まずは初回の授業です。いや、まずは初回の授業である、と、書き言葉にすると、ちょっと堅苦しくなってしまうかな、と思いつつ、さしあたりは、書き言葉で書きたい。この使い分けで雰囲気を変えられるのが、日本語という言語の特徴でもある。
授業は、この講義ノートにアップした資料を読んだことを前提に、実際の授業時間では、Oh-o!Meijiのディスカッション機能を使い、リアルタイムで質疑応答も含めた双方向授業を進めていく。掲示板では、私は「ですます調」で書き込むので、このノートの「だである調」の人格との、一人二役を演じることになる。
授業の進めかたの詳細は「オンライン授業の進めかた」のページを見てほしい。
「人類学」とは何か?
さて、今回は初回であり、授業の全体を見通したい。シラバスには、以下のように書いた。第一回には「未開と文明の狭間」などと題したが、ようは、全体の展望、オリエンテーションである。そもそも「人類学」という学問自体が、何を研究している分野なのか、わかりづらい。高校までの科目にもないし、理系の「自然人類学」と文系の「文化人類学」に分かれていて、それぞれが別のことを研究している(ように見える)からである。その歴史的背景、「そもそも人類学とは何か?」という問いに対する答えとして「人類学の科学史的位置づけ」という記事を書いておいたので、ご覧いただきたい。
いきなり「人類学とは何か?」などという抽象的な問いかけから、演繹的に授業を始めると、教えるほうとしては、話が論理的に進められていいのだが、教わるほうとしては、個々の具体的なテーマを学んでいくうちに、人類学が対象とするテーマや、それらのテーマを研究していくときの考えかたや手法がわかるだろう。
公式シラバスからの抜粋
人間は,解剖学的構造や生理学的機能において他の動物と変わるところはない。しかし人間は,文化を持つ動物である。
群れを作り生殖を行うという動物的な行為を,親族や婚姻といった象徴的な観念によって改めて意味づけし,そして,ときにその観念のほうに束縛される。とりわけ,芸術や宗教などの精神文化は特異なものである。人間だけが歌い,踊り,描き,そして祈る。それは動物的生活からの解放であると同時に,動物的生存を否定する力にもなりうる。
四十億年におよぶ生命史の中で,なぜ人間だけが他の動物とは異なる存在になったのか。その違いはどこから始まったのか。人類学の授業では,進化的な起源をたどる一方で(これは,どちらかというと,人類学Bで扱う),脳の構造や機能という観点からも考察する(これは,どちらかというと,人類学Aで扱う)。
人類学Aでは,他の動物と比べて特異に進化した人間の脳の構造と機能,それをコードしている遺伝子の進化も併せて概観しつつ,古今東西の芸術や宗教などの精神文化を解明していく。
人類学は「人間」を研究する学問であるが,対象としている「人間」の範囲が他分野より広い。世界各地の少数民族や,遺跡や化石にしか痕跡をとどめていない過去の人々,あるいは近縁の霊長類までも視野に入れる。人類学は自然科学に属する自然人類学と,人文科学・社会科学に属する文化人類学・社会人類学に分けられるが,学際的な学部であることも鑑み,この授業では,自然人類学を基盤にしつつ,文化人類学・社会人類学の視点も取り入れながら,総合的に議論を展開する。
なお,現代のグローバル化する社会では,開発と貧困,民族問題と宗教紛争などを扱う応用人類学の重要性が増しつつあるが,それらは,より社会科学的な内容を扱う,別の講義で併せて学ぶことをお薦めする。
対象としている人間集団の範囲が広いため,あまり馴染みのない地域や時代も取り上げるが,おもに蛭川が実際に訪れたことがある社会や遺跡で,自ら撮影した写真や動画も併せ,視覚的,聴覚的イメージも交えながら講義を進めていきたい。
到達目標
1.人間やその社会を,自然科学と,人文・社会科学の両面から総合的に理解できるようになる。
2.他の動物にはない人間の特徴である精神文化を,脳の働きから理解できるようになる。
第1回:未開と文明の狭間(全体の展望)
第2回:脳の構造と機能
第3回:神経系と脳の進化
