蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「人類学A」 概要 西暦2023年度

Anthropology A

この記事は公式シラバスと同じ内容である。毎週の講義の進行日程については「『人類学A』 講義計画 西暦2023年度」を参照のこと。

授業の概要

人間(ヒト)は,解剖学的構造や生理学的機能において他の動物と変わるところはない。しかし人間は,文化を持つ動物である。

群れを作り生殖を行うという動物的な行為を,親族や婚姻といった象徴的な観念によって改めて意味づけし,そして,ときにその観念のほうに束縛される。とりわけ,芸術や宗教などの精神文化は特異なものである。人間だけが歌い,踊り,描き,そして祈る。それは動物的生活からの解放であると同時に,動物的生存を否定する力にもなりうる。

四十億年におよぶ生命史の中で,なぜ人間だけが他の動物とは異なる存在になったのか。その違いはどこから始まったのか。人類学の授業では,進化的な起源をたどる一方で(これは,どちらかというと,人類学Bで扱う),脳の構造や機能という観点からも考察する(これは,どちらかというと,人類学Aで扱う)。

人類学Aでは,他の動物と比べて特異に進化した人間の脳の構造と機能,それをコードしている遺伝子の進化も併せて概観しつつ,古今東西の芸術や宗教などの精神文化を解明していく。また、呪術やシャーマニズム、そこで使われてきたサイケデリックスや大麻といった薬草・薬物の文化的伝統を論じるのと同時に、それらが社会の近代化にともない、処罰されるべき犯罪、治療されるべき病気として周縁化されてきたプロセスについても考察する。

人類学は「人間」を研究する学問であるが,対象としている「人間」の範囲が他分野より広い。世界各地の少数民族や,遺跡や化石にしか痕跡をとどめていない過去の人々,あるいは近縁の霊長類までも視野に入れる。人類学は自然科学に属する自然人類学と,人文科学・社会科学に属する文化人類学社会人類学に分けられるが,学際的な学部であることも鑑み,この授業では,自然人類学を基盤にしつつ,文化人類学社会人類学の視点も取り入れながら,総合的に議論を展開する。

なお,現代のグローバル化する社会では,開発と貧困,民族問題と宗教紛争などを扱う応用人類学の重要性が増しつつあるが,それらは,より社会科学的な内容を扱う,別の講義で併せて学ぶことをお薦めする。

対象としている人間集団の範囲が広いため,あまり馴染みのない地域や時代も取り上げるが,おもに蛭川が実際に訪れたことがある社会や遺跡で,自ら撮影した写真や動画も併せ,視覚的,聴覚的イメージも交えながら講義を進めていきたい。

到達目標

1.人間やその社会を,自然科学と,人文・社会科学の両面から総合的に理解できるようになる。
2.他の動物にはない人間の特徴である精神文化を,脳の働きから理解できるようになる。

授業内容

第1回:イントロダクション(インターネットとサイケデリックス)
第2回:神経系の個体発生と系統発生
第3回:脳の構造と機能
第4回:原始美術から現代美術へ(1)(化石人類、オーストラリア先住民)
第5回:原始美術から現代美術へ(2)(縄文文化
第6回:聖なる狂気(1)(日本古代、沖縄)
第7回:聖なる狂気(2)(モンゴル)
第8回:精神活性物質の文化(南米先住民)
第9回:シャーマニズムの神経薬理学(中米先住民)
第10回:呪術からシンクレティズムへ(ブラジル)
第11回:瞑想の文化と脳神経科学(1)(インド)
第12回:瞑想の文化と脳神経科学(2)(タイ、日本)
第13回:死生観と他界観(チベット雲南
第14回:全体のまとめ

履修上の注意

高校理科ていどの生物学を知っておくと自然人類学の理解は容易になるが,それ以上に特別な予備知識は必要ない。逆に,文化人類学社会人類学を学ぶためには,身近な社会常識をいったん忘れて,客観的な視点を持つことのほうが重要である。

春学期の人類学Aと秋学期の人類学Bは,内容に重複もあるが,独立の科目である。人類学Aと人類学Bは単独でも受講できる。

授業準備

実際の授業内容は,このシラバスに書かれた計画とは多少変更になるかもしれないが,最新の進行状況はリアルタイムで「蛭川研究室」のブログにアップし,更新していくので,随時チェックすることをお勧めする。

講義の予定表からは授業内容の概要にリンクが張ってあるので,大まかな予習・復習をすることができる。それぞれのページには質問やコメントを書き込むこともできる。ページのURLは科目ごとに異なるが「蛭川」「人類学」「2023」などと入力して検索すれば容易に見つかる。

教科書

特に定めない。

参考書

『彼岸の時間-〈意識〉の人類学-』蛭川立(春秋社)2002年(新装版は2009年)

成績評価

期末試験(100%)


  • CE2022/12/17 JST 作成
  • CE2023/02/05 JST 最終更新

蛭川立

シーニュ(記号/宮)とコンステレーション( 付置/星座)



共時性コスモロジーシーニュ(記号/宮)とコンステレーション ( 付置/星座)再考―

The Cosmology of Synchronicity: Reconsidering “Signe” and “Constellation”



