蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

象徴としての世界 −バリ島民の儀礼と世界観− (改訂版)

「最初の楽園」バリの誕生

マレー半島の南東、赤道直下の海原に連なる大小さまざまの島々は、古来よりインドと中国を結ぶ海洋交易の拠点として栄え、スマトラ島とジャワ島を中心に、いくつもの王朝が栄枯盛衰を繰り返してきた。インドから伝わったヒンドゥー文化は土着の習俗と入り混じって、独特の多神教的信仰世界がつくられていった。その後、やはり西方からイスラームがもたらされ、これらの島々の大半はイスラーム化する。しかし、伝説によれば、ヒンドゥー王国であったマジャパイト王国の支配者や文化人たちは、16世紀、ジャワ島の東に隣接する小さな島、バリに逃げ延び、そこで自分たちの文化を守り続けたという。こうしてバリ島は、かつてジャワに栄えたヒンドゥー文化の面影を今に残す、いわば生きた博物館として、人類学者と観光客の注目を集めることになる。バリ島は、20世紀初頭にオランダ領東インドに併合され、第二次大戦中は日本軍によって占領、戦後はインドネシア共和国のひとつの州となった。常夏の青く透き通った海と、念入りで壮麗な儀礼の数々。近代的自我の発祥の地である北西ヨーロッパからみて、ユーラシア大陸をはさんでちょうど対称の位置にある島、南洋の楽園と東洋の神秘という二つのロマンティックな幻想をまとめて満たしてくれる島、バリは、その後世界でも有数の観光地へと発展した。貨幣経済によって駆動する資本主義文明が地球上のほとんど全域を覆いつくし、世界各地の多様な伝統文化が失われていく中で、バリはそれを「観光」という手段によって、うまい具合に逆手に取っているようにみえる。観光客がやってくればくるほど、バリは観光客好みの、うっとりするような「楽園」へと変貌をとげていく。そして、伝統的な習慣や儀礼のある部分は、観光化されることによって逆にますます洗練され、盛大になってきている。たとえば、そのひとつが火葬の儀礼だ。


インドネシア・バリ島(ポイントはギアニヤール県プリアタン村)

観光資源としての葬送儀礼

バリでは、観光地のインフォメーションセンターに行くと、いろいろなお祭りや芸能のスケジュールに混じって、何月何日にどこの村で火葬がある、という案内が掲示してある。大きな火葬が行なわれる場合には、旅行会社が観光客を集め、火葬見学ツアーバスを出す。火葬は見せ物なのだ。こういう感覚は日本人には理解しがたいかもしれない。しかし、バリ人、とくにお金持ちは、できるだけ大きな葬式を執り行なって、大勢の人に来てもらい、自分の家がこんなに立派な葬式をすることができるのだ、ということを皆に見せびらかしたいのだ。だから、カメラを首にさげた団体観光客でも、ウェルカムなのだ。多額の資金を投入して、できるだけ立派な葬儀を行ない、一族の富と威信を誇示する。逆に、粗末な葬式しかできなければ、それは一族の恥になってしまう。こういう発想自体は、日本人にもよく理解できる。

アメリカの人類学者R.ベネディクトは、西洋文化が「罪の文化」であるのに対して、日本人の文化は「恥の文化」だとしたが[*1]、そう分類するならバリ社会だけでなく多くの非西洋社会が「恥の文化」を持っている。つまり、絶対的な基準に照らして自分自身がどうかということを考えるよりも、他人から自分がどう見られているのかを気にかけ、いつも他人と自分を比較して、優越感にひたったり、嫉妬したりする。こうした、人間関係に対する神経質で繊細な感覚をもっているという点で、バリ人と日本人はよく似ている。バリ語やジャワ語では敬語の体系が発達していて、つねに相手との相対的な地位の高低を判断しながら適切な言葉を選んでいかなければならない。これも、日本語とよく似ている。

しかし、葬送儀礼の、演劇性というか、パフォーマンス性というか、そういう性質はバリのほうが格段に高い。もともと「見せる」という要素の強かった火葬儀礼は、だから、「観光」ということと相性がいい。こうしてバリの葬送儀礼はいつのまにか観光資源になってしまったのだ。

カネのかかる葬儀

死と同時に、魂は肉体から抜け出す。バリではそう考えられているが、しかし魂はまだ未練たっぷりに遺体の近くをうろうろしているので、そういう執着を断つためにも、肉体は火葬によって完全に分解、浄化されなければならない。

アジア通貨危機インドネシアにも波及し、いよいよ危機的な局面を迎えていた1997年の12月、バリ島南部、ギアニャール県のマス村で、村の有力者の第二夫人が亡くなった。三人の妻を持っていた夫と第一夫人はすでに亡くなっていて、夫婦四人の中では第三夫人だけが最後に残された(映像は次節)。かつては名士が死ぬと、その貞淑な妻たちは後を追って殉死するのが望ましいと考えられていたのだが、ムサティアと呼ばれていたこの習慣はオランダ統治時代に禁止され、姿を消した。

