蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

アイヌの他界観と臨死体験

アイヌの他界訪問説話についての記事が重複しているので整理中。

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今から十年ほど前、2005年ごろだったか、東京でアシリ・レラさんというアイヌの中年女性から臨死体験談を聞いたことがある。

アシリ・レラさんはアイヌの「シャーマン」で、アイヌの伝統を伝えるために活動しているということで紹介してもらったのだが、お会いしたかぎりでは、とくに神秘的な霊能者のような感じではなく、人なつこいおばさんだった。

アシリ・レラさんは、山で山菜を探していたときに滑落、大怪我をした。そのときに、洞窟をくぐってあの世に行って帰ってきた、という。あの世にも、この世と同じような村があって、そこには死んだ人たちが住んでいたという。

現代人がこういう臨死体験をすると、「死後の世界を見てきた」と驚き、死生観や人生観が大きく変わってしまう人が多い。しかし、アシリ・レラさんは、自身の体験については、とくに驚いたというわけでもなく、洞窟をくぐっていったことを、面白そうに語っていた。むしろ、子どものころから聞いていたアイヌの昔話とよく似ていたので、ああ、やっぱり、と思ったのだそうだ。

山での滑落以外にも、アシリ・レラさんはもう一回、死にかけた経験があると言っていた。二回も死にかけたのに、まだ生きているんだと、からからと陽気に笑っていた。

その後、2011年にアシリレラさんの語りが『アイヌ、風の肖像』という本になって出版された、ということは、去年になって知った。それによると、彼女は病気になり、手術している最中に、三度目の「死にかける」体験をしたとのことである。

2023年の8月に聞いたところでは、それでもアシリ・レラさんはまだご健在で、北海道の生まれ故郷の、ニブタニ(二風谷)にお住まいとのことである。

アイヌの他界観・霊魂観

北海道アイヌの人たちの伝統的な死生観によれば、死者の霊は、アイヌ・モシリ(人間の国)を離れて、地下にあるポクナ・モシリ(下方の世界=死者の国)へ行くと考えられている。

地下世界ではなく、天上にあるカムイ・モシリ(神の国)へ行く、という話もある。

あるいは、世界はカムイ・モシリ、アイヌ・モシリ、ポクナ・モシリの三層からなっていて、死者の霊はまず地下のポクナ・モシリに行き、それから天上のカムイ・モシリに行くという考えもある。

アイヌの伝統的世界観の構造[*1]

天と地上と地下の三層からなっていて、それぞれの世界が軸やトンネルによって結ばれているという宇宙観は世界各地に広くみられる。たとえば、天国や地獄という観念がそのわかりやすい例である。

古代の日本人の世界観にも、高天原(たかあまがはら)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、黄泉(よみ)の国という三層構造がみとめられる。人間が他界、つまり別の世界というものを考えるときには、それが天上や地下にあると想定することが多いようだ。

ただ、アイヌの場合は、死者の霊が天上の他界に行くにせよ、地下の他界に行くにせよ、そこはいずれも地上のこの世とほとんど同じ世界だと考えられている。あるいは、そこは現世よりもいくらか美しい場所でしあわせな生活ができるともいう。

殺されたり、自殺など、苦しんで死んだ者は幽霊になるという考えはあっても、生前の行ないの善悪によって行く世界が異なるという発想はない。そのような伝承も聞かれることがあるが、それは、近年になって仏教など、外来の文化の影響を受けてできあがってきたものらしい[*2]

国立アイヌ民族博物館(白老)[*3]アイヌの他界観がわかりやすく展示してある

アイヌ語で死はライ[・オマン](下の方[に行く])と呼ばれ、死者の霊(ラマッ)は、死ぬと肉体から離れるとされる。霊魂が肉体から離脱するのは死の時だけではなく、たとえば寝ているときに夢を見ているのは、ラマッが肉体を抜け出してさまよい歩いているからだという。

地下に他界(ポクナ・モシリ)を考える場合、その後、ラマッは、海岸や川岸にあるアフン・ル・パラ(入る・道・口)という洞窟を通って他界へと赴くとされる。その出口は、ポクナ・モシリの地面の上に開いた穴だ。生者の世界と死者の世界とは上下が逆だから、下へ下へとトンネルを下降していくと、いつのまにか死者の国の地上に到達するのだ。

あの世はこの世とほとんど同じような場所だが、ただし、あの世ではすべてがこの世とはさかさまになる、と考えられている。あの世はちょうどこの世の陰画として描かれる。このような「さかさまの他界」という観念は、アイヌ以外にも、シベリアの先住民族の間に広く見られる。死者の世界では、上下が逆で、時間も逆に流れるので、川は河口から源流に向かって流れる。あの世の昼はこの世の夜である。この世の朝、日の出のときはあの世の日没で、この世の夕方、日が沈むときにはあの世では日が昇る[*4]

二風谷と白老への旅

2023年の夏には、アイヌの集落が再現されている博物館のある、二風谷と白老を訪ねた。

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二風谷の宿で、たまたま明治大学の大学院生さんと同宿することになった。二風谷は研究者が集まるところでもある。