科学は、反復される現象の中に法則性を見いだし、その法則を利用して未来を予測することができる。天文学は、そのもっともわかりやすい例のひとつである。太陽は朝になると東の空から昇り、夜が来る前に西の空に沈む。このこ とが毎日繰り返されることは、おそらく文字による記録が行われるはるか以前から認識されていたに違いない。そして、その繰り返しの法則によって、今日、西の空に沈んだ太陽が、明日にはまた東の空から昇ってくるであろうこと を、容易に予測できる。これは、他の天文現象についても同様で、新月が半月かけて満月になり、また半月かけて新月としていったん姿を見せなくなっても、また翌日から満月に向けて満ちていくことを予測することができる。その 後、天文学は着実に進歩を遂げ、太陽や月だけでなく、さまざまな天体の運動をきわめて正確に計算し予測できるようになっている。

占星術も、基本的にはこのような科学的思考に起源を持つ。天文学 astronomia と占星術 astrologia はもともと同じ因果性の原理にもとづいた方法論であり、厳密には区別されていなかった。

太陽は、一年周期で天球を回転しつづける。一方、地上では、気温や降水量の変化もまた一年周期で繰り返される。潮の満ち引きは、月が満ち欠けするのと同じ、一ヶ月周期で繰り返される。天文学がもっぱら天体の運動の法則性を探究してきたのに対し、占星術は天上界を支配する法則と、地上界を支配する法則との対応関係を明らかにすることに、より熱心であったという違いはあるかもしれない。太陽と地球の位置関係に対応して、一年周期で気温が上下し、四季が巡ることを研究する分野を、現代では占星術とは言わないが、占星術は基本的にこのような法則性の探究の体系として発展してきたといっていい。占星術は中東世界や中華世界など、世界の各地で発展を遂げるが、それが関心を寄せたのは、季節の変化と同時に、むしろもっと人間的な現象、たとえば国家の運命や人間の心身の状態と天体の運行との相関関係であった。

それゆえ占星術は数千年の蓄積を持った統計学だといわれることがあるが、じっさいに統計学的方法論が育種学などの発展を背景に正確に整備されてきたのは、たかだがここ百年ばかりのことにすぎない。そして、占星術が発展させてきた法則とされる経験則の多くが反証され、現代に至っている。たとえば「生まれ星座」とパーソナリティとの関係という、現在もっともポピュラーに信じられている相関は、たとえばアイゼンクらによる統計的研究によってほぼ否定されている。ただし、このことは占星術が非科学的な体系であったことを意味しない。むしろ逆で、明確な手続きによる反証可能性が保障されていることは、ある体系が科学と呼ばれるための、重要な必要条件のひとつだからである。

いわゆる十二星座占いは、二十世紀に入ってから一般的になったもので、それだけを占星術とみなすわけにはいかないが、それ以外の方法論でも、占星術天文学ほど大きな成功をおさめていない。それは失敗した科学、すなわち呪術にすぎないのだろうか。この問いに対する答えは、呪術というものの定義に依存する。

呪術は因果性の原理に基づいており、その論理構造自体は科学と同型である。つまり、占星術を因果性の原理においてとらえるかぎり、それは科学である天文学と、論理的な構造において変わることはない。しかし、フレイザーに代表される古典的な人類学が、因果的な思考のうち、その誤ったものを呪術、正しいものを科学と予め定義してしまったために、それを因果的な体系ととらえるかぎり、定義上、呪術である占星術はつねに間違っているということにならざるをえなくなってしまったのである。

しかし、因果性の原理にもとづいて統計的に均してしまうと埋没しまうのにもかかわらず、それでもある重要な瞬間に意味ありげな付合が起こる(ように思われる)ことがある。占星術師たちは、これを「占星術的瞬間 the moment
of astrology」と呼んだりもする。

それは、個別的な出来事であるがゆえに、あくまでも個人的な逸話のレベルでしか語ることができないのだが、たとえば、こんな出来事があった。西暦2009年は「世界天文年」、ガリレオが天界に望遠鏡を向けてから400年、天文学占星術のような呪術的体系と袂を分かち、近代科学として本格的に歩み始めた年を記念したイベントであった。しかし、科学史が教えるように、科学の「進歩」はそう単純明快なものではない。1609年という年は、ケプラーが完全な円という神秘的概念を放棄して、惑星の軌道が楕円であるということを示した「ケプラーの第一法則」を発表した年でもあったのだが、じっさいのケプラーは、ピュタゴラス以来の、天文学と数学と音楽の神秘的な三位一体を生涯追い求めた人物であり、当然、占星術天文学も区別していなかった。そのことは、後にパウリとユングの共同研究の中でも改めて取り上げられることになる。

私は、この年の9月に、敢えてガリレオでなくケプラーに注目し、それ以前の時代の音楽が、地上界の人々の感情を表現するものというよりは、むしろ天上界の星々の調和を表現するものであったという、生演奏つきのイベントを企画した。

