蛭川研究室

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「人類学B」2021/10/12 講義ノート

人類学Bの授業です。今週と来週ぐらいはまだ様子を見ながらこのオンラインの掲示板方式で続けます。掲示板のほうが発言しやすいという受講者からの意見もあり、受講者数もかなり多くて、1個おきに席を空けて座ると、入れる教室がない、という問題もあります。これは出席率にもよるのですが。

さて先週はホモ・サピエンスがアフリカを出て世界中に拡散したと、それから日本列島民の起源と、そういったお話をしましたが、それから話を続けます。人類の進化の過程で脳が大脳化した、それと言語の使用、などなどのお話しは、ちょっと来週以降にして、今週は日本列島の文化のルーツ、そういうお話をしたいと思います。

前回の日本列島民の起源、あえて日本人という言葉は使わないのですが、その起源論は、おもに遺伝子から分析したルーツの話です。理系のアプローチですね。それに対して、今回は、文化的なルーツ、こちらは文系、文化人類学のテーマです。これをお話ししたいと思います。

その前に、ちょっと遺伝子の話の補足ですが、私じしんが日本とカリフォルニアの遺伝子検査会社で遺伝子の分析をしてもらった、という話をしましたが、これは「個人向け遺伝子解析」という記事に書きました。

この内容自体は人類学Aのほうでも扱いましたが、個人のゲノムが一万円ぐらいで分析できてしまうという、この技術は画期的であると同時に、生命倫理の問題もはらんでおりまして、いま、とても重要な問題です。今週のテーマからはそれますが、興味があれば読んでみて、もし質問があれば聞いてください。

私じしんが分析した結果、母親のほうのミトコンドリアがじつはインドに由来していたとか、ネアンデルタール人の遺伝子がけっこう混じっていたとか、そういうことも記事の中に書きました。

さて日本文化の起源、という話に戻ります。日本文化といっても、時代によって変わってきたのですが、人類学的には、かなり古い時代のことを見ていきます。古代以前の日本文化の特徴として、母系社会で、女性性の強い社会だという傾向があります。中世以降、変わってきたのですが、平安時代以前ですね。

たとえば、日本の文化の特徴として、文学が大いに発達してきた社会だといえます。哲学や宗教や美術よりも、文学に特徴があります。しかも和歌や日記文学ですね。これはいまのブログにまで受け継がれています。さらにいえば、和歌のジャンルは四季の移り変わり、そして恋の歌です。しかも千年も前から多くの女性が文字を習得していて、人間の感情の機微を繊細に描いていた、これは実は世界に類例のないことです。

この、恋愛の和歌、この背景には、通い婚という文化がありました。今の日本の社会は、中世以来、明治時代以前の父系社会から、逆に母系的な方向に戻っているといわれますが、もっと古い時代には、男女が出会うと、男性のほうから、恋の歌を詠んで、女性にアプローチする。女性のほうも、それにイエスかノーか、微妙な気持ちを、巧みな例えを使って歌に託して、男に返す、そういうやりとりが交わされて、お互いに交際しようと、気持ちが一致すると、次は、夜な夜な男性が女性の家に通うようになる。そして女性が妊娠して子供が生まれて、というシステムがありました。

これは今の日本にはもうありませんが、中国の南西部の雲南省少数民族の文化の中に、同じような習慣があります。「雲南省の地図」に、Googleマップへのリンクを張っておきました。私は18年前、2003年に、この雲南省モソ人という少数民族の文化の調査に行きました。そこで、旧型コロナウイルスSARS-CoV-1の感染の始まりと、中国の緊急状態の混乱に巻き込まれてしまいました。このときの詳細な時系列は「2003年、SARS流行下、中国での調査記録」に書きました。

皆さんの中には、また同じ話か!と思っている人もいると思います。昔話を何度も何度も繰り返すようになると、脳も老化してきたか、とも思いますが、しかし、ちょうど皆さんが生まれたころの昔の話かもしれませんが、しっかりと語り継いでいかなければならないことです。いま流行している新型コロナウイルスは、このときに雲南省のコウモリから人間に感染した同種のウイルスの第二波です。もともとの中国のコウモリのウイルスの起源を解明しなければ、これからも二十年おきぐらいに第三波、第四波が繰り返される可能性があるのです。

が、しかし、話を元に戻しましょう。「走婚と送魂ー雲南ナシ族・モソ人の親族構造と死生観」と「走婚ー雲南省モソ人の別居通い婚」に、ナシ族、モソ人の文化のことを書きました。去年の四月、五月ぐらい、緊急事態宣言下で、これは、2003年に中国で流行していたSARSの再来ではないかと、当時の調査ノートを掘り出して慌てて書いたので、時事的な話題と調査記録が混在しています。2003年のときは、最初はウイルスは広東省のネコ、ジャコウネコ、ハクビシンから来たのだとされていましたが、じつは私自身がいた雲南省のコウモリから来ていて、第一波はコウモリから広東省ハクビシンを経由してヒトに、第二波はコウモリから湖北省武漢センザンコウを経由してヒトに感染したというルートが有力視されています。あのときは、まさか自分がいる雲南省から感染が始まったとは気づいていませんでした。現地では情報が混乱していましたし。

