蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

【講義ノート】「身体と意識」2020/12/18

いままでの授業では、抽象的なインド哲学の議論などしても意味がわからない、といった感じでしたから、タイで出家した、という具体的な体験を議論してみたところが、すこしわかりやすくなったようです。

とはいえ、いくら写真などを貼りつけても、出家して神秘体験をした、というのでは、まだまだ遠い世界の不思議なお話かもしれません。学問というものは、どうしても抽象的で、現実の生活感覚から遊離してしまいがちです。そこを、できるだけ現実の問題に引き戻して語るか、それが授業というものの意味でもあります。

そこで今回は、急に話を飛ばします。バーチャルリアリティーVRです。

唯心論やインド哲学や出家修行の話と、どう関係があるのか、そこは、あと二回の授業で結びつけて終えます。私の授業では、神秘的な話や哲学的な話など、どこか別世界の話をしてきたようで、しかし、それが現代、そして近未来の情報社会の問題とも密接に関わっていると、そこに落とし込んでいきます。

じつは今日の授業でひと区切り、冬休みが入ります。そして、1月にあと二回授業があって、総まとめです。あらためて、学年暦のほうを確認しておいてください。
https://www.meiji.ac.jp/koho/6t5h7p00000vgfy1-att/6t5h7p00001m6udj.pdf

ここ数年で、VR技術のコストが急速に下がり、バーチャルリアリティーの世界がぐっと身近になりました。四年ぐらい前には「VR元年」などと言われたものでしたが、意外に普及していません。おそらくは、ハードウエアの技術が先行しているわりには、まだコンテンツが追いついていないというのが現状です。なにしろ、敵と戦うという暴力的なゲームばかりです。技術の発展に人間の想像力が追いつかない、という現象の好例です。

いま、感染症の問題が慢性化し、外出しないでも人生を楽しめる、おうちで云々、という工夫が試行錯誤されていますが、究極の「おうち」技術は、VRでしょう。いまは海外渡航もままなりませんが、Google Earth VRなどに入りますと、たちまち、おうちで海外旅行ができてしまいます。

話が先走りましたが、ことVRにかんするかぎり、百聞は一見にしかず、です。まずはゴーグルをかぶってみてください。五万円ぐらいあれば、ひととおりの機材が買いそろえられるようになってきました。私もオタク的にいろいろ買っては試していますが、自分なりに考えるところもあり、最近の機材のガイドを書いてみました(→「個人用VR器機」)

秋葉原などのお店に行くと、まずは、お試しで無料体験などもできます。端から見ていると、3D立体メガネのようなものかと思いきや、没入感がまったく違います。スマホでも代用できるのですが、身体の運動を検知する加速度センサーが内蔵されているので、体の動きにあわせて周囲の光景が動くのです。この身体性が没入感をつくっています。

さて、今日のメインテーマですが、まずは「仮想現実と心物問題」を読んでみてください。VR元年到来!と騒がれていたころに興奮して書いたもので、まだよくまとまっていません(ので、軽くパスワードをかけています)。これだけで本が一冊書けてしまいそうなテーマです。かなり大きなテーマですから、今週は半分ぐらい、次回、冬休み明けにもう一回、二回ぐらいかけて議論したいと思います。

冬休みの宿題として、私のほうでも、もうすこし加筆修正すると同時に、それがいままで議論してきた哲学的なテーマとどう結びつくのかについても、もうすこし説明を加えます。文中には、古代ギリシア哲学のキーワードである「想起(anamnēsis)」や、古代インド哲学のキーワードである「無知(avidyā)」といった高度な専門用語を、詳しい解説なしにサラリと使っていますが、その意味についても、次回の講義ノートで、あらためて解説します。

