「人類学A」2021/05/25 講義ノート

精神展開薬を含む薬草は世界中に存在するが、それを薬草として用いる精神文化は中南米の先住民文化に独特のもので、他の地域では馴染みの薄いものである。

精神展開薬を含む薬草の代表的なものとして、南米のアマゾンからブラジルへ、世界へと広がってきたアヤワスカ茶について概観してきたが、今週はもうひとつ、中米先住民が儀礼的に用いてきたシビレタケの文化についてみていきたい。「マジック・マッシュルーム」とも呼ばれるが、日本ではシビレタケとかワライタケとかいった名前で、ふつうに山に生えているキノコである。ただし、麻薬に指定されているので、生えているものをちぎって手に取った瞬間に麻薬の所持という犯罪になってしまう。

中米のシビレタケ文化については「中米先住民文化と精神展開性植物」という記事にまとめたが、多様な内容を一つの記事に詰め込みすぎているので、以下であらためて解説する。

中米先住民文化」は、現在のメキシコ近辺の先住民の歴史についての概観である。ざっと見ておいてほしい。アメリカ大陸の先住民は、もともと東アジアから渡っていったモンゴロイドの子孫であり、アジア系の人たちと顔が似ていて、溶け込みやすい。

私じしんがメキシコ先住民の村を訪ねてじっさいに儀礼に参加したときのことを「マサテコのキノコ儀礼」に写真入りで載せている。体験の内容自体は『風の旅人』という雑誌に載せた「星を観る眼」というエッセイに書いている。

精神展開薬が引き起こすサイケデリック体験とは、たんに極彩色の幻覚が見えて楽しくなる、というものではない。もっと深遠な、ある種の宗教体験であり、世界や人間が存在する意味を悟るような体験でもあり、その「副作用」として、うつ病や、それに伴う自殺念慮も消えてしまうという。しかし、これを言葉で説明するのは難しい。意識を保ちながら夢をみているような感覚だろうか。(これを「明晰夢」という。)

知己の日本人で、表現のプロである作家や漫画家さんの体験談も載せておいた。妖怪漫画家の水木しげるさんの『幸福になるメキシコ』には、子宮への回帰という、神話的なビジョンが描かれている。

精神展開体験と自我」には、田口ランディさんと中島らもさんの体験談も載せておいた。この作家さんたちの方は、より文学的、哲学的(現象学的?)な体験として描かれている。「世界というのは、ほんとうはとてつもなく美しいものなのかもしれない。しかし、美しさにかまけて呆然としていては生きていけない」「いちいちこんなに感動していたら社会生活が営めない。だから、自分から閉じたんだ。感受性を遮断した。(中略)それを開放するのは、たぶん危険なのだ」と引用したあたりが、精神展開体験、サイケデリック体験の本質を言い当てているように思う。(田口ランディさんとは、理工学部の菅敬次郎先生のゼミで出会い、初対面でいきなりメキシコの同じ村での体験談になって意気投合したという経緯あり。)

記事の最後のほうの「治療薬としての精神展開薬」と「アメリカ先住民文明とパラノイア型社会」には、やや精神医学の細かい話を書きすぎてしまったが、もともと感受性が病的なほどに敏感すぎる人が摂取したり、ふつうの人間でも大量に摂取しつづけると精神に異常をきたす危険性があることも事実である。

しかし、シビレタケや、近縁のキノコに、ワライタケなどという名前をつけてしまうと、気が狂ってケラケラと笑いながら死んでいくとか、だから危険な麻薬だとか、そういう短絡的なイメージとは違う。といっても、日本ではそれを儀礼的に使う文化は発展しなかった。

京都アヤワスカ茶会事件」でも、自らのうつ病を治そうとしてアヤワスカ茶を飲んだ大学生は、意識を失って救急車で運ばれたという報道は間違いで、救急車内で怖いほどに美しい光を見て、人生の意味を悟ったのだと言っていた。

この授業では、南米や中米の不思議な宗教儀礼を紹介してきたが、それを、現代都市社会で流行するうつ病の治療や現代美術など、現代社会の問題として持ち帰ってくることが、人類学という学問の役割でもある。

中米先住民文化における飲食物の民俗分類」という記事も書いたが、これはまた来週にすこし議論したい。



CE2021/05/24 JST 作成
CE2020/05/25 JST 最終更新
蛭川立