第4回:遺伝子と神経伝達物質
第5回:遺伝子と文化の共進化
第6回:シャーマニズムの神経薬理学(中南米先住民)
第7回:向精神薬の民族科学(インド,太平洋諸島)
第8回:〈正常〉と〈異常〉(沖縄・古代日本,モンゴル)
第9回:精神疾患の神経科学的研究
第10回:民族芸術の深層心理学(縄文文化・アマゾン先住民)
第11回:神話の論理(日本,太平洋諸島,南米先住民)
第12回:大脳化と他界観の起源(化石人類,インド,チベット,中国・雲南)
第13回:瞑想の文化と生理心理学(インド・タイ)
第14回:文化相対主義と意識状態相対主義(全体のまとめ)
じっさいの授業は、必ずしもこのとおりには進まないし、随時、時事的な話題も取り入れていきたい。毎週の授業計画については下記のページに、毎週、新しい講義ノートを書き加えていく予定。
hirukawa-classes.hatenablog.jp
人類学「A」と「B」
春学期の「人類学A」と秋学期の「人類学B」は、他の科目同様、A、B、という順序で書かれているが、それぞれ独立した科目である。両方受講するとしても、AからBという順番でも、BからAという順番でもかまわない。
じっさいには、春学期の人類学Aのほうが、すこし専門的な内容を含んでおり、もし、どちらの順でもよいというのであれば、BからAのほうが、むしろ、学びやすいかもしれない。このようにした理由は、3年生の分析ゼミを履修するにあたって、とくに2年生の皆さんに、蛭川が研究しているテーマを事前に知っておいてほしいと考えているからでもある。最近の研究テーマとしては「臨死体験」と「精神展開薬」がある。これらは、個人的な体験や、時事的な問題とも結びついている。
SARS関連コロナウイルスと臨死様体験
蛭川じしんは、臨死体験というものをしたことがないが、軽度のものも含めれば、若い人も含めても、20人に一人ぐらいが体験しているらしい。臨死体験に似た体験(臨死様体験)としては、西暦2003年4月に、中国の雲南省で、チベット系少数民族の村で、葬送儀礼の調査中に発熱し、なぜか自分じしんの葬儀が行われているような奇妙な熱にうなされたことがあった(→「発熱と臨死様体験」)。
その不思議な体験が、高地で酸素が薄かったせいか、当時、流行していたSARSに感染したからなのかは、わからずじまいである。ちなみにSARSの病原体はSARS-CoV(SARSコロナウイルス)である。現在、流行中の、新型コロナウイルス感染症の病原体、SARS-CoV-2は、SARS-CoVの変異種、または同種異株である。いずれも、中国の雲南省に生息するコウモリからヒトに感染し、ヒトーヒト感染を起こしたと考えられている。
京都アヤワスカ茶会裁判
一昨年、2019年、京都で、自宅に引きこもり、うつ病に苦しむ大学生が、うつ病に効くという、アヤワスカという薬草をネットショップで入手し、服用し、自己治療してしまったという事件が起こった。このアヤワスカという薬草は、南米のアマゾンの先住民属が治療儀礼に用いてきた薬草である。
しかし、この薬草、アヤワスカに含まれているDMTという物質は、日本の法律では麻薬として規制されており、買って飲んだ大学生と、ネットショップで売った男性が訴えられ、裁判になってしまった(→「京都アヤワスカ茶会裁判」)。
アマゾンの先住民族が宗教儀礼で使用してきた薬草が精神疾患を治療するのか、という問題提起は、ふつうの日本人には、なかなか理解されず、ほとんど報道もされていない。
人類学の授業では、アマゾンの先住民族や、中国・雲南の少数民族など、あまり知られていない民族の文化を扱う。しかし、ただ、辺境の少数民族が不思議な風習を持っていることを紹介するだけでは終わらせないようにしたい。それが、新型コロナウイルス感染症や、引きこもってうつ病になってしまう大学生など、身近で切実な、現代的問題と、意外な場所で関連していることも、あわせて論じたい。
(まだ不足があるので加筆します。火曜日の4限には、このページの記事を見ながら、Oh-o!Meijiのディスカッション掲示板を使って授業を進めていきます。)