その後『人文死生学宣言ー私の死の謎』という本の一章としてもVRのことを書きました。上の記事の続きに「『人文死生学宣言ー私の死の謎』より一部抜粋」というお題で貼りつけておきました。内容が重複していますが、最後は「古代の哲学によって論じられ、また仏教のような宗教思想として伝播した世界観は、前近代的な宗教的観念として、あるいは文献学的な研究対象としてしか顧みられなくなったきらいがある。しかし、物質技術が発展し、より抽象度の高い情報技術へと変容していくにしたがって、「私」という世界の実在性という普遍的な問いが形を変えて復活しつつあるといえる。先に議論したことは、たかだか娯楽用ゲームの喩えだが、そこで提起される認識論的問題は、今後数十年後以内に、きわめて切実な問いかけとなって我々に迫ってくるようになるだろう。」と話を締めくくりました。





CE 2020/12/17 JST 作成
蛭川立

カントの道徳律・フーコーの規律(ディシプリン)

hirukawa-notes.hatenablog.jp
(承前)

朝に弱いくせに、夜になるとまた目がさえてきてしまうのが睡眠相後退症候群の厄介なところだが、こんな診断名をつけるほどのこともない。ヒトの体内時計が25時間だというのが不思議なことであり、同調因子がなければ生活時間が後退するのは当然である。病棟で内面化した規律権力を思い出しつつ、毎日、24時ごろには寝て、8時ごろには起きる、という程度の生活を目安にしている。

純粋理性批判』をはじめとするカントの著作が日本語に訳されてきた経緯について、有福考岳先生の授業のことなども交えながら「【文献】カント『純粋理性批判』と『視霊者の夢』(あるいは文献学一般について)」に、細々とメモを書いた。
純粋理性批判』の最初の邦訳を成し遂げた天野貞祐は、講談社学術文庫版の「まえがき」で、自らの学者人生を以下のように回顧している。

私は、明治の末年に哲学を学び始めたころから、哲人カントの人格に親しみを感じ、日常生活においてまでカントをまねて、夜は十時に床に就き、朝は午前五時に起床することを実行してきた。どんなに寒くても、五時に起床して勉強することを固く守ったものである。
 
(中略)京都大学哲学科の教授になってから、カントの『純粋理性批判』の翻訳に全力を傾注するようになった。そして、全巻の翻訳を完成することができた。実に三十歳から六十歳にいたるまで、私はこのことに全力を捧げたのである。私の全生命力を、この仕事に捧げたわけである。

 
天野貞祐「まえがき」[*1]

「どんなに寒くても」五時に起きて仕事にとりかかったという、この天野の雪をも溶かす学究の情熱たるや「冬はつとめて」などという優雅なものではない。まったく男子の本懐、文献学者冥利に尽きるといった具合である。

2015年のことだが、『精神療法』が「“睡眠精神療法学"入門」という特集を組んだ。「精神療法としての生活習慣指導」という論文の中で、プライドが高く医者の忠告を聞かない厄介な人種が六種類ほど列挙されており、その五番目に「文系の学者・大学教員」が挙げられていた。

5.文系の学者・大学教員
  
大学の教員のなかでも文系の学者、とくに、哲学、文学、歴史のような古典学は、実証研究の学者と違って共同作業がない。そのため、主に二つのメンタルヘルス・リスクが生じる。生活のペースメーカーとなるものが少ないため、リズムが不安定になることと、孤独な書斎仕事活のペースメーカーとなるものが少ないため、リズムが不安定になることと、孤独な書斎仕事が中心で、同僚との関係が希薄になることである。
 
人文系の大学教員のなかには、大学に出るのは週3日、会議のある週でも4日で、そのほかのデューティも少ないという場合がある。大学では個室は与えられるが、いきおい、教員同士の交流は乏しくなる。
 
