蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

弁護側証人尋問 ー京都アヤワスカ茶会裁判ー

令和3年、西暦2021年11月10日。京都地方裁判所

弁護側証人尋問が行われた。

ヒーラーの証人尋問

午前11時より、2020年2月26日に青井被告を自宅に招いて「お茶会」を行った「ヒーラー」の女性に対する尋問が行われた。

この日、青井被告は自分で作ったミモザ属の一種であるMimosa tenuifloraの茶を服用し、イカロを歌った。イカロというのは、アマゾンの先住民族アヤワスカの茶会で歌う治療歌である。

青井被告がDMTを含むミモザの茶を飲み、歌を歌った。じつは、それだけのことが「麻薬の施用」の疑いをかけられており、この裁判のいちばんの中心である。

ヒーラーの人を含め、他の参加者はミモザの茶を飲んでいない。

ヒーラーの女性は、お茶会とは、心の問題を癒やす、その問題解決の方法を探すのをお手伝いすることだと説明した。正八面体の結界を張って、そこに「アヤワスカの精霊さん」を呼ぶのだという。彼女は、それはあくまでもイメージです、と丁寧に補足した。

裁判官は「アヤワスカの精霊さん」についての証人尋問を採用したわけであるが、検察側からの反対尋問は「ありません」だけで終わった。

青井被告が服用した茶がかりに麻薬であったとしても、それが真摯な宗教行為であるから違法性は阻却される、というのが弁護側の主張である。裁判長は判決の中で、医療用麻薬は免許をとれば使えるのだから、無免許で使用するのは違法だという考えを示した。

弁護側の主張は、お茶の服用は病気の治療ではなく、宗教的なカウンセリングのようなものだ、ということである。投薬をしておきながら、それは医療ではないとするのは、奇妙な主張である。しかし、アヤワスカ儀礼では、シャーマンだけがアヤワスカを服用して変性意識状態に入り、客がアヤワスカを飲まないことも多い。これは、いわゆる医学とは文化的な意味づけが異なる。

大学生の証人尋問

午後1時30分から、二人目の証人尋問が行われた。

青井被告から譲渡されたMedi-Tea(ソウシジュ: Acacia confusa)を茶にして服用し、自らの自殺念慮を自己治癒したが、横で見ていた友人が救急車を呼んだという事件の当事者である。



係員が長いアコーディオンカーテンを持ってきて、法廷と傍聴席の間が仕切られた。青井堂のMedi-Teaを飲んで自らの希死念慮を自己治癒してしまった大学生の証人尋問である。彼は文章は上手だが人前に出るのが苦手だという。法廷で証言するなど、ふつうの人間でも緊張して震えてしまうだろうと思うのだが、傍聴席からは姿が見えないように配慮した上で、尋問が行われた。

アコーディオンカーテンの向こうから、小声で宣誓するのが、かろうじて聞こえた。

二人の弁護人による質問が始まった。

大学生「中学生のときから心療内科で社交不安障害だと診断されていました。心療内科の薬もぜんぜん効果がありませんでした。社交不安障害、診断はそれだけですが、抑うつと思います。診断名はついていませんが。ASDADHDで人間関係がうまくいかなくて、二次障害として不安とうつが」

喜久山弁護士「どういう理由でMedi-Teaを飲んだのですか?」

大学生「治療に役立つと知って、DMTの抗うつ効果にひかれて購入しました。うつ病、社交不安障害が今よりましになるかなと思って」

喜久山弁護士「その日のことを教えてください」

大学生「友達もうつ病に悩まされていました。いっしょに自殺しようと。一日前にブロンをODしました。かぜ薬で、コデインが入っています。二十錠飲みました。でも死ぬ前に人生観を変えようと。MediTeaを二人で飲もうと」

喜久山弁護士「どんな体験をされましたか?」

大学生「えー、まず、まず、幾何学模様がまぶたにぐるぐる展開しました。友人はトイレで吐いていました。友達に慈愛のような、いたわってあげようと。どんどん内面世界に入って行って」

喜久山弁護士「内面世界とは?」

大学生「思考そのものです。一時間後ぐらい。救急車で運ばれて、三十分ぐらいで、ベッドで外界が認識できました・・・えーっと、エゴイスティックな、自分の利益を超えて、他の存在も自己も、無償の愛、無償の肯定。犬と猫を分けるものがなくなり、動物という概念になるように、すべて区分できない、知覚できる世界全体・・・生きてる状態も死んでる状態も同じ。生きてても・・・えー・・・死をも恐怖する必要がなくなりました。と同時に、生も価値がない、自由。差別、区別がなくなりました」

喜久山弁護士「死のうという考えは?」

大学生「1年ぐらいは消えていました。生に肯定的でした。今は・・・自由に生きているというか、そういう感じです」

喜久山弁護士「最近はあまり良くない?」

大学生「周りからの期待、電車内で変な人と思われたり、視線恐怖、そういう不合理な思考がなくなりました。・・・裁判所で不処分、罪が重くなるから言わないほうがいい。と言われました」

