中国で発熱し生死の境をさまよった経験を思い出しつつ、臨死体験の研究は続けていきたい。

今年は電子情報化社会が加速することが予想されるが、中断していたバーチャルリアリティの研究も再開する予定である。

教育計画

明治大学では新年度授業の開始が遅れている。昨年度末の時点では4月22日から開始の予定であったが、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の発令、および緊急事態の延長を受け、いつまでオンライン授業を続けるのか、議論があったが、春学期いっぱい、7月29日(水)まで延長されることになった。教室での授業は、9月の秋学期からとなる予定である。

学年暦の詳細は「明治大学 2020年度 学年暦. 新型コロナウイルス感染症対応変更 更新版」にアップされている。

ただし、感染症流行の予測は難しく、スケジュールはさらに変更される可能性がある。

蛭川の担当科目のうち、講義科目は昨年度以前から、講義資料をこの蛭川研究室ブログにアップしているので、その点は、とくに変わることはない。

ゼミナール科目については、履修者が少ないため、ビデオ通話等での個別指導をはじめており、研究室にある資料を見ながら議論するという方法については、当面、延期する。

個々の科目の進行計画については「蛭川担当授業時間割 西暦2020年度」を参照のこと。

遠隔通信について

外出自粛・在宅勤務を支えるのが、インターネットによる遠隔通信である。リアルタイム動画通信などの技術への対応は「遠隔通信の技術と展望」にまとめておいた。

また、リアルタイム通信の場合は、事前に時間を決めておく必要があるが、都合のよい時間については「在宅生活時間割」にまとめておいた。

今後の見通し

事態が今後どのような経過を辿るのかを予想するのは難しいが、蛭川個人として「感染予測シミュレーションの検討」で検討している。



CE2020/04/01 JST 作成
CE2020/05/20 JST 最終更新
蛭川立

*1:病原体と感染症の用語については「SARS関連コロナウイルスをめぐる用語」にまとめておいた。

インターネット情報の普遍性と著作権についての覚書

hirukawa-classes.hatenablog.jp
承前

私はNHKの『超常現象』という番組の制作に携わったことで、金銭を得ていませんが、DVDをいただきました。

今までは、その一部を、授業という、教育目的の、非営利の場で、紹介していました。

ところで、過去のテレビ番組は、インターネット上にアップされていることがあります。それを視聴することの是非を問うことは、難しい問題です。インターネットは、人類の営為の素晴らしい共有財産です。しかし、番組を制作した人、本を書いた人は、その対価として、給料や印税ををもらって生活しています。

たとえば『超常現象 2集 秘められた未知のパワー ~超能力~』は、NHKオンデマンドにアップされており、220円を払うと視聴できます。

www.nhk-ondemand.jp

しかし、過去に放映されたテレビ番組がインターネット上にアップされていることがあります。
http://www.at-douga.com/?p=12816
@動画

インターネット上のリンクは、学術論文や著作と同様、引用元の許諾を得なくてもURLを張ることができるという紳士協定になっています。このページには番組の動画がアップされていますが、このページの著者が制作者の許諾を得ているかどうかは、見ているこちら側からは、わかりません。

よく見ると、このページの動画は「youku」という別のサイトから引用したらしいことが、小さな字で書かれてあります。いわゆる孫引きです。

たとえば、物理的な物体、たとえば書籍について考えてみましょう。

本屋さんに置いてある本を、その場で手にとって読むのは、それは、立ち読みと呼ばれ、対価を支払う必要はありません。立ち読みには、明確な時間制限はありません。

本屋さんに置いてある本を、お金を払わずにお店の外に持ち出せば、泥棒をしたことになります。レジで代金を支払って持ち出せば、問題はありません。

では、たまたま、雑誌が電車の座席に置き忘れてあるのを見つけて、拾って読むのは、泥棒でしょうか。電車の中で読んだ後で、また座席に置いておいたら、どうでしょうか。拾ったものは落とし物として駅員さんのところに持って行くべきでしょうか。もし、持ち主が、忘れ物として届け出ていれば、その雑誌は持ち主の手に戻るかもしれません。

しかし、読み終わった雑誌を捨てるつもりで座席に置いたのであれば、持ち主を探し出すのは難しいでしょう。もし、ゴミ箱に捨ててある雑誌を取りだして読んだとしたら、どうでしょうか。(衛生的には清潔ではありませんが。)