イベントの後で、ある女性が、今日はとても感動しました、と話しに来た。それはちょっと意外だった。というのも、私としてはそんなに感動的な話をしたつもりもなかったからである。聞けば、ちょうどその日が彼女の30歳の誕生日だったのだという。いままで、音楽とも天文学とも無関係な業種の会社員をしながらも、 自宅に引きこもって、あくまで個人的な趣味として、星や宇宙をイメージする音楽を作り続けてきたのだが、今日のコンサートで吹っ切れた、これからは、自分の作った音楽を積極的に発信していく決心ができた、というのである。 その後、彼女は新たに星にちなんだ芸名を名乗るようになり、現在ではその名前で積極的に音楽活動を展開している。あの誕生日を機会にして、彼女の人生は新しいサイクルに入ったのである。

ところでその日、彼女に会って私はちょっと 驚いた。というのも、彼女の胸には、土星をかたどったネックレスが輝いていたからである。私はあわてて、なぜ土星なのかと尋ねてみたのだが、彼女は、土星は私の好きな星だから、というだけだった。話してみると、彼女は土星の公転周期が30年であるということも知らなかったし、その30年というのが、占星術では「サターン・リターン」という、人生の節目の年であるということも知らなかった。(土星の公転周期は厳密には29.5年であり、実際には「サターン・リターン」も、29年前後の現象として語られることが多い。)

なるほどそれだけの些細な出来事だといってしまえばそれまでだし、孔子ではないが、人は30歳ぐらいで自分の生きる道を見つける、たんにそういう年齢なのかもしれない。また、それだけ土星が好きだという彼女なら、土星の公転周期や「サターン・リターン」についての情報をどこかで無意識に手に入れていたのかもしれない。そうした詮索は、いくらでも可能である。それに、これは、いわゆる十二星座占いなどの因果論的な理論とも無関係である。しかし、重要なことは、彼女自身にとって、その誕生日が、大きな意味を持つ転機になったということである。

そして、なぜその特別な瞬間には、なにかが当たったかのように思える、意味ありげな符合が起こるのだろうか。

因果性の原理にもとづいて占星術のメカニズムを無理やり「科学的に」考えようとすると、たとえば惑星の重力が地球上の人間に影響を及ぼしている、といった発想になりがちなのだが、月以外の天体の場合、物理学的にみてそのような可能性は低い。重力の到達距離は無限大とはいえ、土星のような遠距離にある小天体が、地球に住む人間の脳に影響を与えている可能性はきわめて低い。やはり占いが当たったように感じるのも、たんなる偶然か、さらにいうならば、一種の関係妄想なのだろうか。人は容易にコールド・リーディングバーナム効果の罠に嵌ってしまう。それは社会心理学が明らかにしてきたとおりである。

とはいえ、たとえそうであったとしても、それは意味のある偶然であり、因果性ではなく、むしろ共時性シンクロニシティ)という視点からみれば、ある世界観(コスモロジー)の枠組みが用意されるとき、その内部におけるイーミック emic な意味体系の中で、天体の配置と人間の配置との間に、非因果的な「照応 correspondence 」が起こる瞬間がある、と解釈できる。つまり、これはユング心理学的な問題であると同時に、記号論的、構造人類学的なコスモロジーの問題としても捉えなおされなければならない。たとえば、天球を分節する星座は文化によって異なる。それは、たとえば、ヨーロッパにおける星座と、漢民族における星座が異なることをみれば明らかである。また、金星はヨーロッパにおいては平和と結びつくシンボルであり、戦いと結びつくのは火星である。しかし、古代のマヤ文化においては、金星が戦いの象徴であった。星と星座は、構造主義的な記号が満たすべき分節恣意性と対応恣意性の二つの要件を満たしている。

そもそもサイン(シーニュ)とは「宮」であり「記号」という意味でもある。コンステレーションとは「星座」であり「布置」という意味でもある。レヴィ=ストロースによる神話の構造分析から表現を借りるなら、星座(コンステレーション)の中で人間が動いているのではなく、人間の中で布置(コンステレーション)が―当人にも意識されずに―動いている、と考えることはできないだろうか。

現代の人類学は、もはや呪術的思考を、前科学的な、誤った因果論とは考えない。たとえどのような立場に立とうとも、占星術をはじめとする呪術的思考(あるいは「野生の思考」)は、文化がいくら「進歩」しても、19世紀の社会進化論者が予想したような形では衰退していない。近代化に伴って生じたのは、占星術の衰退ではなく、その扱う対象が、天下国家のような、外的な社会現象から、個人の生の意味といった、より内的な心理現象への移行である。

かつて、俗なる人間と関連する聖なる象徴は、人間の外部、なかんずく天界に投影される傾向が強かった。漢民族の陰陽五行説がその代表例であるとおり、たまたま太陽系の地球から見える天体は、コスモロジーの象徴としての条件をよく満たしている。太陽と月は、男と女などの象徴的二元論と親和性が高いが、その見かけ上の大きさがほぼ完全に同じなのは、天文学では説明不能な、意味ありげな偶然の一致である。肉眼で容易に観測できる惑星の数である5が指の本数に等しいのもまた同様である。

しかし、社会の近代化に伴って、神話的因果論の内面化が進む。意識的な自我が確立するに従って、その影の部分として無意識という領域が、あらためて「発見」されることになる。通常の因果性では説明不能な現象の原因を、天上の星界から、無意識という、内部にある外部世界に求めようとする傾向が強まる。社会の「心理学化」である。

