蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「ゲリラ」としての学際研究

新しい研究分野は、必然的に学際的な様相を帯びるものである。しかし、学際的ということは、広く浅い雑学という意味ではない。すこし長くなるが、日本の宗教学の先駆者のひとりである柳川啓一による、よく知られた一節を引用する。

…宗教学は、宗教一般を解くきめ手を求めて、社会、心理、文化に関する理論を追う放浪の旅に出てしまった。さきの(野次馬の:引用者注)定義「自分ノ関係ナイコトヲワケモナク騒ギ廻ル」というのは、家に落ち着いている人からみた冷酷な定義ではないか。野次馬にとってみれば、何もかもが自分に大いに関係がある気がして騒ぎ廻るのである。新奇な理論と領域を追い求めた野次馬性とは、実はゲリラ性ということができる。こうした意味のつけ方によって、従来、他の学問に対してひけ目と自認していた点を、一挙に積極的ポイントに転化できる。
 
手もとの百科事典によるゲリラの定義。
 
「一定ノ公表サレタ制服ヲ着用セズ、カツ正規軍ニ属スルコトヲ明示シナイデ、対敵戦闘行動ヲ行ナウ者オヨビソノ団体ヲイウ」(小学館版)。
 
われわれは、宗教学であるという「制服」は着用せずともよいし、学問上の「正規軍」であることを明示する必要もない。他の学問があまり手をつけていない領域に、別にこれが宗教学と名乗りもあげず、忍び込んだ上での奇襲攻撃が、われわれの本領ではなかったか。
 
…しかし、と疑問を出す人もいる。それらの領域で、けっきょく、アマチュア、せいぜい、セミ・プロ扱いをうけて引き下がらずにえないのではないか。そう、もう一つのゲリラ行動の特徴がある。さきの百科事典のつづき。
 
「ゲリラハ、単独マタハ小部隊ノ行動ニヨリ敵ヲ奇襲シテ小戦果ヲアゲ迅速ニ退却スル」。
 
ここが大事な所で、戦場に長く留まってはいけない。社会学とか心理学とか其の他何々学という正規軍が到着して、調査・実験の正確性とか、役割構造・因子分析とか、土語を習得して一年滞在とかうるさいことを言い出したらさっさと引き揚げるべきである。何よりもわれわれの目標は、宗教に対する興味であって、一定の収穫があればそれでたりる。
 

(柳川啓一「異説 宗教学序論」[*1])

私は、たとえ比喩であっても、軍事的な問題解決を好むものではない。しかしこの言葉は含蓄深い。こうした流れの延長線上に、植島啓司中沢新一といったトリックスターたちが位置している。彼らの研究スタイルには賛否両論があるが、それがトリックスターの、トリックスターたる所以でもある。それには相応のリスクが伴うのも事実であり、だから「ゲリラ戦」なのである。

制服には制服の美学がある。しかし、何よりも先立つのは「宗教に対する興味」なのだから、必ずしも「宗教学であるという『制服』」を着用する必要もない。

ここでは、とくに宗教学だけについて議論しているわけではない。その「宗教」を別の関心対象に置き換えても、同様の議論は成り立つ。「○○に興味がある」(が、それが「なに学」なのか解らない)という関心が、「○○学」という領域設定に先立つのである。もし「○○学者だから、○○の研究をする」だとか「○○学の方法論は××だから、その方法論の対象となる研究をする」と考えるとしたら、それは「正規軍」の発想である。すでに目的と手段が入れ替わってしまっているのである。



CE2016/12/10 作成
CE2022/06/30 更新
蛭川立

*1:祭と儀礼の宗教学』1987年、7-8頁。初出は1972年。