人類学の背景
人類学(anthropology)は、人間を研究する学問である。しかし、そう定義しただけでは、人間を扱う学問のすべてが「人類学」になってしまう。
人類学という領域設定の背後には、ヨーロッパの創造論的世界観における、鉱物、植物、動物、人間、そして天使、神という「存在の連鎖 great chain of being」という序列が存在する。これに、鉱物学、植物学、動物学、人類学、そして神学が対応する。
進化論的世界観にもこの区分は引き継がれ、人類学は人類の進化を研究する分野となる。歴史学が、文字によって記録された史料をもとに歴史を研究するのに対し、人類学はわれわれ(という場合には文字を使う「文明人」のことなのだが)が文字というものを使うようになる以前の、もっと古い歴史を対象にする。
人類学の下位分野
この、人類の進化史を明らかにするための方法には大きく分けて以下の二通りがある。
- 先史考古学 prehistoric archaeology
- 民族学 ethnology
先史考古学は、先史時代(歴史時代(文字を使用する時代)以前という意味)の遺跡から出土する骨や道具などを手がかりに、その時代の人間の生活を復元する。いっぽうの民族学は、現在、文字を持たずに暮らしている無文字社会(いわゆる未開社会)の人々を調査することで、先史時代の人間の生活のモデルとする研究から始まった。
これと似たような区分に、
- 自然人類学(形質人類学) physical anthropology
- 文化人類学 cultural anthropology (社会人類学 social anthropology もほぼ同義だが「社会」を強調する場合に使われる。)
がある。それぞれ、人間の生物学的側面と、社会・文化的側面を研究する分野で、先史考古学・民族学という区分にもある程度対応している。とくに文化人類学と民族学はほとんど同じ意味に使われる。
二つの人類学
学問の体系は、大まかに自然科学と人文・社会科学に分けられる。いわゆる「理系」と「文系」である。扱う対象の違いというよりは、物事のとらえ方の違いである。研究の対象が人間であれば、自然科学はそれを物質的な存在とみなし、人文・社会科学はそれを文化的存在とみなす。
たとえば心理学という分野には、自然科学と人文・社会科学からのアプローチが両方含まれている。いっぽう、現在の人類学は、自然人類学と文化人類学・社会人類学という二つの分野に分かれていて、両者は分離してしまう傾向にある。
しかも、自然人類学の研究者は「人類学」といえば自然人類学のことだと考える傾向があり、この場合、文化人類学・社会人類学は「民族学」と呼ばれることが多い。いっぽう、文化人類学・社会人類学の研究者は「人類学」といえば文化人類学・社会人類学のことだと考える傾向があり、自然人類学のほうはあまり省みられない。あるいは、人間を物質的な身体として研究する分野は、たとえば遺伝学や解剖学、そしてその応用分野としての医学だとみなされる。
研究者の人数は文化人類学・社会人類学のほうが多いため、いっぱんに「人類学」というと文化人類学・社会人類学のことを指すことが多い。
文理総合科学としての人類学
歴史的には、ヨーロッパでは、人類学は自然人類学と同義であり、文化人類学・社会人類学に相当する分野は、民族学という別のカテゴリの分野だとされてきた。これに対し、アメリカでは、文理の区別なく人類学とし、考古学や言語学も含めることが多い。
日本には、自然人類学の研究・教育を行っている大学は少ない。そのひとつが東京大学理学部である。
人類学が理学部に属しているのを不思議に思いませんか?
現に,皆さんのいる駒場の教養学部には文化人類学研究室があります。
しかし,本当に人類を理解しようとするなら,文系だとか,理系だとかにこだわらず,総合的なアプローチが欠かせません。
本来,人類学とは、ヒトにかかわる,生物学・心理学・社会学・医科学等々を包含した総合科学です。ただ,現在,学問の世界がそういう態勢になっていないのです。
東京大学理学部生物学科「人類学を学びたい人へ」[*1]
人類学を自然人類学と同義とするのは、戦前の国立大学がもっぱらドイツ式の学問を輸入しようとしていた時代の名残である。
人類学の現代的意義
文化人類学の研究者のほうが数が多く、それが人類学の同義語とされる背景には、文化人類学が、その本来の研究分野を超えて、人文・社会科学全体に及ぼしたインパクトの大きさによる。
20世紀の学問には二つの大きな革命があったといっていい。自然科学の分野では相対性理論と量子力学が現代物理学を形成し、われわれの宇宙観を大きく変えた。人文・社会科学の分野では文化人類学が提出した文化相対主義、とりわけその方法論的基盤である構造主義が、われわれの人間観を変えた。
天文学という、地球の外側の世界を研究していた分野からもたらされた知見が、けっきょくは物理学全体を変えたように、構造主義などのなどの現代思想もまた、「狂気」(精神医学・臨床心理学)や「未開」(文化人類学)といった、「正気の[西洋]文明人(の大人の男性)」の世界の「外部」からもたらされた知見に多くを負っている。
こういう文脈でみると、人類学とは、「文明」社会に生きる人間を「外部」から映し返す鏡のような学問だともいえる。つまり、近代的な文明社会も多様な人間社会のあり方のひとつにすぎず、人類全体もまた数千万種におよぶ生物の一種にすぎないという、相対的なものの見かたをもたらしてくれる。これに加え、日本など、近代化した非西洋社会における人類学は、西洋文明と未開社会を三角測量するという、特殊な視点を提供してくれる。
また近年では脳の研究が急速な進歩を遂げつつあり、人間の精神や社会のありかたを、生理学的な観点から理解できるようになってきている。人間と他の生物との違いは、進化の過程で脳の構造が変化したことに由来するはずであり、他の生物や「原始人」、そして「文明人」を連続したものとしてとらえる自然人類学の考えかたが、ふたたび重要なものになってきているといえる。
自然人類学・文化人類学を総合した人類学が、自然科学と人文・社会科学の橋渡しをする学問として、重要な役割を担うようになるだろう。
記述の自己評価]★★★★☆
CE2017/03/18 JST 作成
CE2022/03/25 JST 最終更新
蛭川立
*1:東京大学理学部生物学科「人類学を学びたい人へ」(2019/09/23 JST 最終閲覧)(蛭川は東京大学理学部の大学院博士課程で人類学(生態人類学研究室)を学んだ。自然人類学を学ぶにはこの研究室しかなかったからである。)