この記事は特定の薬剤や治療法の効能や適法性を保証するものではありません。個々の薬剤や治療法の使用、売買等については、当該国または地域の法令に従ってください。
サイケデリックス(psyche-delics)とは「無意識の意識化」を意味する。使用する当事者のセット(精神状態)とセッティング(環境)によって大きく左右されるため、その精神作用は、ときに逆説的でさえある。
敢えて比喩的にいえば、サイケデリックスは、薬物依存を引き起こす薬物ではなく、むしろ薬物依存を軽減する薬物となりうる。精神疾患を引き起こす薬物ではなく、むしろ精神疾患を軽減する薬物となりうる。犯罪を引き起こす薬物ではなく、むしろ再犯率を軽減させる薬物になりうる。さらには、過量摂取で死に至る物質というよりは、適量摂取で、死に至る病を受容させる薬物にさえなりうる。
精神展開薬(psychedelics: サイケデリックス)は非常に興味深い精神活性物質であり、著作やブログにたくさんの記事を書いてきたが、関心が深いテーマだからこそ、興味の赴くまま、文章があちこちに分散してしまっている。
分子構造と生合成については「サイケデリックスの分子構造と生合成過程」に書いた。
サイケデリックスの量と作用時間については「サイケデリックスの量と作用時間」に、また精神病を引き起こす可能性など、有害な作用については「サイケデリックスと物質誘発性精神病」に書いた。
サイケデリックスを含む植物や薬草の全般については「サイケデリックスを含有する植物」や「精神活性物質と植物・菌類」という記事にまとめたが、内容が重複する記事が他にもある。
精神疾患の治療薬としては「サイケデリックスの抗うつ作用」と「サイケデリックスによる依存症の改善」にまとめている。
以下の記事も未整理だが、個々に独立した記事として整理しなおしたい。
主要な精神展開薬
サイケデリックスには多数の精神活性物質が含まれるが、メジャー・サイケデリックス、あるいはクラッシック・サイケデリックスとも呼ばれる主要な物質は、モノアミン神経伝達物資にによく似た構造をもっている。
モノアミン神経伝達物質は、インドールアミン(セロトニンなど)とカテコールアミン(ドーパミン、ノルアドレナリンなど)に二分されるが、これに対応して、メジャー・サイケデリックスも、インドールアルカロイド(DMT、シロシビン、LSD、イボガインなど)と、フェネチルアミン誘導体(メスカリン、MDMAなど)に二分される。これらの物質の生合成については「サイケデリックスの生合成過程」を参照のこと。
その他、狭義の精神展開薬に似た作用をもつ、エンタクトゲン(共感薬)やカンナビノイド、デリリアント(せん妄誘発薬)も精神展開薬に含めることもある。(詳細は、それぞれ「エンタクトゲン(共感薬)」「大麻とカンナビノイド」「デリリアント(せん妄誘発薬)」を参照のこと。)
精神展開薬の分類
- 狭義の精神展開薬(major psychedelics)
- 広義の精神展開薬(minor psychedelics)
- 共感薬(エンタクトゲン)
- MDMA(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン)
- ロビヴィン、MDPEA、MMDPEA(Lophophine)
- カンナビノイド受容体(CB1)に作用する物質
- カンナビノイド
- Δ9-THC(テトラヒドロカンナビノール)など
- カヴァラクトン
- カヴァイン、ヤンゴニンなど
- カンナビノイド
- GABA受容体に作用する物質
- 解離性麻酔薬
- ケタミン
- DXM(デキストロメトルファン)
- PCP(フェンシクリジン)
- サルビノリンA
- デリリアント(せん妄発現薬)
- トロパンアルカロイド
- アトロピン、スコポラミンなど
- トロパンアルカロイド
- 共感薬(エンタクトゲン)
列挙していくときりがないが、とくに注目すべき物質、つまり薬草として広く用いられてきたもの、あるいは医薬品として研究が進んでいるものを厳選するなら、以下の表のようになる。(精神活性物質全般とそれを含む生物のリストは「精神活性物質と植物・菌類」「サイケデリックスを含有する植物」を参照のこと。)
