蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

2020/04/24 日記実験8日目・睡眠実験1日目

hirukawa.hateblo.jp
承前。

睡眠実験開始

日記ということで、明石時間の0時で、ページを改めることにする。

  • 眠いときに寝る
  • 睡眠薬は飲まない
    • もし急な断薬で離脱症状が出た場合は、少量服用(これは予測不能
  • 刺激薬は飲まない
  • 会話をしない
    • 文字の読み書きはする(読み書き仕事は休めない)
    • 買物などには出かける
    • 人と会っても、できるだけ会話はしない

会話は、刺激薬の代わりであり、会話をしなければ、むしろ過眠が悪化しそうだが、緊急事態はとても貴重な機会なので、無会話を試してみたい。

会話が刺激薬の代わりというのも本末転倒で、会話を含む社会的身体的な行為がないから、刺激薬が必要になるのである。とくに朝に会話したり、さらに出勤すれば、刺激薬は最低限度しか要らなくなるのはわかっているのだが、緊急事態と連休ということだと、出勤したくてもできないし、遊びに出かけるわけにもいかない。現状では、仕事が忙しくて、遊んでいる暇もないのだが、それに不満はない。仕事は、遊びのように楽しい。

食事は、適当な時間に、適当に食すということで、この日記も、食事日記よりも、むしろ服薬日記に変わる。ほとんど誰も読まないであろう、細かい話だが、自分の健康日記と、研究の一環として、このブログ上に書いていく。

てんかん薬・気分安定薬、ラモトリギン、200mg/日、はなにも効いている感じはしないが、続ける。rTMSの治験に参加することを目論んでいるのだが、そもそも、治療抵抗性うつ病双極性障害という診断を満たしそうにない。オロパダジンも、これはスギ花粉症に著効なので、続ける。副作用の眠気が睡眠薬代わりになるかと期待していたが、眠気はないので、逆に服用しても睡眠には影響しない。

今後の日程だが、今日、4月24日、土曜日から、5月5日、水曜日までの12日間は(26日の月曜日の午後に人類学のオンライン授業があるのが唯一の例外だが文字授業)時間的に拘束されない日々が続く。繰り返される緊急事態はほんとうに困ったものだが、12日間も時間的な拘束がなく、人と話をする必要もない機会は、めったにない、貴重な機会である。

臨死体験研究

二百事例ほどの臨死体験の内容を定量化して分析する作業を、ゼミで進めている。生活実験はさておき、こちらが本業。生活のことばかりに振り回されて、研究が進まないのは、本末転倒である。とはいえ、寝ることも、死ぬことも、彼岸の時間、別のリアリティへの移行とみれば、これは同じことであるし、そこに、メラトニンやDMTなどの、セロトニンと類似した物質がかかわっているという意味でも、共通性がある。

人類学講義ノート

月曜日の午後に人類学の授業があるのだけが、今日から12日間の、唯一の時間的な拘束だが、形式はさておき、内容はまた、向精神薬の話へと進んでいく。先週は脳神経系の構造についての話だったが、向精神薬のはたらきを理解するだけなら、脳の構造についての知識はあまり必要ではなく、もっぱらシナプスとレセプターの話で事足りてしまう。むしろ、レセプターのタンパク質をコードする遺伝子といった、より分子生物学的な、ミクロな方向に向かっているのが、現在の、いわゆる生物学的精神医学のパラダイムでもある。

授業の流れとしても、まずは、神経系、とくに脳の構造についての基礎知識をおさらいした後で、シナプス神経伝達物質について触れる。そこから、いったん、レセプターのタンパク質の進化の話題に触れる。たとえば、5-HTTPRや、DRD4などの変異の小進化について。それから、向精神薬の分類と機能、そして、精神展開薬を含む薬草を用いる宗教儀礼の話題に進んでいく。また、臨死体験のような体験と、他界観との関係についても扱いたい。

