蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

日記というものを書く実験 ー食べものを中心にー

食べものの話題を中心に、日記というものを書いてみる、という作業を、今日も続けることにする。



今朝は8時半にアラームで起こされる。この時間は、入院していたときよりも、かなり遅い設定だが、それでも眠くて気分が悪い。

何も薬は飲まずに起き上がり、9時から10時まで、ブライトライトの光療法。

とりあえずは、低脂肪牛乳にゼロカロリーコーラをすこし混ぜたものを一服。オーストラリアに住んでいたときに、このような配合の飲み物を飲むようになり、以来、習慣になっている。文字に書くことは、無意識の習慣の意識化である。

f:id:ininsui:20210417091731j:plain

カロリーゼロ、という表示につられて、カフェインもゼロなのだろうと思っていたが、本当なのだろうかと、あらためて成分表を見ると、カフェインが入っていると書かれている。これは、無意識に行ってこなかった作業を、意識的に行うことである。カフェインは、個人的には体質に合わない。胃に悪い。動悸がする。食に対して意識的になると、こうやって成分表などを見て、あらためて成分を確認できたりする。

それから、国立精神・神経医療研究センター方式の睡眠日誌をつける。ここ数日、忙しい忙しいと、記録をつけ忘れていた。

ブライトライトの光を浴びながら、しめ鯖を食べる。

f:id:ininsui:20210417093954j:plain

これが朝食。

朝食と言えば、ご飯かパンか、というのが、ふつうの選択だろうか。以前、ハワイ島に滞在していたときに、民宿のような宿だったが、朝、白人のおばあさんが出てきて、パンはどんな種類がいいか、卵は目玉焼きか、スクランブルか、ゆで卵か、ゆで卵なら、半熟か、ハードボイルドか、云々と、延々と選択肢を並べ続けたのを思い出す。選択肢を示して、個人の自由意志によって、自由に選択してもらう、これが白人の文化だ。「お薦めをお願いします」という文化ではない。しかし、ジュースはリンゴかミカンか、など、そもそもの選択肢が限られているのだから、まあ、そんな細かい違いは、どうでもいいだろう、お互い、時間の無駄でしょう?と、反論してしまうこともある。

ここで、また何年も過去のことを書いてしまったが、このことは、たんに私的な経験にとどまらない、西欧文化における自由と選択という概念について考えさせてくれるテーマだとも思う。

ともあれ、朝食にしめ鯖を食べてもいいのである。これもまた個人の選択である。

スマホ看護師さんが「10時です。人工光治療は終わりです。食後の薬を飲んでください」と言う。これは、服薬をわすれないためには、便利なアプリだが「指伝話ぽっぽ」という。

yubidenwa.jp

アラーム機能のアプリは多いが、ユーザーが入力した言葉を、一日に何回か再生することができるアプリは少ない。この「指伝話ぽっぽ」しか知らない。ただ、声が二種類の女声しか選べないのが難点ではある。(他に良いアプリがあれば教えていただきたい。)

オロバタジン、ラモトリギン、その他、ビタミン剤など、サプリを数種、服用。

ラモトリギンは、抗てんかん薬であり、また双極性障害の発症を防止する作用もあるという。飲んでもとくに何の効き目も感じないが、医師の説明によると、病気の発症を抑えるのだという。大学生のときに、てんかんのようなけいれん発作を起こしたことがあるが、脳波検査の結果、てんかんではないと診断された。

躁うつ病だとか、双極性障害だとか診断されたこともあるが、わけもなく気分が落ち込むことなどないし、ただ、ひたすら眠くなることがあるので、特発性過眠症という診断名をもらっている。ときどきテンションが上がって、やはり自分は天才なのではないだろうかと思うこともあるが、そんなものは、せいぜい発揚気質なだけで、およそ躁病といえるほどの異常はない、と笑われたこともあった。え?本当に天才でしょう?と笑われたこともあった。