ただし、ここまでの議論は、すでに歴史社会学等で論じ尽くされていることであり、いわゆる現代思想のオーソドックスな見解でもあるが、しかし、それでは依然として、共時的な、意味のある偶然を説明することが難しい。社会が心理学化した一方で、哲学から分岐した心理学の主流は物理学をモデルとした科学としてその体系を確立させようとしたあまりに、そのしわ寄せとして超心理学のような自己矛盾をはみ出させてしまうことになってしまった。その矛盾は、今なお解決していない。

そこで我々は、ふたたび内宇宙と外宇宙、ミクロコスモスとマクロコスモスの「照応」という、神秘主義的な概念に立ち戻らざるをえなくなる。言い換えれば、心/物、内部/外部という表面的な分節の背後に、イデア界のような、世界を成り立たせているより根源的な領域について再考せざるをえなくなるのである。

そのような状況の中で、占星術は、呪術的・神話的な思考を共時性という概念で捉え直そうとするとき、非常に有益な示唆をもたらしてくれる。なぜなら、それはまさに「シーニュ」と「コンステレーション」の体系だからである。



(注)著者、蛭川は、西暦2009年11月に明治大学で行われた日本トランスパーソナル心理学/精神医学会第10回学術大会での特別対談「共時性コスモロジー」で、鏡リュウジ氏と対談をさせていただいた。この小論は、鏡氏のご発言も踏まえながら、あらためて大会の抄録集[*1]にまとめた蛭川自身の考えに加筆修正したものであり、文責はすべて蛭川にある。

記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)

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  • CE2022/11/22 JST 電子化
  • CE2022/11/23 JST 最終更新

蛭川立

*1:「10周年を迎え、トランスパーソナル心理学の原点を問いなおす」(p.9)

【資料】ポール・ファイヤアーベント(Paul Feyerabend)

歴史が提供するゆたかな素材を見つめる人々、より低級な本能を喜ばせるために、すなわち明晰性、精確さ、「客観性」、「真理」という形式の中で知的な事柄における安全性を切望する気持を満たさんがために、その素材を貧しいものにするつもりのない人々にとっては、次のことが明らかになるだろう。あらゆる状況において、また人類の発展のあらゆる段階において、擁護することができる原理といえば、そのようなものはたった一つしかないということが。すなわちこの原理である。 anything goes(なんでもかまわない)。
 
ファイヤアーベント『方法への挑戦』[*1]

科学哲学の観点からすれば、正しい科学の理念型を示すことが可能であっても、科学史の観点からすれば、科学は、気まぐれな過ちを繰り返しながら、結果的に進歩してきたようにみえる。だから、気まぐれな過ちを事前に否定してしまうと、その後に起こるであろう進歩をも阻害してしまうことになりかねない。

科学哲学の理論が保守的になりがちであり、科学史の理論が許容的になりがちであるのは、こうした歴史的経緯を織り込むかどうかという視点の違いから来るものでもある。

相対主義極左的言明として知られる一節ではあるが、病跡学的な、余計なお世話を追記しておけば、このとき、ファイヤアーベントは軽躁状態にあったとみることもできる。だから『方法への挑戦』は、そこは差し引いて読む必要があるだろう。

というのも、彼はこの『方法への挑戦』の執筆直後に病的な抑うつ状態に陥ったことを自伝に書き記しているからである。

「知識人」がどういう連中か、私には段々判ってきた。彼らは非常に特殊な共同体を造り上げている。彼らは特別なやり方で書き、特別な感情を持ち、人間の正当な代表は自分たちだけだと自分のことを考える。知識人は科学者ではないが、科学の成果を夢想的に信じられる人々である。彼らは哲学者でもないが、哲学というビジネスのなかに秘密のエージェントを抱えている。トーマス・ネーゲルはその秘密エージェントであり、ローティもそうだ。サールさえ時にそうだ。ただ彼は真に知識人にさっさとなり切れないようだ。そして、この知識人という共同体が、私めに、いささかの関心をお持ち下さった。で、私めを彼らの目の高さまで引っ張りあげて下さり、どんな奴か見てやろうと一瞥し、それからまた下におっことして下さった。自分が思いもしなかったほどに、私が重要人物であるかのように見せておいて、彼らは私の欠陥を数え立て、それから、私を元の場所に差し戻したのである。本当に私は困惑した。
 
この騒ぎのただ中のある時期、私はかなり抑鬱症的になった。その「鬱」は一年以上続いた。それはまるで1匹の動物のようで、非常にはっきりし、どこにいるかも判るようなものだった。眼が覚める、目を開く、さあ、どうかな、いるかな、いないかな。気配がない。眠っているのかもしれない。今日は私を悩ませないでいてくれるかもしれない。そっと、そおっと、私はベッドから起きる。静かだ。台所へ行く。朝食を始める。音はしない。テレヴィジョン?そう「おはよう、アメリカ」。あのデイヴィッド・某なる人物、私には我慢できない男だ。食べる、番組のゲストを見る。次第に食物が胃に満ちてくる、力が湧いてくる。さあ手洗いに急いで直行する。朝の散歩に出る。ああ、やっぱりいる。我が忠実なる「鬱」よ。「私抜きで出掛けられると思ったの」。
 