1時に眠くなり、それから寝て、二回ほど目覚めて、また寝て、10時に起き出してきた。

両親の住む実家に帰省したついでに、そこから歩いて行けるところに、ラジウムなどの放射性物質を含む鉱石を組み合わせて病気を治すという、そういう、石を売る店があるということで、見知らぬ日本人の若い男性に、連れて行ってもらった。店主からいろいろな効能を聞き、病気治しの石ころの詰め合わせを買って帰った。店主の説明は化学的な知見からして誤りがあり、論理的にもおかしなところが多々あったが、これを有害な疑似科学として退ける気にはならなかった。こういう、善意の呪術は世界中で見てきた。そこには善意の呪術があり、治したいという人がいて、そこにプラセボ効果が働く。いや、そこに呪術的な文化的な信念が共有されていると、プラセボ効果は、レヴィ=ストロースのいう象徴的効果として、より強い効力を発揮する。もっとも、放射線量が有害なほどになったり、価格が高すぎると、問題だが、といって疑似医学を批判する人たちは、呪術を非科学的で有害無益だと決めつける、まるで19世紀の古い人類学者のような考えがあり、そこにとどまるのは、知識人としても不誠実だとも思う。構造主義という20世紀の知的進歩から学んでいないという点では、擬似科学論もまた、学術的には古すぎるパラダイムに依拠しているからだ。鉱石ショップからの帰り道、そんなことを考えながら葛藤をしていた。これは、世界各地のシャーマニズムを調査してきて、ずっと感じてきた葛藤である。

これは、現実生活の延長線上にある、軽い悪夢だった。けれども、こういう悩みは、学者の仕事でもある。

睡眠薬を止めても、それ自体には問題がない。最近はゾルピデムと、エスゾピクロンなどの、いわゆる「Zドラッグ」を処方されてきたが、これらの薬を長く使っていても、たしかに、耐性もないし、止めても離脱症状も起こらない。昨日から、股関節のあたりの筋肉がこわばるような感じがするが、これはフルニトラゼパム離脱症状のようである。フルニトラゼパムを、0.2mgだけ、これは1/5錠なのだが、二回に分けて服用すると、関節痛はおさまる。BZは急に断薬できない。ベンゾジアゼピンと、Zドラッグでは、GABAの受容体への作用機序が違う。ベンゾジアゼピンには筋弛緩作用がある。その違いのとおりだと思う。(→「睡眠薬の科学史と作用機序」)

薬物の評論ばかり書いているような気がするが、これは使いこなせれば、便利な道具である。酒やコーヒーを飲むことは、馬やラクダに乗るようなもので、昔からつちかわれた乗りこなし方があるし、馬やラクダという動物とのコミュニケーションの味や香りを楽しむことができる。酒は料理の味付けにも使える。馬が走っていること自体を眺めて楽しむこともできる。

しかし、製薬会社が開発した薬物というのは、自動車や飛行機に乗るようなものである。早く、確実に移動できる反面、機器の仕組みを知り、操作する技術を習得しなければならない。間違えると事故を起こす。無機質である。もっとも、その仕組みや技術を学ぶこと自体が面白くなると、無機質な機械が面白くなる。

フリーラン生活に入ると、生活のリズムが狂ったり、眠り続けてしまうかと思いきや、1時に寝て、10時に目覚めるというのは、そうそう悪くない始まりである。

軽く朝食。ラモトリギンを100mg服用。

以前に書いた、睡眠薬についての記事を切り出し「睡眠薬の科学史と作用機序」とまとめなおしてみた。本当は、マーケティングゆるキャラについて、もっと蘊蓄があるのだが、それは、また余裕があれば、ということで。

もういちど、ヤマハギに含まれるDMTとエストロゲンについて調べているうちに、ウトウトしてしまう。

目覚めると、今日は4月24日、土曜日。明日から、三度目の緊急事態宣言が発令される。繰り返しだが、唾液を介した飛沫感染の防止が重要で、それ以外の場面での社会的活動を制限すべきではない、ということが理解されてきたようだが、それにしても、飲食店の夜間休業要請や、酒類の提供自粛要請など、理由が説明されないまま、政策が強行されようとしている。

非常事態宣言下における夜間外出禁止令といえば、犯罪の防止、治安の維持のためだが、そういう理由ではない。古今東西、酒が禁止されるのは、自傷他害のおそれが高い危険ドラッグだからである。そういう理由ではない。

www.mbs.jp

「勘弁してくれと。今回が一番勘弁してくれと思っています。お酒を悪みたいな感じで言うてはって、お酒を規制・禁止するみたいな感じになっているじゃないですか。僕らは生きていくためにはお酒を売らないといけないですし、それで(飲食店での酒類提供が)禁止と言われたら、『死刑宣告なんですか』と言いたくもなります。いっそ“令和の禁酒法”でもやったらいいんじゃないですか」

