蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

冥界訪問神話

琉球・南島

『日本伝説大系』の南島編を読んでいると、ときどき冥界訪問説話が見受けられる。

「後生が道の洞穴」(P. 500)では、牛を追った男性が、後生(ゴショウ、グソー(沖縄方言辞典))つまり冥界に通じる洞窟に迷い込む。こうした説話は、琉球文化圏で洗骨が行われていたことと関係しているが、同時にアイヌの冥界訪問説話とも類似している。

日本本土では『古事記』にも冥界訪問説話がみられるが、近現代まで口承されてきた説話には意外に少ない。(これは、江戸川大学に勤務していたときに、ゼミ生と調べたテーマでもある。)アイヌ琉球という、周縁化されてきた文化と古代以前の文化に共通性があることは、他の文化的要素でも同様である。


なお「南島」は、日本民俗学の用語であり、著者の記事では「琉球」と同義に用いている。この「琉球」は、日本・琉球語族を構成する諸言語のうち、狭義の日本語とは異なる琉球語が使用されてきた文化圏であり、さらに「奄美」「沖縄」「先島」に分けられる。奄美までが鹿児島県であり、縄文文化が及んだのが沖縄までである。

https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/shizen/koen/images/img149290.jpg
琉球列島の地理[*1]


アイヌの冥界訪問説話については『彼岸の時間』にも書いたが、別のスレッドにアップした全文から、以下の部分を抜粋する。

トンネルの向こう側

ブラジル・アマゾンの先住民カヤポの伝説に、別の世界に行った男の話がある。男がアルマジロを追いかけているうちに、村から遠く離れたところまで来てしまう。アルマジロは大きな穴の中に逃げ込む。男もアルマジロの後を追って穴の中に入ると、真っ暗な穴の向こうに光が見えたので、その光のほうに進んでいくと、美しい花々が咲き乱れ、蝶たちが舞い踊る、見たこともないような楽園にたどり着く。男は村に帰ってその美しい世界のことを人々に話し、けっきょく村人は皆、そのすばらしい新世界に移住してしまった[*2]

これとそっくりな伝説が、地球の裏側の日本にもある。北海道アイヌの伝説には、アイヌ・ウエペケルというジャンルがあって、あの世に行って帰ってきた人の話がたくさん収められている。たとえば、熊を追ってあの世に行ってきた青年の話というのがある。

一人の美しい青年が、山で熊を追っていた。しかし、熊は穴の中に逃げてしまう。熊を追って洞窟の中に入っていくと、行く手にかすかな光が見えるので、その光の方向に向かって手探りで進んで行くと、それは死者の世界への出口だった。死者の世界にも村があって、生きている人と同じように暮らしていた。ただ、死者の世界は自分たちが住んでいる村よりもずっと美しい場所だった。その後、青年は洞窟をくぐって元の世界に帰り着くが、じつは彼が追いかけていた熊は瞑府の女神が化けていたもので、女神は彼と結婚したくて熊に姿を変えて他界へと誘い出したのだった。けっきょく青年は女神によってふたたび死者の世界に呼び戻され、二度とこの世に戻ることはなかった[*3]

この二つの伝説はよく似ているし、また同時に臨死体験(NDE: Near-Death Experience)と呼ばれる体験にもよく似ている。アメリカでの調査では、死の直前(直後?)から生還した人の約四割が臨死体験をしているという。臨死体験者が報告する体験の内容は、人種や宗教が違ってもよく似ている。典型的な臨死体験は、まず、自分が死んだという、しかし不思議な安らかな感覚からはじまる。怪我や病気で苦しんだ人も、この時点ですでに痛みを感じなくなっている。次に、自分の意識が自分の体から抜け出すような体験が起こる。これは体外離脱体験(OBE: Out-of-Body Experience)と呼ばれる。それから、自分の今までの人生を走馬灯のように早送りでながめることもある。やがて、光に導かれて暗いトンネルをくぐり抜けると、お花畑のような美しい世界にたどりつく。そこで神様やご先祖様に出会い、帰れと言われてこちらがわの世界に戻ってくる。帰ってきた人は、死後の世界が存在するという信仰を強めるという[*4]

さかさまの世界

北海道アイヌの人たちの伝統的な死生観によれば、死者の霊は、アイヌ・モシリ(人間の国)を離れて、地下にあるポクナ・モシリ(下方の世界=死者の国)へ行くと考えられている。地下世界ではなく、天上にあるカムイ・モシリ(神の国)へ行く、という話もある。あるいは、世界はカムイ・モシリ、アイヌ・モシリ、ポクナ・モシリの三層からなっていて、死者の霊はまず地下のポクナ・モシリに行き、それから天上のカムイ・モシリに行くという考えもある[*5]

天と地上と地下の三層からなっていて、それぞれの世界が軸やトンネルによって結ばれているという宇宙観は世界各地に広くみられる。たとえば、天国や地獄という観念がそのわかりやすい例である。古代の日本人の世界観にも、高天原(たかあまがはら)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、黄泉(よみ)の国という三層構造がみとめられる。人間が他界、つまり別の世界というものを考えるときには、それが天上や地下にあると想定することが多いようだ。