自分の書いた文章を、自虐的に「観念奔逸」だと書いたこともある。査読をした精神病理学の先生から、そういう、ビンスワンガー的ジャーゴンを、素人が安易に使うべきではない、と、厳しく指摘された。先生によれば、病的な妄想には、実在しない人格や組織があらわれたり、明らかな論理的破綻があるもので、それは臨床現場で長く経験を積んだものだけが、直感的に判断できるようになるのだという。

オロバタジンは、抗アレルギー薬だが、この種の薬は、もう三年ほど飲み続けている。毎年、三月、四月に悩まされてきたスギ花粉症が、ピタリとおさまった。

神経系の疾患やそれを治療する薬物の話になると、無駄に饒舌になってしまう。日記というのは、その日にあったことを書くもので、昨日以前にあったことや、一般的な知識のうち、すでに書いたことについては、その記事にリンクを貼ればいい(→「過眠症」)

「11時、JSTUTC+9」スマホが話す。

朝起きた後、11時ぐらいに、眠気がやってくる。これ以前の時間に出勤すると、そうはならないのだが、家で椅子に座ってPCを打ち続けていると、作業が単調なせいか、だんだん脳の回転が遅くなってくる。

モダフィニルを1錠、100mg服用する。特発性過眠症という診断名に対して処方されている。これを服用すると、一時間後ぐらいには、眠気がましになるが、長続きしない。

ほとんど誰も読まないだろうと思いつつも、読者の反応も気にしてしまう。私じしんは、いつも、数百人ぐらいは読むであろう原稿を書くのを生業にしているので、やはり、数百人ぐらいの読者を想定してしまう。そして、校正のことも考えてしまい、文章を書く速度が落ちてしまう。

講義ノートも書かなければならない。いや、勉強しながら書くのは楽しい。陰謀論についても加筆修正したい(→「妄想と陰謀論」)。しばしば陰謀論にとらわれると、国家的な悪の組織や、国際的な陰謀によって狙われているとか、監視されているとかいった、被害妄想が出てくる。被害妄想は、誇大妄想と表裏一体である。なぜなら、かりに巨大な悪の組織や陰謀があったとしても、凡俗な個人の行動を監視するほどの暇はないのである。妄想の背後には、自分が国際組織に狙われるほど重要な人物だというスケールの錯誤があり、これに気づくだけでも、妄想は軽減する。いっしゅの認知療法である。

睡眠障害改善プログラムで入院していた病院で、片脚を上げたまま、奇妙な格好をして固まっている、統合失調症かと思われる人と出会った。訊けば、自分が勢いよく足を下ろして、地面を強く踏むと、大地震が起こってしまうので、だから、ゆっくり、そっと足を降ろす必要があるのだという。2011年にも、大きな地震が起こったのは、自分が階段を勢いよく降りたからだったのかもしれないとも言っていた。日本人を抹殺するための秘密結社が、海中に爆弾を埋め込んだのだと、そんな陰謀論もあると、これはロンドンで聞いた。これらの話が、絶対に間違いだとはいえないが、ドーパミン受容体拮抗薬を服用すると、妄想的観念の重みがだいぶ楽になるらしい。

精神病的な幻覚・妄想は、ドーパミンの過剰と関係がある。これは、日記に書くことではない。この部分は、切り取って、妄想についての記事に加筆しよう。



指伝話が「失礼します。一時です。昼食の時間です」と言う。入院していたときのことを思い出して、そう言わせているのである。

朝食から昼食までの間、どれぐらいの仕事をしただろうかと振り返ると、書類をすこし書いただけである。メールの返信もできていない。もしメールの送り手が、この記事を読んでいたら、こんな半分ぐらい無意味な記事を書いている暇があれば、早く返信をしてほしい、と思っていたら、どうしよう。もう、日記など書くのはやめようか、とも思うが、ほとんどの人、たとえば職場の同僚などが、こんなものは読んでいないだろうとも思う。みな、忙しいのだ。あるいは、土日は、仕事を止めて、家族とゆっくり過ごすと決めているかもしれない。