この事態を「ファシズム」だと書いたが、それは違うかもしれない。なぜなら、ファシズムは、抑圧される当事者が望んで引き起こす抑圧という逆説のことだからである。禁煙ファシズムにおいては、一般の人々が、タバコは体に悪い、という言説を良識として支持することによって起こるものだが、いま起こっている禁酒運動?は、一般の人々が、酒は体に悪い、という「良識」を共有することから起こっているのではない。

威勢の良いことを書いていても、自分で文字を書いているだけで、フィードバックがあるわけではない。フィードバックがないとまた、ウトウトしてしまう。この眠気を覚まそうとして、刺激薬を飲みつづけてきた。

刺激薬を飲んで脳内ドーパミンを無理に出すなどという、不自然なことをしないためには、これは意外に簡単なことで、朝から人々とともに、とくに音声言語を発しながら、活動することである。

入院して体調が良くなったのは、朝から仲間たちと活動していたからであり、退院してからまた具合が悪くなったのは、朝から出勤しなくなったからである。朝から働くという、当たり前のことができない環境にいることが異常なのだが、それが非常事態である。共食さえ避ければ、朝から活動すること自体は問題ないのだが、そのきっかけがないのが困ったものである。同じことの繰り返しである。

「ノー三密」などと言われはじめたときには、東京都と、高野山真言宗広報課に対して問題提起メッセージを送ってみたが、反応なしだった。トンチンカンなクレーマーだろうか。いまだに、三密を避けようといったメッセージが流布しつづけている。真言宗がその思想を広めるチャンスでもあるのに。

三密、とは、調身、調息、調心と言いかえることもできる。つまり、呼吸が体と心の接点となり、意識と無意識を媒介する。

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脳の電圧が低下すると、目を開けていられないし、指も動かなくなる。しばらくすると、画面にスクリーンセーバーに変わる。なにかの設定で、故事成語が表示されるようになった。私はまだそれほど老人になったつもりはないのだが、志は大きめで変わらない。

またウトウトするが、刺激薬は飲まない。思ったことを文字にしていると、じつに同じことばかりの繰り返しで、冗長である。しかし、これは、思ったことを書く練習である。つくづく、自分は変なことを考えているのだろうかと思ったが、おかしいのは、むしろ社会の状況である。仕事がうまく行かなかったり、頭痛になったり、ウツになったり、胃を痛めたり、怒り狂ったり、各人それぞれ、社会的異常事態の中で、各人それぞれ、心身の弱点に問題が発生してきているのだろう。

政治家の悪口を言って鬱憤を晴らす向きもあるようだが、批判すべきは中国の市場で珍獣を売買しつづけてきた人たちである。「スペイン風邪」などと地名をつけて呼ぶのなら、「中国ウイルス」とか「武漢ウイルス」と呼んだほうが、問題の由来がはっきりするという意見もある。「中国」といっても広いし、人間に由来するものでもないので、鳥インフルエンザという言い方もあることからして「雲南コウモリウイルス」などと言えばいいのかもしれない。

いまさら手遅れだが「コロナ」という呼称は止めたほうがいい。というのは、ふつうの風邪を起こすウイルスも、多くはコロナウイルスだからである。「コロナ感染者」は、世界人口のほぼ100%である。それに、太陽のコロナとも意味がだぶってしまう。

https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2021/03/survey_covid-19_ver2_210308.pdf
三菱UFJリサーチ&コンサルティング「<速報>緊急事態宣言再発令と心身の健康」

定量的な調査によると、悪いことばかりではなく、在宅勤務によって無駄が省けたとか、家族とともにすごせる時間が長くなり良かったという感想もある。

日経メディカルからお薦めの記事が届く。

medical.nikkeibp.co.jp

日本は治安の良い社会だが、それと反比例するように、うつ病による病死者が多い。間にある変数は多数あるはずだが、自殺率は失業率と高い負の相関を示す。10年以上にわたって下がりつづけてきた失業率が、2020年には増加に転じた。

