心物問題・心身問題・心脳問題

「心物問題 mind matter problem」は、あまり使われない用語である。むしろ哲学においては「心身問題 mind body problem」(あるいは逆に身心問題)という言葉で多くの問題が語られてきた。しかし、この用語は、問題をむしろある特定の領域に制限してしまう。身体以外の物質はこの問題には含まれず、むしろ物質でありながら自己に属する(ように感じられる)身体という特殊な物質に焦点を当てるからである。

なお「心身問題」や「身心問題」は、日本語では「シンシン」という音のリズム感がある。しかし、英語では「mind matter problem」は「m」が繰り返されるので語呂が良い。

身体の中でも、とくに心と関係がある器官とされるのが脳である。だから「心脳問題」という、より限定された用語もある。しかし、ここにはすでに、脳という物質から心が派生しているというある特定の仮説が含まれてしまうので中立的な用語ではない。ちなみに「心」という文字は、もともと心臓という臓器を指す言葉である。心臓に精神、とくに感情的なものが宿るという考えは、素朴な概念としては一般的なものである。

物質、とりわけ脳という物質から精神が「分泌」されているという発想の反対側には、精神が物質を「夢見ている」という発想も可能である。たとえば、いま目の前に見え、身体で感じられる世界が夢ではないということを論理的に反証するのは困難である。(たとえ隣の誰かに、これが夢ではない、という意見を共有してもらっても、それだけでは客観性、間主観性 Intersubjektivität / intersubjectivity の保証にはならない。)

極端な例として、いわゆる超能力について考えてみよう。「念力でスプーンを曲げた」とされる場合、それは「超常現象 paranormal phenomena」としてその事実性が疑問視されるが、筋力でスプーンを曲げたとされる場合、それは「通常現象」としてその事実性は疑問視されないのが普通である。むしろ、それでトリックが暴かれたということになり、一件落着してしまう。なぜか。それは指や腕が身体という特殊な物質に属するからであり、スプーンは身体には属さないからである。しかし、「超常現象」とされるような現象の可能性まで区別せずに一般的に論じるためには、やはり心身問題という用語では不十分で、心物問題のほうがより一般的である。



記述の自己評価 ★★★☆☆
CE2012/04/23 JST作成
CE2020/11/20 JST 最終更新
蛭川立