蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

〈聖なるもの〉としての精神展開薬(サイケデリックス)

この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、個人の感想も含まれており、その正確性は保証されていません[*1]

  

興奮剤と抑制剤

朝起きて一杯のコーヒーを飲み、目を覚まして出勤し、仕事が終わるとビールや日本酒を飲んで、そして寝る、というのは日常的、かつ合法的や精神活性物質の使用である。

睡眠に問題があり、処方薬を服用している人がいるかもしれない。朝は神経刺激薬、夜は睡眠薬など、医師から処方されたものであれば、合法である。

それを毎日続けるのが習慣になっているとしたら、そういうサイクル自体に依存しているともいえる。

幻覚剤(psychedelics)・興奮剤・抑制剤の依存性

じつは、カフェインもメタンフェタミン覚醒剤)と同じ興奮剤=刺激薬(stimulant)である。エチルアルコールは、アヘンやヘロインと同じ抑制剤であり、もっとも依存性や毒性の強い物質群である。

精神活性物質の法的な規制は、依存性や毒性とはあまり関係がない。むしろ、それらの物質が文化的にどう使われてきたかという歴史、政治的な文脈が背景にある。

サイケデリックス=精神展開薬

サイケデリックス(精神展開薬)の作用は、興奮剤⇄抑制剤という日常性の平面からの超越である。「覚醒剤」の「覚醒」とは、睡眠からの覚醒だが、サイケデリックスの超越的な薬理作用は、日常的な睡眠と活動のサイクル自体からの「覚醒」である。

〈俗なる〉円環と〈聖なる〉超越

サイケデリックスは、睡眠と覚醒、休養と労働という、日常的な〈俗なる〉世界自体から、それとは次元が異なる〈聖なる〉世界へと意識を「覚醒」させる。

伝統社会において、サイケデリックスを含む薬草は、日常的な〈ケ〉の状況では使用されない。儀礼や祭礼などの〈ハレ〉の状況でのみ用いられ、人間を日常の〈俗なる〉世界から非日常の〈聖なる〉世界へと超出させ、社会的な日常をリセット(再起動=死と再生)するために使用される。

ペルー・アマゾンの先住民は個人や共同体の問題解決のため、治療儀礼においてアヤワスカ(DMT含有植物茶)を使用する[*2]。ブラジルのサント・ダイミにおいては新月と満月の晩にアヤワスカの礼拝を行う[*3]

インドでは、マハー・シヴァ・ラートリ(インド暦の大晦日)の夜だけ、違法なバング(大麻ラッシー)が解禁される[*4]。バング=ガンジャは人間に幻覚を見せるのではなく、人間を〈俗なる〉世界という幻覚(マーヤー)=仮想現実から覚醒させる[*5]

バリ島では、ウク暦の210日ごとに行われるガルンガン・クニンガン(盆のような祭礼)で、しばしば集団的なトランス状態が起こる[*6]。これは精神活性物質の作用ではなく、音楽のリズムによって誘発される。脳内でもサイケデリックスと同様の物質が分泌されている。

変性意識の周縁化

近代社会は労働と休息の往復という〈俗なる〉世界のシステムを効率的に発展させ、社会の世俗化は不合理な宗教的権威からの解放でもあったが、人間を〈聖なる〉世界へと誘う儀礼や祭礼は形骸化した。

サイケデリックスが見せるビジョンは〈幻覚〉とされ、非日常的な陶酔作用は〈狂気〉あるいは〈犯罪〉として周縁化され、病院で治療されるべき、監獄で矯正されるべき状態として管理されるようになった。

封入性・負目性・超越性

サイケデリックスは、加速する労働に支えられた近代社会によって周縁化された〈聖なる〉ものへの回帰を引き起こす物質でもある。それは、統合失調症などの〈精神病〉を引き起こす物質として忌避される一方で、抑うつや不安などの〈神経症〉の治療薬ともなる。

テレンバッハの精神病理学において、メランコリー親和型うつ病は、封入性、つまり日常的な秩序に閉じ込められることと、負目性、つまり日常的な秩序のサイクルに遅れをとり、取り返しのつかない状況に陥ることの、二つの条件が重なることによって引き起こされる[*7]

封入性・負目性・超越性

つまり単極性のうつ病は、変更不能な過去の記憶を背負いこんでしまう「後の祭り」の病である。木村敏の時間論[*8]における「祭の後 post festum」であり、それに対する躁病=てんかんの時間は「祭りの中 intra festum」における、痙攣的超越(cranpus transcendentdi)である。

サイケデリックスは、この痙攣的超越を薬理的に引き起こし、わずか数時間で労働⇄睡眠、興奮剤⇄抑制剤というサイクルへの依存を消滅させ、抑うつ状態を消滅させる[*9]

実験精神病から実験美学へ

ポストモダンは、モダンからの逆行の試みであった。ヨーロッパでは、ボードレールが『人工楽園』においてアルコール・阿片→大麻の比較を行い、これを受けてベンヤミン『陶酔論』やミショー『みじめな奇跡』は、さらに大麻→メスカリンへと比較対象を前進させた。

1930年代にLSDが合成されると、まず精神異常発現薬、つまり統合失調症を引き起こす原因物質としての研究が行われた。

日本でも1950年代には京都大学東京大学を中心に、精神異常発現薬としての研究が進み、研究者自ら(加藤清、木村敏、徳田良仁など)が統合失調症を疑似体験するためにLSDを服用したが、ここではサイケデリック体験が生み出す〈狂気〉は同時に〈美〉への超越でもあると考えられた。

東大系の精神科医たちがLSDを作家や詩人(谷川俊太郎安部公房、多田智満子など)に投与し、作家自らが生化学的な〈狂気〉の中で〈美〉を創造する「実験美學」のパフォーマンスが行われ、華道草月流などが場所を提供、テレビやラジオでも放映された[*10]が、この実験は1960年代に入ると急速に衰退し、後の時代には引き継がれなかった。

サイケデリックルネサンス

SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)をはじめとする抗うつ薬の流行と、そしてその限界があきらかになるにつれ、2010年代から[長い歴史を持つ]ケタミンやシロシビンが「新しい」抗うつ薬として研究され、実用化されるようになっている。サイケデリックルネサンスである。

メランコリーとは近代社会への過適応と労働への依存によって封入された自己の様相である。サイケデリックスは、ポストモダン的な状況の中で、近代社会から疎外された〈聖なる狂気〉を取り戻すための生化学的なツールとして復活しつつある。


記述の自己評価 ★★★☆☆ (つねに加筆修正中であり未完成の記事です。記事の後に追記したり、切り取って別の記事にしたり、内容が重複したり、そういう動的な冗長性がハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)


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*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:hirukawa-archive.hatenablog.jp

*3:hirukawa-archive.hatenablog.jp

*4:hirukawa.hateblo.jp

*5:現代のVR技術は古代インド哲学の世界観に回帰しているともいえる。「シミュレーション仮説」を参照のこと。

*6:hirukawa.hateblo.jp

*7:

*8:

*9:2019年には、京都の大学生がアヤワスカを模した植物を茶にして服用し、自らの抑うつ状態と自殺念慮を自己治療したが、「麻薬」の所持・施用の疑いで逮捕され、現在でも大阪高裁で裁判が続いている。詳細はブログ内記事「京都DMT茶会裁判」を参照のこと。

*10:hirukawa.hateblo.jp