あるいは、誰か友達に本を借りて読んだとしても、友達にはお金を払いません。それが、友情というものです。自分が持っている本をコピーすること自体は、自由です。本に書かれていることは情報であり、本という物質自体に価値があるわけではありません。だから、コピーしたものを、たくさんの人に無料で渡せば、著作権の侵害になります。同じ本を図書館で借りて読むのは、無料です。私立の図書館であれば、それは紳士協定というものでしょうか。公共の図書館であれば、税金を支払った対価だと考えられます。

NHKの番組を視聴するのは、無料です。それは、受診料を支払った対価です。民放の場合には、番組の間にCMが流れます。CMは観ないで目を休めるとか、それを録画して、CMを早送りして観ることは可能です。

このような議論を厳密に進めるほど、果てしなく続いてしまいます。じつに悩ましい問題です。

制作している人にとっても、より多くの人に観てもらうことは、嬉しいことでしょう。しかし、制作している人たちの生活を経済的に保証することや、そのアイディアや努力を評価し対価を支払うことも必要で、どこかでバランスをとる必要があります。

ただし、情報が無償で共有されること自体は、素晴らしいことです。物理的な物体であれば、オリジナルはひとつしかありませんが、デジタル情報であれば、劣化せずにコピーし、共用できます。このことは、デジタル社会の新しい未来なのです。



CE2020/05/22 JST 作成
CE2020/05/24 JST 最終更新
蛭川立

「なぞなぞ認証」について

いくつかのページには、著作権の保護などの理由で、はてなブログ特有の「なぞなぞ認証」という、軽いパスワードをかけています。

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プラトンによって西暦紀元前387年にアテナイに創設された学問所、アカデメイア(アカデミア)(Akadēm(e)íā)は、西洋的な教育研究施設の起源とされる。「アカデミー(academy)」の語源でもある。


アカデメイアの跡地は、現在、公園として開放されている(2013年、ギリシアアテネ

アカデメイアの正門には「幾何学を知らざるもの、此処より入るべからず(Ageōmétrētos mēdeìs eisítō)と掲げられていたという。

「geometría」とは「大地を計ること」つまり「幾何学(geometry)」である。これに否定の接頭辞「a」がついているから、幾何学の知識がない、という意味である。


ところどころに大理石の遺構が遺っている

プラトンは『国家』の中で、幾何学天文学、体育が主要三科目だとしている。なかでも重要なのが、幾何学であった。それは「数学」と言いかえてもよいだろう。数学には、代数学幾何学解析学などの分野があるが、とりわけ古代ギリシアでは幾何学が数学の基本だと考えられていた。

つまり大学入試の科目が数学と天文学と体育で、いちばん配点が高いのが数学である、とでもいう具合だろうか。


現在の公園の入り口。「犬のフンは飼い主が持ち帰りましょう」

数学を万学の基本と考えるプラトンの思想は、ピタゴラスピュタゴラス)に遡ることができる。万物の始原(arkhē)は「数」であるとしたピタゴラスの名は、とりわけ幾何学上のもっとも単純でかつ深遠な「ピタゴラスの定理三平方の定理)」によって知られている。

http://www.wiskundemeisjes.nl/wp-content/uploads/2008/03/pythagoras2.gif
ピタゴラスの定理[*1]

このピタゴラスの定理を式で表すと、
 

a^{2} +b^{2} =c^{2}
 
となる。もっとも単純な解として、3、4、5という連続した自然数があらわれる。

ピタゴラスは、万物の始原は数であり、宇宙の法則は簡単な整数比によって知られるとした。そして、その整数比は、宇宙の音楽の和音として知覚されるものでもあった。2倍音だけを基本とする平均律に対し、3倍音を基本とする(5度の和音)音律がピタゴラス音律であり、5倍音を基本とする(3度の和音)音律が純正律である。



CE2019/02/25 JST 作成
CE2020/05/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:DE STELLING VAN PYTHAGORAS」『Wiskundemeisjes』(2020/05/16 JST 最終閲覧)

ウイルス感染症にかんする考察 ー生物学的次元と心理社会的次元ー

この記事には医療・医学に関する記述が含まれていますが、その正確性は保証されていません[*1]。検証可能な参考文献や出典が示されていないか、不十分です。この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。