永吉弁護士が追加で質問した。

永吉弁護士「同時になにか飲みましたか?」

大学生「オーロリクス[*1]を飲みました」

永吉弁護士「なんで?」

大学生「MAOIがDMTを分解するのを妨げました」

弁護側からの質問が終わった。検察側からは質問がなかった。それで尋問は終了した。



そもそも「社交不安障害」という診断を受けていて、外出して人と合うのも苦手な大学生である。よく裁判所まで来て証言台で話すことができたものだが、じっさいの尋問で語られたのは上記の通り、口数は少なく、小声で、断片的なものだった。

大学生の体験はもっと深く、背景もいろいろあるのだが、進行中の裁判に関わることでもあり、未成年であって情報が保護されていることもある。著者なりのまとめは、裁判の概要の「大学生の事件」に書いておいた。

追記

事件の当時(2019年7月)に18歳だった大学生も、2年後には成人し、弁護士を通さずに話ができるようになった。

彼は、ショーペンハウエルの著書、とくに『意志と表象としての世界』[*2]に傾倒していた。ショーペンハウエルは、意志の否定を説いたが、この手段は、かならずしも身体的な自殺だけではない。むしろ身体がどうであれ、意志を否定する方法として、ショーペンハウエルは、むしろインド哲学における解脱の概念に近づいていった[*3]

大学生はショーペンハウエルが紹介しているヴェーダーンダ哲学によって自身の体験を解釈しているようであるが、ただしショーペンハウエルの時代のドイツでは、インド哲学は[西洋思想の側からのオリエンタリズムもあり]注目されていたが、情報は不完全だった[*4]

また大学生は、二元論的分節によって[言語の]意味が生成されており、その分節が消えると意味が消えるという体験について、間接的にヴィトゲンシュタインを参照しているようである。ヴィトゲンシュタインが唯一、参照した哲学者はショーペンハウエルだといわれているが[*5]、大学生は『論理哲学論考』における「思考し表象する主体は存在しない」[*6]という記述にも共感しているようで、体験後、さらに数学基礎論への関心を強めているようである。

今後も彼との対話を続けながら、彼の思考を理解していきたい。(もちろん、これは著者だけのテーマではなく、むしろ哲学・思想方面に詳しい皆さんとも共に考えていきたい問題である。)



→「京都アヤワスカ茶会裁判」(裁判の概要)

  • CE2022/03/27 JST 作成
  • CE2023/03/12 JST 最終更新

蛭川立

*1:物質名はモクロベミド。MAOI(モノアミンオキシダーゼ阻害薬)。麻薬としては規制されておらず、日本では個人輸入と個人使用が認められている。大学生はモクロベミドを自分で個人輸入したらしい。

*2:ショーペンハウアー, A. 西尾幹二(訳)(2004).『意志と表象としての世界Ⅰ』中央公論新社.

(Schopenhauer, Arthur (1819). Die Welt als Wille und Vorstellung. F. A. Brockhaus Leipzig.)

*3:ショーペンハウアー, A. 秋山英夫(訳)(2004).「サンスクリット文学に対する二、三のこと」『ショーペンハウアー全集(13)』白水社, 229-242.

*4:橋本智津子 (2004).『ニヒリズムと無ーショーペンハウアーニーチェインド哲学の間文化的解明』京都大学学術出版会.

*5:ワイナー, D. A. 寺中平治・米澤克夫(訳)『天才と才人ーウィトゲンシュタインショーペンハウアーの影響』三和書籍, 9.

(Weiner, D. A. (1992). Genius and Talent: Schopenhauer's Influence on Wittgenstein's Early Philosophy. Fairleigh Dickinson University Press.)

*6:ウィトゲンシュタイン, L. 奥雅博(訳)(1975).『論理哲学論考』(5・631)『ウィトゲンシュタイン全集』大修館書店, 96.

(Wittgenstein, L. (1922). Tractatuslogico-philosophicus. Kegan Paul.)

アサ(大麻)の起源と伝播

Origin and Distribution of Cannabis


www.youtube.com
ヒマラヤ山脈南東部、ブータンに自生するアサの雄株。(蛭川撮影、2007年)

ヘンプマリファナ

アサ属(Cannabis spp.)には、大きく分けて、東アジア、南アジア、ヨーロッパの3系統がある。

ヨーロッパの系統をCannabis sativa、東〜南アジアの系統をCannabis indicaとして別の種に分類することもあるが、C. indicaC. sativaの亜種だとする説もある。

https://geography.unm.edu/assets/img/map-of-the-month/duvallmotm.jpg
10000年前から西暦1500年ごろまでのC. sativa(紫)とC. indica(赤・青)の分布[*1]

南アジアの系統にはTHCなどの精神活性作用の強い物質が多く含まれており、瞑想や陶酔のために使用されてきた。いっぽう、東アジアとヨーロッパの系統では精神活性物質の濃度が薄く、おもに繊維材料として使用されてきた。

前者をマリファナ、後者をヘンプと呼び分けることもある。

https://media.springernature.com/original/springer-static/image/chp%3A10.1007%2F978-3-319-54564-6_1/MediaObjects/418623_1_En_1_Fig7_HTML.gif
緑は繊維材料として使われてきたヘンプの系統、赤は宗教儀礼に使われてきたマリファナの系統[*2][*3](原産地については以下を参照)