火葬に適切な日は、バリ特有の暦にしたがって選ばれる。このときの葬儀の場合は死後一週間で火葬を行なうことが決定された。遺体は聖水で清められ、防腐剤が注入される。ただし、こんなふうに死後すぐに火葬が行なわれるのは、じつはそんなに一般的ではない。火葬には豪華な舞台装置とたくさんの人件費などのために、多額の費用がかかるからだ。このときの火葬にも、1200万ルピアの費用がかかったという。日本円に換算するにはこの数字を数十分の一にする必要があるが、現地の物価の水準も日本の数十分の一といったところだから、単純に考えて、このルピアをそのまま円に置き換えれば、だいたいの相場はわかる。一般の人たちはもっと簡素な葬式をするとしても、死者が出たからといってすぐ数日後に火葬を行なえるような経済的余裕はないのがふつうだ。


Preparing Cremation in Bali
火葬のために遺体を墓地から掘り起こす(ギアニヤール県)

この場合、遺体は火葬が行なえるだけのお金が貯まるまで、いったん墓地に埋葬される。そして、資金が十分にたまってから掘り起こされ、あらためて荼毘に付される。遺体は〈不浄(スブル)な〉ものであって、いつまでも村に埋めたままでは、そのうち村全体が〈不浄(スブル)〉になってしまう。何年もそのままにしておくと、ついには死者の魂は悪霊となって祟りをもたらすとされる。だから、最後にはかならず火葬にしなければならない。長い間地中に埋められていた遺体は骨だけになってしまうのがふつうだが、人々はその骨を掘り出してきれいに洗い、あらためて人間の形に並べ直してから、布でくるんで、肉のついた遺体と同じように火葬場に運ぶ。火葬の目的は、具体的な肉体を焼いて灰にすることなのではなく、〈ケガレ〉を象徴的に焼き払うことにあるのだ。

もちろん、このカネのかかる火葬の習慣には批判もある。カネのかからない葬儀をと政府がキャンペーンをしたこともあったという。しかし、むしろ最近は観光産業などで島が潤い人々が豊かになるにつれ、そういう意見も影をひそめてしまったらしい。それどころか、盛大な火葬儀礼そのものが、いつのまにか観光客誘致の目玉、外貨獲得の手段のひとつになってしまっているのが、皮肉な現状である。

楽しい火葬

「おかしなことのようだが、バリ人のいちばんの楽しみといえば火葬儀礼である」。1930年代にこの島を訪れたメキシコ人の画家M.コバルビアスは、その著書『バリ島』のなかで、多少の驚きを交えながら述べている。「火葬は浮かれ騒ぐときであって、喪に服すときではない。というのは、遺体を焼いて死者の魂を解き放ち、死者がもっと上の世界に到達し、もっとすばらしいものに生まれ変わるようにするこの儀礼を行なうことにより、人は神聖この上ない義務を果たすことができるからである」[*2]

火葬の当日。白い棺桶に入った故人の遺体は、バデと呼ばれる御輿に乗せられ、プトゥランガンという巨大な張子の牛の御輿といっしょに、屋敷から村の南側(海側)にある墓地に運ばれる。


Cremation Ceremony in Bali (1)
門から運び出される棺桶(ギアニヤール県マス村)

大音量でリズミカルな音楽を奏でるガムランの楽隊につきそわれた二つの御輿が、町内会(バンジャール)の人たちと、見物人でびっしり埋め尽くされた道路を、大きく上下左右に振れながら突進していく。観衆は御輿とぶつからないように逃げながらそれを追いかけていく。


Cremation Ceremony in Bali (2)

交通整理のお巡りさんがピーピー鳴らす笛が、その熱狂をさらに景気づけているように聞こえてしまう。まるで日本のお神輿だ。しかし、御輿に載っているのは、ご神体ではなく、ご遺体である。

墓地に到着した遺体は、緊張感に満ちたテンポの速い伴奏をバックに、バデから張子の牛、プトゥランガンに移し替えられる。そして、点火。観光客のカメラはいっせいに張りぼての牛に向けられる。日本製のガスボンベにつながれたバーナーが火を噴くと、オレンジ色の火の手はあっという間にプトゥランガン全体に回り、白くて美しい牛はほんの数分で黒こげになって焼け落ちる。


Cremation Ceremony in Bali (3)

せっかく緻密につくった牛の人形を燃やしてしまうのは、じつにもったいないような気がする。しかし、長年、私財を蓄え、手間ひまかけて一生懸命作ったものをあっという間に灰に返してしまうという、その瞬間に、祝祭のエクスタシーは頂点に達するのだ。

バリ語で「ンガベン」と呼ばれる火葬は、もともとインドから13世紀ごろに伝わった習慣だ。火葬という風習には、インド人の死生観がよく現れている。インドでは、肉体は魂の乗り物にすぎず、肉体が死ぬと魂は古い肉体を離れ、また新しい肉体に宿って生まれ変わってくると考えられてきた。そして、この繰り返される輪廻転生のサイクルから離脱し、肉体の制約から永遠に自由になることが理想とされた。だから、死は、魂が肉体の制約を離れて解脱できる重要なチャンスなのだ。凡人にはそれは無理にしても、来世はもうちょっと高い存在に生まれ変わりたい、と思うのだろう。とにかく、火葬は、少なくとも建前上は、喜ばしいことなのだ。バリの人たちにしても、身近な人が亡くなって悲しくないわけはなかろうが、葬儀の場ではそういう感情は露わにすべきではないと考えられている。楽しそうに騒いでいる人はいても、悲しみに泣き崩れているような人はいない。

