蛭川研究室

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京都アヤワスカ茶会裁判 ー アマゾンの薬草が日本で宗教裁判に? ー

南米の先住民族が治療儀礼に用いてきたアヤワスカという薬草には、DMTという精神展開薬が含まれている。日本に自生しているDMTを含む薬草で自分のうつ病を治した大学生と、それを売った男性が逮捕され、裁判になっている。

京都地裁で2020年6月に始まった裁判は、2022年1月に結審し、青井被告に対し実刑4年が求刑された[*1]。2022年9月26日に京都地裁は懲役3年、執行猶予5年の判決を下したが、青井被告は控訴し、大阪高裁で2023年4月18日に再審が始まる。逆転無罪判決が出る可能性が高く、その点でも注目すべき裁判である。

大学生の事件

アカシア茶の抗うつ作用

2019年7月。不安障害とうつ病を悪化させ自殺念慮に苦しんでいた[*2]大学生が、京都府内の自宅に引きこもり、コデインを含む咳止め薬で精神的な苦痛を和らげていた[*3]心療内科に通っていたが、処方された治療薬[*4]は奏功しなかったらしい。

しかしこの優秀な哲学青年は、独学による研究を重ね、オピオイドには一時的な鎮痛作用があるだけだが、サイケデリックス(精神展開薬)には治療抵抗性うつ病に対する効果があり、悟りのような境地を得て人生観が変わるということを知った。

そこでこの大学生はソウシジュ(相思樹:沖縄に自生するアカシアの一種 Acacia confusa)の樹皮とモクロベミド[*5]をインターネット経由で購入し、京都府内の自宅で茶にして服用し、抑うつ希死念慮を自己治癒した[*6]

しかし、ソウシジュの樹皮には麻薬として規制されている精神展開薬(サイケデリックス)[*7]であるDMT(ジメチルトリプタミン)が含まれていたため、大学生は麻薬所持の疑いをかけられたが、未成年だったため、家庭裁判所で不処分となったが、彼は京都地裁での青井硝子裁判において弁護側証人として、自らの体験を語った[*8]

「光」による悟り

大学生は、アカシア茶の服用後、まず、曼荼羅のような図形が回転しているのを見た。彼は、その回転する視覚像が、自分の思考の投影だということに気づいた。その投影像を観察し続けている間に、自己の思考と思考の対象との分節が消滅し、そして自己と他者との境界が消滅し、あらゆる存在に深い慈愛を感じたという。

やがて自己と外界との境界も消滅し、それを観察している自己も消滅するという再帰的なループに陥り「世界の構造には再帰性がある」ということに気づいたと同時に、その無限に深い畏れを抱いた。

その様子を見守っていた友人は驚き、Medi-Teaに添付されていたマニュアルに従って救急車を呼んだ。救急搬送された本人は、救急車の中で無限ループに対する抵抗を諦め、その再帰性に身を「ゆだねた」[*9]ところ、救急車内は、たちまち無限の白い光に包まれた。

その光は視覚的に「見えた」というよりは、共感覚的な知覚であり、同時に「はからい」[*10]による救済という意志をともなう暖かさを感じた。「ただ、ある」という状況を、ただ目撃していたという。

病院に到着したときには、すでに、生きていても死んでいても同じだ、という悟りを得ていた。希死念慮が消えてポジティブ思考になったわけではない。生きていても死んでいても同じであり、過去もあまり思い出せない、未来については考えないことにしている、いま現在を誠実に生きる、という境地で暮らすようになったという。

こうした体験は、比較的典型的なサイケデリック体験であるが、この体験がDMTのみの作用によって起こったのかどうかは、正確には、わからない。

DMTという麻薬を使用したことを疑われ、大学生は警察に拘束されてしまったが、未成年だったため、家庭裁判所で不処分に終わった。

青井硝子の事件

ネット上でソウシジュの樹皮を販売していたのは「薬草協会」を運営する青井硝子(筆名)という、農業を営む男性であった。

2020年2月26日に、青井硝子は友人宅で、やはりDMTを含むミモザの茶を服用したと供述している。その6日後の3月3日に、青井硝子は自宅で逮捕された。自宅からはソウシジュの樹皮から作られた茶が押収され、また尿からはDMTが検出された。