ヘンプマリファナは栽培による交雑によって作られてきたもので、俗に言う「サティバ」と「インディカ」という分類とは必ずしも対応しない。

東アジア起源説

アサの原産地は中央アジアチベット高原の西側だろうと考えられてきたが、近年では考古学や遺伝学の研究が進み、アサはチベット高原の東側で、約2000万年前に祖先種から分岐したと推定されている[*4]

https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41438-020-0295-3/MediaObjects/41438_2020_295_Fig3_HTML.png?as=webp
アサ科の系統樹[*5]

また、アサと同様にTHCを産生するウラジロエノキ(Trema orientalis)は約4000万年前に分岐したとも推定されている[*6]

さらに、ゲノムワイド関連解析の結果、東アジアの系統が野生種に近く、人間による栽培が始まった後、南アジアの系統とヨーロッパの系統が分岐したことが明らかになってきた。

https://www.science.org/cms/10.1126/sciadv.abg2286/asset/2d5fa3a2-0a84-4f77-8ced-692128cd72bc/assets/images/large/sciadv.abg2286-f1.jpg
東アジアの系統(黄色)、南アジアの系統(水色)、ヨーロッパの系統(緑色)の系統関係[*7]

東アジア、南アジア、ヨーロッパの3系統は約1万年前に分岐したと推定されている。アサ栽培の最古の考古学的証拠は9000年前(縄文時代早期)の日本で発見されており[*8]、中国よりも古い。

https://www.science.org/cms/10.1126/sciadv.abg2286/asset/6a1eb497-3af1-47c6-a351-fd2096092e2c/assets/images/large/sciadv.abg2286-f2.jpg
[右上B]元々の系統、ヘンプの系統、マリファナの系統の分岐年代[*9]

THCの含有量が多く、陶酔作用の強い品種は北インドで育種が進められてきたようである。マリファナの分岐年代は3500-4000年前で、インダス文明が滅亡し、アーリア民族が南下した時代よりもすこし前である。インド思想史からすると、ヴェーダの思想がウパニシャッドへの思想へと深化していく、すこし前の時代である。

アフリカから南北アメリカ大陸へ

アサの栽培は中世のイスラーム世界で西アジアから北アフリカに広がり、さらに西アフリカから植民地化された南北アメリカに伝わった。

https://www.researchgate.net/profile/Barney-Warf/publication/266083497/figure/fig2/AS:667032324431872@1536044307096/Historical-diffusion-of-Cannabis-Sativa.png
アサ(大麻)栽培の伝播[*10]

アメリカ大陸におけるアサはアフリカ系文化との結びつきが強く、それがアメリカで有色人種の差別と結びつき、大麻の世界的規制につながったという[*11]。ジャマイカではガンジャが黒人によるアフリカ回帰運動、ラスタファリズムのシンボルになった。

ブラジルのアフロブラジリアン・アヤワスカ宗教であるサント・ダイミのセバスチャン折衷派(CEFLURIS)が大麻を「サンタ・マリア」として受容したのは、さらに新しい時代で、欧米のヒッピー文化との習合である(→「ブラジルにおけるアヤワスカ宗教運動の展開」)。



記述の自己評価 ★★★☆☆

CE2021/04/26 JST 作成
CE2023/05/03 JST 最終更新
蛭川立

*1:Laura Pasku Featured Map September 2018. The University of New Mexico Geography & Environmental Studies.(2022/03/30 JST 最終閲覧)

*2:Ernest Small (2017). Classification of Cannabis sativa L. in Relation to Agricultural, Biotechnological, Medical and Recreational Utilization. In Cannabis sativa L. - botany and biotechnology, 1-62.

*3:Ernest Small (2015). Evolution and Classification of Cannabis sativa (Marijuana, Hemp) in Relation to Human Utilization. The Botanical Review, 81(3), 189–294.

*4:John M. McPartland, William Hegman, and Tengwen Long (2019). Cannabis in Asia: its center of origin and early cultivation, based on a synthesis of subfossil pollen and archaeobotanical studies. Vegetation History and Archaeobotany, 28, 691–702.

*5:A high-quality reference genome of wild Cannabis sativa | Horticulture Research

*6:A high-quality reference genome of wild Cannabis sativa | Horticulture Research

*7:Guangpeng Ren, Xu Zhang, Ying Li, Kate Ridout, Martha L Serrano-Serrano, Yongzhi Yang, Ai Liu, Gudasalamani Ravikanth, Muhammad Ali Nawaz, Abdul Samad Mumtaz, Nicolas Salamin, and Luca Fumagalli (2021). Large-scale whole-genome resequencing unravels the domestication history of Cannabis sativa. Science Advances, 7(29), doi: 10.1126/sciadv.abg2286.

*8:小林真生子・百原新・沖津進・柳澤清一・岡本東三 (2008).「千葉県沖ノ島遺跡から出土した縄文時代早期のアサ果実」『植生史研究』16(1), 11-18.

