Shivaratri Festival in Varanasi of Northern India
シヴァ・ラートリー。世界の死と再生の神、シヴァの夜。ヒンドゥー暦で最終月の新月の晩。日本でいえば、大晦日の夜というところか。
初めてインドを訪れたとき、わくわくする気持ちで夜行列車に乗り込み、まずは定番の観光地、聖都ヴァラナシを目指したものだった。もちろん、シヴァ・ラートリーの夜を狙って。白熱電球の黄色い光に照らし出された、世界の主(ヴィシュワナート)=シヴァを祀る総本山の、迷路のような参道。押し寄せる参拝客の無秩序な大群。マリーゴールドの花輪、大麻(バング)ラッシー、シヴァ神の象徴である黒い男根(リンガ)、等々を売る屋台がひしめき合っている。肉声なのか、録音なのか、あちこちから聞こえてくる祈りの歌が、騒がしいほどに神々しかった。まるで夢の中にいるような気分だった。
門を越えて寺院の本殿に入ろうとしたところで、白装束の祭官とおぼしき人物に呼び止められた。
ここから先はヒンドゥー教徒しか入ってはいけないのだという。無論、そこですぐに引き下がるわけにはいかない。せっかく鼻の下にチョビ髭を生やしてきたのだ。顔立ちのせいも相まって、日本人には見えないらしい。「ネパーリー?フィリピィーノ?」。国籍を確認する書類を見せろということらしい。僕は、菊の御紋の入った赤いパスポートを腹巻きから取り出し、水戸黄門よろしく見せつけ「ジャパニーだ」と言った。
彼曰く、「ジャパニーは仏教徒だ。異教徒はこれ以上先には入れない」。
まだまだ引き下がりはしない。議論はこれからだ。「ヒンドゥーの神、ヴィシュヌは十の化身を持つ。ところでその第九の化身はブッダである。ゆえにブッダを信じることはヴィシュヌを信じることと同義であり、仏教とはヒンドゥー教の一派である」。定番の問答だが、向こうも負けてはいない。さらに激しい巻き舌英語で反論してくる。「確かにそうかもしれない。だがここはシヴァ派の寺院だ。ヴィシュヌ派ではない」。議論に隙あり。僕は知ったかぶりにサンスクリット語を織り交ぜながら一気に反論を展開する。「世界の創造者たるブラフマー、維持者たるヴィシュヌ、破壊者たるシヴァは、存在の根源たる形なき宇宙原理が、仮の形態をとって現われたものにすぎず、その本質は一つである。これを三位一体(トリニティ)、いや、サンスクリットではトリムールティという。違いますか?」
さすがに祭官の表情に敗色が見え始めた「どうやらあなたは大変に深い教養をお持ちのようだ・・・」。後ろでちょろちょろしていた、彼の娘と思われる女の子が前に出てきた。僕はすかさずポケットから和解金、五ルピー札を取り出して彼女に渡した。彼は横目で娘を見、苦笑しながら、ついに首を横に振った。「OK」の意味である。屁理屈と非暴力。たとえ詭弁を使っても暴力は使わない。それがこの土地の知識人たちに受け継がれてきた偉大なスピリットなのだ。
そしてその晩は、総本山の本殿でバラモンたちがシヴァを讃える聖歌を朗唱し続けるのを、夜が白みはじめるまで恍惚とした気持ちで聞き続けた。
やがて東の空が虹色の朝焼けに染まりはじめた。儀礼はまだ終わっていない。しかし僕はバラモンたちに礼を言うと、さっそく川岸のガートへと急いだ。
はるか東方に見える彼岸の砂洲、その上に広がる空がインディゴから蓮華色まで、壮大なグラデーションを描いていた。やがて皆既日食から戻ったばかりのまばゆい太陽が、ほぼ真東から姿を顕し、河原の無数の砂粒を、無数の砂粒の数にひとしい人間たちを祝福するように、惜しみなく照らし出していく。なるほど醒めた目で見ればそのあたりの土産物屋に売っている絵葉書そのままの光景だ。しかし、その時は明らかに意識の状態が日常とは変容してた。全世界は昨夜破壊され、今朝、再創造されたのだ。朝陽にきらめくガンガーの神聖さは、言語で表現できるものを超えていた。そのような場所を、聖地というのだろう。言語では伝えられないからこそ、人は自らの身体をその地に運ぶのである。
蛭川立 (2011). 「ガンジスの砂の数ほど(意識のコスモロジー)」『風の旅人』43, 17-20.
記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2011/06/01 JST 公刊
CE2018/11/18 JST 電子版作成
CE2022/03/15 JST 部分改訂版作成
蛭川立