蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「人類学B」2021/11/30 CE 講義ノート

さて前回は、インドネシアのバリ島における象徴的な二元論、双分法という話題でした、これが唐突でわかりにくいということであれば「文明社会の神話的思考」という角度から考えてみれば、わかりやすいだろうか、ということです。どうやらヒトの脳はデジタルに動いているらしく、何事も白黒つけて分類して理解するという認知をするようになっているようです。

バリ島の話に戻りますが、それはさておき、芸術性の高い文化です。このことは、長い記事の後ろのほうに書いたこととも重なります。人間は労働する動物であるとも言います。日々の労働を通じて、自然をコントロールして、そこから生活の糧を得ます。これが社会を進歩させてきました。しかし、ヒトはパンのみによって生きるのではない、とも言います。労働という「ケ」の時間とは別に、芸術や宗教という「ハレ」の領域があります。人間は芸術と宗教を持った動物でもありますし、それが人間を他の動物とを分ける特徴でもある、というのが、この人類学の授業のテーマでもあります。

この人類学Bの授業の最初のほうでは、人類の進化史を振り返りました。あらためて「化石人類の物質文化と精神文化」という記事にリンクを張りますが、言語を用いる、社会を作るということが人間性の進化であったと同時に、芸術や宗教もまた、人間性の進化であったと、そういう歴史を振り返っています。宗教というと抽象的ですし、キリスト教や仏教のような整備された宗教のことを思い起こしがちですが、人類学で宗教といった場合には、もっと広い概念です。たとえば葬送儀礼です。盛大な葬送儀礼はバリ島の文化を特徴づけるものでもありますが、葬送儀礼、葬儀を行わない文化はありません。そして、その起源は、現生人類の誕生よりも、もっと古くに遡ると考えられています。

しかし同時に、技術が進歩し、社会が近代化することによって、むしろ技術的な効率が求められるようになり、人間本来の芸術性は後退して、わかりにくくなっているところもあります。宗教についても、それが原初的な畏れといった感覚から、組織化し、ときに政治的な権力と結びつき、ときには反社会的な性質を帯びるようにもなってしまいました。

ここで地理的な場所を、インドネシアよりもさらに南の、オーストラリアに移動してみます。オーストラリアは、他の大陸に比べて、地理的に隔離されてきました。動植物も独特ですし、先住民族の文化も独特です。オーストラリアの先住民族は、農耕も牧畜も行わずに、狩猟と採集を生業としてきたという点で、世界でも最も原始的な文化であるとされてきました。しかし、何万年もの間、停滞してきたわけではありません。物質文化においては原始のままのような生活を維持しつつ、独自の精神文化を発展させてきました。

オーストラリアの先住民族を特徴づけるものは、ひとつは非常に複雑で抽象的な婚姻体系ですが、これは、あまりにも複雑すぎるので、説明を省いてしまいますが、もうひとつ、抽象的な美術があります。これは「オーストラリア先住民美術」という記事に書きました。オーストラリアには、何万年も前のものとそっくりな岩壁画が残されていますし、同時に、先住民美術は、現代美術の最先端のような抽象性を発達させてきました。

人類学の分野からは外れてしまい、すこし精神医学や臨床心理学の専門的な議論になってしまいますが「精神疾患と創造性」という話題も、補足しておきます。現代では脳の研究が進み、精神疾患は遺伝的な素因による脳の病気であるし、薬で治すという時代になりました。しかし同時に、ヒトが本来持っていた芸術性や宗教性が、物質的な効率化を進めてきた近現代の都市社会の中で、逸脱したものとして、病気として周縁化されてきたのだ、という側面もあります。精神疾患は遺伝的な素因が大きいということを書きましたが、これは、かならずしも差別ではありません。こうした遺伝子が、何万年にもわたって子孫に受け継がれてきたことには理由があるはずですし、それは、人間の進化の過程では、逸脱というよりは、創造性を生み出す能力として、遺伝的に受け継がれてきたのかもしれない、という可能性がある、というわけです。