ただ、アイヌの場合は、死者の霊が天上の他界に行くにせよ、地下の他界に行くにせよ、そこはいずれも地上のこの世とほとんど同じ世界だと考えられている。あるいは、そこは現世よりもいくらか美しい場所でしあわせな生活ができるともいう。殺されたり、自殺など、苦しんで死んだ者は幽霊になるという考えはあっても、生前の行ないの善悪によって行く世界が異なるという発想はない。そのような伝承も聞かれることがあるが、それは、近年になって仏教など、外来の文化の影響を受けてできあがってきたものらしい[*6]

白老の国立アイヌ民族博物館にあるアイヌの他界観についての解説

アイヌ語で死はライ[・オマン](下の方[に行く])と呼ばれ、死者の霊(ラマッ)は、死ぬと肉体から離れるとされる。霊魂が肉体から離脱するのは死の時だけではなく、たとえば寝ているときに夢を見ているのは、ラマッが肉体を抜け出してさまよい歩いているからだという。

地下に他界(ポクナ・モシリ)を考える場合、その後、ラマッは、海岸や川岸にあるアフン・ル・パラ(入る・道・口)という洞窟を通って他界へと赴くとされる。その出口は、ポクナ・モシリの地面の上に開いた穴だ。生者の世界と死者の世界とは上下が逆だから、下へ下へとトンネルを下降していくと、いつのまにか死者の国の地上に到達するのだ。

あの世はこの世とほとんど同じような場所だが、ただし、あの世ではすべてがこの世とはさかさまになる、と考えられている。あの世はちょうどこの世の陰画として描かれる。このような「さかさまの他界」という観念は、アイヌ以外にも、シベリアの先住民族の間に広く見られる。死者の世界では、上下が逆で、時間も逆に流れるので、川は河口から源流に向かって流れる。あの世の昼はこの世の夜である。この世の朝、日の出のときはあの世の日没で、この世の夕方、日が沈むときにはあの世では日が昇る[*7]

追記:K-hole

明治大学の大学院生さんに、海岸にある死者の洞窟の写真を見せてもらった。登別港の近くの海岸だという。

(2023年8月撮影)

十年ほど前、東京でアシリレラさんというアイヌ系の中年女性から臨死体験談を聞いたことがある。平取町二風谷出身だということは、後から知った。

山で山菜を探していたときに滑落、大怪我をした。そのときに、洞窟をくぐってあの世に行って帰ってきた、という。子どものころから聞いていた昔話と同じだな、と思ったそうだ。

臨死体験をすると死生観が一気に変わる人が多い。トンネルを通り抜けて光の世界に行くという経験を、うまく説明できない人が多いからだ。

臨死体験の候補物質としては内因性DMTと、ケタミン類似物質が挙げられている。肉体を離脱してトンネルに入っていくという解離性の体験は解離性麻酔薬であるケタミンに似た物質によって引き起こされ、光の世界で霊的な覚醒体験を得るという体験を引き起こすのはDMTに酔って引き起こされるという二次元のモデルがある。

hirukawa.hateblo.jp

ケタミンは高用量では麻酔薬となるが、中用量だと不思議な解離性体験を引き起こす。肉体と精神が分離するような体験や、「K-hole」と呼ばれるブラックホールに吸い込まれていくような体験が起こる[*8]。しかし、内因性ケタミン様物質はまだ発見されていない。


電子テキスト化して「はてなブログ」にアップロードした『彼岸の時間』の第1章(→「他界への旅ーアマゾンのシャーマニズムと臨死体験」)より抜粋し、Markdown記法に変換した後、加筆修正。

hirukawalaboratory.hatenablog.jp

蛭川立 (2002). 『彼岸の時間―〈意識〉の人類学』春秋社.


記述の自己評価 ★★★☆☆ CE2002/11/20 JST 公刊 CE2018/04/07 JST 電子版作成 CE2023/02/26 JST 切出し記事作成 CE2023/09/09 JST 最終更新 蛭川立

*1:https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/shizen/koen/ryukyusyoto_sizentokusei_gaiyou-2.html

*2:ヴァルデ=マール (1996) 『世界をささえる一本の木――ブラジル・インディオの神話と伝説』 永田銀子訳、 福音館書店、 p.36。

*3:ヒッチコック,R. (1985) 『アイヌ人とその文化』 北構保男訳、 六興出版、 pp.168-170。

*4:セイボム,M.B. (1986) 『「あの世」からの帰還――臨死体験の医学的研究』 笠原敏雄訳、 日本教文社、 pp.316-344。

*5:山田孝子 (1994) 『アイヌの世界観』 講談社、 pp.20-65。

*6:児島恭子 (1996) 「口承文芸から探るアイヌの霊魂観」、 梅原猛+中西進[編] 『霊魂をめぐる日本の深層』 角川書店、 pp.161-171。

*7:藤村久和 (1995) 『アイヌ、神々と生きる人々』 小学館、 pp.234-240。

ハルヴァ,U. (1971) 『シャマニズム――アルタイ系諸民族の世界像』 田中克彦訳、 三省堂、 pp.312-330。

*8:著者自身は、ケタミンを0.5mg/kg、1分間かけて静脈注射してもらった体験がある。静脈から入ったケタミンが心臓に戻って脳に送り込まれてきたのを感じた数分後には、すぐに黄色くて温かい光の世界にいた。それはアヤワスカ茶で体験した他界のビジョンとよく似ていた。点鼻薬や長時間の点滴と比べると、短時間の静注はもっとも効きが早いのだという。トンネルをくぐるプロセスを飛び越えてしまったのかもしれない。