私はよく、自分を自分の仕事に同化させないようにせよと、学生たちに忠告してきた。私は彼らに言った。「何かをし遂げようと思ったら、本を書く、絵を描く、何でもよい、何かしたいと思ったら、そこから外れたところに自分の存在の中心を置いて、そこにしっかり自分を固着させることだ、そうしておいて初めて、かならずやってくる攻撃に対して冷静でいられ、また笑い飛ばせるようになるんだから」。過去には私自身この忠告に従ってきた。しかし今度の私は孤独だった。わけの判らない苦悩にさいなまれて病気となった。私の私生活は混乱の一語に尽きた。我が身を守ることもできなかった。何であんな糞ったれ本を書いちゃったんだろうと、何度も思った。
 

ファイヤアーベント『哲学、女、唄、そして…ーファイヤアーベント自伝ー』[*2]

勢いで威勢の良いことを書いてしまい、後で「何であんな糞ったれ本を書いちゃったんだろう」と後悔する。気の毒なことではあるが、木村敏のいう、うつ病的な認知「post festum」つまり「後の祭り」の好例であろう。

ファイヤアーベントの著作で、このほかに、日本語に訳されているものとしては、『理性よ、さらば』、『自由人のための知』、『知についての三つの対話』がある。



CE2019/06/20 JST 作成
CE2022/11/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:ファイヤアーベント, P. K. 村上陽一郎・渡辺 博(訳)(1981).『方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム―』新曜社, 17-18. (Feyerabend, P. K. (1975). Against Method: Outline of an Anarchistic Theory of Knowledge. New Left Books.(以下に引用する『自伝』の中で「AM」と略されているのは、この本のことである。))

*2:ファイヤアーベント, P. K. 村上陽一郎(訳)(1997).『哲学、女、唄、そして…ーファイヤアーベント自伝ー』産業図書, 210-211. (Feyerabend, P. K. (1995). Killing Time: The Autobiography of Paul Feyerabend. University of Chicago Press.)

サン・ペドロ

この記事は特定の薬剤や治療法の効能を保証するものではありません。個々の薬剤や治療法の使用、処方、売買等については、当該国または地域の法令に従ってください。

分類・地理・歴史

サン・ペドロ(San Pedro: Echinopsis pachanoi (syn. Trichocereus pachanoi)は、アンデス山脈山麓、標高2000m〜3000m地帯に自生するサボテンであり、ケチュア系の先住民によって呪術的に使用されてきた。形態や産地の違いから、複数の種に分類されることもある。

https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41598-022-17118-x/MediaObjects/41598_2022_17118_Fig1_HTML.png?as=webp
サン・ペドロの自生地の分布[*1]

コカの使用はアンデスを統一したインカ文化の発展を特徴づけるものだが、サン・ペドロの使用はプレ・インカの初期、西暦紀元前1000年のチャビン文化以前まで遡るらしい。これは、遺跡からサン・ペドロをかたどった彫刻が出土していることから推測されている。(リマの人類学博物館に展示されていたものを写真に撮ったが、その写真も埋もれてしまった。)

https://geopolicraticus.files.wordpress.com/2009/11/peru-cultures.jpg
アンデス文明の歴史[*2]

サン・ペドロの有効成分は、ペヨーテに似ており、メスカリンなどのサイケデリックス(精神展開薬)(「精神展開薬」を参照のこと)や、ロビヴィンなどのエンタクトゲン(「エンタクトゲン」を参照のこと)が含まれる。

現代社会の中で

呪医(curandero)はサン・ペドロを食べてトランス状態に入り、病気の原因を探す[*3]。これはペルー北部からエクアドルにかけて、アンデスの西麓の諸州で行われているらしいが、私は見たことがない。アヤワスカ・ツーリズムと違って、観光感覚で簡単に行けそうな場所ではなさそうだった。

https://www.elperuano.pe/fotografia/thumbnail/2022/11/17/000223236M.jpg
サン・ペドロを使用したクランデリスモがペルーの国家遺産に指定されたことを報じる日刊紙[*4]

2008年にはアヤワスカがペルーの国家遺産に指定されたが[*5]、2022年にはサン・ペドロも国家遺産に指定されたという。もっとも、これは先住民の文化の保護という側面が強く、精神疾患に対するサイケデリック療法という意味合いは薄そうである。

近年はクスコでもサン・ペドロやアヤワスカが売られているようだが、伝統的な儀礼のためではなく、観光用かもしれない。

2016年に卒業生がクスコの市場でサン・ペドロの粉末を買って、お土産に持って帰ってきてくれた。これを食べてみたところ、たしかにサイケデリックスとエンタクトゲンの両方の作用が感じられた。種や品種によって、含まれている精神活性物質の種類が違うようだったが、エンタクトゲンについては、MDMAと同様の心理療法に使えそうな手応えを感じた。伝統的なシャーマニズムの文脈ではなく、近代化された社会で、心理療法に役立つ可能性があるというのは、不思議なことである。

https://apartment-home.net/wp-content/uploads/2018/04/904F0675-13E1-476B-802E-AF81947D2C4A.jpeg
クスコ(ペルー)の市場で売られているサン・ペドロ(2016年・知人の撮影[*6]

