蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「身体と意識」2021/11/26 CE 講義ノート

精神展開薬」について議論できればと思いつつ、後回しになって、毎週のスケジュールが前後しています。日本や西洋には、こういう薬物や薬草を使う文化的伝統もありませんし、なかなか身近にない薬物ですから、当然、使ったことがない人も多いわけでして、説明が難しいところがあります。それで、回り道をしています。

精神展開薬を使う文化的伝統があるのは、中南米の先住民社会に偏っています。そういう成分を含む植物は世界中にあるのですが、他の文化では使わないんですね。なぜかはよくわかりません。世界各地の少数民族の文化については、これは人類学のテーマになるので、それはまた話が長くなってしまうので、この授業ではあまり扱いません。

たとえば、シビレタケとかワライタケとかいうキノコがありまして、これは日本など世界中の温帯地域に自生しているのですが、これを積極的に食用にする文化を持っているのは、中米の先住民族だけです。

シビレタケとかワライタケというのも、それを食べて痺れたり笑ったりした人がいたので、そういう名前がついたのでしょうが、日本ですと、たまに食べて事故を起こしたという歴史しかないのですね。ちなみに日本では、これらのキノコは麻薬および向精神薬取締法によって所持が禁止されています。山に生えているものを手に取った瞬間に麻薬を所持したということになり、犯罪になってしまうので、ご注意を。

さてこれらのキノコには、シロシン、シロシビンという精神展開薬、サイケデリックスが含まれています。それを服用するとどんな体験があるのか、メキシコまで行って体験してきた日本人が、日本語で語った体験談を「精神展開体験と自我」に書いておきました。私も行ってきたことがあるのですが、判断中止、純粋経験、無分別知など、哲学や宗教の難しい概念が出てきましたが、そういう体験だとしか言いようがないと申しますか、むしろ、人類は昔からそういう特殊な体験をしてきて、そこから哲学や宗教ができてきたという歴史があるわけです。しかし、中南米の先住民の薬草文化と、ヨーロッパで発展した哲学や学問との間には、なぜか断絶があります。

しかし、前回の授業も、いままでの授業でもそうなのですが、大麻について話をすると、関心を持つ人が多いですね。関心を持つ人が増えてきたようです。もともと危険な薬物として悪名高いというか、誤解されてきたこともあり、聞いたことぐらいはあるでしょうし、最近ですと、欧米などで規制緩和が進んだり、医療用に使われるようになってきて、本当に危険なのか?病気を治すのに使えるのか?と、そういう関心が増えてきたようです。

大麻にはカンナビノイドという物質群が含まれていますが、カンナビノイドにも弱い精神展開作用があります。インドでは宗教的な文脈で使われてきた薬草でもあります。カンナビノイドは精神展開薬としては作用が弱いので、その点では脳神経科学的にはあまり面白くないのですが、しかし、インドという場所が重要です。海外では大麻が一般的で、というときに、ついつい欧米のほうを向いてしまうのですが、アジアの文化にも目を向けましょう。深い歴史があります。

世界の哲学や宗教の多くはインドに由来するのですが、そのインド文化の背景には、この大麻という植物の向精神作用があるといえます。精神展開薬を含む植物の使用と、哲学や宗教という文化、インドでは連続性があるんですね。そこは非常に興味深いことです。

この大麻につきましては「大麻の向精神作用と精神文化」にまとめておきました。大麻というと、依存性の強い危険なドラッグだという、悪い意味でよく知られているところもあるようですが、依存性というのは、あまりありません。向精神薬の依存性については「薬物依存」に書いたことを参考にしてください。

哲学というとヨーロッパの哲学をまず考えてしまいますし、その背景にあったのはキリスト教という宗教です。しかし、哲学の起源はもうひとつ、古代のインド哲学のほうにもありました。哲学というのは二千年前のギリシアとインドの相互交流から生まれてきたのですが、その後、古代のギリシアの哲学が近代のヨーロッパで再発見され、いわゆる哲学として発展しました。いっぽう、古代のインドの哲学は、哲学というよりは、むしろ仏教という宗教として発展し、アジアの東半分に広がりました。さらに現代では、仏教は西洋世界など、世界中で再評価されています。

西洋の哲学は高度に発展したのですが、言語で議論するだけの学問になってしまって、体感が失われてしまったといえます。哲学というと難しい学問だという印象があるのですが、理解しにくいのも当然でして、それは、西洋の哲学が、身体で感じる感覚を失ってしまったからだともいえます。

インドの哲学の特徴は、頭で考えるだけではなくて、身体で理解する方法論とセットになっていることです。瞑想です。古代のインドのサンスクリットではヨーガといいます。いま心も体もキレイになるということで流行しているヨガですね、それから瞑想には、他にも、座禅というのもあります。禅を改良したマインドフルネスという瞑想法も、これも心を整える方法として、世界的に流行しています。そういうインドの文化の背景にあったのが、大麻なのですが、インドでは瞑想の補助として大麻が使われてきました。ただし、瞑想の達人は大麻は必要なくなるようです。というのは、ヨーガとか瞑想とかいうのは、意識をコントロールして脳内で精神展開薬を作る方法だから、訓練することで、外から物質を取り入れる必要がなくなるというわけです。だから、大麻のような弱い作用で充分なんですね。

次回以降は、ヨーガや瞑想と、それから、哲学の歴史を振り返りたいと思います。哲学の歴史なら哲学関係の授業でやっているわけでして、そちらのほうが専門的ですが、こちらの授業では、あまり知られていないインド哲学を紹介できればと思います。なにやら難しそうですが、西洋の哲学よりもインドの哲学のほうが、じつは、わかりやすいのです。というのは、難しい言葉で考えるだけではなくて、ヨーガとか瞑想修行とか、そういう身体を使う方法で体感できるからです。

私じしんも、もともとは哲学という学問には、机上の空論というか、あまり興味がなかったのですが、世界各地を旅して、中南米先住民族儀礼に参加したり、お寺で瞑想をしたりヨーガ教室に通ったりしているうちに、哲学というのはこういう感覚を言葉で言い表そうとしたのだな、と、理解できるようになってきた、という経緯もあります。