シミュレーション仮説
物質と精神の関係において、近現代科学は唯物論(物質が精神に先立つ)または実証主義(物質と精神のどちらが先立つかの判断を保留する)の立場をとる。唯心論(精神が物質に先立つ)は過去の思索の遺物として顧みられないように思われる。「月は、見ていないときには存在するのか?」といった、形而上的で無意味だとされる問いが、別の意味で現実的な問いかけになってくる。
コンピュータ技術の発展により、ヴァーチャルリアリティ(virtual reality: VR 仮想現実)が「現実」化しつつある。ハードウエアは物質だが、それが生み出す仮想世界には物質的実体はない。しかし、いったん精巧な仮想世界に没入してしまったとすると、すべては仮想世界だという主観的体験は反証できなくなる。すでにこの世界がコンピューター・シミュレーションだという、シミュレーション仮説は、2003年にボストロムによって唱えられた。もしこれを真面目に受け取るなら、それを実験的に反証するのは難しい。
このことは、脳は物質だが、夢には物質的実体はなく、しかし、いま目の前に展開している世界が夢かもしれないという可能性を反証できないのと同じである。夢の場合、「これは夢だ」と気づくこと(明晰夢)によって、夢が現実ではないことを知ることができるが、同じように、この世界がシミュレーションだということに気づくことは可能だろうか。
『Matrix』
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『MATRIX』(1999)
映画『MATRIX』三部作の第一話では、人間を支配しているコンピュータが作り出している仮想世界が牢獄にたとえられる。これは、古代ギリシアにおけるソクラテス、プラトンのイデア論的世界観を背景としている。第二話の『MATRIX RELOADED』(2003)では、自由意志と決定論がテーマとなる。
そして第三話の『MATRIX REVOLUTIONS』(2003)では、前二作ほど世界観は深められていないが(第二弾以降というのは、えてしてそういうことになりがちである)その内容は、古代インド哲学に接近していく。
エンド・クレジットの背後に流れるのはジュノ・リアクターの『Navras』であり、その冒頭の歌詞「asato mā sadgamaya, tamaso mā jyotirgamaya, mṛtyormāmṛtaṁ gamaya(我を仮構から現実へと導け。我を闇から光へと導け。我を死から不死へと導け。)」という一節は、『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』の中で、サイケデリックスを有効成分とする薬草ソーマに対して捧げられる賛歌である。
記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)
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CE2024/01/22 JST 作成
CE2024/01/22 JST 最終更新
蛭川立