蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

〈ナチュラル〉と〈ケミカル〉の象徴論

大麻の「神話」

日本ではアサは大麻取締法で規制されており、代表的な精神活性物質であるTHCは麻薬および向精神薬取締法で規制されている。しかし、THCアセテート化してすこし分子構造を変えたTHCOという物質は、THCと似た精神作用を持っているのに麻向法では規制されていない。しかし、2023年の3月には、薬機法による指定薬物に指定された。

THCOは加熱するとケテンが発生し、ケテンを吸引すると肺を傷めるという。THCOが規制されたのは、こういう生理的な危険性があるからなのか、THCと同様の精神作用があるからなのか、理由は定かではない。

アサという植物は天然のハーブだから安全で、THCOのような合成された化学物質は副作用がある、危険だという「神話」がある。

しかし、人類学は、このような「神話」を、たんに「誤った信念」とは見なさない。「神話」とは、真偽とは別の次元で語られる観念の体系のことである。

たとえば日本における「アサ」は「麻」のことだが、カラムシ「苧麻」や「亜麻」と区別するときには、「大」をつけて「大麻」と呼ぶ。大麻は神話性の強い植物である。縄文時代から近代の神道にいたるまで聖別されてきた伝統がある。

アメリカ占領下において日本で大麻取締法が制定されたのは、伝統的な麻産業を衰退させ、石油から作られる化学繊維を売り込むためだった、という説もある。原発事故で汚染された土地に麻を植えると放射性物質を吸収してくれるという説もある。これらの説が正しいかどうかは、検証すればよい。検証しない仮説を正しいと主張したり、検証した結果、誤りであったとしても、それを認めないのであれば、これらの主張は疑似科学となる。

注連縄はもともとアサで作られるものである。アサの繊維が丈夫だから、というのは「科学的」な根拠だが、それだけでは充分な説明にはならない。他にも丈夫な植物はある。アサだけを聖別するのは「象徴的」あるいは「神話的」な分類であり、文化的な背景によって意味づけられる。

神社の注連縄は、伝統的には大麻で作られていた。たんに丈夫であればいいというのなら、化学繊維で注連縄を作ってもいい。しかし、あえて大麻を使う必要があるのは、日本の風土の中で麻を育て、伝統的な方法で縄を作り、神社という場所に奉納するという文化的なプロセスがあるからである。植物を聖別する文化は、自然科学には還元できない構造としての意味を持つ。

〈自然〉と〈文化〉

ナチュラル〉と〈ケミカル〉という二元論は、構造人類学が神話的象徴論において見出した〈自然〉と〈文化〉の基本構造のバリアントである。ただし、〈自然〉を〈文化〉よりも優位とする逆転は、文化が発展し自然が衰退してきた、近代都市社会に特有の分類体系である。

たとえば日本では、文化が優位とする観念が、自然が優位とする観念に入れ替わったのは、高度経済成長期である。このことは「文明社会の神話的思考」で詳述した。

「医療化」という言説

植物がすべて有益なわけではない。毒を含む植物も多いし、薬草にも有害な副作用はある。

大麻の精神作用にも有益なところと有害なところがあり、セッティングによっても変動する。大麻には鎮痛作用や催眠作用もあるが、従来の薬よりも非常に優れているわけではない。大麻が万病に効くといった言説があるなら、それは神話的な語りであって、医学の語りとは区別されるべきである。

大麻は癌に効くかという議論があるが、じゅうぶんな証拠は得られていない。なるほど癌にともなう痛みや、抗がん剤の副作用である食欲不振の改善には役立つだろう。

しかし、もし大麻が癌に効かなかったからといっても、大麻には価値がないのだろうか。病気を治すものが良いもので、病気を治さないものは無益だという「医療化」の語りもまた相対化されなければならない。

〈ケミカル〉の危険性

THCOを加熱して吸引すると有害な成分を吸い込んでしまうというが、大麻を加熱して煙を吸っても、また別の有害な煙を吸い込むことになる。経口摂取では問題はないから、これは物質じたいの性質というよりは摂取方法の違いによって生じる有害性である。タバコの喫煙は有害だというが、ニコチンを口の粘膜から吸収させる方法もある。

しかし、THCOのように新たに合成された物質や、あるいは古くから存在していても使用している人の人数が少なかったり、動物実験が不十分だったりする物質の副作用については不明なところが多い。これに対して、アサのように、世界中の広い地域で何千年も薬草として使用されてきた植物は、その点では安全性が担保されているといえる。ただし、植物の場合には品種や部位によって含有する物質の種類や濃度にはばらつきがある。

伝統的なアヤワスカ茶にはDMT含有植物としてチャクルーナが使用されてきたが、アカシア、ヤマハギ、クサヨシなど、別のDMT含有植物を使ってアヤワスカと同様の作用を持つ「アヤワスカ・アナログ」も開発されてきた。しかし、これらの植物にはDMT以外の成分も含まれており、その効果や安全性は未知の部分が多い。

LSDやMDMAは合成された物質だが、十分な研究が行われている物質でもある。

LSDは非常に微量なので、切手のような紙にしみこませた物が流通している。しかし、流通している「紙」の成分や量は、一見しただけではわからない。このように流通している物質には、以下のような危険性がある。

  • 製造の過程に問題がある
    • 全体の濃度が不明であり、濃度が高すぎても危険
    • 微量の物質を紙に染みこませる過程で、物質の配分が不均等になる
    • 有害な不純物が混じっている
    • 意図的に違う物質を混ぜている
      • たとえば「エクスタシー」という錠剤には、MDMAのほかにメタンフェタミンなどを混ぜることがある
  • 流通の過程に問題がある
    • 流通している間に成分が分解して濃度が低下する
      • たとえばLSDは高温、酸素や光によって分解しやすい
    • 流通の過程で別の物質に変化している
    • 偽物が流通する

とくに違法な物質ではこのような問題が起こりやすい。ある物質を違法にすれば、分子構造を変えた、正体不明の脱法ドラッグの流通を増やしてしまう。ハーム・リダクションの観点からすると、有害な副作用を持つかもしれない物質であればこそ、むしろ合法化して品質検査を行ったり、薬局で売る、医師が処方するといった流通方法をとるほうが安全である。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(研究用のメモであり網羅的な内容ではありません。間違いや不足しているところなどをご指摘いただければ幸いです。)

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2021/04/26 JST 作成
  • CE2023/03/23 JST 最終更新

蛭川立