就職は至難であり、大学院を出て、大学にポストを得るまでは、常に「食えない不安」との戦いである。大学や研究機関に職を得れば、その不安はなくなるが、その一方で、メリハリのない生活と、孤独とが心身を弱らせていく。単身者だと翌日講義がないとなれば、夜遅くまで起きて、翌日は昼前まで寝ているような生活に陥りかねない。週末をはさんで、4日間誰とも口をきかないという事態も発生しえる。抗うつ薬を飲んでみても、生活リズムの悪さからくるうつ、孤独からくるうつには効くものではない。
 
人文系の学者にとって、こころの健康の手本とすべきは、ドイツ観念論哲学の祖イマヌエル・カントの生活である。カントの規則正しい生活は、よく知られている。決まった時刻に起床し、決まった時刻に勉強して、午前中の講義を済ませた後、午後は決まった時刻に同じコースを散歩した。町の人が、散歩するカント教授の姿をみて時計の針を合わせたというエピソードは、(多分誇張であろうが)あまりに有名である。一方で、彼は気難しい人物ではなく、昼間の孤独な思索のあとは、自宅に友人を招いて、 一緒に夕食をとるのが常であった。
 
規則正しい生活と人との交流、これがこころの健康の基本である。人文系の学者は、かならずしもカントのように社交的にふるまえる人ばかりではないが、規則的な生活を送ることは可能であろう。まず、「起床・就床時刻を定時化すること。講義・会議のない日も大学に出て、 自室か図書館で過ごすこと」。近隣で開かれる関連の研究会にはできるだけ出席し、名刺を配る、自著論文別刷りを送る、他の研究会情報を入手するなどすることを勧めるといいであろう。

 
井原裕・木本慎二「精神療法としての生活習慣指導」[*2]

我々が行っているのは厳密に実証的な文献学であるとか、今時の大学はそんなに優雅なものではなく、日々、研究費の申請書類を書いているのだとか、研究とは関係のない雑用に追われているのだ、という反論もありそうだが、そうした多忙さが、ますますメランコリーに傾くインクルデンツに拍車をかけている、とも考えられる。

この記事に書かれている、すこし以前の大学教員の生活は写実的であり、そして、それに対する生活面でのアドバイスも常識的である。とくに難解な理論や特殊な心理療法の技法が書かれているわけではない。

しかし、緊急事態宣言下での在宅勤務が長く続く中で、この常識的な提案を、リアルに再考させられることになった。なるほど、ひたすら液晶画面に向かって仕事をしているうちに、ふと気づくと三日も四日も誰とも会っていない、声を出していない、ということが、新しい日常になってしまった。

生活の変化に対する反応は、個々の気質や体質、その脆弱性にもよるようで、日ごろ社交的だった人が、孤独ゆえに抑うつ状態になったり、天気予報を見るように感染者数を見ては、謎のウイルスが社会を覆っていく不安や苛立ちをため込んでしまった人もいるようである。あんがい適応力を増したのが、不登校気味の学生たちであった。なにしろ登校しなくても勉強できるし、成績ももらえるからである。

どうやら私は体内時計に脆弱性があるようで、一人で自室にこもって昼夜を気にせず仕事をしていると、誰にも邪魔されずに作業が進められるわけだから、最初は調子が良いのだが、そのうちに、なせか身体が怠くなり、気がつくと眠ってしまっていたりする。一人で考えて一人で書いている間に、脳の歯車が空回りしてしまい、やがて回転が止まってしまう。

しかし実際に同業者と会って議論すると、空回りしていた歯車がまた噛み合って回りはじめる。ヒトにとって音声言語は普遍的なものだが、文字は新しい時代の人工物である。音声言語を使わずに文字言語だけで生活するというのは、現代文明が生んだ特殊な環境であり、ヒトの脳に独特な負荷をかけるものだと痛感した。インターネットを通じて動画通信をすれば必要な情報は伝わる。便利な時代になったものだと思う反面、身体的な感覚、非言語的な場の共有というものが背景に存在しないと、コミュニケーションが非常に不自然になるということにも気づかされた。