ウイルス感染症との遭遇史

冒頭から個人的な経験談になってしまうが、ウイルスを病原体とする感染症とは、何度か遭遇してきた。ここ二十年ほどで主なものを表にしておく。

西暦 場所 感染症 罹患 特異体験 体験記録
2003 雲南省 SRAS +? こちら
2013 上海 鳥インフル   こちら
2017 東京 インフルエンザ こちら
2018 東京 インフルエンザ
2020 東京 新型コロナ +?   こちら

中国の雲南省四川省文化人類学的調査をしていたときに、たまたまSARSの流行に巻き込まれ、発熱して寝込んでしまったが、それがSARSだったのか、別の病気だったのかは不明である。(→「2003年4月、SARS流行下、四川省・雲南省における調査記録」)

鳥インフルエンザのが上海を中心に流行したときには、やはり、たまたま上海にいたが、感染はしなかった。

その後、ふつうの季節性インフルエンザに2回罹患した。1回は院内感染である。

現在流行中の新型コロナウイルス感染症には感染していない。正確には、症状がないだけで、すでに感染した可能性は否定できない。

2003年と2017年に38℃台の熱を出したときには、臨死体験に似たような体験(NDLE: near-death-like experience[*2])をした。

f:id:hirukawalaboratory:20200507210218p:plain
「一致団結して『非典』[*3]と闘おう!」(2003年4月、四川省成都市、四川大学)

(ウイルス感染症と病原体の名称および系統関係については「SARS関連コロナウイルスの生物学」のページに簡単にまとめておいた。)

SARS関連コロナウイルス感染症の生物学的側面と心理社会的側面

新型コロナウイルス感染症の病原体はSARS-CoV-2であり、17年前に中国で感染を拡大したSARS-CoVの同種異株である。ようするに、同じ病気の再流行である。今回の感染の拡大も、同じ事件の繰り返しとして、重層的にとらえる必要がある。

それは、ウイルスの感染という生物学的な現象であると同時に、中国における市場の衛生状態の悪さと、政府の情報公開の不透明さ、そして国際的に波及した不安と社会的混乱という、心理・社会的な問題でもある。

遺伝情報と進化

伝染病はなにより生物学の問題である。とくにウイルスは、病原体という生物が感染するというよりは、遺伝情報が(ときに種を超えて)水平伝播するという現象としてとらえることができる。

ウイルスというと、人間を攻撃してくる悪者であって、戦って退治すれば健康になれるというのは、当面の方便である。

ウイルスと人間(を含む他の動物)とは、生態系(ecosystem)というシステムの中で、寄生者と宿主の関係にある。情報論的にみると、寄生者だけではなく、生物の目的は、なによりも自身の情報の複製であって、宿主を病気にすることではない。ましてや宿主を殺してしまっては、自分も生きられなくなってしまう。(→「京大ウイルス研で実験助手をしていた頃のことなど」)

医学的な視点は当面の問題解決には必要なことだが、生物学全体としては、生態系における寄生者と宿主、捕食者と被食者との関係は、進化論的ダイナミズムとして理解されなければならない。

生態系全体からみたとき、個々の個体が死ぬこともまた長い進化のプロセスである。災害や事故による死と老化による死は別の現象だが、老化は有性生殖による遺伝子組換えと一体となった現象であり、病原体、とくにウイルスが媒介する遺伝情報の水平伝播は、生殖による遺伝情報の垂直伝播と相補い合うものとして捉えられなければならない(→「ウイルス進化論」)

死の人称

人間の場合、死は生物学的な現象であると同時に、心理的な体験でもあり、社会的な現象でもある。多くの人間社会では、人が死ぬと葬送儀礼が行われる。葬送儀礼には、遺族の社会的関係を再確認するという、物質文化の側面と、死者の霊魂を送るという、精神文化の側面がある。

死は一人称的、二人称的、三人称的な視点からとらえることができるが、死の淵から生還した人々の証言、いわゆる臨死体験の研究が進むにつれ、人は死後天国や地獄に行くという信念が、たんなる文化的観念ではなく、個人的体験とも合致することが明らかになってきた。臨死体験については、死に瀕した脳を保護しようとする生理的な現象だという解釈もある。

