蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「身体と意識」2022/01/21 CE 講義ノート

「身体と意識」の最後の授業の概要です。まずは「仮想現実と心物問題」を読んでください。私もこの分野に関心を持ち始めたのは最近で、この記事もまだあまりまとまっていないのですが、以下は先週の講義ノートの繰り返しです。

まずは「目の前に見えている世界は、実在するのだろうか?」という問いかけです。これに対しては、実在するに決まっている、それ以上の理屈は無用、と考えるのが、素朴実在論なのですが、この素朴実在論の正反対が「目の前に見えている世界は、幻覚である」という考えです。幻覚というと精神疾患や幻覚が見える麻薬のようなネガティブなイメージがあるのですが、この授業では、その偏見が多少なりとも解ければと、それだけでだいぶ目的は果たしました。何度も扱ってきましたが、眠っているときに見ている夢の世界は、誰もが経験する、リアルな幻覚です。悪夢は嫌なものですが、それじたいは狂気でも病気でもありません。

そして最後に、夢だとか幻覚だとかいうテーマを、これからの情報社会の文脈で捉え直して締めくくりたいと思います。

いま皆さんはスマホやパソコンの液晶画面を見ているでしょう。液晶画面の中の世界は、ピクセルが作り出す幻影です。平らな画面であれば、画面の外側に物理世界が見えますから、これは液晶画面だと認識できますが、これがVRHMD、ゴーグルをかぶりますと、360度、どちらを向いても液晶画面です。その中にいると、画面の中にいるということを忘れかけてしまいます。これからの時代にはもっと技術が進歩して、身体感覚も含めて完全に没入してしまう装置ができるでしょう。

そうすると逆に、いま目の前に見えている世界も、じつは仮想現実なのではないか?と問うこともできます。これも突拍子もない話ですが、いま目の前に見えている現実は、夢かもしれないし、じっさいにそうかもしれない、という、授業の最初のほうで扱った問題とつながります。これからの時代は、そういう形而上的な問いかけ、つまり問うても意味がない問いが、現実に意味を持ってくると思います。テレビばかり見ていると、ゲームばかりしていると、現実の世界に適応できなくなってしまう、という問題は、もう何十年も言われてきましたが、コンテンツ次第では、現実よりも豊かな暮らしができるかもしれませんし、複数のバーチャルな現実を行き来できるようになれば、そういう豊かな未来が開けているのではないかと、そんなふうに問題提起をして、この授業を閉じたいと思います。あとは、掲示板のほうで議論しましょう。