クスコは、2001年に訪れたことがある。クスコの近郊ではコカは嗜好品として合法的に流通していた。観光ガイドの人に頼んで、呪術師のところに連れて行ってもらった。ケチュアの呪術師はコカの葉を布の上に撒いて、そのパターンによって家族や仕事のことを占ってくれた。サン・ペドロやアヤワスカのことは耳にしなかった。

アリゾナ州立大学の植物園を訪れたとき、余っていたサン・ペドロを譲ってもらったこともある。すこしだけ食べたところ、地面が水平ではなく揺れているような、青空を通りすぎていく雲が恐竜の形をしているような知覚の変容を感じた。ごく弱いサイケデリック作用である。これを東京に持ち帰って鉢植えにしてみたが、寒い気候ではほとんど育たず、雨に濡れて腐ってしまった。

鑑賞用として

サン・ペドロは園芸用の品種が世界各地で栽培されており、日本でも鑑賞用のサン・ペドロが、様々な名前で売られている。


蛭川研究室所蔵・鑑賞用サン・ペドロ[*7]
多聞柱(Trichocereus pachanoi
ブラジル柱( Trichocereus peruvianus
青緑柱(Trichocereus peruvianus

ただし、鑑賞用の品種にメスカリンなどの精神活性物質がどのていど含まれているのかは不明である[*8]

研究室にも一揃え置いてみた。小さくて可愛らしいので、食べてしまう気にはなれない。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(講義用のノートであり学術的には正確ではありません。正確さを期してつねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長でもあります。)

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2023/01/26 JST 作成
  • CE2023/01/26 JST 最終更新

蛭川立

*1:www.nature.com(2022年にNatureに掲載されたこの論文は、ケチュアアイマラ系の民族の文化が、サボテンに含まれるアルカロイド代謝する遺伝子と共進化してきた可能性を示唆している。この研究は、サイケデリックスを含む植物の使用が中南米先住民族社会に偏っていることについて、遺伝学的に説明できる可能性を示唆している。)

*2:Civilization: a Rope or a Broom? | Grand Strategy: The View from Oregon

*3:日本語で読める簡単な概説としては『快楽植物大全』166-169.

*4:elperuano.pe

*5:アヤワスカによる依存症治療を進め、国家遺産への登録にも尽力した日系人、ローザ・ナカザワは2022年に逝去した。 https://www.researchgate.net/publication/362293112_The_Ayahuasca_ritual_Peruvian_national_cultural_heritage_and_its_possible_integration_into_the_primary_health_system

*6:apartment-home.net

*7:学名は次のサイトを参考にした。www.mirai.ne.jp

*8:メスカリンなど、麻薬指定されている物質が含まれていたとしても、サン・ペドロ自体は麻薬原料植物には指定されていないので、日本での所持は合法である。

【資料】ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)

シャルル・ボードレールの著作の大半は、ウィキソースにアップされている。
fr.wikisource.org

日本語に訳されたものについては「シャルル・ボードレール 翻訳作品集成」に詳細なリストがある。

詩集

主要な作品を集成した『悪の華』と『巴里の憂鬱』は、何種類かの和訳が出ている。

新潮文庫版の『悪の華』の表紙はムンクの『マドンナ』(1895)である。

アルコール・オピオイドカンナビノイド

ハシシ、阿片、酒のいずれが芸術的創造性を解放するのか、ボードレールは体感を比較している。ボードレールカンナビノイドよりもアルコールのほうが創造的だと結論づける。(カンナビノイドは感性を鋭敏にするが、美に対しては受動的になる。アルコールは感情を解放するため、内的な感覚を表現する手段として有効なのだろう。)

リンク先はフランス語の原文。角川文庫の『人工楽園』に以上四点の和訳がまとまっている。

ベンヤミンの陶酔論へ

なお、この比較論は、ベンヤミンの『陶酔論(ハシシについて)』に引き継がれる。ベンヤミンの比較対照は、ハシシからメスカリンへと向かった。

各種の和訳

和訳には上に挙げたもの以外にも複数のバージョンがあり、詳しいことはよく知らないが、「Les Paradis artificiels」は人工天国とも訳される。「パリ」を「巴里」としたり、「ボードレール」を「ボオドレエル」と表記したほうが、19世紀の作品らしい雰囲気がある。



デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2022/11/04 JST 作成
  • CE2023/09/26 JST 最終更新

蛭川立

西暦2023年度蛭川担当演習科目参考書(案)

2023年度の演習で輪読する本について、検討中。以下は原案。

学部2年生

春学期

問題発見テーマ演習A

  • 蛭川立 (2002).『彼岸の時間―〈意識〉の人類学―』春秋社.(新装版は2009年)
  • 蛭川立 (2011).『精神の星座―内宇宙飛行士の迷走録―』サンガ.

問題発見テーマ演習Aでは、人類学と意識科学の基礎を学ぶ。二十年前の出版になるが、拙著『彼岸の時間ー〈意識〉の人類学ー』を輪読する。

秋学期

問題発見テーマ演習B

  • オーシェイ, M.・山下博志(訳) (2009). 『一冊でわかる 脳』岩波書店.
    • O'Shea, M. (2005). The Brain: A Very Short Introduction. Oxford, Oxford University Press.
  • ブラックモア, S. ・篠原幸弘・筒井春香・西堤優(訳) (2010).『一冊でわかる 意識』岩波書店.
    • Blackmore, S. (2005).Consciousness: A Very Short Introduction. Oxford, Oxford University Press.