不自然な生活には現実感の喪失をおぼえた反面、感染症自体については、あまり不安に襲われることはなかった。これについては、大学生のときにウイルス研究所で実験助手をしていたこと、旧型コロナウイルスSARS-CoV-1がコウモリからヒトへと感染した、そのときに中国の雲南省に居合わせてしまったことが、期せずして、状況を客観的にとらえるのに役に立ってしまった。

一本鎖のRNAが突然変異を繰り返していく仕組みだとか、ヒトの脳がベイズ統計にしたがって作動し、リスクの情報処理に認知バイアスをかけてしまうことなど、理系の大学の学部学生レベルの知識が状況を理解するのに役に立った。文系の大学教員とはいっても、やはり自然科学の基礎こそが知識人の教養であり、そういう教育を受けられたことを有り難くも思った。



さて、天野先生やカント先生のご近所さんたちが、カント先生を基準に時計を合わせたのだとしたら、カント先生じしんは何を基準に時間を合わせたのだろう。外界を巡る天体の運動法則を規律=道徳律として内面化したのだろうか。

ニュートンの『プリンシピア』の新しい和訳が講談社ブルーバックスより刊行された[*3]が、まだ書棚の飾りになったままである。カントからニュートンへ。絶対時間や絶対空間の概念については、追ってまた議論を加えたい。

CE2019/08/10 JST 作成
CE2022/01/07 JST 最終更新
蛭川立

*1:カント, I. 天野貞祐(訳)(1979).「まえがき」『純粋理性批判(一)』講談社, 3.

*2:井原裕・木本慎二(2015).「精神療法としての生活習慣指導」『精神療法』41, 798-803.

(特集の編者は、かつての主治医、原田誠一先生である。)

*3:ニュートン, I. 中野猿人(訳)(2019).『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第1編 物体の運動』講談社.

ニュートン, I. 中野猿人(訳)(2019).『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第2編 抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動』講談社.

【講義ノート】「人類学B」2020/12/14

hirukawa.hateblo.jp
(承前)

今回の授業の内容は、前回の授業の後半部分となります。

バーチャル授業ですから物理的時間の制約を受けないのですが、授業中の質疑応答の範囲を決めておくと、受講者の間の問題意識が共有されるというわけです。春学期の授業の感想の中に、自分では発言はしなかったけれども、掲示板での質疑応答を端から見ていて勉強になったと、そんな感想がありました。

さて、インドネシアのバリ島民の世界観、今週は「象徴としての世界ーバリ島民の世界観ー」の後半です。火葬儀礼の話が終わって、その次の「儀礼の象徴性」の部分からです。

大学の公式サイト上にアップした「バリ島民の世界観」のほうも、だいたい同じ内容を扱っています。今週の授業に対応する部分は、「バリ島民の世界観」の(2)と(3)です。画面右上のメニューから、表示するページが選べます。もう十五年ぐらい前に作ったもので、写真は多いのですが、とくに動画がうまく再生されません。今はこちらでブログにYouTubeを貼りつける形のほうが便利なのでそれを使っていますが、他の場所にアップした内容も、このブログに集約していくつもりです。



「象徴としての世界」も、後半はじょじょに抽象性が高まっていきますが、動画を張り込んで、だいぶわかりやすくしてみました。

まず最初は、削歯儀礼です。成人儀礼です。大人になるためには、歯を削らなければならないのです。歯が尖っていると、動物のようだから、動物性を平らげるという、象徴的な意味があります。

それから、サンギャンと呼ばれるトランス儀礼、それを演劇にしたバロンダンスの動画も載せました。動物性を否定するところから人間性が生まれる、といってもわかりにくいかもしれません。