そういえば、研究室の本も整理しなければならない。研究室であふれかえっている本たちを、自宅に郵送するために、自宅にある、空のミカン箱を解体し、出勤のときに、持っていくことにする。

それはともあれ、昼食である。朝食は起床後に食べることにしているが、昼食の時間は、なぜ12時と決まっていることが多いのだろうか。たとえば会社で集団で働いている場合、昼休みの時間を決めなければ都合が悪い。学校でも同じだ。

f:id:hirukawalaboratory:20210417134938j:plain
f:id:hirukawalaboratory:20210417135017j:plain
f:id:hirukawalaboratory:20210417135102j:plain

カップ麺など食べていると健康に悪いのではないか、という、超自我からの声が聞こえてきそうなので、サバの水煮も加えてみる。最近は主治医の助言もあって、肉の脂よりも魚の脂、とくにサバやサンマにDHAEPAというω-3脂肪酸が入っていて、これは肥満の原因にはならず、むしろ脳の栄養になるのだという。DHAはサプリも飲んでいる。

驚きといえば、たかがカップ麺、されどカップ麺である。全体が薄いビニールで包まれいて、中を開けると、さらに麺と調味料が別々の袋に入っている。これは日本文化の強迫的な性質が大きく進歩した結果であり、他の民族には、なかなか真似のできないものである。もっとも、今時は、スーパーのレジ袋でも省略するのが資源の無駄遣いを避けることになるという時世である。それに対する逆行かもしれない。ただ、さらに時局的なことをいえば、この、食品を個別に包装するという文化が、唾液などに含まれているウイルスの感染の確率を大きく下げるという良い面もあるのだろうと思う。

四川料理は好物なのだが、同時に2003年に四川省の屋台で食べた料理で食中毒になったことを思い出す。いや、あのときは、呼吸器系の症状と、発熱も伴っていたから、あるいは、SARS、つまり旧型コロナウイルス感染症に罹患した可能性もある。それは未だに謎のままだが、SARSで自然治癒して獲得された抗体が、新型コロナウイルス感染症のワクチン開発につながるというNatureの記事を読み、東大の児玉先生の抗体検査グループにコンタクトをとったものだったが、もし本当なら、きわめて貴重なことであり、慎重に検討させてほしい、という回答を受けとったきりである。

このSARSのことを書きはじめると、また長くなってしまう。変異株だとか、第二波だとかいうが、いま流行しているSARS-CoV-2は、2003年に流行したSARS-CoVの変異株、同種異株なのである。それは、雲南のコウモリに由来する。雲南のコウモリに、原因を解明し、問題を解決する鍵がある。この問題を解決しなければ、また二十年後ぐらいに、同じ病気の流行が繰り返されてしまう、と、ずっと訴え続けているが、そもそも、誰に訴えればいいのかも、よくわからない。さしあたり、こういうことも、日記に書くことではなかろう。(→「2003年、SARS流行下、中国での調査記録」)

日本でのCOVID-19の流行状況については、2020年7月の時点では、流行は終息しつつある、7月に入って新規感染者数が増えているようにみえるのは、検査数の増加による影響が大きいと、楽観的な状況分析をしていた。5月のピーク時の死亡者数は、日本では30名/日程度で、現在の50名/日は、それを超えており、おそらく結核より一桁多く、自殺者数と同程度である。ここ10年間単調減少しつづけた自殺者数は、2020年には、やや増加に転じた。自殺者数は、交絡変数は不明ながら、失業率と高い相関を示す。



