来週で最終回になりました人類学Aの授業ですが、今回は、まずは、私じしんがタイで出家した話(→「タイでの一時出家」)を読んでください。
人類の精神文化のうちで、もっとも人間らしいものは宗教だといえます。ただ、科学が進んだ社会では、昔の宗教はあまり信じられなくなってきました。その中で世界的に注目されているのは、仏教です。二千年前のインドで始まって、東アジアから東南アジアへと広がっていった宗教であり、現代では、西洋のキリスト教圏でも関心を持つ人が増えている、いわば発展しつつある宗教です。
仏教は、瞑想をすれば悟りを開ける、欲望から解脱できるという宗教です。もし宗教というのを、神様を信じるものが宗教だというのなら、仏教というのは宗教というよりは、心の健康法のようなものだといえましょうか。
日本では、仏教というのはお葬式だというイメージがあります。しかし、禅宗ではお坊さんは坐禅という瞑想をして悟りの境地を目指します。
それから、お葬式でお経を唱えるというのは、もともとはお坊さんが死んでいく人に対して、あなたはもう死ぬのですから、肉体に執着しても仕方がないですよ、執着を捨てれば、楽になりますよ、お花畑に行ってご先祖様と会えますよ、ということを語りかけてガイドするもので、これがチベットや中国の少数民族の文化に残っていると、先週はそんなお話をしました。
しかし、仏教というのが、お葬式をするのが目的ではなく、むしろ生きている人間が自分で瞑想して心の平安を得る、それをお坊さんが助けてくれる、そちらが先です。そして死んでいくときも、お坊さんが助けてくれる、これが、お葬式でお坊さんがお経を唱える意味だったということです。
瞑想という漢字は、目を閉じて想う、という意味ですが、これは、元を辿ると、古代のインドの言葉で、ヨーガといいます。英語風に発音するとヨガです。詳しいことは別の記事(→「ヨーガと瞑想」)に書きました。この記事は古代のインドのヨーガの流派について細かいことを書いていますが、人類学ではそこまで詳しくは扱いません。
このヨーガという言葉は、犬の散歩をするときのように、動物をヒモでつなぐという意味です。犬が食べ物や他の犬に向かってしょっちゅう忙しそうにしているのと同様、人間の心もいろいろな欲望や人間関係などでいつも揺らいでいますから、感情が動きすぎないように、ヒモで引っ張ってちゃんとコントローする、これがヨーガということでして、漢字で禅、瞑想、カタカナ英語のマインドフルネス、等々、だいたいみな同じような意味です。欲望や感情を安定させようというわけです。そういう文化がアジア、とくにインドでは発達してきたわけです。
さて来週にかけては、結論に向かっていきますが、文化相対主義、意識状態相対主義(→「意識の諸状態」)という、そういった話をします。詳しくは来週、扱います。期末レポート課題については、事前に公表しますのでご心配なく。