また話が逸れましたが、このモソ人の通い婚の文化が、日本の古代、平安時代奈良時代以前の文化ととてもよく似ているのです。それで、日本文化のルーツは、少なくともその一部は、中国の雲南省少数民族だという説が有力視されています。ただし、日本文化といっても、旧石器時代縄文時代弥生時代、それ以降と、重層的ですから、複数の文化が順々にやってきて、重層的に混じり合ったというのが事実だとはいえますが。

モソ人の恋歌の文化を紹介しておきましたが、これと日本の万葉集古今集新古今和歌集と、そのあたりと似ていると、これは日本文学の先生が比較研究しているものを参考にして書いています。同じ系統の民族ですから顔も似ていますし、風景や雰囲気も日本の昔の原風景と重なるところがあり、どこか懐かしいというか、千年も二千年も前の日本にタイムスリップしたような感覚でした。詳しくはリンク先の記事をごらんください。

そして授業の進め方として、具体例を先に出して、それから理論的な背景を見直す、ということで前後しながら進めたいのですが、ここで親族や婚姻の理論的な部分を見ておきたいと思います。

通俗的には、大昔の人類は多夫多妻の乱婚制で、一人の女性が複数の男性と同時に関係を持つので、生まれた子供の父親がはっきりしない、だから大昔の人間社会は母系社会だった、それが一夫多妻制や一夫一妻制に、社会が発展してきて、父系制になってきたのだ、という説が流布していますが、これは19世紀に考えられていた理論で、今では間違っているとわかっています。

しかし、この百年以上前には最先端だった社会進化論が、当時の最先端の社会思想家だったマルクスとかエンゲルスとかいう人に影響を与えて、これが社会主義とか共産主義とかいう政治思想になって20世紀に大きな影響を与えて、今でも中国などでは基本の政治思想になっていますね。ここでは社会主義共産主義という理想が間違いだというつもりはありません。ただ、その背景にあった百年前の社会進化論は間違いだったと解っています。それと今の社会主義共産主義の政治思想とは、あまり関係がないともいえます。

親族と婚姻の理論的なところですが、まずは「単婚と複婚」です。世界中の何百という民族の婚姻形態を比較検討してみますと、じつは多夫多妻婚はほとんどありません。モソ人の社会は多夫多妻に近いのですが、男女が夫婦のようになってもずっと別居し続けるという点でも、非常に例外的な文化です。大昔の人間社会の名残ではありません。だからこそ興味を持って調査に行ったということでもあります。

それから、人間の社会には一妻多夫婚もほとんどありません。そして、圧倒的に多数は一夫多妻婚です。一夫一妻婚が規範とされる社会はごくわずかです。この話をすると、えーっと驚かれることが多いのですが、一夫一妻婚は西ヨーロッパなどの社会で、ローカルな文化だったのが、20世紀になって一気にグローバル化したという社会史があります。このことは、一夫多妻的な群れを作るゴリラと人間の祖先が共通しているという可能性を示唆しているのですが、類人猿の群れについては、また来週以降にお話しします。

それからもうひとつ、親族構造論の基礎理論である「出自の規則」です。母系社会とか父系社会という用語の整理です。雲南や日本ではもともと母系だったという歴史があるのですが、世界全体で見ると、原始的な社会が母系で、進化した社会が父系ではないことがわかります。たしかに進化した社会には父系が多いのですが、これは牧畜社会と関係があるのですね。それに対して農耕社会はどうかというと、双系出自という、母系と父系の中間的な社会が多いのです。

じつは日本の社会は双系社会です。日本で親戚というと、父方と母方の親戚の双方向を思い浮かべますね。姓が違っても母方の親戚も親戚だと考えます。これが双系です。こういう親戚の概念を、専門用語ではキンドレッドといいます。中国や韓国の人はわかると思いますが、中国や韓国は基本が父系なので、親戚というと父方の親戚がメインです。沖縄も中国の影響があって、似ています。

日本も昔は、縄文時代から古代ぐらいまでは母系的だったのが、双系に変わってきたということなのですが、この双系社会は、父系の中国や韓国とは違い、日本と東南アジアに共通しています。さらに興味深いことに、双系社会は大陸の反対側のヨーロッパでも発達してきた文化です。日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族などと安易に対比するのは間違いで、どちらも農耕が基本にある双系社会を発展させてきたと、意外な共通性があるところが興味深く、この双系社会が資本主義の発展と関係しており、先進国へと発展したという説もあるぐらいです。

さて今週はこれぐらいにしておいて、来週は、人間の文化という、文化人類学的な話から、また、サルの社会、脳の進化など、理系の、自然人類学の話に戻っていきます。

昨日の月曜から教室授業をメインにするということで、大学にも活気が戻ってきましたが、授業を教室で実施するか、これは、もうしばらく様子を見ます。四月にも、緊急事態宣言が解除されて、これで今年度は大学も通常通り、となったところで、また緊急事態に戻ってしまったということもありましたから、今後、また緊急事態に戻る可能性もあります。その可能性もありますので、しばらくは様子を見たいと思います。



CE2021/10/12 JST 作成
CE2021/10/12 JST 最終更新
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