*9:Guangpeng Ren, Xu Zhang, Ying Li, Kate Ridout, Martha L Serrano-Serrano, Yongzhi Yang, Ai Liu, Gudasalamani Ravikanth, Muhammad Ali Nawaz, Abdul Samad Mumtaz, Nicolas Salamin, and Luca Fumagalli (2021). Large-scale whole-genome resequencing unravels the domestication history of Cannabis sativa. Science Advances, 7(29), doi: 10.1126/sciadv.abg2286.

*10:Barney Warf (2014). High Points: An Historical Geography of Cannabis. Geographical Review, 104(4), doi:10.1111/j.1931-0846.2014.12038.x

*11:山本奈生 (2021).『大麻社会学青弓社.

【資料】サルトル『実存主義とは何か』

サルトルが『実存主義とは何か』において「実存(existentia)」は「本質(essentia)」に先立つがゆえに「人間は自由の刑に処せられている(L’homme est condamné à être libre)」と論じている部分。

無神論実存主義はいっそう論旨が一貫している。たとえ神が存在しなくても、実存が本質に先立つところの存在、何らかの概念によって定義されうる以前に実存している存在が一つある。その存在はすなわち人間、ハイデッガーのいう人間的現実である、と無神論実存主義は宣言するのである。実存が本質に先立つとは、この場合何を意味するのか。それは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、その後で定義されるものだということを意味するのである。実存主義者の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何ものでもないからである。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間は自らが造ったところのものになるのである。このように人間の本質は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。人間は、自らそう考えるところのものであるのみならず、自ら望むところのものであり、実存して後に自ら考えるところのもの、実存への飛躍の後に自ら望むところのもの、であるにすぎない。人間は自らつくるところのもの以外の何物でもない。以上が実存主義の第一の原理なのである。
 
(中略)
 
ドストエフスキーは、「もし神が存在しないとしたら、全てが許されるだろう」と書いたが、それこそ実存主義の出発点である。いかにも、もし神が存在しないなら全てが許される。したがって、人間は孤独である。なぜなら、人間はすがりつくべき可能性を自分の中にも自分の外にも見出し得ないからである。人間はまず逃げ口上をみつけることができない。もし果たして実存が本質に先立つものとすれば、ある与えられ固定された人間性を頼りに説明することは決してできないだろう。いいかえれば、決定論は存在しない。人間は自由である。人間は自由そのものである。もし一方において神が存在しないとすれば、我々は自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。こうして我々は、我々の背後にもまた前方にも、明白な価値の領域に、正当化のための理由も逃げ口上も持ってはいないのである。我々は逃げ口上もなく孤独である。このことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。刑に処せられているというのは、人間は自分自身を作ったのではないからであリ、しかも一面において自由であるのは、ひとたび世界の中に投げ出されたからには、人間は自分のなすこと一切について責任があるからである。

 
実存主義とは何か』[*1]

なお『嘔吐』(La Nausée 1938)については別の場所で論じたいが、サルトルの思想の背景には1935年のメスカリン体験がある[*2]ことを追記しておきたい。


  • CE2022/04/24 JST 作成
  • CE2022/05/01 JST 最終更新

蛭川立

【資料】レヴィ=ストロース「歴史と弁証法」

レヴィ=ストロースの「歴史と弁証法(Histoire et dialectique)」は、フランス現代思想の歴史において、サルトル実存主義(→「【資料】『実存主義とは何か』」)を論破し、構造主義の時代の幕開けを告げたと評されているが、その議論の中心に、単純に還元主義的、自然科学的な主張が含まれていることは注目に値すべきである。

レヴィ=ストロースのいう「人文科学」とは「sciences humaines」のことであり、しばしば「人文学」と和訳される「humanités」のことではない。この「科学」は、「人間」を自然科学的に融解=還元するという、冷徹な作業である。

以下に「歴史と弁証法」から、この「人文科学」の、自然科学的な志向性を[やや恣意的にではあるが]抜粋する。

人文科学の窮極目的は人間を構成することではなく人間を溶解することである。…民族誌的分析は、さまざまな人間社会の経験的多様性を越えて、不変式に到達しようとする。…むしろ精密科学、自然科学の仕事である。その仕事とは、文化を自然の中に統合し、さらに窮極的には、人間の生き方を物理化学的条件の全体の中に統合することである。
 
…だからと言って、「溶解する」という動詞が、他の物質の作用を受けるある物質の構成部分の破壊をなんら意味しない(それどころか、排除する)ことを見失いはしない。ある固体をある液体の中に溶解するとき、前者の分子の配列は変化を受ける。溶液はまたしばしば、分子を備蓄しておく有効な手段となる。そうすれば、必要に応じて取り出して、分子の属性をよりよく研究することができるのである。かような次第で、私の考える還元の操作は、つぎの二つの条件が満たされないかぎり正当化されえないし、また可能にならない。条件の第一は、還元される諸現象の中身を減らさぬこと、そしてまた、あらかじめ各現象の周囲に、その豊かさや弁別的独自性に貢献するあらゆる要素をぬらさず集めたことを確かめておくことである。

