蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「人類学B」2021/12/14 CE 講義ノート

今回、つまり12月14日なのですが、ちょうど15時から16時まで、外せない会議に行かなければなりません。通常の授業ですと、休講で補講となるのですが、掲示板となりますと、オープンした掲示板は1週間以上書き込めますし、別に日時を決めて補講をするほどではありませんね。そこで、以下のようにします。

  • ディスカッションの掲示板を15時前にオープンします。
  • 授業時間は15時20分から17時までですが、その前でも、その間でも、その後でも、コメントや質問を書き込んでください。
  • 会議が終わり次第、おそらく16時すぎから、コメントに回答していきます。会議中でもノートPCを開いてメモをとっているのですが、ヒマなときには読み書きできるかもしれません。

以上です。

今週の内容ですが、引き続き「縄文文化の超自然観」を題材として議論できればと思います。リンク先の記事から、またリンクが張ってあり、かなり情報量があります。前回は縄文美術自体に対するコメントがありませんでしたから、もうすこし議論ができればと思います。


ヤップ島の位置

その先ですが、またちょっと場所と話題を変えて、ミクロネシアに移動します。ミクロネシアのヤップ島というところでは、いまでも大きな石が貨幣として使われています。上半身裸の人たちが五十円玉を一メートルぐらいに巨大化させた石のお金を担いでいる、原始人というイメージもありますが、意外に繊細な人たちです。「交換が作る社会 -ミクロネシア・ヤップ島の「原始」貨幣経済-」を読んでください。それから、以前に書いた本の一章ですが「労働・貨幣・欲望 −グローバル化する資本主義と〈南〉の社会−」にもヤップ島の話を書いておきました。

授業では芸術や宗教のような精神文化を扱ってきまして、こんどは経済の話です。経済というと貨幣経済のことを思い浮かべますが、これも人間に独特のものです。動物や植物を食べて生きているのは、ほかの動物でも同じですが、貨幣、おかねを使うのは、人間だけです。円盤や長方形の紙に価値を見出す、これは人間の抽象的思考が可能にしたものです。ヤップ島の銀行のことも書きましたが、ヤップ島の銀行には、お金が置いてあります。しかし近代国家における銀行には、預けてあるだけのお金が置いてあるわけではありません。いまではクレジットカードや交通系カードで支払ったり、ネット上で振り込みをしたり、それが当たり前になってきましたが、貨幣というものが、さらに抽象化していて、ディスプレイ上に出てくる数字だけで、価値がやりとりされています。価値が数字だけでやりとりできる、これも人間の高度な抽象的思考が可能にしたものであり、他の動物とは違う、精神文化であるわけです。

なおミクロネシア(「オセアニア地域の概説」もご覧ください)という南の島は、日本から近いようで遠い場所ですが、じつは縄文時代の日本の文化と共通しているところがあります。縄文時代の日本文化は、むしろ東南アジア、西太平洋の文化と関係が深く、弥生時代以降の日本文化は、中国や朝鮮半島とつながりが深いのですが、日本文化は縄文時代以前と弥生時代以降の、二層構造になっているのですが、それはまた来週以降に議論しましょう。