蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

【資料】レヴィ=ストロース「世界における日本文化の位置」

『やきもち焼きの土器つくり』[*1]
でアマゾン先住民の土器について議論したレヴィ=ストロースは、日本の縄文土器もまた同様の驚嘆すべき異文化として、西欧という視点からの三角測量を試みている。

「縄文の精神」とアクション・ペインティング

これに対して、狩猟・漁撈や採集を営み、農耕は行わない定住民で、土器作りの名手として知られる人たちが生んだ日本の一文明は、私たちに独創性の一例を示してくれます。人類諸文化のすベてを見ても、これに比肩できるものはありません。なぜなら、縄文の土器が、他のどんな土器にも似ていないからです。まずその年代ですが、これほど古く遡ることのできる土器作りの技術は、他に知られていません。次に一万年も続いたという、長い期間もそうです。そしてとりわけ樣式が独創的なのです。その様式は、縄文中期の「火焰様式」とでも呼ぶべき土器において、見る者の心をとらえずにおかない表現に到達しています。これを他と比較する言葉などありません。それであまりにも突飛な形容をしてしまうのです。「構成がしばしば非対称」とか「あたりかまわぬフォルム」とか「ぎざぎざ、突起、瘤、渦巻き、植物的な曲線がからみ合う造形装飾」といった表現をきくと、五、六千年前に「アール・ヌーボー」が生まれていたような気持ちになりますし、別の側面からは、アメリカのいく人かの現代芸術家が言うように、叙情的抽象とかアクション・ペインティングが想起されます。完成された作品にも、どこか素描のようなところが残っているのです。作者がある突然のひらめきにとらわれ、その一つ一つの作品が創作の意図せぬ勢いのなかで、最終的なフォルムを与えられたかのようです。

おそらく、これは誤った印象でしょう。これらの器の用途や、社会的、心理的、経済的条件は、私たちがほとんど何も知らない一つの社会に具わったものであったはずだからです。いずれにせよ、私がしばしば自問することは、弥生文化によってもたらされた大変動にもかかわらず、「縄文精神」と呼ベるかもしれないものが、現代の日本にも存続していないだろうかということです。もしかすると、日本的美意識の変わることのない特徴は、この縄文精神かもしれません。日本的美意識の特徴は、素早く、確かな創作を実行することであり、これには二つのことが必要です。一つは技術をこの上なく見事に操ること、もう一つは仕上げる作品を前にして長い時間考えることです。この二つの条件は、霊感を得た縄文土器の名人たちも、おそらく有していたと思われるのです。そして、様式上の同じ原則が、遥かな時をこえて、変化した形で残っているのではないでしょうか。太さも堅さも違う竹の薄片を不規則に編んだ、風変わりな造りの籠編みのうちにそれを見ることはできないでしょうか。この手の籠は、日本の展覧会や博物館では重要な場所を与えられていないように思えますが、私はそこに、極めて興味深い、そしてさまざまな点でめずらしい、日本美意識の表現の一つを見るのです。

 
レヴィ=ストロース「世界における日本文化の位置」[*2]


  • CE2022/06/27 JST 作成
  • CE2022/06/27 JST 最終更新

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