蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

日本の精神展開薬研究史

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武田薬品の麦角アルカロイド研究

東京帝國大學農芸化学科を卒業した阿部又三(1909-1992)が武田長兵衛商店研究部(後の武田薬品研究所)に就職し、麦角アルカロイドの研究を始めた[*2]のが1938年である。

同年、スイスのサンド(現・ノバルティス)社ではアルベルト・ホフマン(1906-2008)がLSD-25の合成に成功ていた。しかし、LSD-25は片頭痛治療薬や陣痛促進剤の一環として開発されたものであって、その向精神作用が知られることなく、世界は戦争に巻き込まれていった。

阿部の研究テーマは上司の勧めだったらしいから、武田研究所はこれ以前から麦角アルカロイドに関心を持っていたらしい。「産めよ増やせよ」という時代背景があった、と回想されている。

武田薬品の麦角研究は世界的にみても先進的で、逆に欧米での研究を刺激したとも評価されており[*3]、阿部又三とアルベルト・ホフマンの間には私信のやり取りもあった[*4][*5]

山城祥二こと大橋力大橋力(1933-)も阿部又三とともに麦角アルカロイドの生合成経路の研究を行っている[*6]。大橋は1975年に博士論文「麦角アルカロイドの生合成に関する研究」[*7]を発表した。

合成から5年後、1943年4月16日ににセレンディピティが起こる。ホフマンが偶然LSDを摂取してしまい、その向精神作用を発見した。ホフマンが帰宅中の自転車でその効果を確認したのが4月19日である[*8]

その後、武田研究所でも麦角アルカロイドの向精神作用の研究が行われた[*9]

1957年には、武田薬品薬用植物園のヤマハギに含まれるDMTが子宮収縮作用を持つことが発見される[*10]が、この時点ではDMTの向精神作用については触れられていない。

筆頭著者の後藤實は戦後の日本で広く漢方薬の研究につとめ、また後進を育成した人物である。

LSD京都学派

1950年代後半になって、ザンド社からLSDとシロシビンのサンプルが京都大学医学部に送られ、その後、加藤清(1921〜2013)をはじめ、藤縄昭(1928-2013)、笠原嘉(精神医学)(1928-)、藤岡喜愛(1924-1991)[*11]らが精神医学的な研究を深めていった[*12][*13]

じつは、加藤はそれ以前にからメスカリンを独自に合成して実験を進めていたという。ただし、合成した物質がメスカリンかどうかわからないまま、ボランティアに飲ませて「官能検査」をしていたという[*14]。戦中戦後の混乱期での出来事である。

木村敏(1931-2021)はハイデルベルク学派の精神病理学との交流があり、また音楽にも造詣があった。LSDを自ら服用し、音楽に色を感じるという共感覚を得たという[*15]。時間論における〈祭 festum〉のメタファーも、LSDの自己実験によって着想を得たものだとされる[*16]

佐保田鶴治(1899-1986)はLSDを服用し、自らの「過去生」のようなヴィジョンを体験したが、それらはヨーガの過程における魔境とした[*17][*18]

上田閑照(1926-)もまた、禅の思想にもとづき、LSD体験中に光やビジョンに得たとしてもそれは魔境だと批判した。

「實驗美學」の試み

臺弘と江副勉(1910-1971)は東京帝国大学医学部と松沢病院LSDの実験を行った。

精神科医でもあり画家でもあった徳田良仁(1925-2021)は、自らがLSDを摂取し絵を描いた実験を論文にまとめた[*19]。描画実験の様子は島崎敏樹によって録画され、草月アートセンターで「L.S.Dの実験」が上映された[*20]。上映会を行い解説を行ったのは島崎(西丸)敏樹(1912-1975)と徳田良仁本人である。

安部公房(1924-1993、作家)もこの記録映像をみて『藝術新潮』に「実験美学ノート LSD服用実験をみて」[*21]という感想を寄稿し、人工的な物質を投与して意識を拡張させることを不自然だとか不道徳だとか言うほうが野蛮な発想だが、才能のない人間がLSDを服用しても、自分の才能のなさを見せつけられるだけだとも論じている。