「三時です。今日は金曜日です。会議のスケジュールをチェックしてください」

指伝話は、時間だけでなく、発話の曜日も設定できる。デフォルトだと毎日になってしまうので、金曜日だけに設定する。大学での会議も、議題によって、建物の中で行ったり、zoomで行ったり、言ったり来たりで、試行錯誤である。感染症の流行は自然現象のようで、人間の活動とつねに負のフィードバック関係にあるので、意思決定が難しい、というか、不可能である。

f:id:hirukawalaboratory:20210417153013j:plain

三時のおやつという言葉もある。マスカット味で実際にはアスパルテームが使われているゼリーをひとつ。

砂糖のとりすぎも良くないが、人工甘味料も体に悪いのでは?という、意識の高い読者の声も聞こえてくる。正確なエビデンスは知らないが、アスパルテームに発ガン性があると聞いたことがある。しかし、ガンには遺伝的な要素が大きいので、遺伝の部分も知る必要がある。そういえば、血族にガンの人が少ないが、ジーンライフでゲノムを調べたかぎりは(→「個人向け遺伝子解析」)アスパルテームに対する発ガン性が高い変異だという結果が出ていた。しかし、発病率は1.2倍ぐらいであったと思う。こういう曖昧な数字を書いてもいいや、と割り切れないと、日記は書けない。



指伝話を使わずとも、Siriがうまく話してくれればいいのだが、彼女は賢いのだが、デフォルト設定がうまくできない。フレーム問題の一種である。

Siriに八つ当たりをする。

f:id:hirukawalaboratory:20210417153057p:plain

何を聞いても、「すみません」ばかりであるが、何かというと「すみません」というのも、こなれた日本語である。何かを聞かれたら、相手の発話の単語を拾い出して、ほぼ同じ文章を返す。これがELIZA以来の人工無能アルゴリズムだが、Siriはこれを学ばなかったようだ。

「今日は雨ですね」
「そうですね。今日は雨ですね」
「散歩に行けません。残念です」
「そうですね。散歩に行けませんね。残念ですね」

といったプログラムは、簡単に書ける。私じしんも、1987年には、ELIZAを模した人工無能を作ったものだった。

こういう会話で、雨、晴れ、暑い、気温、などのキーワードを拾い出して、天気予報を呼び出すようなアルゴリズムも簡単にできるはずだ。

「今日は雨ですね」
「そうですね。今日は雨ですね。でも、明日は晴れそうですよ」

といった会話は、簡単にできるはずだ。

ELIZAは、じっさいにはロジャース派のパロディだという。クライエントの言うことを、そのまま返しながら、肯定するだけで、けっこうな癒しになるのである。

f:id:hirukawalaboratory:20210417172631p:plain
 
f:id:hirukawalaboratory:20210417172708p:plain

無茶を言いすぎただろうか。「そういうアシスタントに私はなりたい」らしい。カリフォルニア生まれらしいが、多言語対応であり、宮澤賢治も読んでいるらしい。

iPhoneの画面を見ると、未読メールが400を超えている。いつも三桁の数字が出ているのだが、これに見慣れてしまうのは良くない。未返信メールが多数あるということが、日常になってはいけない。しかし、今日は、土曜日で、ひと息ついているのだし、仕事そのものよりは、生活時間の割り振りかたを考えている。

健康のことを考えると、医学のことを考えたくなり、医学のことを考えると、精神医学のことを考えたくなってしまう。睡眠障害で困っているのだが、これは神経疾患なのかもしれないが、分類上は、精神科が扱っている。

ほかに関心があるのは、やはり天文学である。メールの着信が多いのは、天文学会のメーリングリストが多いからだ。そういえば、天文学会の会費を払い忘れていて、払ったのだが、こんどは追徴金の請求が来た。これは、まだ払っていない。

iPhoneの背景は、おとめ座銀河団の近辺の銀河の分布にしている。Local Group、つまり我々がいまいる場所は、けっこうローカルな場所である。スマホの背景画面を見ると、ときどき、パスカル的な畏怖の念を感じる。



日記というもののさらに先に、自分の体にWebカメラをつけ、日々の生活をすべて録画するという考えもあるという。これは、容量からすれば、いまのパーソナルコンピュータでもじゅうぶんに可能だ。けれども、お風呂に入るときは外すのか、お風呂に入るときまで撮影しても意味があるのか、自分でよいと思っても、それをネット上にアップすれば、性的なコンテンツと見なされて迷惑になるかもしれない。