わかりやすい例としては、服を着るということです。動物は服を着ません。哺乳類は毛が生えていますが、毛が生えていない動物も服を着ません。ではなぜ服を着るのかというと、寒いから、体を守るため、という機能的な理由だけではない「意味」があります。人間は他の動物と違って「意味」を着るわけです。そしてまた、衣服という「意味」を脱ぐことによって、ただ、裸に戻るのではなく、服を脱いだ後の裸には、さらに強い「意味」が付与されるという、これは、ジョルジュ・バタイユの思想を引用しています。

最後のほうでは、暦法の話を書きました。人間が服を着るように、人間の集団は社会的な規範という服を着るわけですが、ときに社会的な規範を脱ぎ捨てて裸の人間に戻ることがあります。祭礼にはそういうものが多いのですが、バリ島ではオダランという祭礼のときに、ふだんは穏やかな人たちが、集団トランス状態になってしまうことがあります。映像を見ると驚くかもしれませんが、日本だと、これからの季節ですと、忘年会とか新年会でお酒を飲んで、ときに大騒ぎになるのと似ています。ふだんはおとなしい人たちだからこそ、特定の儀礼においては、その規制が外れるわけです。



CE 2020/12/13 JST 作成
CE 2020/12/14 JST 最終更新
蛭川立

【講義ノート】「人類学B」2020/12/07

人類学Bの講義ノートです。今週は(一年前の授業と同じで)ミクロネシアから、インドネシアへと南下します。

先週までの授業では、オーストロネシア語族というグループの、ミクロネシアのヤップ島の文化を紹介しました。

今回の講義では、同じオーストロネシアでも、ヘスペロネシアのバリ島の文化を取り上げます。バリ島は、国でいうと、インドネシア共和国のバリ州なのですが、ヘスペロネシアというのは、国家の名前ではなく、言語人類学的な民族集団の名前です。(→「ヘスペロネシア」)

オーストロネシアの中でも、ヘスペロネシアは、基層文化である根栽農耕社会に稲作が伝わって、より社会の階層化が進んだという点では、縄文時代の終わりに稲作が伝わったことをきっかけにして、社会の階層化が進んだ日本の歴史とも並行しています。


バリ島(ポイントはギアニヤール県プリアタン村)

インドネシアというのは「インドの島々」という意味であり、もともとは、オランダ領東インドとして植民地支配を受けていた地域です。

オランダ植民地統治下でも、バリ島では、伝統文化は保護され、むしろ観光化され、伝統文化のある側面は観光化によってさらに発展してきました。バリ島民の文化については拙著『彼岸の時間』に動画を張り込んだ改訂版である「象徴としての世界 −バリ島民の儀礼と世界観− (改訂版)」をごらんください。明治大学のサーバー上にある「パフォーマンスとしての葬送ーバリ島民の世界観(1)」もごらんください、(右上のメニューから1〜3ページまで表示させることができます。)ただし、動画は形式が古く、うまく表示できないかもしれません。

バリ島民の宗教儀礼の典型的なものとしては、火葬儀礼があります。盛大な祭礼である火葬儀礼は、インドから伝わったヒンドゥー文化の死生観の表現であると同時に、いっしゅの「ポトラッチ」として、階層化された社会における富の再分配という機能を果たしています。詳しくは、上で紹介したリンク先の記事を読んでください。

火葬儀礼に該当する箇所は、「象徴としての世界 −バリ島民の儀礼と世界観− (改訂版)」の前半、「『最初の楽園』バリの誕生」から「海が象徴するもの」までと、「パフォーマンスとしての葬送ーバリ島民の世界観(1)」です。(2〜3は、また来週、です)

葬送儀礼だけではなく、バリ島民の世界観においては、「自然/文化」という象徴的な二元論が存在しています。抽象的な議論になりますが、それは、来週の仮想教室でお話しすることにします。



2019/12/02 JST 作成
2020/12/07 JST 最終更新
蛭川立

古代インド哲学における心物問題

哲学の起源は古代ギリシアだけではない。古代のインドも、ギリシアと同様、またはそれ以上の思考の体系を作り上げた。ヘレニズム時代には東西の交流があり、古代インドの哲学のほうがギリシアの哲学に影響を与えたという可能性もある。

