蛭川研究室

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【講義ノート】「人類学B」2020/11/30

人類学Bの講義ノートです。11月30日、月曜日に向けて、制作中です。

本日の内容は「交換が作る社会 ー ミクロネシア・ヤップ島の〈原始〉貨幣経済 ー」【必読】に尽きるのですが、しかし、いきなり、ミクロネシアってどこ?ヤップ島ってどこ?という地理的なイメージがつかめないでしょうから、先週から引きつづき、日本の東京から、ゆっくり視野を南下させましょう。

先週の授業では、私じしんが西太平洋を移動していったルートについて、お話しました。
hirukawa.hateblo.jp

日本の隣国を列挙してください、日本と国境を接しているのはどこでしょう、と問われたとき、陸上で国境線が引かれている国はありませんが、小さな島々を巡って、国境についての議論があり、ロシア、韓国、中国などは、すぐに思いつきます。

しかし、東京から南へ、伊豆諸島、小笠原諸島、硫黄諸島と、海溝に沿って島が並んでいて、その先に、国境線を越えて、北マリアナ諸島があるのは、意外に知られていません。北マリアナ諸島と、その中にあるグアムは、アメリカ合衆国の一部に準ずる地域でもあり、自治国家のような地域です。

さらに南に行くと、ミクロネシア連邦があります。地理的には、カロリン諸島と呼ばれる島々です。

太平洋諸島に住む人々が、オーストロネシア語族というひとつの語族〜民族グループである、というお話はしましたが、それが、たくさんの国家に分かれているのは、おもに、外部からの植民地支配の歴史とかかわっています。

フィリピンからマリアナ諸島カロリン諸島にかけてのエリアは、まずスペイン領になりました。その後、フィリピンはアメリカ領になり、他の島々はドイツ領になりました。第一次大戦でドイツは敗北し、連合国側だった日本が国際連盟から委任統治され「南洋群島」という名前で呼ばれるようになりました。第二次大戦では日米の戦場となり、戦後、連合国側だったアメリカの信託統治領「Trust Territory of the Pacific Islands」となりました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/TTPI-locatormap.png
濃い青の部分が、アメリカが信託統治していた地域

委任統治とか、信託統治とかいうのは、そこを統治していた国が敗戦し、海外領土から撤退した場合、戦勝国がいったん仮に統治して、将来的には独立してもらうという、そういう統治の仕組みです。

この地域でいちばん大きな島であるグアムには米軍基地があり、グアムだけはアメリカ合衆国の「準州」となっています。それから北マリアナ諸島は、準州ではない、自治領です。マーシャル諸島は、ビキニ環礁など、アメリカの水爆実験が行われた場所で、やはり米軍基地との関係で、マーシャル諸島共和国として独立しました。パラオ地域は、ベラウ連邦として独立しました。ヤップ、チューク、ポーペイ、コスラエ4地域は、単独では独立できず、これが4州からなる連邦国家ミクロネシア連邦となりました。そして、ヤップ州の中でいちばん大きな島が、ヤップ島です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/06/Map_of_the_Federated_States_of_Micronesia_CIA.jpg
ミクロネシアの四州(西からヤップ州、チューク州、ポンペイ州、コスラエ州)

米軍基地との関係という問題では、これは遠い南の島の出来事ではなく、日本とも連続しています。日本も、第二次大戦後、アメリカを主とする連合国の暫定統治下に入ったという点では、同じだからです。米軍が駐留したまま、本土が先に日本国として独立しましたが、沖縄ではまだアメリカ統治が続きました。沖縄は日本国とは独立した国として独立するという話もあったそうですが、その後、日本国の一部になりました。沖縄には米軍基地が多く、そのことが問題になっているのは、ミクロネシア地域と連続しています。しかし、政治問題はこれぐらいにしましょう。

ようするに、ミクロネシアという地域は、日本とは連続した地域であり、じっさい日本統治時代には日本語教育も行われていたため、その時代に教育を受けた人々は、すこし古風な日本語を話したものでした。戦場にならなかったヤップ島などでは、子どものころを懐かしんで日本語の童謡などを楽しそうに歌っていました。(もっとも、私がこの島々と行き来していたのは1990年代の話で、その後、日本統治時代を知る人は減っていきました。)


ミクロネシア・ヤップ島(拡大してください)

先週のGoogleマップをもう一度貼りつけておきます。ここが、最初に上げた教材の舞台です。

オセアニアという地域全体について、人類学的な視点から「オセアニア」【必読】に概要を書いておきました。

高温多湿の地域ですが、稲作は伝わらず、根栽農耕と漁撈を生業としているところが、縄文時代中期〜後期ぐらいの文化が残っているという雰囲気を感じさせます。しかし、原始時代そのままの生活をしているというわけでもなく、独特の巨石文化が発達したところでもあります。

離島に行くと上半身裸で暮らしている人たちがいて、それがまた原始人的なイメージを感じさせるのですが、公共の場では上半身は露出しても良いが、脚を露出すると裸と見なされるとか、手にカバンを持って歩くのがマナーで、手ぶらで歩くのは非常識だとか、手ぶらで歩いているところを人に見られた場合には、慌てて木の枝を折って手に持つことで体裁を整えるなど、むしろ礼儀作法には厳しく、そこは、むしろ日本人の社会と似ているところがあります。

ヤップでは飲まないのですが、ミクロネシアでも東半分、ポーンペイとコスラエ、それからメラネシアポリネシアにかけては、カヴァという植物のお茶(華和茶)の「茶会」が行われます。そのお作法が格式張っており儀式的なところは、日本の茶道とそっくりです。このことは「南島の茶道」や、「密林の茶道ー茶の湯の人類学ー」に書きました。

逆にいえば、日本人の社会のほうが、中国や韓国などよりも、西太平洋諸島民の文化と共通性を持っている、ともいえます。拙著『彼岸の時間』の「理性と逸脱」(パスワードが必要です)の章にも、こうしたミクロネシアの文化の特異性について書きました。

熱帯の根栽農耕民は労働時間が短い、ということはリンク先の教材に書きました。『彼岸の時間』の別の章にも「貧しい〈北〉と豊かな〈南〉」という部分で、ミクロネシアのことにも触れています。熱帯はノンビリしているというイメージもあれば、発展途上国は貧困というイメージもあります。増加した人口が貨幣経済に巻き込まれながら都市に集中していく、という社会構造の問題があります。では田舎は豊かかというと、ノンビリしていて豊かであるいっぽうで、島国的、村社会的なところもあり、人口が少ないがゆえに、狭い村の中でお互いに気を使ってしまって悩んでしまうという、食べものには困らなくても人間関係のしがらみは大変というのは、南の島でも日本の田舎でも、似ているところがあります。



CE 2020/11/29 JST 作成
CE 2020/11/30 JST 最終更新
蛭川立