感染症の予防による経済活動の停滞が問題になっているが、ペストの大流行のように人口の半数がが死亡するといった現実的な理由で社会が崩壊するのではない。多くの企業や団体が休業しているのは、ほんとうに働き手が不足しているからではなく、感染拡大を未然に防ぐために待機しているのにすぎない。

今回の新型コロナウイルス感染症にかぎっていえば、もしなにも対策をせずに社会活動を続けていれば、日本では約40万人の死者を出して終わるいう計算もある。

死者の大半は高齢者だから、労働人口はほとんど減らないし、むしろ労働人口が支えなければならない高齢者の数が減ることは、結果的に経済全体を活性化させることになる。

この結論が不条理に思えるのだとしたら、社会全体の経済が順調であれば、一人ひとりの人間は幸福なのか、とも問われなければならない。

食文化の象徴論

食べて良いものと食べてはいけないもの

(→「肉食の文化と人畜共通感染症」として独立記事にしました。)

「クスリ」の功罪

消毒用アルコール(エタノール)の不足に対応するため、サントリーなどの酒造業界が、お酒を蒸留して消毒用アルコールに変身させるという事業をはじめた(→「酒を蒸留して消毒液にすると3万人の命が救える?」「『やってみなはれ。やらなわからしまへんで』」

引用した記事にも書いたとおり、酒は日本ではもっともポピュラーなドラッグで有、年間3万人(毎日80人)の死者を出している。それが、感染症による犠牲者を減らすために転用されつつある。

それまで嗜好品として飲んでいたアルコールと、消毒用として使っていたエタノールが同じ物質であったことを再認識させられる出来事であった。以下でも触れるように、不安の感染が病原体の流行を追い越してしまったがゆえの社会現象のひとつであろう。

病気の流行が不安の流行を拡大させる

認知バイアス陰謀論

病原体が感染を拡大するのにともない、病原体に対する不安も拡大する。むしろ不安のほうが先だって感染する。その不安が感染症の拡大を防いでいるという側面もある。未知の現象に対してリスクを大きめに見積もることは、適応的なことだともいえる。

しかしその不安が、ウイルスはじつは生物兵器なのだといった陰謀論にまで発展すると、国際政治までが妄想に巻き込まれてしまう。

社会の混乱が健康を害してしまう

「休業要請」や「自粛」が長引けば、社会的活動が機能しなくなってしまう。たとえば外食産業は感染のクラスターになりやすいから休業する。しかし、お店の売り上げはなくなり、従業員に給料を払うことができなくなる。

従業員のがわとしては、病原菌の感染を防ぐために自宅にいなければならない。出勤したいのに出勤できず、そして給料はもらえない。お店は倒産するかもしれない。これは経済活動に打撃を与え、精神的な健康も害してしまう。

日本では(とくに男性の場合)失業率と自殺率が強い相関を示すことが知られている。仕事を失えば「食っていけない」というのは比喩的な表現であって、本当に食べ物が手に入らず飢え死にするということは、日本ではまずありえない。

逆に、日本では自殺率が高い。これは、経済的な困窮がうつ病のような精神疾患を引き起こし、その症状として自殺念慮があらわれることが多いからである。

これは日本の文化とも深く関係している。たとえば会社の経営が破綻したとき、経営者が「死んでお詫びいたします」という形で責任を取る、という文化がある。経済合理的に考えれば、経営者がいなくなるのは組織にとってはむしろ損失であり、生きて働いて状況を改善すべきであり、死ぬことはむしろ無責任だといえる。

世帯と個人

ウイルスは人から人へと伝染する。それを防ぐためには外出を控えたほうがよい。しかし、一人ひとりが隔離されるべきだとまでは言われない。一人暮らしでなければ、家庭が感染の温床になってしまう。

ここで対立させられるのは「個人」と「社会」ではなく、〈ウチ〉と〈ソト〉という文化的観念である。

日本政府は、1世帯あたり30万円を給付するという政策を打ち出したが、それが1人あたり10万円に変更された。しかし実際に受け取るのは世帯主であり、個々人ではない。奇妙なことに「配偶者からの暴力を理由に避難している者」だけが特別な例外事項として認められている。

f:id:hirukawalaboratory:20200503203819j:plain
「特別な配慮を要する方」として「配偶者[か]らの暴力」を理由に避難している者」が挙げられている[*4]