日本人もバリ人同様、インド起源の火葬の習慣を受け入れた。しかし、焼け残った骨は全部捨ててしまわないで一部を大事に持ち帰り、墓におさめる。焼かれゆく遺体にもある種の人格を認めているのだ。いっぽう、バリ人の遺体の扱いはあっさりしたものだ。遺体を焼くおじさんは、タバコを口にくわえ、まるでゴミでも焼くかのように、慣れた手つきで黒こげの遺体を火かき棒でつついている。重要なのは故人の魂なのであって、遺体はたんなる抜け殻にすぎないのだ。


Cremation Ceremony in Bali (4)

張り子の牛はすぐに灰になってしまうが、ひとりの人間の肉体を灰になるまで焼くには何時間もかかる。遺族や手伝いや見物人たちは午後の強い日差しを避け、じっと木陰に座って時を過ごす。御輿の行列や燃えあがる牛棺に熱狂していた人々も、かんじんの故人の遺体にはあまり関心がないようにみえる。バリの社会には精神と身体を明確に区別し、精神を清浄なものと考える一方で、身体を穢れたものとして劣位におくというはっきりした観念がある。日本人の場合、火葬という習慣は導入したものの、そこまで徹底した考えを受け入れようとはしなかったのだ。

海が象徴するもの


Cremation Ceremony in Bali (5)
(ギアニヤール県マス村)

火葬の翌日。遺灰はヤシの実の殻に収められてバスに乗せられ、南へ20キロ離れたサヌール村の海岸に向かう。そこで遺灰を海に流すのだ。墓地は死者にとって永住の地ではない。


Cremation Ceremony in Bali (6)
サヌールの海岸)

サヌールは代表的なリゾートビーチのひとつだが、そのすぐ横では死者の遺灰が海に流されている。おおくの観光客にとってバリはビーチリゾートの島なのだが、バリの伝統的な世界観の中では、山が生と結びついた清浄な場所であるのに対し、海は死と結びついた不浄な場所だと考えられている。だから、海でなど泳いだことはない、という人も少なくない。精神が清浄で、身体が不浄という二元論が、象徴的に地形に当てはめられ、山の方角(カジャ)が高い方角・清浄な方角・生の方角・善の方角・右の方角と、海の方角(クロッド)は低い方角・不浄な方角・死の方角・悪の方角・左の方角とされる。この象徴的二元論はバリ人の生活のあらゆる側面に基準を提供している。踊りを踊るとき、楽器を演奏するときなども、つねに、自分を基準とした前後左右よりもむしろ、このカジャークロッドを基準にして方向を考えるという。同じような二元論はバリだけでなく、世界中にみられる(表2)。

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表2 人間社会に広くみられる象徴的二元論

日本人は[バリ島南部とは逆に]北を死の方角、南を生の方角と考え、北に頭を向けて寝たがらない。英語のrightという言葉は、右が善だという観念を一語で示している。


Cremation Ceremony in Bali (7)
サヌールの海岸)

海岸に到着した遺族たちは、浜辺にござを敷いてそこに並んで座り、海に向かって三度、最後の祈りを捧げる。アメンボのような形の船が迎えに来て、数名の遺族が乗り込む。遺灰は最終的に彼らの手で海に撒かれる。いつのまにか陽は沈み、あたりはすっかり暗くなっている。第二夫人の遺灰を乗せた船はゆっくりと沖に向かってこぎ出して行き、やがて真っ黒な水平線に吸い込まれるように消えていった。

儀礼の象徴性

バリでは成人式の一環として、ムサンギー、またはムパンダスと呼ばれる儀礼を行なう。青年男女は儀礼用のベッドに横たえられ、切歯と犬歯の先端をヤスリで削って平らにしてもらう。


Mepandas Ceremony in Bali (1)


Mepandas Ceremony in Bali (2)
ムパンダス(ギアニヤール県プリアタン村)

最近では形式的にごく簡単にやることが多いのだが、本格的に削りすぎてしまうと、冷たい水や熱いコーヒーが、飲むたびに歯にしみるという苦しみと一生を共にしなければならない。尖った歯は、人間の内なる獣性を象徴しており、それを削って平らげることは、無意識にひそむ邪悪な六つの敵、つまり、貪欲・傲慢・色欲・嫉妬・憤怒・放逸を平定することを意味している。そうすることで、はじめて一人前の人間になることができるのだ。うっかりこの儀礼をやらないまま死ぬと、とがった歯で木の幹に噛みつかされ続けるという地獄におちる、という言い伝えもある。それで、死者がまだ削歯儀礼を終えていない場合は、火葬の前にあわてて歯をけずるという。

そういう話を聞くと、人類学者は、ナルホドそうですかと頷いてみせながら、話の合間を見計らっては、聞いたことをささとノートにメモする。しかし、内心ではこんなおかしな説明があるかと思っていたりもする。たかが歯を削ったぐらいで色欲や傲慢さがなくなるはずがない。こんな痛くて不健康そうなことにいちいちお金と労力をかけるのは馬鹿げたことではないか。

いろいろと儀礼のようなものを研究してはいるが、僕自身は、皆で踊り狂って恍惚となるような楽しい儀礼は好きだが、あまり格式ばった儀礼はどうにも窮屈で好きではない。外部から観光客的に見ているぶんにはいいが、実際に自分がやるとなると面倒くさそうである。が、心中でいろいろ思っていても、人類学者や民俗学者は、とりあえず伝統文化に敬意を表することにして、現地の人たちの話を素直に聞くように、職業的にトレーニングされている。不用意に批判的なことを口にするのは禁忌(タブー)なのだ。

