西洋のサイケデリック・ルネサンスの歴史観によれば、1971年の国際条約によるLSDなど精神展開薬の世界的規制が、暗黒時代の始まりとされる。それから40年が経ち、2010年代から、まず神経症圏の治療薬としてサイケデリックスの復興が始まった。
しかし、植物は国際条約では規制されておらず、あるいは自生地における儀礼的使用の規制は留保されてきた。
西洋における「暗黒時代」にも中南米では自生地を中心にサイケデリック植物の文化は発展しつづけた。これは、古代ギリシア・ローマ文化が中世のアラビア世界で継承され、西欧世界で逆翻訳された歴史とも似ている。
メキシコとアメリカではペヨーテとマジック・マッシュルームは使用されつづけたし、南米のアヤワスカの使用はむしろアマゾンからブラジルへの都市部へと拡大した。
ブラジルのアヤワスカ宗教運動
アマゾンでは20世紀に入ってゴム・ブーム(ciclo da borracha)が起こり、1910年代には、セリンゲイロであったハイムンド・イリネウ・セーハ(Raimundo Irineu Serra)が先住民のアヤワスカと出会い、1930年代には[イギリス由来のスピリチュアリズムではなく]フランス由来のスピリティズムと習合しながら、サント・ダイミの活動が整備されていく。
レヴィ=ストロースが訪問したブラジルの先住民(1935〜1939)
1930年代までにゴムの生産はイギリス領の東南アジアに移動するが、1940年代にマレーシアなどが日本に占領されると、ブラジルでは第二次ゴム・ブームが起こった。
サンパウロに亡命したレヴィ=ストロースがブラジルの先住民社会を訪ね歩いたのは、この二つのゴム・ブームの間である。レヴィ=ストロースはアヤワスカとは接触しておらず、むしろサイケデリックスがもたらす元型的な精神作用よりも、より精神分析に近い理論で先住民文化を分析していった。レヴィ=ストロースの神話論理については、ここでの本題からは逸れるので、別の記事にまとめたい。
イリネウ師の後を継いだパドリーニョ・セバスチャンの折衷主義がサント・ダイミがUDVとともに都市部に広がったのは比較的新しい時代、1980年代で、そこから欧米や日本に伝播したのが1990年代である。セバスチャン折衷主義派がアクレへ回帰し、マピアー共同体を建設したのも1980年代である。
ブラジルでのアヤワスカ宗教については「ブラジルにおけるアヤワスカ宗教運動の展開」にも書いたのだが、記事を統合したい。
ペルーのアヤワスカ・ツーリズム
またペルーでは、1990年代のアルベルト・フジモリ政権下でセンデロ・ルミノソやMRTAなどのゲリラ活動が鎮圧され、これと並行してシピボ=コニボの村落を中心として、アヤワスカ・ツーリズムが勃興した。ペルーではアヤワスカやサン・ペドロが国家遺産に指定された。南米には西洋のような暗黒時代はなかった。
私がシピボのサン・フランシスコ共同体を訪れたのは、フジモリ政権の末期、2000年〜2001年のことだったが、このときの記録は「アマゾン先住民シピボのシャーマニズム」に書いた。
それからブラジルのサント・ダイミに接触したのは2004〜2005年のことである。クリチバのスピリティストの大学である、ベゼッハ・ヂ・メネゼス大学に招聘されたのがきっかけだった。スピリティストとしてではなく、学内では少数派であった、科学的な実験超心理学を推進するグループに招聘されたのだった。
記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)
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