西洋哲学とインド哲学の対比については、この記事自体よりも「「東洋」は「近代の超克」を可能にするか」に詳しく書いた。また、マックス・ウェーバーによる比較宗教学については「【資料】ウェーバー「世界宗教の経済倫理」」に参考資料をあげておいた。

ローカーヤタ(順世派)

古代インドにおいても古代のギリシアと同様、唯物論的な哲学は皮相的な快楽主義と同一視され、蔑視された。

古代インド哲学の最左翼とされるローカーヤタ(lokāyata: 順世派)、あるいはチャールヴァーカ(cārvāka)は、物質的身体が終わればすべては無に帰する。だから生きている間には生の歓びを味わうべきだと説き、ヴェーダの無誤謬性、バラモンの権威を認めない危険思想として抹消されたという。その説はわずかに批判者の著書の中でしか知ることができない。

生の歓びとは何か。チャールヴァーカは論証の結果、それは借金をしてでもギー(ヨーグルトのような乳製品)を食することであり、また豊満なる美女を抱擁することだという。

f:id:hirukawalaboratory:20200605000040j:plain
中村元訳註『全哲学綱要』[*1]

古代のインドでは、ヨーグルトは借金をしなければならないぐらい希少なものだったのか、美女の条件は何より豊満ということだったのか。ともあれ、そのていどの質素な暮らしを説く哲学が、極左危険思想として弾圧されたのだというから、それがまた解脱を極みとするインドの精神主義であろうか[*2]

ヴェーダーンタ哲学

おそらくは先住のドラヴィダ系民族が持っていたとされる。輪廻転生の思想(→「輪廻と解脱」)にもとづいた唯心論的な哲学が主流であり続けた。ひたすら議論好きであり続けたインドの哲人たちも、この輪廻という公理自体を捨てるということを好まなかった。

インド哲学の諸学派のうちでも、もっとも正統とされてきたのが、西暦5世紀ごろ大成されたとされるヴェーダーンタ哲学である。普通の人間は「我(アートマン आत्मन् Ātman)(自我)」を物質的な身体と同一化しており、死とともに自我は身体を離れるが、ふたたび新しい身体に宿って無限の転生を繰り返すと考える。しかし実際には真の実在は「梵(ブラフマン brahman)」と呼ばれる宇宙的な意識であって、ほんらいアートマンブラフマンは同一であるのにもかかわらず、人は無知(無明)(avidyā)のゆえにそのことに気づかない。しかし明知(vidyā)を得、そのことを知ることによって、自我は永遠の輪廻(saṃsāra)から解脱(mokṣa)する。

この発想は新プラトン主義とよく似ているが、新プラトン主義においては神秘的な合一にいたるための具体的な身体技法が明示されていない。これに対して、ヴェーダーンタ哲学は、後にそれを実践するための方法としてハタ・ヨーガ(hatha yoga)と呼ばれる、具体的で体系的な身体技法によって裏付けられることになる。(これが健康体操になったものが「ヨガ」である。)

サーンキヤ哲学

ヴェーダーンタ哲学が中世に完成されたハタ・ヨーガの思想的背景になったのに対し、より古い形の古典ヨーガ(Rāja yoga)はサーンキヤ哲学(Sāṅkhya-darśana)を思想的背景としていた。(サーンキヤとは、知識によって解脱するという意味であり、行為によって解脱することを意味するヨーガと対になっていたとするほうがより正しい。)サーンキヤ学派は二元論であり、一元論であるヴェーダーンタ学派を批判した。つまり、なぜ世界が唯一の完全なブラフマンであるのなら、なにゆえにこの「現実」世界はかくも不完全なのか、と問う。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Evolution_in_Samkhya_Japanese.png
サーンキヤ哲学の基本図式[*3]。一見して何を意味しているのか理解するのが難しいが、これは、上下の矢印を逆にして、五感による知覚情報が中枢で連合されて意識的経験となる、と読み替えると、現代の唯物論的認識論の逆になっていることがわかる。