近代化された社会では、一夫一妻的な夫婦が同居しているという家族の構造が前提にされているが、それは人間社会、あるいは動物社会一般に普遍的な構造ではない。たとえば、中国の雲南省に住む少数民族モソ人の社会には「走婚」という通い婚の文化がある。「走婚」においては、夫婦に相当する男女は、子が産まれた後であっても同居しない(→「走婚ー雲南省モソ人の別居通い婚」)

2045年問題」の前哨としての「2020年問題」

いままで社会的に不適応だとされてきた「引きこもり」の積極的な側面が注目されるようになっている。一人暮らしは二人以上で暮らしているよりはより良く隔離されているし、「独居老人」のほうが感染のリスクが少ないというのも事実である。

学校や会社にも物理的に移動していく必要がなくなり、オンライン授業が普及すれば、不登校で不適応を起こしている子どもたちは学校に行かなくても勉強できる環境が整うことになる。自室に籠もっていてもインターネットで世界中とつながることができるという技術が、否応なく普及することになるだろう。

2018年は「VR元年」と呼ばれたが、バーチャルリアリティー機器の普及も進むだろう。同じ情報技術でも、インターネットは人間関係を促進するが、バーチャルリアリティは人間関係からの退却を促進する。むしろ、内面世界の積極的探求を促進する、というべきだろうか。

病気の伝染を防ぐために、リスクを避けるために外出しない、そうすると仕事を失ってしまう、経済が崩壊する、というネガティブなとらえ方ばかりではなく、これを機会に、不要なものを生産して無用に消費し続ける社会の仕組みを見直したり、あるいは、物理的に移動しなくても、インターネットで世界中と通信できる、VRを通して仮想世界が広がっていく、そういった技術が進歩発展していく、というポジティブなとらえ方もできるだろう。

いずれは、あの2020年事件がきっかけになって、社会の情報化が加速した。産業の構造が変わり、生活の形態も変わった、と振り返られることになるだろう。



追記

あれやこれやと、今までに思いついたことを、多数の断片的な記事としてアップしているが、内容が重複し、拡散している。あらためて、このページを中心に、まとめなおしたい。



CE2020/04/01 JST 作成
CE2020/05/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:Enrico Faccoand and Christian Agrillo (2012). Near-Death-Like Experiences without Life-Threatening Conditions or Brain Disorders: A Hypothesis from a Case Report Frontiers in Psychology. 3, 490.

*3:非典型肺炎、つまり「旧型」コロナウイルス感染症のこと。

*4:特別定額給付金(新型コロナウイルス感染症緊急経済対策関連)」『総務省』(最終閲覧 CE2020/05/03 JST

リンクと引用の指針

はてなブログを使う理由

明治大学の公式WEB上には蛭川研究室のサイトがあるが、研究教育用の資料は、このブログのほうに移行させてきた。

レスポンシブデザイン

携帯端末の普及により、WEBサイトをPC、タブレットスマホなど、異なる環境で見やすくデザインすることが必要になってきた。レスポンシブコーディングをすればいいのだが、自動的にやってくれるブログを使うほうが便利なのである。

なぜ「はてなブログ」なのか

ブログには、日本だけでも、多数のサービスがある。その中で、特にはてなブログを使うのは、下記の理由がある。

  • Google MapやYoutubeなどを埋め込むのが容易である
  • 注釈が自動的に生成される
  • はてなキーワードへのリンクが自動的に生成される
  • Tex形式で数式を埋め込むことができる

日記的なブログで注釈や数式が使われることは少ないが、はてなブログには、こうした細かい機能があり、学術論文なみのコンテンツが手軽に書ける。

セキュリティについて

大学の公式サーバーと比べて、民間のブログのほうがセキュリティが低い。しかし、リスクの高さと利便性を天秤にかけると、やはりブログのほうがよいのだと判断している。

大学の授業情報もアップしているが、それはパスワードで保護している。一般的な資料は、パスワードなしで公開している。

リンクの指針

外部サイトへのリンク

以下の基準で他のサイトへのリンクを表示している。ただし、今まで試行錯誤を続けてきたので、古い時期に書かれた記事の場合、この基準とは異なることがある。
 

はてなブログでは、記事をアップすると、特定の単語の文字列の下に薄いアンダーラインが引かれる。これは、はてなブログ独自の辞典である「はてなキーワード」へのリンクをあらわしている。