インドールアルカロイド | |
---|---|
LSA(リセルグ酸アミド) | ヒルガオ科 バッカクキン |
LSD(リセルグ酸ジエチルアミド) | (合成化合物) |
DMT、NMT 5-MeO-DMT 5-HO-DMT(ブフォテニン) |
多数の動植物 (ヒトの体内にも存在) |
シロシン(4-HO-DMT) シロシビン |
シビレタケなど |
イボガイン | イボガ |
フェネチルアミン誘導体 | |
2C-B | (合成化合物) |
メスカリン MMDPEA(ロフォフィン) |
ペヨーテ サン・ペドロ |
MDMA | (合成化合物) |
ミリスチシン | ナツメグ |
カンナビノイド受容体作動薬 | |
カンナビノイド(THC、CBDなど) | アサ ウラジロエノキ |
アナンダミド(AEA) | 黒トリュフ (ヒトの体内にも存在) |
カヴァラクトン | カヴァ |
メセンブリン | カンナ |
解離性麻酔薬など | |
ケタミン | (合成化合物) |
PCP(フェンシクリジン) | (合成化合物) |
DXM(デキストロメトルファン) | (合成化合物) |
亜酸化窒素(N2O) | (合成化合物) |
サルビノリン | サルビア |
GABA受容体作動薬 | |
イボテン酸 ムッシモール |
ベニテングタケ テングタケ |
トロパンアルカロイド | |
スコポラミン ヒヨスチアミン アトロピン |
チョウセンアサガオ ベラドンナ ヒヨス マンドレイク キダチチョウセンアサガオ |
イボガとイボガインはほぼ一対一対応である。それからアサとカンナビノイド、カヴァとカヴァラクトンもほぼ対応している。
メスカリンは中米のペヨーテとアンデスのサン・ペドロの二属のサボテンに含まれる。
シロシンとシロシビンは、ほぼシビレタケ属の菌類のみに含まれる。しかし、シビレタケ属のキノコは世界的に自生しているのに、儀礼的に使用されてきたのはメソアメリカに限定されている。
DMTは、アマゾン・オリノコ地域のチャクルーナやヨポに含まれ、儀礼的に使用されてきた。DMTは特異な物質であり、多くの動植物の体内で生合成され、神経伝達物質でもある。DMTはミカン科、マメ科(ヨポ、アカシア、ミモザ、ヤマハギなど)、イネ科、アカネ科(チャクルーナ)、ナツメグ科(ヴィローラ)などの植物に含まれる。またヒキガエルの分泌液には5-MeO-DMTやブフォテニンが含まれる[*2]。
LSDとMDMAは、合成サイケデリックスとしてもっとも研究され、流通してきた物質である。いずれも国際条約で規制されたが、アンダーグラウンドでは流通しつづけており、医療用としても再評価が進んでいる。また分子構造をすこし変えた合法物質も研究・流通している。(「LSDアナログ」を参照のこと。)
伝統文化の中の精神展開薬
精神展開薬を含む薬草は世界各地の伝統文化で、呪術・宗教的な儀礼の中で用いられてきた。(「『茶』の文化的バリエーション」を参照のこと。)
サイケデリックスを含む薬草の使用は、とくに中南米の先住民文化に偏っている。
中米のアステカ文化を引き継いだマサテコ族は、テオナナカトル(シビレタケ)、オロリウキ(ヒルガオ科)、ピピルツィンツィン(サルビアの一種)を用いてきた。ペヨーテはウィチョール族などに引き継がれ、サン・ペドロは北部アンデスで使用されてきた。
アマゾン川上流域でアヤワスカの原料となるチャクルーナはもっぱらDMTを含有しているが、オリノコ川流域で喫煙されるヨポにはDMT、5-MeO-DMT、ブフォテニンなどが含まれる。マメ科のヨポはアカシア属やミモザ属と近縁である。
旧大陸でインドール系のサイケデリックスを含む植物としては、西アフリカのイボガがある。
マイナー・サイケデリックスとしては、南〜東アジアを原産とするアサ、シベリアのベニテングタケ、南太平洋のカヴァが挙げられる。
トロパンアルカロイドを含む植物としては、ベラドンナ、チョウセンアサガオ、キダチチョウセンアサガオなどが世界各地で用いられてきた。これらの植物もとくに中南米で他の植物と組み合わせて使われてきた。