歴史を振り返ると、現代の文化人類学は西洋の自民族中心主義(エスノセントリズム)への反省を背景に成り立ってきた。たとえばスペイン人がアステカにやってきて、生きた人間を供犠したり幻覚キノコを食べていたりする人々を見て、なんと悪魔的なのだろうと決めつけて、領土的野心もあったに違いないのだが、彼らの文化を根こそぎ破壊してしまった。そういうことに対する反省として文化相対主義があらわれてくる。たとえ一見奇妙な事でも彼らがやっていることにはそれなりの意味があるのだから、その文化に属さない外部の者が、いちがいに野蛮だとか遅れているとか決めつけることはできない。とはいえ相対主義が行きすぎると、生きた人間の心臓をえぐり出す儀式も、「未亡人」が火葬のときに火に飛び込んで殉死するのも、すべて守り伝えていくべき伝統文化だということになってしまう。

肝心なことは、奇妙な風習をただ否定するのでも、伝統として手放しで賛美するのでもなく、その儀礼がなにを象徴しているのか、その意味を解読することである。もし、歯を削るという儀礼が、感情をコントロールできる人間になることを象徴しているということがわかれば、代わりにもっと有効な心理学的トレーニングの方法を採用したほうがいいのかもしれないし、「未亡人」の殉死が貞節という美徳を象徴しているのなら、女性の社会的立場が変化した現代には、そういう美徳自体が不必要だと、あらためて判断できるかもしれない。

動物性の嫌悪

人間は、自分が動物であるくせに、「動物的な」ものを忌み嫌う。食事、排泄、性交などの、生理的な行為を恥ずかしがる。セックスや排泄はともかく、食事が「恥ずかしい」というのは、美食家の日本人には理解しにくい。しかしたとえばバリには家族そろって食事をするという習慣がない。一日の食事は朝のうちに台所につくっておいて、めいめいがお腹が空いたときにやってきて、そそくさと食べて帰っていく。バリの伝統的な家庭では、食事が一家の団らんになることはありえない。バリ人だけでなく、世界中の多くの民族が、家族でいっしょに食事をするという習慣を持たない。とくに、男女が共に食事をすることを禁忌(タブー)としている社会は多い。食事は、大げさに言えばトイレに行くのと同じような、恥ずかしい「動物的」行為なのである。

「人間とは、自然を否定する動物である」とフランスの特異な思想家バタイユは言う。「人類全体が、自分の賤しい出自を恥じる成り上がり者の集団に似ている。人間は、自分の賤しい出自を暗示するものを遠ざける」。そして人間は「動物的な肉の世界を光から遠ざけ、人目につかない夜のなかに閉じこめ」てしまったのである[*3]。昼と夜、光と闇、白と黒、善と悪の二元論は、世界中に存在し、しばしば悪魔的な存在は動物的な存在として描かれる。しかし、西アジアや西洋世界では、最終的に善は勝ち悪は滅ぼされると考えるのに対して、バリ人はそうは考えない。多神教的なバリ人の信仰世界で重要な位置を占める一組の霊的存在が聖獣バロンと魔女ランダである。バロンは獅子舞の獅子のような姿をしていて、男性性、理性、白い呪術、右の呪術を象徴している。これに対しランダは長い牙を生やした老婆の姿をしており、女性性、獣性、黒い呪術、左の呪術を象徴している。バロンは動物で、ランダは人間だが、そこに付与されている属性は、むしろ逆である。チャロナランという儀礼劇や、それを観光用に再構成したバロンダンスという出し物のなかで、バロンとランダの戦いが描かれるが、両者の戦いには決着がつかず、あいまいなまま幕切れとなる。善が勝って一件落着になってほしいと思って観ている観客には不満が残るが、バリの世界観の中では、むしろ悪は滅ぼされてしまっては困るのだ。バリ人は、理性のコントロール下におくことができない強力な力を、ただ〈穢れた〉邪悪なものとして忌避しているばかりではない。その邪悪な力は、適切な儀礼をほどこすことによって、反転し、人間を守る〈聖なる〉力にもなると考えているのだ。


Barong Dance in Bali (1)
チャロナランが観光化されたバロン・ダンス(ギアニヤール県バトゥブラン村)


Barong Dance in Bali (2)
聖獣バロンの登場


Barong Dance in Bali (3)
魔女ランダが現れ、邪悪な呪術でバロンを退却させる


Barong Dance in Bali (4)
クリス(剣)を持った戦士たちがランダに挑むが、黒呪術で倒されてしまう


Barong Dance in Bali (5)
司祭が聖水によって倒れた戦士たちを立ち上がらせるが、まだ呪術から醒めない戦士たちは自らをクリスで切りつけてしまう

したがって、二元論に彩られているバリ島民の世界観も、この逆転を含めると、やはり世界各地でみられる三層構造になる。人間の住む平地が〈俗なる〉世界で、山や天は神々や祖霊の住む〈聖なる〉世界、そして、地下や海は〈穢れた〉世界で、魔物や悪霊の住むところとされている。生の世界の外部に存在する死の世界には、〈穢れた〉地獄的側面と、〈聖なる〉天国的側面の両面があるからだ。