また、ライフログという考えかたもあるという。

たった一度の人生を記録しなさい  自分を整理・再発見するライフログ入門

たった一度の人生を記録しなさい 自分を整理・再発見するライフログ入門

  • 作者:五藤隆介
  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

たった一度の人生なのか、と思う。数十年の時間をすべて録画しても、解像度を下げて圧縮すれば、どれほどのファイル容量になるだろうかと考えるが、計算するまでもなく、意外に低容量だろうと思う。23andMe社から受けとった、100万塩基対のSNPも、ほんの少量のテキストファイルとして保存してある。

ネット上を検索すると、毎日日記をつける方法だとか、ブログの記事のネタ探しの方法といったものがある。毎日起こったことを文章にすれば、かなり長大になるが、といって内容が豊とも限らないし、テキストがメインなら、ファイル容量はかなり小さい。記事のネタを探してまで書かなければならないのか、とも怪訝に思うが、こと私じしんについては、ものを書くのが仕事なので、むしろ、書き切れないほどのネタがある。そう考えると、わざわざ日記などを書くのは、やはり無駄なことなのか、とも思えてくる。

思考を文字に置きかえていくと、文章は長くなるが、思考ではなく、いま起こっていること、それも、栄養学的自省のために、食べものに特化した記録を書くという試みだった。ほかは、別の記事として書きたい。


f:id:hirukawalaboratory:20210417180338j:plain

ウイキョウをひと口。インド的口直し。

それから、日々のサプリメント

これは、日によって、飲み忘れたり、適当に変動する。

午後七時から午後八時にかけて、夕食。

f:id:hirukawalaboratory:20210417210635j:plain
右上が鯖寿司
 
f:id:hirukawalaboratory:20210418011923j:plain
鯖寿司のトレイ

日本では、寿司は精神性の高い食べものだと考えられている。そこには、生の海生動物、というテーマがある。ここでは、レヴィ=ストロース神話論理の始まりである『生のものと火にかけたもの』と、要素が逆転している。私には未だにその意味がわからない。

スーパーで売っているお惣菜であっても、決してコストが安いだけではない。なぜなら、トレイには伝統的な日本画の手法で、この春の弥生を、また日本文化全体を象徴するサクラの花が描かれている。これをデザインしたアーティストにも、過剰な人件費を支払っているはずだ。美は過剰である。トレイに絵が描いてなくても、寿司の味自体が減るわけではない。けれども、その美に対するコストは節約していない。(ただし、299円という価格設定は、日本の伝統美ではない。もう一歩下がって、298円とすべきだろう。)

ここまで行き届いた、繊細な美意識が、トレイにもあったとは、いったんイギリスに行って帰国するまで、気づかなかった。気づかないほど身近に、繊細な美に囲まれて生きてきたのだ、と思う。日本人は宗教心に薄いと言われるが、その精神性は、むしろ芸術の方面で繊細さを洗練させてきた。超越論的ではない、花鳥風月に宇宙の摂理を見出す、精神性である。

食後の薬は、朝食後と同様、ラモトリギンとオロバタジンを一錠ずつ。

12時間以上の時間をかけて、日記というものを書こうとしたら、読みにくくなるほど、長くなってしまった。ふだん、大学での人類学の講義は、こんな内容を、この三倍ぐらいの量を、百分かけて話している。それで、何百人も受講生が集まってくる。楽勝科目だと思われているという側面もあるのだろうが。

指伝話は、今夜できることは、明朝やりましょう。メラトニンを合成するために、液晶画面を消しましょう。やむを得ない場合は、ブルーライトをカットするグラスを使いましょう、と提案してくる。これから、液晶画面を落とそうと思う。



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、一貫性がなく、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/17 JST 作成
CE2021/04/17 JST 最終更新
蛭川立