また、LSDを作家や芸術家に投与する実験美学には価値があり、自分も近々服用したいと述べている。じっさいに服用したのかはわからないが、阿部が一連のシュールな小説を書き始めたのは、この1959年からである。

同じく1961年には、鶴岡政男(1907-1979、画家)は「美術サロン-心の深層を探る・幻想による美術実験」(東京テレビ(現・TBS))という番組内で島崎敏樹LSDを投与され絵を描いた。

島崎敏樹は、画家だけではなく、小説家や詩人にLSDを投与する計画を進めた。1961年には谷川俊太郎(1931-詩人)は「LSDの幻想…ある詩人のモノローグ」(東京ラジオ文化放送)で島崎敏樹LSDを投与され、その様子はでラジオ中継された。

この実験については谷川は「LSDリポート」[*22]にも簡潔に書かれている。体験の段階を7個の段階に分け、1〜2行で簡潔にまとめられている。総合的には「私の期待していたような、内面への冒険というにはあまりにも浅い体験だった」と、あっさりまとめている。

河合隼雄(1928-2007)は谷川俊太郎との対談[*23]で、LSDの使用を飛行機で山に登るようなものだと例えている。(これは、もともとはユングの言葉かもしれない。)

詩人、多田智満子(1930-2003)は、1962年にLSD摂取実験に参加。この時の「なまなましい原体験」は詩集『薔薇宇宙』[*24]にまとめられた。LSD服用前後の状況については「薔薇宇宙の発生」[*25]「魂の形について」[*26]の中でも詳しく語られており、この時期のLSD体験の描写としてはもっとも豊かなものである。同時に、詩人として、豊穣な体験(シニフィエ)を言語(シニフィアン)に置き換えることの困難についても率直に述べられている。

 宇宙は一瞬のできごとだ
 すべての夢がそうであるように
 神の夢も短い
 この一瞬には無限が薔薇の蜜のように潜む


 『薔薇宇宙』

多田にLSDを投与した医師は神谷美恵子(1914-1979)だとされている[*27][*28]が、公には語られていない。神谷自身は自著『生きがいについて』[*29]の中で、ハクスリーのメスカリン体験について触れつつも、変性意識体験それ自体よりも、その文脈が重要なのだと批判的に論じている。

谷川の体験の中にも「c 白い紙の表面に,日本の模様のミニチュアが無数に浮かぶ。・・・それが無限に変化する」というヴィジョンが語られているのだが、谷川はその中には入っていこうとはしなかったようだ。それに比して多田は、その無限に変化していく文様の中に没入し、そのことが「薔薇宇宙の誕生」に詳細に記述されている。物質が神経に何を見せるか、ではなく、作家の意識がヴィジョンの中にどこまで入り込もうとするのか、そういうセットの違いが体験の質を決定する。

九州大学からイギリスのモーズレー病院とタビストック・クリニックに留学した神田橋條治は「LSD精神療法中にみられたanaclitic状況」[*30]という論文を発表した。加藤清との対談で「僕は、LSDを使ったとき」[*31]と語っているが、これはLSDを患者に投与したのか、自分で服用したのかは、わからない。

稲垣足穂の「わたしのLSD[*32]の中で使用される「加速剤」はLSDの比喩であろう。精神科医でもあり俳人でもあった阿部完一も『絶対本質の俳句論』[*33]の中で自らのLSD体験を語っている。

1960年代以降

石原慎太郎は『光より速き我ら』の中で、LSDと舞踏との関係について「人間の感覚も精神も、一度解体しようなんて思って見る間に、もう溶けてしまっているんだ。その上に薬でトリップして見ても、それは、 衛生博覧会、グロのグロだ」と書いているが、この作品は1976年に発表されている。

LSDは日本では1970年に麻薬及び向精神薬取締法によって規制されたが、1960年前後に行われた学者や芸術家たちの実験的な試みは一般には広がらず、その後の若い世代に起こったサイケデリック、ヒッピー文化や学生運動とは、断絶があるようだ。



記述の自己評価 ★★★☆☆

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CE2021/07/23 JST 作成
CE2024/02/01 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:阿部又三 (1987).「麦角菌研究の思い出」『日本農芸化学会誌臨時増刊号』61, 28-30.

