蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

気分障害・睡眠障害当事者としてのサイケデリック・ルネサンスとの関係史

大学生のころからうつ病の傾向はあった

1980年代、大学に入り一人暮らしを始めたころから生活のリズムが崩れ睡眠障害になる。睡眠不足が原因でけいれん発作を起こす。新宮一成(京大病院・ラカン派)から「躁うつ病」という診断を受ける。二十歳ぐらいは躁鬱病の好発年齢でもある。

1990年代に小さなルネサンスがあった

1990年代、暗黒時代だったサイケデリックスの90年代ルネサンスが起こる。ブラジルからアヤワスカが世界に広がり、世界中からペルーにアヤワスカを求めて行く人たちが増える。

1990年代、東大で人類学を研究していたころ、ペルーに行き、シャーマン画家、パブロ・アマリンゴに弟子入り。同時期に東京で美大を出てCGの仕事をしていた直子さんと知り合う。(シロシビン・マッシュルームは直接のきっかけではなかった。)

同時期、1990年代後半には日本ではマジック・マッシュルームが流行し、2002年に規制される。(日本の90年代ルネサンスの終わり。)

人類学研究を離れうつ病が遷延化していく

1990年代には蛭川のうつ病寛解しており、サイケデリックスがうつ病の治療薬として使えるとは気づいていなかった。(少量を摂取しても物足りないと思うばかりで抗うつ作用は感じなかったように思う。。。)マジック・マッシュルームはレイブなどの音楽やアートと結びついていて、抗うつ薬としてはとらえられていなかった。

2000年代から蛭川の持病のうつ病が再発し、治療し、再発し、を繰り返すようになる。新しい抗うつ薬として次々と市場に登場したSSRIパキシルルボックスジェイゾロフトエススタロプラム)を次々に試した。SSRIは効いたが、うつは再発を繰り返した。SSRIブームに乗せられたのかもしれない。

2004年に明治大学の新設学部の終身准教授として就職するが、いっぽうで海外調査に行く時間的余裕もなくなり、人類学的調査研究からは離れる。

2013年度、2014年度、イギリスとオーストラリアの大学に滞在し心理学と哲学を学ぶが、このときにはまだ欧米豪は抗うつ薬ルネサンスの前夜で、ようやくケタミンが注目されはじめていたぐらいの動きしか感じなかった。

カウンターカルチャーの担い手が高齢化し、若者は保守化し、移民排斥などの右翼政治が世界的に台頭した時代でもあった。

2015年に帰国後、精神科医、原田誠一(東大病院→晴和病院→NCNP病院→開業)のクリニックに通うようになる。原田先生は繰り返すうつ状態を、単極性うつ病ではなく双極性障害と見立てて、各種の気分安定薬を処方するが、どれも効かず、治療は行き詰まった。

2017年、原田先生の紹介でNCNP病院と晴和病院に入院し、規則正しい集団生活によってうつは寛解するが、退院してまたうつが再発。抗うつ薬気分安定薬も奏効せず遷延化。2018年度と2022年度は大学を休職。2020年度と2021年度は大学の建物が閉鎖され、結果的に2018年度から2022年度までの4年間、あまり出勤できず、社会的に孤立してしまう。

日本の抗うつ薬ルネサンス

2020年、京都でDMTea裁判が始まる。この裁判の弁護の過程でサイケデリックスによってうつ病自殺念慮が治癒するという研究が進んでいることを知ったが、その意味がよくわからなかった。サイケデリックスは深い神秘体験を引き起こすもので、特定の精神疾患の治療薬として矮小化すべきではないとさえ考えていた。この裁判に対して、日本の研究者や臨床家はほとんど理解を示さなかった。

2022年から日本では脱法カンナビノイド(HHC〜)・脱法サイケデリックス(1V-LSD)の流行が始まる。2022年秋、裁判の弁護活動中に知り合った染矢さんとサイケデリック絵本の制作を始める。これは2024年の夏まで2年弱の長い共同作業になった。

2022年秋、他大学の卒業生が研究室に持ってきた1V-LSDのサンプルを少量(40μgぐらい)試してみたところ、神秘体験はせず、心身が軽くなるという作用を感じる。このとき始めてサイケデリックスが抗うつ薬として使えることを実感し、驚く。

またLSDアナログのロードーズは、絵を描くなどのクリエイティヴな仕事に役立つことにも気づく。そしてヘタウマ絵本の執筆が進んだ。

2023年4月19日、井上ヨーダの420イベントに先行して、LSD研究80周年を記念して「International Association for Psychedelic Research」の設立を全世界に呼びかける。このころにたまたま直子さんとの連絡が再開する。直子さんがオレゴン州で合法化されたシロシビンのファシリテーター養成学校に入学するにあたって、指導教官の推薦状のような書類を書いた。

2023年9月、順天堂大学で行われた神経精神薬理学会の大会でインペリアル・カレッジのナット先生に会い、ケタミンからシロシビンへという抗うつ薬ルネサンスが2017年ごろから進んでいたことを知る。同年の秋、急な気温の低下の影響もあり、うつはかなり悪化し、絵本の執筆が滞る。11月から12月にかけて大麻取締法「改悪」案が国会を通過する。これには非常な無力感を感じ、苛立った。

2023年12月、主治医の上瀬大樹(東大病院→晴和病院→東大病院→退官後個人クリニック)と話し合い、再度、最新のSSRIであるレクサプロ(エスシタロプラム)を試すが、副作用が強くて治療は失敗。あらためて既存の抗うつ薬に失望する。

2024年3月、鳥居圭先生(名古屋大学→)が始めた日本で最初のケタミンクリニック、名古屋麻酔科クリニックでケタミン点滴を受け、迅速な抗うつ作用を感じる。ただし効果は2日しか続かなかった。(ケタミンは三日おきぐらいの連続投与が必要だということはナット先生から聞いていたが、費用が高くて実行できなかった。)

2024年6月、絵本『ゾルゲンキンドはかく語りき』を出版。直子さんが養成学校のプログラムを終え、ファシリテーターとして活動を始める。

2024年8月。大学の夏休みがとれたタイミングでオレゴンの直子さんのシロシビンセッション(一日おきに30mg、35mg)を受ける。宇宙を高速で漂う体験、呼吸と光と一体化する体験、誕生を追体験するなどの神秘体験をする。

そもそもうつ状態での海外渡航は難しかったが、9年ぶりの海外渡航を可能にしたのは準備セッションで元気づけられたおかげでもある。海外渡航自体に十年近い閉塞からの解放感を感じた。ただし帰国後1ヶ月でうつはぶり返した。シロシビンは1ヶ月おきぐらいの連続投与と事後の統合セッションの継続が重要だと思った。日本社会全体がうつ病・不安・強迫的な社会だということにも気づかされた。

2024年9月、オレゴンでのシロシビンセッション体験を慶應大学病院精神神経科の研究会で報告。翌10月、内田裕之先生が指揮するシロシビン治験が始まった。

2024年12月、名古屋麻酔科クリニックの東京分院、東京麻酔科クリニックがオープンし、治療実験に参加する。3日おきに3回のケタミン注射を受け、抗うつ効果は6日続いて終わった。けっきょく2023年末年始、2024年末年始共に寝込んでしまった。

日本でサイケデリック療法が受けられるようになったのは画期的な時代の変化だが、サイケデリックスを薬物療法としてのみ捉えるのではなく、投与後の生活パターンを変えることと、それを支え合うセラピストとクライエントの統合グループによる継続的なサポートが必要だと考え、Psychedelic Society日本支部の立ち上げに参加する。