イギリスで出版されている人文科学系の超小型入門シリーズ「A Very Short Introduction」は、日本語では「〈一冊でわかる〉」シリーズとして翻訳されている。このうち「脳」と「意識」の二冊をテキストにして輪読する。全体として、脳の化学から、知覚や認知、意識と自我、そして夢や変性意識状態へと議論を進める。

予備知識は必要ないが、高校生ていどの生物学の知識があれば、なおよい。

一冊でわかる脳
脳を考える
体液から細胞へ
脳の中の情報伝達
ビッグバンからビッグブレインまで
感覚・知覚・行為
記憶はこうしてできる
一冊でわかる意識
なぜ意識は謎なのか
人間の脳
時間と空間
壮大な錯覚
自我
意識的な意志
変性意識状態
意識の進化

修士1年生

春学期

  • Blackmore, S., Troscianko, E. T. (2018). Consciousness: An Introduction (3rd. edition).
    • (和訳なし)
  • Godwin, M. The Lucid Dreamer: A Waking Guide for the Traveler Between Worlds.
    • (マルコム ゴドウィン (著), 大瀧 啓裕 (翻訳)『夢の劇場―明晰夢の世界』
  • Grinspoon, L., Bakalar, J. B. (1979, 1997). Psychedelic Drug Reconsidered (2nd. edition).
  • Scott O. Lilienfeld (Editor), Steven Jay Lynn (Editor), Jeffrey M. Lohr (Editor). Science and Pseudoscience in Clinical Psychology, Second Edition
    • (スコット・O. リリエンフェルド (編集), スティーブン・J. リン (編集), ジェフェリー・M. ロー (編集)『臨床心理学における科学と疑似科学』 )

秋学期

  • Gregory Bateson, G. Steps to an Ecology of Mind: Collected Essays in Anthropology, Psychiatry, Evolution, and Epistemology.
  • Campbell, J. (1997). The Mythic Image.
    • (ジョーゼフ キャンベル (著), 青木 義孝『神話のイメージ』 1991/7/1)
  • Scotton, B. et al. Textbook of Transpersonal Psychiatry and Psychology.
  • Leach, E. (1989). Claude Levi-Strauss.

「フィールド・アプローチ」

フィールドワークそれ自体は調査の技法であって特定の研究分野とは独立であるが、とくに文化人類学を特徴づける研究方法論として発展してきた歴史的経緯がある。この授業では、その典型的なモデルとして、都市であるか村落であるかを問わず、研究対象となる人々のコミュニティに住み込んで調査を行うというフィールドワークの方法論を中心に、受講者の希望調査地域を踏まえつつ、教員自身の体験も交えて、少人数での授業を進める。

フィールドワークというのはきわめて実際的な方法であって、演繹的に構成された方法論というよりは、細かい具体的なノウハウの集大成という色彩が強い。理論的な基礎については「フィールド・アプローチⅠ」でも扱うので、この授業ではより応用的な実用性を重視するという観点から、敢えて細かい具体的な技術を題材にとりながら、随時、抽象的な一般論にも触れていくことにしたい。

1.調査の目的とビザ、調査許可の取得
2.訪問時期(季節、訪問先の暦法と祭日など)
3.移動手段(飛行機、船、列車、バス、タクシー、三輪タクシー、自転車、徒歩)
4.政情と治安(戦争、テロ、その他の犯罪、軍隊や警察との関わり方)
5.衛生状態(食事、風土病、感染症とワクチン、薬、保険と病院)
6.言語(現地語、公用語、英語、日本語)、ガイドと通訳
7.持って行くものと現地調達するもの
8.どこに滞在するか(借家、ホテル、ホームステイ、集会所など)、どれぐらいの期間滞在するか
9.信頼関係を築く方法、謝礼と土産
10.調査方法(参与観察、聞き取り、質問紙など)、雑談の中から必要な情報を引き出す方法
11.記録のための機材(ノート、カメラなど)
12.調査する側とされる側の年齢・性別・社会的地位などをめぐる関係
13.禁忌(聞いてはいけない事柄、行ってはいけない場所、撮影してはいけない事物など)への対応、祭礼・儀礼等への参加
14. 約束の不確かさ(借りたものを返さない、約束の時間に遅れるなど)、その他のトラブル(人間関係、金銭面など)への対応
  
(少人数での授業になると予想されるので、内容は履修者の調査対象や具体的な研究テーマに応じて調整したい。)

この授業は、実際に特定の地域(とくに、日本のように政情、治安や衛生状態が他地域に比べて非常に良い社会以外の地域)でのフィールド調査を予定している諸君に対して、各々の対象地域に対応した実際的な技術を伝えることを主たる目的としているので、そのような具体的な調査の予定がない諸君が漫然と聴講するようには計画されていない。なお、担当教員である蛭川が比較的詳しい地域はアジアの東半分~オセアニア中南米に偏っているが、教員一人で全世界のすべての地域について詳しい体験的知識を持つことは困難であることはあらかじめお断りしておきたい。