京都地裁での裁判

青井硝子は取り調べを受けた後、麻薬及び向精神薬取締法違反で起訴され、2020年6月8日から京都地裁で裁判となった。

いわゆる薬物事件では、逮捕されても容疑者が反省し不起訴になるか、起訴されても初公判で反省し執行猶予付きの判決が下されて終わることがほとんどだという。しかし、青井被告はまったく反省の色を見せておらず、初公判から自らの行いを仏教における菩薩だと主張し[*11]、またこの裁判を科学の進歩に反するガリレオ裁判に例え[*12]最高裁まで争うと主張している[*13]

裁判の争点

茶は麻薬なのか

DMTは麻薬及び向精神薬取締法で規制されている物質であり、その所持や服用は違法である。しかし、ソウシジュやミモザなど、DMTを含む植物は麻薬として規制されていない。

検察側は、ソウシジュやミモザをお湯に入れて作ったお茶は、DMTであり、麻薬だと主張している。

いっぽう、青井被告と弁護側は、お茶はDMTという物質そのものではないと反論している[*14]

DMTを含む植物は日常的に使用されてきた

弁護側は、もしソウシジュを水に溶かしたものが麻薬ならば、沖縄で使われているソウシジュの染料も麻薬になってしまうと主張している。

これに対し、検察側は、たんに水に溶かすことと、飲むために水に溶かすことは意味が違うと反論している。

DMTを含む植物は身の回りにも多数存在している[*15]。弁護側は、たとえばミカンにもDMTが含まれているが、オレンジジュースは麻薬としては取り締まられていないと主張している。

これに対し、検察側は、ふつう、DMTの作用を期待して故意にオレンジジュースを飲むわけではない、と反論している。

しかし、弁護側は、DMTを含むヤマハギの茶が、婦人病や神経症の薬として用いられてきた[*16]ことも指摘している。

病気の治療は正当行為か

また、青井被告と弁護側は、かりに茶が麻薬だと解釈されたとしても、それは、うつ病自殺念慮を改善するために使われたものであり、正当行為であり、違法性は阻却されると主張している。

これに対して検察側は、麻薬も許可を取れば医薬品として使えるのにもかかわらず、青井被告は無許可で使ったので、正当行為とはいえない、と反論している。これには裁判長も一定の理解を示している[*17]

しかし、弁護側は、茶は医療として病気を治すために使われたのではなく、人の心を癒やそうという、一種の宗教行為として使われたという意味で正当行為なのだと反論している[*18][*19]

捜査方法の問題

2020年3月3日に、青井被告の尿からDMTが検出されたことについて、検察側は、これは6日前の2月26日にミモザ茶を服用した証拠だと主張している[*20]

しかし、弁護側は、経口摂取されたDMTのほとんどは数時間で排泄されてしまうこと、人間の体内でもDMTは合成されているので、6日後の尿中にDMTが検出されたとしても、青井被告がミモザ茶を服用したという供述の物的証拠にはならないと反論している[*21]


事件の意味

DMT茶の医薬品としての可能性

DMTを含む植物から作られる茶は、南米では「アヤワスカ」と呼ばれ、宗教儀礼の中で合法的に使用されてきた[*22][*23]。近年では、アヤワスカ茶に、うつ病・不安障害や、アルコールを含む薬物依存を改善するという医学的な研究が進められている[*24][*25]

この事件は、乱用されれば健康被害を引き起こす物質や植物をたんに麻薬として取り締まるのではなく、医薬品として、あるいは精神状態を改善する飲み物として使用できる可能性を研究すべきではないのかという問題を提起している。

内因性DMTの存在

植物の体内で合成され、麻薬として指定されている物質と同じ物質が動物の体内でも合成され、しかもそれが神経伝達物質として、また神経保護物質として臨死体験のような体験を引き起こすということは、脳神経科学においても重要な知見であり[*26]、また麻薬を「所持」することが犯罪とされる制度を問い直すという社会的な問題提起でもある。

21世紀の東アジア的事件として

今回の事件で争われているのは、南米の「アヤワスカ」そのものではなく、東アジアに自生するアカシアやミモザといった複数の植物と、モクロベミドという錠剤をブリコラージュ的に組み合わせた、いわばアヤワスカの精巧な模造品である。こうしたハーブや個人輸入可能な薬剤がネット上で売買されているようで、この事件に先立って韓国で似たような事件が起こり、それから台湾や中国大陸でも同じような事件が起こったようだ。

