古代インド哲学における心物問題

哲学の起源は古代ギリシアだけではない。古代のインドも、ギリシアと同様、またはそれ以上の思考の体系を作り上げた。ヘレニズム時代には東西の交流があり、古代インドの哲学のほうがギリシアの哲学に影響を与えたという可能性もある。

西洋哲学とインド哲学の対比については、この記事自体よりも「「東洋」は「近代の超克」を可能にするか」に詳しく書いた。また、マックス・ウェーバーによる比較宗教学については「【資料】ウェーバー「世界宗教の経済倫理」」に参考資料をあげておいた。

ローカーヤタ(順世派)

古代インドにおいても古代のギリシアと同様、唯物論的な哲学は皮相的な快楽主義と同一視され、蔑視された。

古代インド哲学の最左翼とされるローカーヤタ(lokāyata: 順世派)、あるいはチャールヴァーカ(cārvāka)は、物質的身体が終わればすべては無に帰する。だから生きている間には生の歓びを味わうべきだと説き、ヴェーダの無誤謬性、バラモンの権威を認めない危険思想として抹消されたという。その説はわずかに批判者の著書の中でしか知ることができない。

生の歓びとは何か。チャールヴァーカは論証の結果、それは借金をしてでもギー(ヨーグルトのような乳製品)を食することであり、また豊満なる美女を抱擁することだという。

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中村元訳註『全哲学綱要』[*1]

古代のインドでは、ヨーグルトは借金をしなければならないぐらい希少なものだったのか、美女の条件は何より豊満ということだったのか。ともあれ、そのていどの質素な暮らしを説く哲学が、極左危険思想として弾圧されたのだというから、それがまた解脱を極みとするインドの精神主義であろうか[*2]

ヴェーダーンタ哲学

おそらくは先住のドラヴィダ系民族が持っていたとされる。輪廻転生の思想(→「輪廻と解脱」)にもとづいた唯心論的な哲学が主流であり続けた。ひたすら議論好きであり続けたインドの哲人たちも、この輪廻という公理自体を捨てるということを好まなかった。

インド哲学の諸学派のうちでも、もっとも正統とされてきたのが、西暦5世紀ごろ大成されたとされるヴェーダーンタ哲学である。普通の人間は「我(アートマン आत्मन् Ātman)(自我)」を物質的な身体と同一化しており、死とともに自我は身体を離れるが、ふたたび新しい身体に宿って無限の転生を繰り返すと考える。しかし実際には真の実在は「梵(ブラフマン brahman)」と呼ばれる宇宙的な意識であって、ほんらいアートマンブラフマンは同一であるのにもかかわらず、人は無知(無明)(avidyā)のゆえにそのことに気づかない。しかし明知(vidyā)を得、そのことを知ることによって、自我は永遠の輪廻(saṃsāra)から解脱(mokṣa)する。

この発想は新プラトン主義とよく似ているが、新プラトン主義においては神秘的な合一にいたるための具体的な身体技法が明示されていない。これに対して、ヴェーダーンタ哲学は、後にそれを実践するための方法としてハタ・ヨーガ(hatha yoga)と呼ばれる、具体的で体系的な身体技法によって裏付けられることになる。(これが健康体操になったものが「ヨガ」である。)

サーンキヤ哲学

ヴェーダーンタ哲学が中世に完成されたハタ・ヨーガの思想的背景になったのに対し、より古い形の古典ヨーガ(Rāja yoga)はサーンキヤ哲学(Sāṅkhya-darśana)を思想的背景としていた。(サーンキヤとは、知識によって解脱するという意味であり、行為によって解脱することを意味するヨーガと対になっていたとするほうがより正しい。)サーンキヤ学派は二元論であり、一元論であるヴェーダーンタ学派を批判した。つまり、なぜ世界が唯一の完全なブラフマンであるのなら、なにゆえにこの「現実」世界はかくも不完全なのか、と問う。

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サーンキヤ哲学の基本図式[*3]。一見して何を意味しているのか理解するのが難しいが、これは、上下の矢印を逆にして、五感による知覚情報が中枢で連合されて意識的経験となる、と読み替えると、現代の唯物論的認識論の逆になっていることがわかる。

これに対してサーンキヤ哲学は、プルシャ(puruṣa)(自我:純粋観照者)と、物質のおおもとであるプラクリティ(prakṛti)(根本原質)の二つの原理を立てる。プルシャとプラクリティは、しばしば踊りを鑑賞する王と、踊り子の関係に例えられる。プルシャがプラクリティに関心を持つことによって、プラクリティは新プラトン主義が説くように、より粗大な物質的存在へと展開していってしまう。そして、プルシャがプラクリティに対する関心を放棄することによって、プラクリティは展開の踊りを止め本来の姿に留まる。

草枕』の冒頭にある「智に働け​ば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ」は、サーンキヤ学派におけるトリ・グナ、つまりサットヴァ(sattva、सत्त्व 、純質)、ラジャス(rajas、रजस्、激質)、タマス(tamas、तमस्、翳質・闇質)のことだといわれる。

このトリ・グナの均衡がとれているとき、プラクリティ(प्रकृति、prakṛti)はほんらいの姿にとどまり、そして純粋観照者であるプルシャ(puruṣa、पुरुष)がそれを「観照」する。この均衡が崩れると感覚器官から物質世界へと流出が起こる。この流出を逆に遡ってほんらいの姿に戻すのがヨーガである。このことはロンドン滞在中に「身体技法を内包した哲学」に書いたが、また加筆修正する予定。

とりわけインドの哲学は論争に次ぐ論争の歴史であったともいえるが、このような批判に対して、ヴェーダーンタ哲学を改良したのがシャンカラ(西暦8世紀ごろ)である。シャンカラによれば、この現実世界とされるものは一種の幻であって、実在するものではなく、真の実在はブラフマンのみであるという説明で一元論を正当化した(不二一元論)。

仏教

一種の宗教として東アジアに広まった仏教もまたこうした古代インドの哲学論争の中から発生してきたひとつの学派ということもできる。初期仏教が古代インド哲学の他の学派と異なっていたのは、行きすぎた形而上的な論争を戒め、現実的な問題解決を重視した点にある。

異説はあるが、ブッダ buddha(目覚めた人)とも呼ばれるシャカ(西暦紀元前6世紀ごろ)は、インド哲学がこだわり続けてきた、真の自己とは何か、死後繰り返される輪廻からいかにして解脱するかといった問いには答えようとしなかったという(無記 avyākṛta)。それよりも、目の前にある当面の問題を解決することが重要だと説いた。これは一種の実証主義(positivism)、ないしは実用主義pragmatism)であるともいえる。(→「積極的な『沈黙』としての実証主義」)

そのことが、過剰な形而上的議論を好まない他民族に受容されやすかったのかもしれない。中国や日本の禅は、その意味では初期仏教と近い発想を持っている。またこの実証主義的傾向は、相対性理論量子力学と基本とする現代科学とも発想を同じくしているが、そのことは、ここでの議論を越えることなので、また別に論じたい。

【追記】インド六派哲学の基本文献とその和訳

【追記】動画によるインドの歴史地図


www.youtube.com
西暦紀元前29世紀から現代までの南アジアの政治地図



記述の自己評価 ★★☆☆☆
インド哲学や仏教思想は非常に関心のある分野であり、あちらこちらに論考を書いているが、まとまっていない。この記事は、講義の補助資料としてざっと書いたものなので、もうすこし体系的にまとめたい。)
CE2012/05/06 JST 作成 
CE2021/12/17 JST更新
蛭川立

*1:中村元 (1994).『インドの哲学体系Ⅰ 『全哲学綱要』訳註Ⅰ(中村元選集 第28巻)』春秋社, 19-31.

*2:古代ギリシア、古代インドにおける唯物論については、ブログ上のエッセイ「消去主義(的唯物論)」や「人生得意須尽歓」などの中で触れたが、とくにインドにおける唯物論という、あまり注目されていないテーマについては、もっときちんとまとめたいと思っている。

*3:サーンキヤ学派 - Wikipedia

*4:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

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*6:田豊 (1992).「ヴェーダーンタ思想の展開」『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版, 211-359.

*7:

*8:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

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*11:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

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ニヤーヤ経註

ニヤーヤ経註

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*15:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.

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*19:田豊 (1992).『バラモンの精神界ーインド六派哲学の教典ー』鈴木出版.