うつ病に伴う希死念慮の特効薬は、今のところケタミンだが、DMTのほうが、せん妄などの副作用が少ない。医療用DMTの合法化を進めたい。

人類学講義ノート

講義ノートというよりは、ブログ上に上げた記事へのリンクを貼り、リンク先の記事を加筆修正することが必要である。これを、月曜日の授業の前日、日曜日に受講生に流して予習してもらう。

すこし食事と、さしあたりラモトリギンとオロパダジンとサプリメントを少々。DHAは1日あたり80mg、EPAは200mgに変更。EPAは「エパデール」という製品名で持田製薬から処方薬としても発売されている。

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北極海に住むアザラシという設定なのに日本の真夏のような風情のエパチー君。そのゆるキャラとしての展開は(そしてキャラ立ての微妙な詰めの甘さも)エーザイ睡眠薬ネスタのツキノワくんと双璧をなす[*1]

ネコ

ネコの額ほどの庭に五歳のメスのトラネコが来た。原種のリビアヤマネコに非常によく似ているので「リビ」と名づけた。子猫のころはオスかと思っていたが、どうもメスらしい。(→「Necology: ネコの「事情」についての動物行動学的研究」)ネコにはエサをやらないほうがいいのだが、エサはどこか別の場所でもらっているらしい。マタタビの粉末を蒔くと、これを舐めて、マーキングし、毛づくろいをする。メスもある程度の年齢になると、マタタビに関心を持つようになる。五歳というのは、ヒトでいえば五十歳ぐらいだろうか。桜耳にはなっていないので、卵巣は切除されていないと思われるが、不明。あるいは、エストロゲンの分泌が減少するぶん、テストステロンの割合が高まり、行動がオス化するのかもしれない。マタタビラクトンはヒトには作用せず、その作用機序もよく研究されていない。

また神経薬理学の話になるが、学部生のころは、こういう研究をしていた。個体識別し、名前をつけ、積極的に擬人化せよ、何年でも追いかけて感情移入せよ、という学風が京都にはあったと思う。山根明弘によると、ノラネコの寿命は、2〜3歳だという。擬人化し、感情移入するほどに、ことにオスが去勢されずに生きることの厳しさと歓びと哀しみを感じないわけにはいかない。

www.u-coop.net
河合雅雄からゴリラ研究を引き継いだ、山極前学長の「学問はジャングルだ」という言葉が載っている。
 

わたしのノラネコ研究

わたしのノラネコ研究

この本は子ども向けに書かれているが、内容は相当にアダルトでアカデミックである。山根明弘さんは一年先輩で、霊長研の野澤先生のところでネコ遺伝学を学んだ。ちょうどPCR法が普及してきたころである。

大学に入ったばかりのときは、当初の目標どおり遺伝学を学ぶか、河合隼雄に弟子入りしなおすか、迷ったものだったが、けっきょく、遺伝学を学び(同時にウイルス学も学び)、そこから人類学を経由して、宗教人類学的フィールドに向かい、アヤワスカ茶や瞑想の世界を学び、そしてまた生物学に戻ってきて、これを総合できるようになったのは、良いルートだった。

深夜

上に戻って、人類学の授業の準備の続き。というよりは、いままで書きためた文章の整理。とくにアヤワスカのことは、かなりあちこちに書いた。今また、生化学的な側面からDMTのことなどを勉強しなおしている。

もちろん、DMTやアヤワスカについて研究するのが人生の目的ではない。それを飲んで得た体験を、どう生きるかである。これについては、則天去私とか、人事を尽くして天命を待つ、といった言葉が、しっくりくる。論語の冒頭には、五十にして天命を知る、とあるが、裁判で専門家として相談を受けたことが、いままでの研究と生活を総合的に見なおす良い機会となった。

今日のまとめ

23時を回った。24時で、日記は新しいページに移行する。現在、頭脳は明晰で、過去に精神展開薬やシャーマニズムについて書いた文章の発掘整理が捗っている。

今日のフルニトラゼパム服用量は1.0mg。2mg/日を処方されていて、これは上限なのだが、これを深く考えずに毎日2mgぐらい飲んでいた。すぐに半減できたのは、刺激薬を飲まなくなったからで、BZ減薬プログラムとしてはうまく行っている。前回、イギリスからオーストラリアに移住しながら断薬に持っていったときは、行ったり来たりで、1年かかったが、あのときは、海外を転々とする暮らしで大変だった。



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/23 JST 作成
CE2021/04/23 JST 最終更新
蛭川立