大学院生さんに、海岸にある死者の洞窟に行ったときの写真を見せてもらった。

登別(ヌプㇽ・ペッ)港の近くの海岸にある「アフン・ル・パラ(入る・道・口)」

(2023年8月撮影)

伝説に出てくる他界へのトンネルは、たんなる空想ではなく、じっさいの洞窟のイメージと重なっており、各地にそういう洞窟があるということは、教えてもらって学んだ。

アイヌの他界訪問説話

日本・沖縄に比べて、アイヌには臨死体験(ブログ内記事「臨死体験」を参照のこと)に似た他界訪問説話が多い。

暗いトンネルの中を進んで行くと、その先に、すでに死んだ人たちがいる。その人たちに「まだ来るな」と言われて死者の世界を去り、生者の世界に戻ってきた、という、西洋で研究されてきた臨死体験の共通パターンとよく似た要素がみられる。

アイヌの一青年が愛妻を亡くして一人で暮らしていた。青年は漁のため神に出て、尻場の絶壁の磯で亡くした妻に似た婦人を見て近づく。婦人が後ろも見ずに洞窟の中に逃げこんだので、あとを追っていくと、フイヌのコタンが見える。エカシ(老翁)が小屋から出てきて、「まだ来るな」と言って洞窟の外に青年を追い出す。青年はコタンに帰るが仕事も手につかず、悶々として日を送り間もなく死んだ。この洞窟を「オマンルバラ(死んでいく道)」と言う。(余市町 p.357)[*5]

死者の世界に行こうとすると「まだ来るな」と言われたり、「戻らなければ」と自己判断し、引き返してくるというのは臨死大家に多い要素である。

男が死んだ妻を追って冥界に行くという説話はすでに類型化されている。古代日本神話では、イザナキが死んだイザナミを追って冥界に行くが、引き返してくるという同じ構造がみられる。

アイヌの説話では、男が追いかけるものは、妻だけではなく、熊や狐などの獲物を追うというヴァリアントもある。

一人の美しい青年が、山で熊を追っていた。しかし、熊は穴の中に逃げてしまう。熊を追って洞窟の中に入っていくと、行く手にかすかな光が見えるので、その光の方向に向かって手探りで進んで行くと、それは死者の世界への出口だった。死者の世界にも村があって、生きている人と同じように暮らしていた。ただ、死者の世界は自分たちが住んでいる村よりもずっと美しい場所だった。その後、青年は洞窟をくぐって元の世界に帰り着くが、じつは彼が追いかけていた熊は瞑府の女神が化けていたもので、女神は彼と結婚したくて熊に姿を変えて他界へと誘い出したのだった。けっきょく青年は女神によってふたたび死者の世界に呼び戻され、二度とこの世に戻ることはなかった[*6]

死者の世界では生者の世界と同じように集落を作って暮らしているという語りは多いが、ここでは死者の世界のほうが美しいとされている。

また、死者の世界から生者の世界に戻ってきた人間が、また死者の世界に戻ってしまう、というヴァリアントも多い。

疑い深い男がいて、人間が死ぬと冥府に行くというが本当かと疑い、冥府の入り口と言われる穴の中に入っていく。真暗なところを手探りで進んでいくと冥府に着く。そこには海も川も村も木もあり、海には五、六腹の舟が浮いていて魚や海草が積んである。冥府の人は男の姿を見分けることができず、大だけが男の姿を見てほえる。冥府の人たちは犬のほえる声を聞いて、「何か怪しいものがやってきたに違いない」と言って、肉った飯や魚の骨を投げつける。男は体中についた飯や魚の骨を引き離して投げ返しながら急いで引き返し、穴の出口から人間世界にとび出し家に帰った。(松元益話 p.152)[*7]

他界を訪問するの男性だが、誰かを追いかけるのではなく、自分の好奇心で穴に入って行くという説話もある。

彼岸のコタンと此岸のコタンは対称性のある構造だと語られることが多い。

伝承では、あの世の人間が穴からこの幽霊がこの世に出てくることもあるが、その姿は人間には見えず、犬にだけ見えることになっている。逆に、生者が死者の世界に行くと、死者として住んでいる人間には生者の姿が見えず、犬にだけは見えるという対称的な構造をとっている。


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CE2024/03/24 JST 作成
CE2024/04/12 JST 最終更新
蛭川立

*1:山田孝子 (1994) 『アイヌの世界観 ー「ことば」から読む自然と宇宙ー』 講談社、 pp.20-65。

*2:児島恭子 (1996) 「口承文芸から探るアイヌの霊魂観」、 梅原猛+中西進[編] 『霊魂をめぐる日本の深層』 角川書店、 pp.161-171。

*3:nam.go.jp

*4:藤村久和 (1995) 『アイヌ、神々と生きる人々』 小学館、 pp.234-240。

ハルヴァ,U. (1971) 『シャマニズム――アルタイ系諸民族の世界像』 田中克彦訳、 三省堂、 pp.312-330。

*5:

*6:ヒッチコック,R. (1985) 『アイヌ人とその文化』 北構保男訳、 六興出版、 pp.168-170。

*7: