「身体と意識」2021/10/22 講義ノート

先週は京都での事件のことを長々と話しすぎまして、本題が後回しになっていましたが、脳の構造と機能、向精神薬の作用、といったお話しをしていきたいと思います。

向精神薬、薬物だとかドラッグだとかいうと、どうも興味本位な話になりがちなのですが、向精神薬の突いての知識がなぜ重要かというと、これは脳と心、身体と意識、物質と精神をつなぐものだからです。

嗜好品として使われる向精神薬も、乱用される向精神薬も、医者で処方される向精神薬も、意外に単純な構造の分子です。そういう分子が脳の働き、心の働きに大きな作用を及ぼすということは、非常に注目すべきことです。

たとえばお酒に含まれるエチルアルコールエタノールですが、炭素が2個、酸素が1個、水素が6個、全部で原子が9個です、こんな単純な分子が、感情や思考を大きく変えます。このことは、心の働きを物質的に解明するのに非常に重要な手がかりなのです。

しかし、お酒を飲んでも眼前のリアリティが根本的に変わるほどの意識変容が起こるわけではありません。覚醒状態と睡眠状態の違いほどの意識状態の変化を起こす物質が、サイケデリックスとか、精神展開薬とかいう物質です(→「精神展開薬(サイケデリックス)」。幻覚剤とも呼ばれます。サイケデリックというと、カラフルな幻覚が見えて気が狂ってしまうというイメージがあるのですが、簡単に言うと、意識が明晰に保たれたまま、夢を見るという感じでしょうか。これはなかなか体験しないとわからないものです。夢を見たことがない人に、夢とはどういう体験なのかを説明するのが難しいのと同じです。とはいえ、夢という幻覚を見たからといって気が狂ってしまうわけではありません。

京都での事件、京都アヤワスカ茶会裁判の発端が、この精神展開薬であるDMTでした。今まで夢なんか見たことがないという人が、生まれて初めて夢を見て、びっくりして世界観や人生観が変わってしまったという、それが発端でした。人生観が変わってしまった結果、うつ病が治ってしまったというわけです。じっさい、うつ病や不安障害という病気は、これは性格が暗いとか、そういうことよりは、脳内物質のバランスの崩れであるという、脳という内臓の病気だというパラダイムが最近の精神医学です。

たとえばうつ病は、神経伝達物質であるセロトニンが不足する病気なので、DMTのような精神展開薬、セロトニンとよく似た物質を飲んで、セロトニン受容体、5-HTレセプターのアゴニストとして作用させるとか、あるいは、脳内でセロトニンが分解されるのを阻害する物質、そういう薬を飲めば治ると、そういう方向で研究や治療が進んでいます。

こういう話をしていると、セロトニンとか、受容体とかいう専門用語が出てきます。必要におうじて基礎知識を補っていきましょう。

まず、薬物の分類についての基礎知識が必要です(→「向精神薬の分類」)。これは前回も、私の授業では、もう何回も言っている話ですが、ドラッグというのは全部ダメという観念体系があって、そこを整理しないと話が先に進まないからです。高校までは、ダメゼッタイという公式の暗記ですが、大学での勉強は、なぜダメなの?と問い直し、考える作業です。

また京都裁判に話を戻しますが、この京都での裁判が長期化しているのは、そもそも警察や検察の人たちが、DMTという精神展開薬が何であるのかはほとんど知らずに、薬物=覚醒剤暴力団=摘発、という、暗記したとおりの公式にしたがって、薬草を売っていた男性を誤認逮捕してしまった、というのがウラの実態らしいのです。公式というのは暗記しておくと便利なものですが、世の中、たまに公式には当てはまらないことが起きます。そういうときに役立つ思考法を訓練する、これが大学の勉強です。

話を戻します。意識を変容させる向精神薬について、これを理解するには、神経や神経伝達物質の基礎知識が必要です。これは「神経伝達物質と向精神薬」に書きました。目で見る医学の基礎知識というYouTube動画へリンクを張っておきましたが、これを10分、いや、最後の3分の部分だけでも、見るだけで、だいたい基礎知識は身につきます。今回の授業は、この3分を見てもらえれば、もうそれで充分です、というぐらいです。なお、最初のほうの、呼吸器系の病気では血中の酸素が減り、というあたりは、この授業とは関係ありませんが、世界的に肺炎が流行している昨今の状況下では、パルスオキシメーターなどが日常的に話題になっていますね。

それから、脳の構造と機能についても、あるていどは知っておくといいのですが、心理学や精神医学では、意外に脳のことは知らなくても大丈夫なのです。なぜかというと、じつは脳のどの部分が、どういう働きをしているのか、まだよくわかっていないからです。神経や神経伝達物質の細かいことはよく研究されているのですが、脳が全体としてどう働いているのか、これが意外にわかっていないのです。世の中には「脳科学」と題する本が多々ありますが、かなりの部分、推測で書かれたものか、明らかにデタラメな疑似科学もあります。医学の専門書のコーナーには「神経科学」という本ばかりで「脳科学」という本はありません。せいぜい「脳神経科学」という言葉がある程度です。

脳と神経系の構造については「ヒトの脳の構造」、「向精神薬の分類」という記事を書きました。この記事から、さらに別の記事にリンクを張ってありますが、全部をしっかり読んでいると、だいぶ時間がかかりますので、時間がない人は、ほどほどにしておいてください。

とくに人間の脳は巨大化しすぎていて、複雑に折りたたまれているので、平面的な図を見ても、なかなかよくわかりません。私じしんが脳の模型を使って解説している自撮り動画「脳の構造」のほうをごらんください。3個動画がありますが、全部で10分もありません。これでも、だいたいの感じはわかりますね。

今後の授業をどうするのか、まだ試行錯誤中です。掲示板ディスカッション方式のほうがいいという意見もありますし、といって、こうやって文字で書くよりも、しゃべったほうが情報の量としてはずっと効率的です。教室での講義に戻す前に、講義動画を録画してアップして、この講義ノートからリンクを張り、そして授業時間には掲示板でディスカッションを行うと、今回は、そういう組み合わせの実験的授業です。



CE2021/10/21 JST 作成
CE2021/10/22 JST 最終更新
蛭川立