  • CE2022/12/05 JST 作成
  • CE2022/12/17 JST 最終更新

蛭川立


意識情報学研究所

明治大学意識情報学研究所は、特定課題ユニットとしての活動を終えました。しかし、研究活動自体は続いています。

以下は、大学の公式サイトにアップされていた明治大学意識情報学研究所公式ホームページ

www.isc.meiji.ac.jp
(このページはもう存在しません)

の内容をコピー&ペーストしたものです。



明治大学意識情報学研究所は、いわゆる「超心理現象」や「変性意識状態」などと呼ばれてきた現象を、それらの現象が存在するかしないかということを初めから断定せず、中立的な立場から科学的に研究することを目的として、明治大学情報コミュニケーション学部のスタッフが中心となり設立された特定課題研究所(特定課題研究ユニット)です。

 「超」心理現象や「変」性意識状態といった用語自体に、普通ではない「変」な現象というニュアンスが含まれています。それゆえ、学術的にはまじめに取り上げられることの少ない分野でした。しかし一方でマスメディアなどによって興味本位にとりあげられることが多いのも現状であり、結果的に「超能力」からUFOにいたるまで、雑多な概念をひとまとめにして、十分な研究がおこなわれないままに、信じるとか信じないとかいった不毛な議論が展開されてきたのが実情です。

 そもそも、心理学自体が科学として成立してきた過程で、「心」や「魂」という、物質ではないものを近代的な物質科学に準じた方法論で解明しようとするために、「意識」という主観的な現象を直接扱うのを回避せざるをえなかったという歴史的経緯もあります。しかし、近年になって、認知科学が心や意識というものを情報処理のプロセスとしてとらえなおそうという新しい視点を導入し、それが意識研究や意識科学と呼ばれる、意識という現象を正面から扱おうとする分野へと発展してきました。この研究所で行われている研究も、基本的にはそのパラダイムの延長線上にあります。

 しかしながら、同時に、この研究所では特定の研究パラダイムにはとらわれずに、むしろ「心」や「意識」という現象をいかにして科学として扱えるのか、あるいは扱えないのかという方法論自体の研究も行っています。(ここに書いていることも、蛭川の考えであって、必ずしも研究員の総意ではありません。)たとえば、ひとくくりに「超常現象」とされる現象群の中にも、そこにはさまざまな、性質の異なる現象が混在しています。まず、それを整理しなければなりません。通常現象対超常現象、日常意識対変性意識、あるいは、超常現象信奉者対懐疑論者といった、従来のナイーブな分析の枠組み自体を見直すことで、新しいパラダイムを模索していきたいと考えています。そのためには、心理学や認知科学だけではなく、科学哲学・科学社会学文化人類学、さらにはジャーナリズムといった、より広い視点も取り入れていかなければならないでしょう。また、ここ百年の間に、心理学が科学であろうと努力してきた一方で、物質科学の基礎である物理学自体が古典物理学から現代物理学へと根本的な変化を遂げたことも看過できません。

 世界的にみてもこの分野の研究は遅れており、とりわけ日本ではこの種の問題を情緒的にとらえる傾向があって、なかなか学術的研究の俎上に載らなかったのが現状です。しかし、逆に特定の宗教的権威などによる束縛が少なく、西洋的な思考と東洋的な思考が共存しているというのも日本という場所ならではの特徴です。そのような状況の中で、意識情報学研究所は、国内外における隣接分野の諸研究機関、諸学会等とも協力しつつ、将来的には日本におけるこの分野のひとつの研究センターとしての役割を担っていければと考えています。

明治大学意識情報学研究所 代表
明治大学情報コミュニケーション学部 准教授
蛭川 立

 研究員

蛭川 立 明治大学情報コミュニケーション学部准教授
石川幹人 明治大学情報コミュニケーション学部教授
岩淵 輝 明治大学情報コミュニケーション学部准教授
森 達也 明治大学情報コミュニケーション学部客員教授
渡辺恒夫 明治大学情報コミュニケーション学部兼任講師
小久保秀之 明治大学情報コミュニケーション学部兼任講師・国際総合研究機構研究部長
清水 武 明治大学情報コミュニケーション学部兼任講師
岩崎 美香 明治大学情報コミュニケーション学部助手
氏名をクリックすると該当研究員の主要なWEBサイトが開きます

過去の研究会の記録・今後の研究会の予定

西暦2008年度
西暦2009年度
西暦2010年度
西暦2011年度
西暦2012年度

関連情報

明治大学意識情報学研究所メーリングリスト
(研究員および関係者の情報交換のために使用しており、登録制です)

お問い合わせ、取材等の連絡は、下記蛭川宛メールアドレスにお願いいたします

「不思議な現象」の体験談なども募集しておりますが、臨床的な相談はお引き受けしかねます

※意識情報学研究所は、明治大学の特定課題研究所です。特定課題研究所とは、制度上、教員有志が集まってつくる研究プロジェクトで、その研究内容や方針は、明治大学全体とは直接関係がありません。また、本研究所は特定の宗教法人とはまったく関係がなく、資金援助等も受けていません。


  • CE2022/10/08 JST 作成
  • CE2022/10/08 JST 最終更新

蛭川立