もちろん、潜水艦でバリ島の近海をくまなく探査しても、魔物など見つかるはずはない。だからといって、バリ人の世界観を、たんなる迷信といってかたづけてしまうわけにはいかない。太陽の光の届かない深く暗い海は、理性の光の届かない無意識の闇を象徴しており、そこに住む魔物たちは、理性によっては統御しきれない、しかし同時に理性によっては対処不能な問題を解決することもできる、無意識の力を象徴している。世界観は象徴として解釈されなければならない。遺体を焼いた灰は〈穢れた〉ものとして海に返すが、同時に、火葬によって肉体から完全に切り離され、解き放たれた魂は天界へと昇っていき、その後、浄化儀礼によってさらに浄化され、次の肉体をもって生まれ変わってくるまで、〈聖なる〉祖霊カウイタンとして屋敷の山側の社にまつられる神となる。

〈不浄〉から〈聖〉への反転

バリ島には、サンギャン(サンヒャン)という、シャーマニズム的な祓魔儀礼が伝えられている。レゴン・ダンスの原型といわれるサンギャン・ドゥダリ(天女のサンギャン)では、二人組の少女に天女が憑依するが、むしろ他の多くのサンギャンでは、男たちに、もっと〈不浄な〉存在である悪霊や馬、豚、猿などの動物が憑依する[*4]


Kecak Dance in Bali
ケチャは、サンギャンの儀礼ラーマーヤナの物語を組み合わせてつくられた演劇である(ギアニヤール県ボナ村で上演されたもの)


Sangyhang Jaran in Bali
サンギャン・ジャラン(ギアニヤール県ボナ村で上演されたもの)

隣のジャワ島にも、ジャティランという、半ば大道芸化したトランスダンスがあって、やはり動物霊に乗っ取られた男が四つん這いで走り回り、桶に頭を突っ込んで水をがぶ飲みする。こうした儀礼の中で、踊り手が動物的な力に乗っ取られてしまったとき、心理学的にいうなら、踊り手が意識の状態を変容させ、自らの内部に抑圧されていた「動物的な」感情を解放し、その力に自らを明け渡してしまうとき、動物的な力はもはや〈不浄な〉力としてではなく、むしろ災厄を祓う〈聖なる〉力として立ち現れてくる。

バタイユによれば、二度の「否認」が〈聖なるもの〉をつくりだすという。〈動物〉から〈人間〉へ、〈自然〉から〈文化〉への移行段階で、「第一の否認」が行なわれる。獣性に対する嫌悪から動物性が否定され、その上に人間的な世界が成立する。ただしここで動物性というのは具体的な動物の属性ではなく、人間が人間的と考えるものの陰画としての動物性である。〈自然〉から〈文化〉が生まれるのではなく、〈文化〉がつくりだされることで、その影の部分に〈自然〉というカテゴリーが成立するのだ。われわれは汗や排泄物や経血や死体に不快な匂いを嗅ぎ取るが、多くの動物はこうした臭いを不快とは感じてはいない。犬などはむしろ排泄物の匂いが好きそうにさえみえる。犬は服を着ていないが、裸で恥ずかしいとも思っていない。人間が服を着ることによってはじめて、その影の部分に、恥ずかしい裸という領域が成立する。〈俗なる〉労働の領域では、服を脱いで裸になることは禁止されているが、いったん禁止されることで設定された〈動物的〉な領域が、あらためて侵犯されるとき、それはもはや〈動物的〉な領域としてではなく、〈聖なる〉祝祭の領域として立ち現れてくる。これが「第二の否認」である[*5]。わざわざ服を着ることを義務づけておきながら、その上で服を脱ぐという倒錯した手続きを経てはじめて、エロティシズムという〈聖なる〉感覚が産み出されるのだ。

このことを心理学的にいいかえるなら、第一の否認とは、意識の発生によってその影の部分に無意識という領域がつくられることであり、第二の否認とは、抑圧されていた無意識的な情報が意識に上ってくることを意味する。しかし意識と無意識の境界が崩壊し、無意識の情報が意識の領域に侵入してくるということは、意識を失うということを意味しない。意識は保たれたまま、意識の状態が変容し、むしろ意識の領域は拡張する。これが、変性意識状態と呼ばれる状態だ。しかし、「変性」という言葉にはやや否定的なニュアンスがある。むしろ、この拡大した意識の状態は、超意識とでもいうべき、より覚醒した状態なのである。

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図2 禁止―侵犯による聖性の顕現

霊力の顕現

もし、この超越的な変性意識状態に入る能力が、意識の進化とともに発達してきたもので、ホモ・サピエンスに生得的なものだとすれば、それにはどのような適応的意味があるのだろうか。

狩猟・採集社会におけるシャーマンの役割は多面的である。シャーマンはまず共同体のリーダーであり、狩猟儀礼をつかさどり、死者の魂の導き手であり、予言者であり、病気治療者でもある。しかしより分業が進んだ社会では、政治を行なう首長、公的な儀礼をつかさどる祭司が分化し、憑霊型シャーマンはもっぱら占いや病気治療などの私的な領域を扱う。

こうしてみると、変性意識状態を活用する職能者、シャーマンが、意識の状態を変容させるがゆえに遂行できる業務は、やはり占いや病気治療だということになる。しかしそれなら、占いや病気治療を行なうのに、なぜ意識の状態を変容させる必要があるのだろうか。第一に考えられるのは、そうすることによってサイ(ESP=超感覚的知覚やPK=念力)のような、霊的な力を発揮しやすくなる、という可能性である。

