蛭川研究室

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「不思議現象の心理学」2021/07/16 講義ノート

不思議現象の心理学という不思議なタイトルの授業も、今回が最終回になります。

思い出してみれば私も大学生のころは、試験の情報を入手するために、授業の最終回だけは出席しよう、などと都合のいいことを考えていたものですが、さて、今年度も混乱がありますが、期末レポートで成績を評価します。課題の内容と提出期限は追ってお知らせしますが、実際にあった不思議な現象の例を挙げて、その解釈をしてもらうと、例年そういう内容なのですが、今年度もそういうことにしますが、正式には別便でお知らせします。

ふつうに暮らしていても、意外にちょっとした不思議な体験はするものです。しかし、それをどう解釈するか、その考えかたが大事です。そのことを、この半期の授業では扱ってきました。(→「不思議現象の心理学 西暦2021年度」)

人はしばしば、偶然の出来事の中に過剰な意味を感じてしまうものですし、それが人生を意味深いものにするという積極的な側面もあります。しかし、そういう主観的な意味と、客観的な出来事は区別する必要があります。

不思議な現象を客観的に調べる方法として、プラセボとの比較や、統計的な仮説検定の話をしました。そして、主観をできるだけ排除した、客観的な実験の手続きを経てもなお、テレパシーやPK(念力)の実験では統計的に有意な結果が出ていると、そういうことも扱いました。

現代の科学では説明できない現象でも、科学がさらに発展すれば説明できるようになるかもしれません。むしろ、現代の科学では説明できない現象こそが、科学をさらに発展させるのだともいえます。

さて、春学期の「不思議現象の心理学」と、秋学期の「身体と意識」は、別の科目ですが、両方履修すると、双方の理解が深まるような仕組みにもしています。不思議現象の心理学のほうでは、客観的な現象、たとえばスプーン曲げや病気治しのような話題を扱いましたが、身体と意識のほうは、夢や金縛り、臨死体験や瞑想体験など、どちらかというと主観的な不思議現象のほうに焦点を当てます。(→「身体と意識 西暦2020年度」)

肉体は死んでも霊魂は残る、という現象を客観的に見れば、幽霊を見た、心霊写真が撮れた、という話になるでしょう。もっとも心霊写真のように見えるものの多くはパレイドリアなどという錯覚です。といってもすべてが錯覚だと言い切れるわけでもありません。

そして肉体は死んでも霊魂は残る、という現象を主観的にみると、臨死体験という体験があります。死にかけて戻ってきた人が、眩しいお花畑で死んだ祖父母に会って、帰れといわれて帰ってきた、といった体験、これは二十歳ぐらいの人でもあんがい多いのです。それも、死にかけて意識の覚醒水準が下がったときに見る夢だ、という解釈もできます。しかし、夢の内容は個人によって、日によって、内容がバラバラですが、臨死体験談は、誰が体験しても、とてもよく似ています。それは、なぜでしょうか。

リアルタイムのディスカッションの中でも、あらためて説明をしていきます。