蛭川研究室

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「敗北」の文学と聖性のサイバネティックス

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承前。



1923年に書き始められ1927年に絶筆となった芥川龍之介の『侏儒の言葉』には「理性のわたしに教えたものは畢竟理性の無力だつた」[*1]。と遺されている。「理性の無力」とはつまり〈自我〉にたいする〈自我〉の敗北であり[*2]宮本顕治は、これを「敗北の文學」であると批判した[*3]。また宮本は「浪漫時代の道標」において、日本浪曼派を批判している。「初め自然の風物や恋愛の中に誇り高い理想を託していたロマンチスト」は、ニーチェの影響を受けつつも「自我に関する沈潜への道を辿った」。「自我との闘争のみによって、何人も真に解放されたことにはならない。『自我』は十九世紀の哲学と、ブルジョワ経済学によって、社会の発展の原動力として称えられた。しかし、資本主義社会がその存在の秘密を物語るに至った時、曾つて賛むべきであった自我は、人間にとって悪魔の異名に外ならなくなった」[*4]

唯物論プロレタリア文学からの回答である。日本帝国は対米宣戦布告と1945年の「底つき」に向かって転落していった。

太平洋をはさんだ東側のアメリカでは禁酒法が施行されていたが、1933年に失敗する。その翌年、一人のアルコホーリク「ビル」が霊的啓示をえた。キリスト教神学の改革運動でもあったアルコホーリクス・アノニマスの「12のステップ」は、まず飲酒者が「アルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた(admitted)」[*5]という過去形によって、最初の一歩を踏み出す。ここで「アルコール」というのは表層の物質であって、それは〈自我 ego〉が防衛のために利用する道具にすぎない。

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ビル, W.が1953年に書き記した、アルコールからの回復ステップの草案。これが現在の「12のステップ」の元になっているが、この草稿は最初に「admited hopeless(絶望を認めた)」の語から始まっており、「God(神)」は後から書き加えられたように見える[*6]

つまり〈自我〉と〈自我〉の戦いとは自己撞着なのであり、だから〈自我〉は〈自我〉に対して無力なのである。その自己矛盾による敗北の感覚、その身体の感覚を麻痺させる鎮痛薬が、たまたま現代において入手が容易な[厄介なことに美味でもある]アルコールという物質なのであって、それは別の依存性薬物でもよい。芥川はアルコールではなくバルビツール酸に対して無力であることを認めた[*7]。そして、そこから彼の救済が始まるべきであった。

太宰治は1943年に「禁酒の心」という禁酒宣言を発表した。「私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである」[*8]しかし、太宰の禁酒は実現せず、彼もまた救済されなかった。身体の病に苦しめられながら、5年後に情死した。

聖性のサイバネティックスを探究したベイトソンが指摘するように、アルコール依存症は、近代の西洋人が引き起こした〈自我〉と〈身体〉の二元論的分離に起因する[*9]。〈自我〉は自らを防衛するために、その物質的基盤である〈身体〉さえも犠牲にする。その道具としてアルコールが利用される。だからアルコール依存症は〈自我〉の病であるのにもかかわらず、身体の諸器官が侵食を受けたときに、ようやく〈身体〉の病として医療化される。〈自我〉は、依存症が病であることを自ら知っているが、そのゆえにこそ診断と治療を否認する。依存症とは〈自我〉の〈自我〉に対する依存症であり、それは病識の欠如ではなく、病識の否認なのである。

近現代における日本の知識人は西洋文化の急速な受容と葛藤したが、彼らは西欧の〈自我〉を受容しつつも西洋化されたキリスト教を受容できなかった。近代的理性と古代の宗教が矛盾すると考えるのは当然だった。(だからこそアルコホーリクス・アノニマスアメリカ的合理主義とキリスト教の矛盾を解決しなければならなかった。)

夏目漱石の『行人』の中で、一郎は弟の二郎に「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」[*10]と三択を示し、かつ死の無意味さと宗教の不合理を指摘した。さりとて人は自らの理性的思考では狂人にはなれない。〈自我〉はむしろ狂気を嫌う。「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」という一郎の理性の叫びは、ニューヨークの依存症治療病棟におけるビルの「もし神が存在するというのなら、頼むから姿を見せてくれ!何でもする。何でもするから!」[*11]という叫びに呼応する。教会で繰り返し説教される、あのうんざりする〈神〉なるものに我慢がならなかった懐疑論者ビルの〈自我〉が無力を認め、敗北したとき、それに呼応するように、病室はにわかに霊光で満たされたという。