夢見、催眠、瞑想、感覚遮断など、さまざまな変性意識状態では、通常の意識状態よりもESP実験のヒット率が高くなるという報告がある[*6]。また、通常の意識状態にあるときでも、意識的な言語報告よりも、意識されない生理的指標を基準にした方がESPテストの成績が良いという実験もある[*7]ユング集合的無意識というアイディアによると、われわれの無意識の深い部分では、通常の時間や空間の制約を超えた情報がやりとりされているという。しかし、時空を超えたさまざまな情報が一度に意識に入り込んできてしまったのでは、かえって混乱してしまい、日常生活には支障をきたす。だから、日常的な場面ではそういう情報は意識の外側に閉め出しておき、必要なときにだけ意識の状態を変容させ、無意識の情報を意識に昇りやすくして、病気の原因や今年の米の収穫量などの必要な情報だけを、それができる技術をもった人物、つまりシャーマンがピックアップするようになっていると考えることができる。

もっともこれはひとつの仮説であって、ESPやPKが確実に存在するといえるだけの実験的証拠はまだ充分ではない。しかし、だからといってシャーマンたちがじっさいに霊力を行使しているという可能性も否定はできない[*8]。人類学者はふつう、霊的な作用が存在する可能性は考慮せずに、占いや治療のメカニズムを象徴的効果や社会的相互作用によって解き明かそうとするが、じっさいにその文化に属する人々に聞けば、霊的な力によって未来が見えたり、病気が治るのだと言うだろう。その言明が最終的に自然科学的にみて正しいかどうかは別にして、人類学者はまずその人たち自身の語りから出発しなければならない。つまり、霊的な力によって占いができると彼ら自身がそういうのなら、まずその霊的な力というものの性質を検討をするところから始めなければならない。

もし、霊的な力など存在するはずがないので、はじめから、その霊力なるものは何か別のものの象徴なのだろうという前提から出発するとしたら、それは根深い自民族中心主義(エスノセントリズム)だといわなければならない[*9]

たしかにシャーマニックな霊的治療は象徴的に行なわれることが多い。たとえばチベット人のシャーマンはクライアントの身体の、病気になった部位に筒を当て、ストローのようにして病気の原因である小石や粘液を吸い出し、クライアントの目の前に吐き出してみせる。これは通常トリックだと解釈される。象徴的なパフォーマンスだというのだ。それは、日本の「痛いの痛いの飛んでけ」というおまじないと同じようなものかもしれない。しかし、象徴的治療を行なうだけなら、なぜ変性意識状態に入らなければならないのだろうか。ある種の変性意識状態では被暗示性が高まるので、その人が持っている象徴的な体系をいったん壊して新しい体系を植え付けるというマインド・コントロールをすることには向いている。しかし、ふつう治療儀礼でトランス状態に入るのはシャーマンのほうであって、クライアントではないから、催眠療法とはまるでさかさまである。

また、シャーマンや占い師による占いは、シャーマンとクライアントとの対話が一種のカウンセリングとして機能していて、占い自体よりもそこに意味があるのだという考えもある[*10]。しかしバリでは、バリアンという呪術師に占いを依頼する場合、わざわざ自分が住んでいる村から遠く離れたところにいるバリアンの所に行き、自分がどういう境遇にあるどういう人物であるかについてもできるだけ話さないようにし、占いの内容にもイエスもノーも言わずにただ黙って聞く。さらに同じようにして違う場所に最低三人のバリアンを訪ね、全員の占いの内容が一致した部分だけを考慮の対象にするという。ここでは、バリの人たちは呪術師に、愚痴を聞いてもらうなどの、対話による癒しを求めているのではなく、ただ純粋に占いが当たることを求めているのである。


バリ島のバリアン
バリ島のプリアタン村に滞在していたときには、わざわざ遠く離れた村の、三人のバリアン(呪術師)のところまで連れて行ってもらった

正確にいえば「霊力」もまた他の社会制度と同様、象徴的に構築されたもので、霊魂という実体が存在するかのように考えることは、本質主義的な誤りである。しかし、神や精霊という実体(モノ)を仮定せず、それが社会的に構築されたものだという立場に立っても、ESPやPKのような相互作用(コト)や、あるいは共時性のような非因果的連関の存在を排除することにはならない。儀礼が象徴的なものだとしても、それがただちに、まったく恣意的で無根拠だということを意味しない。

イギリスの人類学者J.フレイザーがその大著『金枝篇』の中で、世界を法則性に基づいて操作しようとする試みのうち、正しいものを科学、間違ったものを呪術と、あらかじめ定義してしまって以来[*11]、「呪術」といえば自動的に、誤った因果関係の認識にもとづく実践を意味することになり、その後の文化人類学者や社会心理学者たちは、人はなぜ間違った因果関係を信じてしまうのかという問題ばかりを扱うことになってしまった。しかし、このフレイザーの定義は、一見呪術的に見える実践の中に、正しい因果関係、彼の言うところの科学の要素が含まれている可能性を排除してはいない。

共同体の〈死と再生〉

臨死体験は、たとえそれが死後の世界を垣間見る体験でもなく、ESPのような「超常的」な要素も含まない、たんなる幻覚だったとしても、体験した本人にとってはなお決定的に意味深い出来事だ。臨死体験者は臨死状態という究極の変性意識状態のなかで人生の意味を再発見し、ふたたび現世に戻ってくる。