*3:日本学士院賞 (1971).「農学博士阿部又三君の『麦角菌による麦角アルカロイド類の生産に関する研究』に対する授賞審査要旨

*4:大和谷三郎・阿部又三 (1959).「麦角菌に関する研究(第30報)Elymoclavineといわゆるペプタイド型麦角アルカロイドとの化学的関連性」『日本農芸化学会誌』33(12), 1036-1039.

*5:阿部又三・大和谷三郎・山野藤吾・楠本貢 (1959).「麦角菌に関する研究(第31報)ハマニンニク型麦角菌の培養からPenniclavineおよび1種の新水溶性アルカロイドTriseclavineの分離」『日本農芸化学会誌』33(12), 1039-1043.

*6:大橋力・青木俊三・阿部又三 (1970).「菌類によるアルカロイドおよび関連物質の生産(第5報)代表的な麦角アルカロイド間の生成上の関係について」『日本農芸化学会誌』44(11), 527-531.

*7:大橋力 (1975).「麦角アルカロイドの生合成に関する研究

*8:LSD』19-28. https://www.amazon.co.jp/LSD%E2%80%95%E5%B9%BB%E6%83%B3%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4788501821/www.amazon.co.jp

*9:油井亨・竹尾雄児 (1962).「Clavine系麦角アルカロイドの薬理学的研究(Ⅰ)諸種動物における一般症状とこれに及ぼす2, 3中枢抑制剤の影響」『日本薬理学雑誌』58(4), 386-393.

*10:後藤實・野口友昭・渡邊武 (1958). 「有用天然物成分の研究 第17報 植物中の子宮収縮成分の研究 その 2 ヤマハギ中の子宮収縮成分について」『YAKUGAKU ZASSHI』78, 464-467.

*11:藤岡喜愛『イメージと人間』105-108.

*12:塚崎直樹 (2016).「加藤清とトランスパーソナル精神医学」『トランスパーソナル心理学/精神医学』15(1), 14-22.

*13:加藤清・藤繩昭・篠原大典 (1959).「LSD-25による精神障害—特にLSD酩酊体験の深層心理学的意義について」『精神医学』

*14:加藤清・上野圭一 (1998).『この世とあの世の風通し―精神科医 加藤清は語る―』春秋社, 62-63.

*15:木村敏『精神医学から臨床哲学へ』61-64.

*16:木村敏『時間と自己』

*17:佐保田鶴治『八十八歳を生きる』

*18:平田精耕・佐保田鶴治(司会・山折哲雄)(1984).「対談:禅とヨーガがめざす世界」『恒河 The Ganges』1984年第3号,32-42. (『うちこのヨガ日記』でも該当部分が紹介されている。) uchikoyoga.hatenablog.com

*19:徳田良仁(1959).「LSD-25による体験—とくに絵画制作を中心として」『精神医学』1, 181-192.

*20:www.sogetsu.or.jp

*21:安部公房「實驗美學ノートー『LSD』服用實驗をみて(天才的創造を生む新薬)」228-231.『藝術新潮』昭和34年、3月号(安部公房全集第九巻にも再録)。徳田良仁「LSD(幻想劑)による繪画制作を實驗して」228-229.も並べて掲載されている。

*22:谷川俊太郎 (2012).「LSDリポート」谷川俊太郎『一時停止』草思社, 35-38. (初出は1961年)

*23:

*24:「薔薇宇宙」『多田智満子詩集』思潮社, 57-59.

*25:多田智満子「薔薇宇宙の発生」『多田智満子詩集』110-121.

*26:多田智満子『魂の形について』

*27:金沢百枝(2022).「解説 風のゆくえ」多田智満子『魂の形について』筑摩書房.

*28:神谷光信(2018).「多田智満子(1)薔薇宇宙の彼方へ

*29:神谷美恵子『生きがいについて』

*30:神田橋條治『発想の軌跡』岩崎学術出版社、6-20.

*31:加藤清・神田橋條治・牧原浩(1993)『分裂病者と生きる』金剛出版、131.

*32:稲垣足穂(1989).「わたしのLSD」『稲垣足穂詩集(現代詩文庫1037)』思潮社, 107-109.

*33:『絶対本質の俳句論』