けれども不運な芥川は母親の「発狂」に戦慄しながら、その先に救済を見いだせなかった。彼の生への希求は「天上から地上へ登る為に無残にも折れた梯子」[*12]として終わり、残されたのは「唯ぼんやりした不安」のみであった。

早くから仏教の形骸化が進んだ日本の知識人は舶来のキリスト教の解釈に困惑し、それゆえに宗教との対峙に失敗した。芥川の『西方の人』の冒頭に引用される「この人を見よ(ecce homo)」[*13]という言葉はまた、〈神〉への反逆者ニーチェの自伝の題名でもあった。

「『自我』ときみは言い、そしてこの言葉を誇りとしている。だが、より大いなるものは―きみはそのことを信じようとはしないが―きみの身体であり、そしてきみの身体の大いなる理性である」「感覚と精神とは道具ないしは玩具である。それらの背後には、さらに自己が横たわっているのだ」「自己は」「また自我の支配者でもある」[*14]

だからニーチェの「自伝」における「この人」とは、彼の〈自我 Ich〉ではなく、彼の〈自己 Selbst〉ー意識と無意識の境界を超越した魂=プシュケーの全体ーであった。西欧の知識人は、否応なく宗教と対峙せざるをえなかったのだが、それゆえに〈神〉とは〈自我〉の影であることに気づくことができた。逆説的なことに「神の死」とはつまり〈自我〉の敗北のことであった。

「わたしはあなたがたに精神の三段階の変化を教えた。どのようにして精神が駱駝になったか、駱駝が獅子になり、そして最後に幼児になるかということだ」「幼児は無垢である。忘却である。ひとつの新しい始まりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である」[*15]

ニヒリズムとは〈自我〉の死であり〈身体〉の死ではなかった。〈自我〉が無力であることを認めたとき、〈自己〉という全体性が回復され、そこに「聖なる肯定」が立ちあらわれるのである。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2022/03/08 JST 作成
CE2022/03/22 JST 最終更新
蛭川立

*1:芥川龍之介 (1923-1927/1999)『侏儒の言葉青空文庫.

*2:kuriggen (2007).「敗北の文学の敗北、という結果をどう認識すべきなのか?」『kuriggen’s diary』(2022/03/09 JST 最終閲覧)

*3:宮本顕治 (1929).「敗北の文學ー芥川龍之介氏の文學について−」『敗北の文學』河出書房, 8-38.

*4:宮本顕治(1929). 「過渡時代の道標」『敗北の文學』河出書房, 48-49.

*5:[著者・訳者匿名]『12のステップと12の伝統』, 5.

*6:Original Six Steps in Alcoholics Anonymous

*7:立山萬里は、芥川を死に追いやったのは芸術至上主義という観念ではなく、精神疾患だと分析している。さらに『歯車』の記述を精神病理学的に検討し、この精神疾患はー芥川の母親の病状から推測されるー統合失調症ではなく、バルビツール酸依存症だと結論づけている。バルビツール酸エチルアルコールと同様、GABA受容体のアゴニストであるが、アルコールに匹敵する依存性の強さゆえに、現代の日本では、ほとんど処方されなくなった。
立山萬里 (2011). 『天才作家のこころを読む』 文藝春秋企画出版部.

*8:太宰治 禁酒の心

*9:ベイトソン, G. 佐藤 良明(訳)(2000).「『自己』なるもののサイバネティックスアルコール依存症の理論ー」『精神の生態学新思索社, 421-455.

*10:夏目漱石 (1912-1913/1999)『行人青空文庫.

*11:『アルコホーリクス・アノニマス 成年に達する』, 94.

*12:芥川龍之介 (1927/1998)『西方の人青空文庫.

*13:ヨハネによる福音書

*14:ニーチェ, F. 吉沢伝三郎(訳)(1993).『ツァラトゥストラ(上)』筑摩書房.

*15:ニーチェ, F. 薗田宗人(訳)(1982).『ニーチェ全集 第一巻(第Ⅱ期)ツァラトゥストラはこう語った白水社.