  • 事典サイトへのリンク

文字列が青字(既読の場合は黒字)になっているのは、外部へのリンクという意味である。基本はオンライン事典へのリンクである。とくに断りがない場合は、wikipediaへのリンクである。ただし、脳科学事典や天文学辞典など、個別の分野により特化した事典サイトにリンクしている場合もある。

  • 公式サイトへのリンク

事典サイトではなく、団体や個人のサイト自体へのリンクは、「明治大学科学コミュニケーション研究所」のように太字にしている。
 
あるいは下記のように、画像として埋め込む場合もある。
www.meiji.ac.jp

  • ブログ内別ページへのリンク

蛭川研究室ブログ内へのリンクは、カギ括弧でくくって「→「オーストラリア先住民美術」」や、「旧はてなブログ版のリンクポリシーは「こちら」をご覧ください」のように表記している。
  
その他、例外的なケースも多々あるが、その場合には適宜、断り書きを入れている。

Wikipediaへのリンクについて

動的なデータベースであるwikipediaには積極的にリンクを張っている。

Wikipediaは(そしてこのブログ自体も)査読や校正を経た学術的テキストよりは記述の正確さを欠いている。しかし、web上の情報は動的であることに特徴がある。推敲・査読を経て完成された文章が印刷され静的に固定されるのではなく、マルチメディアなハイパーテキストはつねに動的に変化しながら発展していく。

また「web2.0」と言われるようになって以降、WEBサイト上のテキストには読者がコメントし、著者がそれに応え、ときにはテキストを書き換えるといった双方向的なコミュニケーションが行われるようになっている。

さらに、wikipediaのようなコンテンツの場合、読者自身が直接テキストを編集することもできる。蛭川はこのブログからwikipediaへリンクを張ると同時に、wikipediaの編集も行っている。記事の新設や大幅な書き換えは行っていないが、明らかな誤りや記述の不足を補うことによって、リンク先のwikipedia自体の信頼性を高める作業も行っている。

なお、はてなキーワードへリンクが張られる単語については、あえてwikipediaなど、他のサイトへのリンクは張らないことにしている。はてなキーワードのページの中にはwikipediaへのリンクがあり、それをクリックすると、wikipediaの該当ページへ移動できる仕組みになっている。

引用と著作権

ブログ上にアップしているコンテンツは、もっぱら研究・教育目的であって、営利目的ではない。また大学など特定の研究・教育機関のみならず、広くWWW上で共有される価値があると考える。

また、このかぎりにおいて、引用は、学術論文と同様、原則的に無許可、無償という紳士協定にもとづくと考えている。著作権のみならず肖像権についても、むしろ、当事者からの申し出があれば、当事者の意向に沿って変更や削除を行いたい。

必ずしも許諾を得るという目的だけでなく、情報交換と交流を深めるという目的で、積極的に引用元とは連絡をとりたいとも考えている。

文章の引用

引用は、引用部分を明確にした上で、出典を明記している。

文章を引用する場合、文中に短いテキストを埋め込むときには、カギ括弧で括って引用部分を明示している。長い文章は、枠で囲って引用している。

文章の引用は、著者の本文が主で、引用はそれよりも短いのが原則ではあるが、古典など重要な文献の一部を紹介し、短いコメントをつけること自体を目的にしているページもある。その場合には、抜粋というタグをつけて、自身の論考とは別に分類している。

出典を示す場合、出典が書籍の場合はAmazonの商品ページにリンクを張ることもあるが、とはいえAmazonで購入することを勧めるという意味ではない。Amazonには関連書籍が表示され、また読者のレビューが付記されているなど、たんなる通販サイト以上の有用性があるからである。

インターネット上の画像・動画の引用

テキストと同様、画像や動画についても、パスワードなしでネット上で公表されているものは、一般に公開されていると見なしている。

これは、著作権についての、いくらか緩やかな解釈であり、議論の余地はあるだろう。しかし、WWW上にアップロードされたものは、人類共通の財産であり、とりわけ研究・教育の用途において、むしろ積極的に共有されるべきだと、前向きに考えることにしている。WWW上にアップされた情報を積極的に引用して、それにコメントをつけて再発信することは、むしろこの共有財産の価値を発展させることだともいえる。

