レヴィ=ストロースの「歴史と弁証法(Histoire et dialectique)」は、フランス現代思想の歴史において、サルトルの実存主義(→「【資料】『実存主義とは何か』」)を論破し、構造主義の時代の幕開けを告げたと評されているが、その議論の中心に、単純に還元主義的、自然科学的な主張が含まれていることは注目に値すべきである。
レヴィ=ストロースのいう「人文科学」とは「sciences humaines」のことであり、しばしば「人文学」と和訳される「humanités」のことではない。この「科学」は、「人間」を自然科学的に融解=還元するという、冷徹な作業である。
以下に「歴史と弁証法」から、この「人文科学」の、自然科学的な志向性を[やや恣意的にではあるが]抜粋する。
人文科学の窮極目的は人間を構成することではなく人間を溶解することである。…民族誌的分析は、さまざまな人間社会の経験的多様性を越えて、不変式に到達しようとする。…むしろ精密科学、自然科学の仕事である。その仕事とは、文化を自然の中に統合し、さらに窮極的には、人間の生き方を物理化学的条件の全体の中に統合することである。
…だからと言って、「溶解する」という動詞が、他の物質の作用を受けるある物質の構成部分の破壊をなんら意味しない(それどころか、排除する)ことを見失いはしない。ある固体をある液体の中に溶解するとき、前者の分子の配列は変化を受ける。溶液はまたしばしば、分子を備蓄しておく有効な手段となる。そうすれば、必要に応じて取り出して、分子の属性をよりよく研究することができるのである。かような次第で、私の考える還元の操作は、つぎの二つの条件が満たされないかぎり正当化されえないし、また可能にならない。条件の第一は、還元される諸現象の中身を減らさぬこと、そしてまた、あらかじめ各現象の周囲に、その豊かさや弁別的独自性に貢献するあらゆる要素をぬらさず集めたことを確かめておくことである。
…科学的説明とは、複雑さから単純さへの移行ではなく、可知性の低い複雑さを可知性の高い複雑さに置きかえることなのである。
無意識的目的性は、歴史性をもつにもかかわらず人間の歴史にはまったく捕捉されず、言語学や精神分析学によってそのいくらかの面が明らかにされるにすぎない。それはまた、生物学的諸機制(脳の構造、傷害、内分泌)と心理学的諸機制との組み合わせに基づいて成立する。…史実とは、実際に起こったことである。しかしながら、何かが起こったと言うとき、起こる場所はどこなのか?ある革命、ある戦争の挿話の一つ一つは、多数の心理的・個人的な動きに分解される。そしてこれらの心理的な動きはそれぞれ無意識の生理的変化を反映しており、またその変化は脳、ホルモン、神経の現象に分解される。そしてこれらの現象の基礎それ自体は物理的・化学的性質のものである……。
レヴィ=ストロース「歴史と弁証法」[*1]
記述の自己評価 ★★★☆☆
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