意識の状態を変容させるということは、外界に対する認知のモードを変えることでもある。変性意識状態においては、日常的な認知の枠組み(フレーム)が一旦停止し、通常はトップダウンな注意のフィルターによって選択的に排除されてしまうような余分な感覚情報、または内部からの心的イメージなどの情報が意識にのぼりやすくなる。アメリカの心理学者A.ダイクマンは、変性意識状態を、認知の「脱自動化」としてとらえている[*12]。日常的なものの見方の枠組み(フレーム)では解決できない問題に突き当たったとき、変性意識状態に入ることで、「オート」で処理されてきた「常識」的情報処理を一旦停止し、無意識からの情報も参照しながら、今までの日常的なものの見方をひとつひとつ「マニュアル」モードで再点検していく。変性意識状態やトランス状態というと、どこか通常の意識状態よりも覚醒水準が下がってしまうかのように思えるが、そうではない。日常的なリアリティへの注意力は低下するが、全体的な覚醒水準はむしろ上昇する。アメリカの心理学者C.タートによれば、むしろわれわれは日常生活の中で、自分自身が所属する文化からの反復的暗示によって誘導される文化的な催眠状態にあり、自動運転状態にある[*13]。認知の「脱自動化」は、その文化的催眠状態から覚醒することを意味しているのだ。そうやってシャーマンは問題を解決し、臨死体験者は人生の意味を再発見する。

臨死体験は個人的な〈死〉と〈再生〉の体験だが、悪魔払いのようなシャーマニズム儀礼の場合は、変性意識状態の効果が社会的に共有され、それは社会的な〈死〉と〈再生〉の体験となる。シャーマニズム的実践はつねに、――私的なものであれ公的なものであれ――儀礼という文脈の中で行なわれるが、個人的な変性意識状態が社会的に共有されると、既成の社会秩序の停止、あるいはその象徴的な逆転が起こり、日常の「構造的局面」に対し、非日常的な「反構造的局面」、「コムニタス」や「オルギア」と呼ばれる状況が出現する[*14]。このことは、既存の社会的秩序を一旦無効化し、社会的な緊張から人々を解放すると同時に、共同体の秩序の再構築を準備する。イギリスの社会人類学者E.リーチは、儀礼の一般的な時間構造を、聖化の儀礼による<死>→聖なる仮死状態と日常的時間の停止→脱聖化の儀礼による<再生>と世俗的時間の再開、と整理しているが[*15]、これは、ちょうど、コンピュータのオペレーティング・システム(OS)がコンフリクトを起こしフリーズしてしまったときに、リセットしてシステムを再起動する作業と似ている。村にとりついた悪魔を祓う儀礼は、共同体のOSをリセットする作業なのだ。

循環する時間

バリ社会には二種類の暦がある。ひとつは太陰暦であるサカ暦ヒンドゥー=バリ暦)で、355日前後のサイクルをもつ。もうひとつがバリ特有の暦、ウク暦(ジャワ=バリ暦)で、210日を一年として一回転する。ウク暦にしたがって、ガルンガン、クニンガンという、日本のお盆のような行事が行なわれ、またそれぞれの寺院が創立記念日を祝うオダランという祭りが行なわれる。


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Odalan in Bali (Daytime-1)
ギアニヤール県でのオダラン

この二つの暦が、大きさの違う歯車が噛みあって回転するように連関しあいながら、バリ人の生活が成り立っている。これに対して、非常に古い時代から伝えられてきたと考えられるサンギャンは、疫病、飢饉、戦争などの問題が発生したとき、必要に応じて不定期に行なわれるものだった。しかし近年はバリ社会が豊かで安定したものになったせいもあり、芸能として以外にはあまり行なわれなくなった。ガルンガンやクニンガン、オダランでも儀礼が集団トランスになってしまうことがあるが、しかし祭りの中心は、あくまでもプダンダ、プマンクーという祭司たちがとり行なう儀式のほうである。


Odalan in Ubud, Bali (1)


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ギアニヤール県ウブッド村のオダランで、男たちが集団トランス状態になっている

一般に、狩猟採集社会における狩猟儀礼や、シャーマニズム儀礼は、必要に応じて不定期に行なわれる。クライアントがシャーマンに問題を持ち込み、それに応じてシャーマンが儀礼をとり行なう。いっぽう、農耕社会、とくに夏と冬、雨季と乾季が周期的に巡ってくるような社会では、周期的に行なわれる農耕儀礼が社会のなかで大きな役割を果たすようになる。農耕社会の日常には、収穫を期待して禁欲的に労働するための〈俗なる〉時間が流れているが、収穫を祝う祭りでは〈俗なる〉時間、日常的な社会秩序は停止し、〈聖なる〉祝祭的状況が出現する。そして共同体全体がリセットされ、ふたたび次の〈俗なる〉時間のサイクルが始まる。こうして、円環的な時間が支配する社会では、人々の過剰な欲望は定期的な祝祭によって蕩尽され、共同体の秩序は定期的にリセットされることになる。そこでは、狩猟採集社会では社会の中心にあった、不定期なシャーマニズム儀礼は社会の周縁部に追いやられてしまう。

いっぽう、必ずしも差し迫った必要性がなく定期的に行なわれる儀礼は形骸化しやすく、現代の日本の盆踊りのように、集団トランスを伴わないものに変容してしまうことが多い。さらに人々は、毎年定期的に儀礼を行なうということじたいに条件づけられ、それじたいによる文化的な催眠状態におちいってしまう。こうして円環的な時間が支配する社会では、原初のシャーマニズムがもっていた、日常性を破壊する力強いエネルギーは形骸化して衰えていく。