「ドラッグと宗教儀礼」とは、いかにも物騒なタイトルだが、医療大麻を推進する正高先生との対談動画の中でも世界各地のサイケデリック植物を紹介した。アサ(大麻)、イボガ、ペヨーテ、サン・ペドロ、シビレタケ、アヤワスカ、ヨポである。
また、別のページに書いた記事は以下のとおり。
追記
「精神展開薬」という呼称
変性意識状態を引き起こす物質の呼称として最も良く用いられるのが、英語の「psychedelics」である。これはギリシア語の「psychē(魂)」と「delos(顕現)」から作られた英語である。無意識が意識化するといった意味であり、日本語では「精神展開薬」と訳されるが、そのまま「サイケデリックス」と表記されることも多い。ただし「サイケデリック」というカタカナ語は、特定のサブカルチャーと結びつくことで、医学的に中立な語でなくなってしまったため、医学的には「精神展開薬」や「精神拡張薬」といった訳語が用いられる。
「幻覚剤(hallucinogen)」も一般的な同義語だが、「幻覚」は有害な副作用だけを想起させる呼称で、中立的ではない。積極的に神秘体験を引き起こすという意味では「entheogen」という呼称が提案されている。これは「エンテオゲン」、「エンシェオジェン」、または「顕神薬」と訳されるが、「神(theo)」という語が用いられているので、宗教的なニュアンスが強く、やはり中立的ではない。
呼称の統一が難しい物質群だが、それだけ多様な体験を引き起こしうる物質群だということもできる。(「向精神薬の呼称」も参照のこと。)
精神展開薬関連書籍
精神に作用する薬物全般を、なんとなく「麻薬」や「ドラッグ」としてまとめた本は多いが、サイケデリックスに絞った書物で、かつ日本語で読めるものは少ない。
ポーラン(2018)『幻覚剤は役に立つのか』亜紀書房原題は『あなたの人生をどう変えるか』なのだが、日本語読者向けに、幻覚が見える麻薬、というイメージを変えるためにタイトルを超訳したのだろう。精神展開薬の現代史、とくに2000年代以降の「サイケデリック・ルネッサンス」における精神医学への応用についての、わかりやすい読み物であり、サイケデリックスの作用を端的に「人を思いっきりひっぱたいて、自分の物語から目覚めさせ」る、システムの再起動だと指摘している(P. 449)。日本語で読める本としては随一だが、体系的な本ではなく、物語風に読み流せる一冊。(というより、日本語で読める概説書がほとんどないというのが現状である。)
グリーンスプーン・バカラー(1979)『サイケデリック・ドラッグ』工作舎日本語で読める体系だった概説書としてはこの一冊。精神展開薬の歴史、個々の物質、その哲学的、心理学的な含意などを体系的にまとめた事典的な内容。ただし、すこし内容が古く、訳の日本語もあまりよくない。
1979年に出版された原書のタイトルは「サイケデリック・ドラッグ再考」であり、1971年の規制以前を総括して振り返りつつ、改訂版ではMDMAなどの新しい薬物の可能性を展望している。古い本であるのに古さを感じさせないのは、1980年代から1990年代にかけて、研究が停滞していたからでもある。植物図鑑として、欧語圏での書籍も含め、もっとも詳しいのは、エヴァンス・シュルツやアルベルト・ホフマンらが編集した『Platns of the Gods』である。
日本語に直訳するなら「神々の植物」となるはずが、「快楽植物大全」という奇妙なタイトルになっている。精神展開薬の作用を、いわゆる快楽と訳すのは、読者の誤解を生むが、これは売上を増やそうという戦略的意図だろうか。あるいは、ここでいう快楽とは、仏教用語の「快楽(けらく)」のことだと解釈することもできる。ちなみにこの本の姉妹編として媚薬図鑑『Plants of Love』があるが、こちらは和訳されていない。
CE2016/10/10 JST 作成
CE2023/04/12 JST 最終更新
蛭川立
*1:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982221016857
*2:アマゾン・オリノコ地域でKambôなどと呼ばれるフタイロネコメガエル(Phyllomedusa spp.)の分泌液はオビイオドに類似した成分であり、インドールアミンではない。