これに対してサーンキヤ哲学は、プルシャ(puruṣa)(自我:純粋観照者)と、物質のおおもとであるプラクリティ(prakṛti)(根本原質)の二つの原理を立てる。プルシャとプラクリティは、しばしば踊りを鑑賞する王と、踊り子の関係に例えられる。プルシャがプラクリティに関心を持つことによって、プラクリティは新プラトン主義が説くように、より粗大な物質的存在へと展開していってしまう。そして、プルシャがプラクリティに対する関心を放棄することによって、プラクリティは展開の踊りを止め本来の姿に留まる。

草枕』の冒頭にある「智に働け​ば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ」は、サーンキヤ学派におけるトリ・グナ、つまりサットヴァ(sattva、सत्त्व 、純質)、ラジャス(rajas、रजस्、激質)、タマス(tamas、तमस्、翳質・闇質)のことだといわれる。

このトリ・グナの均衡がとれているとき、プラクリティ(प्रकृति、prakṛti)はほんらいの姿にとどまり、そして純粋観照者であるプルシャ(puruṣa、पुरुष)がそれを「観照」する。この均衡が崩れると感覚器官から物質世界へと流出が起こる。この流出を逆に遡ってほんらいの姿に戻すのがヨーガである。このことはロンドン滞在中に「身体技法を内包した哲学」に書いたが、また加筆修正する予定。

とりわけインドの哲学は論争に次ぐ論争の歴史であったともいえるが、このような批判に対して、ヴェーダーンタ哲学を改良したのがシャンカラ(西暦8世紀ごろ)である。シャンカラによれば、この現実世界とされるものは一種の幻であって、実在するものではなく、真の実在はブラフマンのみであるという説明で一元論を正当化した(不二一元論)。

仏教

一種の宗教として東アジアに広まった仏教もまたこうした古代インドの哲学論争の中から発生してきたひとつの学派ということもできる。初期仏教が古代インド哲学の他の学派と異なっていたのは、行きすぎた形而上的な論争を戒め、現実的な問題解決を重視した点にある。

異説はあるが、ブッダ buddha(目覚めた人)とも呼ばれるシャカ(西暦紀元前6世紀ごろ)は、インド哲学がこだわり続けてきた、真の自己とは何か、死後繰り返される輪廻からいかにして解脱するかといった問いには答えようとしなかったという(無記 avyākṛta)。それよりも、目の前にある当面の問題を解決することが重要だと説いた。これは一種の実証主義(positivism)、ないしは実用主義pragmatism)であるともいえる。(→「積極的な『沈黙』としての実証主義」)

そのことが、過剰な形而上的議論を好まない他民族に受容されやすかったのかもしれない。中国や日本の禅は、その意味では初期仏教と近い発想を持っている。またこの実証主義的傾向は、相対性理論量子力学と基本とする現代科学とも発想を同じくしているが、そのことは、ここでの議論を越えることなので、また別に論じたい。

【追記】インド六派哲学の基本文献とその和訳

【追記】動画によるインドの歴史地図


www.youtube.com
西暦紀元前29世紀から現代までの南アジアの政治地図



記述の自己評価 ★★☆☆☆
インド哲学や仏教思想は非常に関心のある分野であり、あちらこちらに論考を書いているが、まとまっていない。この記事は、講義の補助資料としてざっと書いたものなので、もうすこし体系的にまとめたい。)
CE2012/05/06 JST 作成 
CE2021/12/17 JST更新
蛭川立

*1:中村元 (1994).『インドの哲学体系Ⅰ 『全哲学綱要』訳註Ⅰ(中村元選集 第28巻)』春秋社, 19-31.