…科学的説明とは、複雑さから単純さへの移行ではなく、可知性の低い複雑さを可知性の高い複雑さに置きかえることなのである。
 
無意識的目的性は、歴史性をもつにもかかわらず人間の歴史にはまったく捕捉されず、言語学精神分析学によってそのいくらかの面が明らかにされるにすぎない。それはまた、生物学的諸機制(脳の構造、傷害、内分泌)と心理学的諸機制との組み合わせに基づいて成立する。…史実とは、実際に起こったことである。しかしながら、何かが起こったと言うとき、起こる場所はどこなのか?ある革命、ある戦争の挿話の一つ一つは、多数の心理的・個人的な動きに分解される。そしてこれらの心理的な動きはそれぞれ無意識の生理的変化を反映しており、またその変化は脳、ホルモン、神経の現象に分解される。そしてこれらの現象の基礎それ自体は物理的・化学的性質のものである……。

 
レヴィ=ストロース「歴史と弁証法[*1]



記述の自己評価 ★★★☆☆

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2022/03/25 JST 作成
  • CE2022/04/24 JST 最終更新

蛭川立

*1:レヴィ=ストロース, C. 大橋保夫(訳)(1976).『野生の思考』みすず書房, 296-310. ( Lévi-Strauss, Claude (1962). Histoire et dialectique. La pensée sauvage. Plon, 292-321. )

北インドのシヴァ・ラートリー

Shivaratri Festival in Varanasi of Northern India

シヴァ・ラートリー。世界の死と再生の神、シヴァの夜。ヒンドゥー暦で最終月の新月の晩。日本でいえば、大晦日の夜というところか。

初めてインドを訪れたとき、わくわくする気持ちで夜行列車に乗り込み、まずは定番の観光地、聖都ヴァラナシを目指したものだった。もちろん、シヴァ・ラートリーの夜を狙って。白熱電球の黄色い光に照らし出された、世界の主(ヴィシュワナート)=シヴァを祀る総本山の、迷路のような参道。押し寄せる参拝客の無秩序な大群。マリーゴールドの花輪、大麻(バング)ラッシー、シヴァ神の象徴である黒い男根(リンガ)、等々を売る屋台がひしめき合っている。肉声なのか、録音なのか、あちこちから聞こえてくる祈りの歌が、騒がしいほどに神々しかった。まるで夢の中にいるような気分だった。

門を越えて寺院の本殿に入ろうとしたところで、白装束の祭官とおぼしき人物に呼び止められた。

ここから先はヒンドゥー教徒しか入ってはいけないのだという。無論、そこですぐに引き下がるわけにはいかない。せっかく鼻の下にチョビ髭を生やしてきたのだ。顔立ちのせいも相まって、日本人には見えないらしい。「ネパーリー?フィリピィーノ?」。国籍を確認する書類を見せろということらしい。僕は、菊の御紋の入った赤いパスポートを腹巻きから取り出し、水戸黄門よろしく見せつけ「ジャパニーだ」と言った。

彼曰く、「ジャパニーは仏教徒だ。異教徒はこれ以上先には入れない」。

まだまだ引き下がりはしない。議論はこれからだ。「ヒンドゥーの神、ヴィシュヌは十の化身を持つ。ところでその第九の化身はブッダである。ゆえにブッダを信じることはヴィシュヌを信じることと同義であり、仏教とはヒンドゥー教の一派である」。定番の問答だが、向こうも負けてはいない。さらに激しい巻き舌英語で反論してくる。「確かにそうかもしれない。だがここはシヴァ派の寺院だ。ヴィシュヌ派ではない」。議論に隙あり。僕は知ったかぶりにサンスクリット語を織り交ぜながら一気に反論を展開する。「世界の創造者たるブラフマー、維持者たるヴィシュヌ、破壊者たるシヴァは、存在の根源たる形なき宇宙原理が、仮の形態をとって現われたものにすぎず、その本質は一つである。これを三位一体(トリニティ)、いや、サンスクリットではトリムールティという。違いますか?」

さすがに祭官の表情に敗色が見え始めた「どうやらあなたは大変に深い教養をお持ちのようだ・・・」。後ろでちょろちょろしていた、彼の娘と思われる女の子が前に出てきた。僕はすかさずポケットから和解金、五ルピー札を取り出して彼女に渡した。彼は横目で娘を見、苦笑しながら、ついに首を横に振った。「OK」の意味である。屁理屈と非暴力。たとえ詭弁を使っても暴力は使わない。それがこの土地の知識人たちに受け継がれてきた偉大なスピリットなのだ。