蛭川立 (2002). 『彼岸の時間―〈意識〉の人類学』春秋社をもとに、加筆修正。修正前の文章は「象徴としての世界ーバリ島民の儀礼と世界観ー」にアップしてあります。
 
記述の自己評価 ★★★★☆
2002/11/20 JST 公刊
2018/04/15 JST 電子版作成
2020/12/07 JST 最終更新
蛭川立

*1:ベネデイクト、R. (1967) 『菊と刀――日本文化の型』 長谷川松治訳、 社会思想社、 p.257。

*2:コバルビアス, M. (1991) 『バリ島』 関本紀美子訳、 平凡社、 p.352。

*3:バタイユ, G. (1987) 『エロティシズムの歴史』 湯浅博雄+中地義和訳、 哲学書房、 pp.83-84。

*4:嘉原優子 (1994) 「儀礼としてのサンギャン」、 河野亮仙+中村潔 [編] 『神々の島バリ』 春秋社、 pp.91-110。

*5:バタイユ、 前掲書、 pp.127-128。

*6:Honorton, C. H. (1977). Psi and internal attention states. In Wolman, B. B. (Ed.), Handbook of Parapsychology. New York: Van Nostrand Reinhold Co., pp. 435-472.

Handbook of Parapsychology

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*7:Warren, C. A. et al. (1992). Event-related brain potential change in a psi task. Journal of Parapsychology, 56, 1-30;Bierman, D. J. and Scholte, H. S. (2002). A fMRI brain imaging study of presentiment. Journal of Internatonal Society of Life Information Science, 20, 380-388.

*8:変則的(霊的)治癒の実験的データについては Krippner, S., and Achterberg, J.(2000). Anomalous healing experience. In Cardenha, E., Lynn, S. J., and Krippner, S. (Eds.) Varieties of Anomalous Experience: Examining the Scientific Evidence. Washington, DC: American Psychological Association. pp.353-396. にレビューがある。

*9:サイの存在が受け入れがたいもののように思われるとすれば、それが時空や物質の実体性という日常的な概念の根本的な変更を要求しているからだろう。社会現象に対しては構築主義者である現代の多くの社会科学者たちも、時空や、ひょっとすると物質さえもが間主観的に構築された概念なのだというところまでは徹底した立場をとることができず、根本的なところでは本質主義的な素朴実在論に退却してしまうことが少なくない。そこには、日常的なリアリティが崩壊することに対する、いっしゅの本能的な恐れ(畏れ?)があるのではないだろうか。逆に、霊的な実体の存在をナイーブに信じていて、霊的なものの科学的な研究などしないほうがいい、あるいはできないと考えている人でも同じことだろう。意識の状態を変容させ、日常とは異なるリアリティを知覚する能力が人間の生得的な能力だとすると、ふだんは日常的なリアリティが壊されないように、それを守ろうとする本能的な恐れの感覚も、あわせて脳に配線されていると考えることができる。

*10:たとえば、福島哲夫+塩月亮子 (1992) 「『かたり』としての沖縄シャーマニズム――その癒しの生成についての試論」 プシケー、 11号、 pp.73-91 にそうした意見が述べられている。たしかに沖縄の場合にはこの考えはかなり当てはまる。しかし世界的にみると、たとえばネパールに亡命してきているチベット人のシャーマンのもとには、ほとんど言葉の通じないネパール人のクライアントも多数やってくるし、同じような現象は、たとえばアマゾン上流域でもみられる。この点については、山本誠 (2002) 「幻覚剤と治療――カネロス・キチュアの治療儀礼を手がかりに」 武井秀夫+中牧弘允 [編] 『サイケデリックスと文化――臨床とフィールドから』 春秋社、 pp.173-202 に詳細な議論がある。

*11:フレイザー, J. G. (1951) 『金枝篇(1)』 永橋卓介訳、 岩波書店、 p.128。

あるいは、呪術とは、共時性という、因果性とは独立の原理にもとづく実践なのかもしれない。もしそうなら、因果性にもとづく実践と、共時性にもとづく実践の、どちらが正しいかという議論じたいが意味をなさない。近代社会は因果性の原理にもとづく科学技術を高度に発展させてきたが、それは因果性が正しい世界認識で、共時性が誤った世界認識だったからではなく、たんに因果性の原理のほうが近代社会のイデオロギーに親和性があったというだけなのかもしれない。箭内匡 (1985) 『アマゾン上流域における幻覚・治療・芸術』 (東京大学大学教養学部文化人類学修士論文)、 pp.376-399にこの点についての詳細な議論がある。

*12:「脱自動化」の原語は"deautomatization". Deikman, A. J. (1969). Experimental Meditation. In Tart, C. T. (Ed.), Altered States of Consciousness. New York: Anchor Books. pp.203-223.

*13:タート, C.T. (2001) 『覚醒のメカニズム――グルジェフの教えの心理学的解明』 吉田豊+大野純一訳、 コスモス・ライブラリー、 pp.137-173。

*14:ターナー, V.W. (1996) 『儀礼の過程』 冨倉光雄訳、 新思索社

*15:リーチ, E. (1990) 「時間の象徴的表象に関する二つのエッセイ」 『人類学再考』 青木保井上兼行訳、 思索社、 pp.207-231。