*2:古代ギリシア、古代インドにおける唯物論については、ブログ上のエッセイ「消去主義(的唯物論)」や「人生得意須尽歓」などの中で触れたが、とくにインドにおける唯物論という、あまり注目されていないテーマについては、もっときちんとまとめたいと思っている。

*3:サーンキヤ学派 - Wikipedia

*4:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

*5:

*6:田豊 (1992).「ヴェーダーンタ思想の展開」『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版, 211-359.

*7:

*8:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

*9:

*10:

*11:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

*12:

*13:

ニヤーヤ経註

ニヤーヤ経註

Amazon

*14:

*15:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

*16:

*17:

*18:

*19:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

【講義ノート】「身体と意識」2020/12/04-11

12月4日の講義資料を、すこしだけ書きなおしました。

タイでの出家

まず最初に、具体的な体験談として「タイでの一時出家」を読んでください。その後、ほとんど同じ内容を『風の旅人』という雑誌に「チェンマイー時間の彼岸ー」というタイトルで書きました。内容が重複していますが、あわせてお読みください。

まずは体験。抽象的な理論は、あとから考えなおしましょう。

以下の内容は、12月4日ぶんと同じです。インド哲学と仏教思想、インド4000年の知恵、奥が深いです。リンク先を辿って、興味を惹かれるところだけでも読んでみてください。

目の前の世界は、幻である、などというと、いかにもインドの神秘、という感じがしますが、これは、年末年始には、バーチャルリアリティー(VR)という近未来技術と結びつけていきます。

インド哲学と仏教

仏教は、およそ2500年前、古代のインドで始まった宗教であり、むしろ哲学です。

古代インド哲学については、ブログ上に「古代インドにおける心物問題」という記事を書きましたが、書いたのがだいぶ前なので、書いている私じしんの理解が足りなかった部分があります。

上の記事から、さらに関連記事へのリンクがありますが、とくに「「東洋」は「近代の超克」を可能にするか」のほうに、インド哲学についてもっと詳しく書きました。こちらは、文中にも書いてあるとおり、イギリスのロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ)で客員研究員をしていたときに書いたものです。インドはイギリスの植民地だったのですが、逆に、イギリスではインド文化の研究が非常に盛んで、私もずいぶんと学びました。

それにしても、いきなり抽象的な哲学の話で、一読して、よくわからないことが多いでしょう。インド哲学などあまり身近ではありませんし、言っていることの内容が神秘的すぎて、何を言っているのか意味不明に思えても仕方がありません。インドの哲学は、仏教という宗教を通じて日本にも伝来しましたが、日本の仏教は日本古来からの祖先崇拝の道徳に吸収され、哲学という要素は希薄になってしまいました。

身体技法に支えられた思考技法

しかし、インドの哲学が西洋の哲学と違うのは、瞑想という実践によって裏付けられているという点です。

瞑想、ヨーガ、禅など、いろいろな言葉がありますが、ようするに、自分の外側にある世界ではなく、自分の内側にある世界をよく観察することによって、精神と身体の関係、宇宙と生命の意味を知るという、身体技法のことです。

身体技法という難しい言葉を使いましたが、つまりは音楽やスポーツのようなものです。本だけ読んでも身につきません。実践あるのみなのですが、逆にいえば、難しい本を読んで机上の空論をするだけの哲学よりは、体感的にわかりやすいのが、インド哲学の特徴でもあります。

瞑想(ヨーガ)については、「ヨーガと瞑想」に詳しく書きました。詳しく書きすぎて余計に難しくなってしまったかもしれません。

なぜか若い女性が美しい身体を求める健康体操として普及している「ヨガ」も、もともとは瞑想の一種であり、たんに健康でキレイな体を目指す、というだけではなく、自己を見つめることによって内面からキレイになる、という思想は受け継がれています。



CE 2020/12/04 JST 作成
CE 2020/12/11 JST 蛭川立