そしてその晩は、総本山の本殿でバラモンたちがシヴァを讃える聖歌を朗唱し続けるのを、夜が白みはじめるまで恍惚とした気持ちで聞き続けた。

やがて東の空が虹色の朝焼けに染まりはじめた。儀礼はまだ終わっていない。しかし僕はバラモンたちに礼を言うと、さっそく川岸のガートへと急いだ。

はるか東方に見える彼岸の砂洲、その上に広がる空がインディゴから蓮華色まで、壮大なグラデーションを描いていた。やがて皆既日食から戻ったばかりのまばゆい太陽が、ほぼ真東から姿を顕し、河原の無数の砂粒を、無数の砂粒の数にひとしい人間たちを祝福するように、惜しみなく照らし出していく。なるほど醒めた目で見ればそのあたりの土産物屋に売っている絵葉書そのままの光景だ。しかし、その時は明らかに意識の状態が日常とは変容してた。全世界は昨夜破壊され、今朝、再創造されたのだ。朝陽にきらめくガンガーの神聖さは、言語で表現できるものを超えていた。そのような場所を、聖地というのだろう。言語では伝えられないからこそ、人は自らの身体をその地に運ぶのである。



蛭川立 (2011). 「ガンジスの砂の数ほど(意識のコスモロジー)」『風の旅人』43, 17-20. 
記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2011/06/01 JST 公刊
CE2018/11/18 JST 電子版作成
CE2022/03/15 JST 部分改訂版作成
蛭川立

向精神薬 〈酔い〉 自力 他力
興奮剤 「カテコール酔い」 自信 否認
抑制剤 オピオイド酔い」 無力 否認
幻覚剤(使用中) (底つき→絶対他力 無力 受容
幻覚剤(使用後) インドール酔い」 自信 受容

 

  1. 自力で努力
    • 第一希望を狙って寝ないで受験勉強
    • カフェイン?軽躁状態
  2. 自信喪失
  3. 現実逃避
    • ジヒドロコデイン(ブロンエース)服用→数時間しか効かない
    • (未成年なのでアルコールは飲まなかった?)
  4. 抗うつ薬
    • アリピプラゾール(エビリファイ)→効かない
    • (その他?)→効かない
  5. 「死にたい」のは本当は「生きたい」のだ
    • DXM(ブロンL)→効かない
    • DMT(アカシア)+モクロベミド(MAOI)→劇的効果
  6. サイケデリック(精神展開)体験
    • 自己言及の「無限地獄」
    • 無限に身を「ゆだねる」
    • 光の「はからい」による救済
  7. その後



以上は大学生の話から推測した内容であり、大学生の主観的体験や薬物と体験の正確な因果関係は不詳。

→事件と裁判の詳細は「京都アヤワスカ茶会裁判ーアマゾンの薬草が宗教裁判に?」をご覧ください。

遺伝子からみた日本列島民の系統

二重構造説

日本人は、日本人の起源論が好きである。実際、日本人の系統は単純ではなく、いまだに詳細がわかっていない。

民族集団の系統関係と言語の系統関係がよく一致することから、言語の類似性から人種や民族の系統を探る試みが続けられてきた。言語学的にみると、韓国・朝鮮語と日本語は、いずもアルタイ諸語との関係が指摘されているが、確かな類縁関係は示されず、言語として孤立している。さらにオホーツク海の周囲には、アイヌ、ニブフ(ギリヤーク)という孤独語が分布している。これだけ孤立した言語が並んでいる地域は珍しい。

日本人の系統は単一ではなく、先住の縄文人が狩猟採集生活を行っていたところに、稲作技術を持った弥生人が渡来し、混合したのが日本人だというのが二重構造説である。この二重構造説によって、日本人が単一の系統では説明できないことが解釈できる。弥生文化が伝わらなかった北海道では縄文文化が残り(続縄文文化)、オホーツク文化と交流し、現在のアイヌに引き継がれた、あるいは、弥生文化が遅れて伝わった沖縄にも、縄文人の要素がより多く残っているという説とも整合性がある。

二重構造説では、縄文語は南方系の、おそらくはオーストロネシア系であり、それにアルタイ系の弥生語が流入して混じり合ったものが日本語だとされるが、文字による記録のない過去の言語を推測するのは難しい。

おそらく、日本列島は大陸の辺縁にあって、移住してきた集団の「吹きだまり」になりやすく、しかし海によって地理的に隔離されているので、人々が外部から渡来するよりも、内部で混合するほうが速く、異質なものが混ざって表面上は均質になりやすかったのではないかと考えられる。

よく知られたSNP

アルコールの代謝

遺伝子をDNAレベルで分析するのが難しかったころには、表現型がはっきり現れ、しかも遺伝の様式が単純であるSNP(一塩基多型)を用いた分析が行われてきた。ALDH2アセトアルデヒド脱水素酵素)は、エチルアルコールの分解に主要な役割を果たす酵素の遺伝子で、このALDH2上に存在するSNPであるrs671の、G/Gはアルコール分解能力が高く、A/Gは中間で、A/Aはアルコール分解能力が低い。Aは東アジアに特有の変異である。

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ALDH2遺伝子上にあるrs671の変異の分布[*1]。

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東アジアにおけるA/AとG/Aの頻度[*2]。

日本人全体におけるG/Gは56%で、逆にA/Aは4%である。(これを書いている蛭川はA/Aである。)Aは本土の西日本に多く、また揚子江(長江)下流域に多い。揚子江下流域は水稲耕作とアルコール飲料の発祥の地だと考えられているが、ここから弥生文化が西日本に伝わったと考えられる。

