蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「人類学B」2021/11/09 CE 講義ノート

人類学の授業も、自然人類学から文化人類学へと話題を移していきます。自然の一部、動物としての人間という側面から、文化を持ち、文化の中で生きる人間という側面へ、という議論です。

わかりやすい例としては、生物としての生殖と、文化的な仕組みとしての婚姻や親族との対比です。同じ場所に住むといった物理的行為、性行為のような生物学的行為とは別に、婚姻制度や、住民登録、日本なら戸籍といった文化的制度があります。その制度に応じて、姓名があります。

あるいは、物々交換だけでなく、貨幣というものがあります。貨幣経済での「豊」は、貨幣を介して、数字であらわされます。天体の運動に対応して、暦があります。1日、1ヶ月、1年というサイクルには天文学的根拠がありますが、1週間には天文学的根拠がありません。

同じ婚姻制度でも、一夫一妻婚だったり、一夫多妻婚だったり、あるいは同性婚とか、事実婚といった枠組みもあります。暦も、文化によって違います。地球や月の運動とはまったく関係のない暦も多々あります。同じ1年でも、どこを新年とするのかも、文化によって違います。同じ日本であっても、冬至新暦のお正月、旧暦のお正月、新年度といった、複数の仕組みが同時に存在しています。

婚姻制度や、あるいは7日で1週間という文化は、なくても生きていけます。ではなぜ存在するのかというと、ひとつには、社会を作って生きていく中で、便利だからです。しかし、ただ便利だというだけでもありません。7日で1週間というのは、1ヶ月や1年の長さとは無関係で、かえって不便です。婚姻という制度があると、財産の共有や相続などを行う上で、便利ですが、結婚するというのは、もっと象徴的な意味を持ちます。ただ便利だという理由よりも、もっと強い意味を持ちます。あるいは、夫婦は同姓か別姓かという議論もありますが、姓、名字というのも、なくても生きていけますし、便利だからという理由以上に、同じ家族だという、象徴的な意味を持ちます。

象徴という言葉が出てきましたが、たとえば天皇は日本国の象徴であると憲法には書いてあります。首相とは別で、選挙で選ばれるわけでもなく、政治的な権力も持ちません。あるいは、国家には国旗や国歌があります。長方形の布を棒の先につけてはためかせたりする、こういうものが象徴です。他の動物にはない、人間という動物のもつ、文化の特徴です。

象徴と文化、ということですと、人類学で、教科書的にわかりやすい文化として、インドネシアのバリ島があります。バリ島では大規模な火葬儀礼が行われますが、葬送儀礼、お葬式もまた、文化的、象徴的な行為です。これから数回の授業は、インドネシアのバリ島に飛んで行って、続きの話を進めていこうかと思います。サルの社会行動や脳の進化と文化の進化といったテーマは後回しにしていますが、追ってまた。

さてインドネシアのバリ島ですが、拙著『彼岸の時間』に書いたものにカラー写真や動画を貼り付けて描き直したものを「象徴としての世界 −バリ島民の儀礼と世界観− (改訂版)」というタイトルでブログの記事としてアップしておきました。とても長い記事なので、今日のところは「『最初の楽園』バリの誕生」から「海が象徴するもの」までにします。主なテーマは、火葬儀礼です。バリ島の映像は、1997〜1998、2002年に撮影したものです。

来週はこの記事の後半を扱います。今週は前半だけ読んでもらえばいいのですが、もちろん後半まで読んでもかまいませんし、後半の記述についてのコメントも歓迎です。