画像や動画についても、長い文章と同様、引用した場合は枠で囲い、出典を明記している。Web上で公開されている画像・動画であっても、いったんダウンロードしてからアップロードしなおすのではなく、直リンクや埋め込みという方式であれば、著作権の問題はないと考えられる。

https://www.moma.org/d/assets/W1siZiIsIjIwMTgvMTAvMzEvMnkzOXFvdGNheV85MTk2OC5qcGciXSxbInAiLCJjb252ZXJ0IiwiLXF1YWxpdHkgOTAgLXJlc2l6ZSAyMDAweDIwMDBcdTAwM2UiXV0/91968.jpg?sha=05e2fc3bb98b6deb

Magritte (1937). La Reproduction interdite『不許複製』[*1]

YouTubeなどの動画共有サイトにアップされている動画自体に著作権の問題があるコンテンツもあり、それをブログで紹介する場合は、たとえURLを埋め込むという間接的な方法であっても問題があるかもしれない。たとえば、上映中であったり、DVDやBDとして販売されている映画などである。こうした映像を授業や研究会で紹介する場合には、DVDやBDを購入した上で、その一部分だけを上映するという方法をとっている。

しかし逆に、過去に放映されたテレビ番組や映画で、他の方法で試聴することが不可能になっているものも多い。その場合には、それらの映像が動画共有サイトにアップされていることには資料的な価値があるといえる。

印刷物からの図表の引用

ネット上ではなく、紙媒体で公開されている情報のうち、文章については、上記と同じ方針で引用している。

f:id:ininsui:20180319122110j:plain
セロトニン作動性ニューロンにおける向精神薬の作用機序[*2]

印刷された図表の場合も、非営利の、教育・研究用の情報として、基本的に文章と同様の基準で引用している。


認知能力の遺伝率[*3]

ちなみに、印刷された図表をスマホなどで簡易撮影すれば、すこしは歪みや陰が出てしまうものである。しかし、すこし歪んだもののほうが、むしろ意図的な加工ではなく、オリジナルの完全なコピーではない、ということもできよう。

肖像権

撮影した写真を公開するにあたっては、肖像権の問題が生じる。また、人間が写っている写真や動画を見れば、その人が、どこで誰と何をしていたのかが推測できてしまう。

Googleストリートビューなどでは、人の顔や車のナンバーなど、個人を特定できる部分にぼかしを入れているが、このサイトでは、風景的な写真であれば、そこまで厳密には対応していない。

このブログ自体の著作権

逆に、自分が書いた文章や描いた図表、あるいは撮影した動画をWEB上にアップすることについては、基本的に著作権を放棄することだと考えている。出典を明記していただければ、断りなく引用してもらっても構わない。もちろん、連絡をいただければ、なお有り難いことである。

大学教授としての収入が保証されており、著作物からの原稿料に頼らなくても生活できるがゆえの余裕なのだが、ほんらい学術文化はそうした余裕によって維持され発展するものだと考えることもできる。

過去にアップしたコンテンツについて

ただし、上記に書いた指針は、今までの試行錯誤の中で考えてきたことであって、過去にアップしたコンテンツについては、この指針に対応していないものもあり、これは、今後、修正していきたい。

追記

ネット上の著作権は、著作権という概念自体を問い直さなければならない問題であるが、デジタル情報が共有できるということ自体は文化の発展に寄与するものとして前向きにとらえている。

私自身にも法律の専門的知識が充分にあるわけではないので、もし、なにかお気づきの点があれば、ご指摘をいただければ幸いである。



CE2018/03/29 JST 作成
CE2020/05/03 JST 最終更新
蛭川立

*1:The Museum of Modern Art

*2:カンデル, E. R.・シュワルツ, J. H.・イェッセル, T. M.・他(編)金澤一郎・宮下保司 (監修)(2014).『カンデル神経科学』メディカルサイエンスインターナショナル, 399. (Kandel, E. R., Schwartz, J. H., Siegelbaum, S. A., Jessell, T. M., Hudspeth, A. J. (2012). Principles of Neural Science, Fifth Edition. McGraw-Hill Education / Medical.)

カンデル神経科学

カンデル神経科学

  • 発売日: 2014/04/25
  • メディア: 大型本

*3:安藤 寿康 (2014).『遺伝と環境の心理学―人間行動遺伝学入門―(心理学の世界 専門編18)』培風館.