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アルコールの代謝[*3]

なお、アルコールを分解する酵素であるADH1Bの分布も麦と水稲耕作の広がりと対応している。

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ADH1B * 47His対立遺伝子頻度の分布[*4]

アルコールを分解しやすいADHの突然変異と、アセトアルデヒドを分解しにくいALDHの突然変異の両方があると、アセトアルデヒドが蓄積しやすく「酒に弱い」体質になるが、これが酒の伝播と関係しているのは、「酒に強い」、問題行動を起こしたりアルコール依存症になる遺伝的気質に対して淘汰圧がかかる遺伝子・文化の共進化が起こったとも解釈できる。

耳垢

もうひとつ、よく知られたSNPが、耳垢(湿型、乾型)である。ABCC11遺伝子上のSNPであるrs17822931がG/GまたはG/Aだと湿型になり、A/Aが乾型となる。


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AとGを独立に集計した耳垢の変異の分布[*5]。


乾型の遺伝子であるAは、アフリカで全くみられず、中央アジア、北東アジア、北米に多い。


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東アジアにおける耳垢タイプの分布[*6]。


日本列島付近では、大陸の北岸にはA(乾型)が多く、東南アジアにはG(湿型)が多い。(これを書いている蛭川はA/Aで、乾型耳垢である。)このことから、湿型のGを多く持った南方系の縄文人の集団に、乾型のAを持ったアルタイ系の弥生人が、華北または朝鮮半島から渡来し、アイヌや沖縄に縄文人の遺伝子が多く残ったというストーリーが描ける。

Y染色体ハプログループ

分子遺伝学の進歩により、表現型やSNPではなく、ある程度まとまったDNAの塩基配列が分析できるようになってきた。似たような遺伝子群を持つグループは、ハプログループとして分類される。


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Y染色体ハプログループの分布と推定される拡散経路[*7]。


約7万年前にアフリカの祖先と分岐したとされる、最も古いモンゴロイドのDは、主にアンダマン諸島チベット、日本(アイヌ・縄文・沖縄系)に分布する。Dは最初に東アジアに拡散したグループで、後から来た集団が流入した後、島嶼や高山地帯にわずかに残ったと考えられる。


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東アジアにおけるY染色体ハプログループの分布[*8]。現在、D1とD2は、D1a、D1bと呼称が変わっている。


東アジアでは、非常に古いモンゴロイドであるDの遺伝子が分布しているのはチベットと日本だけである。これが日本の先住民である縄文人で、そこにO型の遺伝子を持つ弥生人が渡来したとすると、二重構造説が支持される。

父系でのみ伝達されるY染色体の遺伝子は、男性が主となる大規模な移住の結果を反映しやすい。男性のほうが長距離を移動しやすく、少数の男性が多数の女性との間に子を残しやすいからである。このような視点からみて、本州でも半数の集団がDを保持しているのは、渡来した弥生人の数が少ないこと、弥生人縄文人を征服したわけではないことを示している。じっさい、縄文時代から弥生時代にかけて、大規模な戦いが起こったという考古学的証拠はない。

Y染色体ハプログループの分布をより細かくみると、アイヌと沖縄でDの割合が高く、またCが北方に多いことから、アイヌ人の成り立ちにはオホーツク海の人々の影響があることもわかる。CはDについで古い古モンゴロイドで、北東シベリアに残った人々は古アジア諸語という言語の話者である。先島(南琉球)は考古学的には縄文文化の外部で、オーストロネシア系だという仮説も、ある程度は支持される。

なお、この文章を書いている蛭川のY染色体のハプログループはD1b1aで、縄文系である。低いアルコール分解能力と乾型耳垢だということもあわせて考えると、東南アジア由来の縄文人と渡来系弥生人の混血らしい。これは、日本人としては一般的なパターンである。

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蛭川の染色体。大部分が日本人の系統(暗い茶色)だが、9、13、18、22番染色体の片方が韓国・朝鮮系(明るい茶色)で、19番染色体の片方が漢民族の系統[*9](橙色)だと推測されている。

ミトコンドリアDNAハプログループ

ミトコンドリアDNAは核のDNAと異なり、ゲノムのサイズが小さく、古人骨の解析も容易だという特徴がある。父系で遺伝するY染色体とは対照的に、母系遺伝なので、男性の移住よりも規模の小さい移住も反映される。


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ミトコンドリアDNAハプログループの分布と推定される拡散経路[*10]。

人種[*11]の分類


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東アジアにおけるミトコンドリアDNAパプログループの分布[*12]。


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日本列島における現代人と古人骨のミトコンドリアDNAハプログループの割合[*13]。


ミトコンドリアDNAのハプログループはY染色体よりも小規模の移住を含むので、解像度は高いが、そのぶん複雑に入り組んでおり、解釈が難しくもある。本州の日本人・沖縄人でいちばん多いのがD・Gで、これは渡来系弥生人の半分を占めるグループであり、関東の縄文人、北海道の縄文人、北海道アイヌでもある程度みられる。これらから、おもにD・Gは、北方に由来する渡来系弥生人に由来すると推測される。