西洋におけるサイケデリックカウンターカルチャーとは違い、政治性、芸術性、宗教性は希薄であり、典型的には心を病んだ引きこもり(hikikomori)の若者たちが自己治療のために使用している。事件の発端となった大学生も、一流大学に合格し、薬物の知識も豊富であり、一人暮らしで引きこもれるのも実家からの援助があったからこそである。表面的には恵まれた状況にありながら、そこでうつ病になってしまうという、はっきりした理由がない[*27]

これは、ブラジルの宗教運動が西洋圏で広まっているのとはまったく異なる文脈であり、日本を中心とする東アジアのオタク(otaku)的な文化として注目すべき特異性がある。



毎回の公判の様子など、より詳しい情報は「京都アヤワスカ茶会裁判」に書いている。

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  • CE2021/09/18 JST 作成
  • CE2023/04/13 JST 最終更新

蛭川立

*1:hirukawa.hatenablog.jp

*2:大学生は「社交不安障害」という診断を受けていただけで、うつ病、その他に罹患していたというのは医師の診断ではない。

*3:アルコールは飲用していなかったらしい。この大学生は遵法精神が高く(これは青井被告と似ている)未成年は酒類を摂取してはいけないと考えていたらしい。

*4:詳細は未確認だが、エビリファイ(アリピプラゾール)を服用していたらしい。これは単極性うつ病よりは、統合失調症双極性障害に処方される薬である。

*5:MAOI(モノアミンオキシダーゼ阻害薬)。オーロリクスなどの商品名で販売されており、個人輸入と個人仕様が可能である。麻薬等としては規制されていない。

*6:ソウシジュの樹皮を購入する以前に咳止め薬に含まれるDXM(デキストロメトルファン)を試したが、人生観を変えるほどには効かなかったらしい。これは未確認情報である。DXMは解離性麻酔薬であるケタミンと似た作用を持つが、ケタミンの抗うつ作用は確認されており、イギリスなどでは医療用に使用されている。

*7:DMTは精神展開薬(サイケデリックス)の一種である。 hirukawa-archive.hatenablog.jp

*8:hirukawa.hateblo.jp

*9:他力の「はからい」に自己を「ゆだねる」というのは、親鸞の『歎異抄』にみられる言葉であるが、大学生は歎異抄のことは知らなかったようである。

*10:他力の「はからい」に自己を「ゆだねる」というのは、親鸞の『歎異抄』にみられる言葉であるが、大学生は歎異抄のことは知らなかったようである。

*11:青井被告は初公判で自らの行いをボーディサットバだと供述したが、日本の法廷でサンスクリットが使われるのは異例である。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*12:第三回公判での青井被告の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*13:接見での青井被告の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*14:初公判での喜久山弁護士の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*15:以下の記事にDMTを含有する植物のリストを掲げた。 hirukawa-archive.hatenablog.jp

*16:ヤマハギの茶は、今でも仏教寺院で一般の参拝者に振る舞われている。 hirukawa-archive.hatenablog.jp

*17:第九回公判での安永裁判長の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*18:第一回公判での喜久山弁護士の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*19:第十回公判での喜久山弁護士の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*20:第二回公判での立川検事の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*21:第二回公判での喜久山弁護士の発言。詳細は以下の記事を参照のこと。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*22:アマゾン川上流域の先住民族によるアヤワスカを用いた宗教儀礼の、蛭川じしんの調査記録。 hirukawa-archive.hatenablog.jp

*23:ブラジルで発展し合法化された、アヤワスカを用いた宗教儀礼の歴史。 hirukawa-archive.hatenablog.jp

*24:精神展開薬の臨床研究の現状についての、蛭川に対する共同通信のインタビュー記事。 https://news.yahoo.co.jp/articles/2353b183ef30e6b19123546ea832aa02c8a65476?page=1news.yahoo.co.jp

*25:弁護側が裁判所に提出したDMTとアヤワスカについての論文のリスト。アヤワスカの臨床研究の論文も含まれている。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*26:内因性DMTの特徴。 hirukawalaboratory.hatenablog.com

*27:アメリカで一流大学に入学した大学生が燃え尽きて治療抵抗性うつ病になり、アヤワスカで自己治療してしまうという、2016年の半フィクション映画『ラスト・シャーマン』(「アマゾン先住民・アヤワスカ関連映画」を参照のこと)も、この京都事件とよく似た内容であり、2019年に日本で起きた事件が決して特殊なものではなく、グローバルな現象の一部であることを示している。