しかし、本州の日本人、沖縄人、そして関東の縄文人の集団は多様であり、D・G以外にも多数のハプログループが存在し、土器の様式などでは一様性があった縄文人がもともと多民族的な集団だったことをうかがわせる。Bはオーストロネシア語族と関連し、Mはオーストロアジア語族と関連していると推測されている。またFは東南アジアに広くみられるが、特定の言語との関係は不詳である。またAは古アジア諸語と関連している。古アジア諸語の話者が、がかなり古い時代に東南アジアから北上し、ベーリング地峡を越えて北米にまで到達したということを考えると、縄文時代の日本列島民はすでに、かなり古い時代から新しい時代にかけて、東南アジア方面から渡来した人たちからなる、重層的な集団であったらしい。(日本列島への人類の移住は3万8000年前で、縄文時代の始まりは1万5000年前、弥生時代の開始が2300年前だと推測されている。)

北海道縄文人と北海道アイヌには、本州以南と違ってB、F、Aがみられず、その代わりにY(N9)が多い。Yはオホーツク海周辺の民族で高頻度にみられる型で、アイヌ文化がオホーツク文化と関連することを支持しているが、北海道の縄文人縄文時代から本州の集団とは異なっていたとすると、この点でも縄文人は多様であったといえる。

なお、これを書いている蛭川のミトコンドリアDNAのハプログループはBやFの共通祖先のR(おそらくR11)である[*14]。アフリカを出たL3の集団が西南アジアに到達し、約6万年前に南北に分かれて南インドに向かったのがMで、北インドに向かったのがN→Rである。RからはHV(ヨーロッパ)、JT(アフロアジア)、F(東南アジア、日本にも多い)、B(オーストロネシア、日本にも多い)、P(東ヘスペロネシア・ニューギニア・オーストラリア)、U(アフロアジア)が分岐した。これらの集団が分岐する以前の古いRの遺伝子はヨーロッパからオーストラリアに至る地域に断片的に残存しているが、とくに多いのはNからRが分岐した北インドである。

(個人で申し込める遺伝子検査についてはこちらを参照のこと。)



記述の自己評価 ★★★☆☆
(講義メモとして作成したページで、議論の精度はやや荒く、引用も内容・形式ともに不十分ですが、当面、このページは残します。一部分は加筆修正して蛭川研ブログ新館に移転する予定です。)
2016/12/05 JST 作成
2019/10/07 JST 最終更新
蛭川立

*1:Alcohol flush reaction」『Wikipedia』(2022/02/16 JST 最終閲覧)

*2:ALDH2 gene mutation

*3:Masayuki Sakiyama, Hirotaka Matsuo, Airi Akashi, Seiko Shimizu, Toshihide Higashino, Makoto Kawaguchi, Akiyoshi Nakayama, Mariko Naito, Sayo Kawai, Hiroshi Nakashima, Yutaka Sakurai, Kimiyoshi Ichida, Toru Shimizu, Hiroshi Ooyama, and Nariyoshi Shinomiya (2017). Independent effects of ADH1B and ALDH2 common dysfunctional variants on gout risk. Scientific Reports, 7(1), doi: 10.1038/s41598-017-02528-z.

*4:Hui Li, Namita Mukherjee, Usha Soundararajan, Zsanett Tárnok, Csaba Barta, Shagufta Khaliq, Aisha Mohyuddin, Sylvester L. B. Kajuna, S. Qasim Mehdi, Judith R. Kidd, Kenneth K. Kidd (2007). Geographically Separate Increases in the Frequency of the Derived ADH1B*47His Allele in Eastern and Western Asia. American Journal of Human Genetics, 81(4), 842-846.

*5:Razib Khan (2010). 「Body Odor, Asians, and Earwax」『Discover』(2022/02/16 JST 最終閲覧)

*6:九州大学総合研究博物館「縄文人と弥生人」『九州大学ミニミュージアム 倭人の形成 九州大学古人骨資料からみた日本人の形成』(2022/02/16 JST 最終閲覧)

*7:Human mitochondrial DNA haplogroup (Wikipedia)

*8: 青海波 (2014).「DNAで見る日本人 遺伝子の情報」『古代史俯瞰 by tokyoblog』(2022/02/16 JST 最終閲覧)

*9:漢民族」もまた、中華帝国とその周辺の諸民族の混血だと考えられている。

*10:Human mitochondrial DNA haplogroup」『Wikipedia』(2022/02/16 JST 最終閲覧)

*11:「人種 race と」いう概念は、しばしば差別的なニュアンスを含む。人間集団に遺伝的な変異があるのは事実だが、ここでは差別的なニュアンスは含めていない。

*12:篠田謙 (2007).『日本人になった祖先たちーDNAから解明するその多元的構造ーNHK出版.

*13:篠田謙 (2007).『日本人になった祖先たちーDNAから解明するその多元的構造ーNHK出版.

*14:Rは本土の日本人で0.1%しか存在しない。Tanaka, M, Cabera, V. M. et al. (2004).