蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「身体と意識」講義ノート CE 2022/01/14

先週の講義ノートをもう一度貼り付けておきます。

hirukawa.hateblo.jp

先週は古代インド哲学という、おそらくあまり馴染みのない分野を扱いまして、すこしわかりづらかったかもしれません。日本は仏教という形でインドからの哲学を輸入したのですが、それと明治期以降に西洋から輸入されたヨーロッパの哲学とは別々のものとして認識されていますし、哲学といえば西洋哲学を意味するようになっています。

もういちど「インド・ヨーロッパにおける心物問題の略史」にリンクを張っておきますが、二千年以上の長大な内容を、しかも自分流に、かなり単純化してまとめています。哲学というと、どうでもいい、ややこしい議論だと思われがちですし、じっさいに無理に難解な言葉で語られたりするのですが、ここでは心物問題、心身問題という切り口でまとめました。

まずは「目の前に見えている世界は、実在するのだろうか?」という問いかけです。これに対しては、実在するに決まっている、それ以上の理屈は無用、と考えるのが、ふつうです。これを素朴実在論というのですが、リンク先の記事は、この素朴実在論から始まっています。

詳しい議論はリンク先の長い長い記事を読んでもらえればいいのですが、この素朴実在論の正反対が「目の前に見えている世界は、幻覚である」という考えです。幻覚というと精神疾患や幻覚が見える麻薬のようなネガティブなイメージがあるのですが、この授業では、その偏見が多少なりとも解ければと、それだけでだいぶ目的は果たしました。何度も扱ってきましたが、眠っているときに見ている夢の世界は、誰もが経験する、リアルな幻覚です。悪夢は嫌なものですが、それじたいは狂気でも病気でもありません。

来週は最終回になりますが、夢だとか幻覚だとかいうテーマを、これからの情報社会の文脈で捉え直して締めくくりたいと思います。来週の予告ですが、先取りして「仮想現実と心物問題」という記事にリンクを張っておきます。最新技術を追いながら書き足しているので、ずっと書きかけ状態です。

いま皆さんはスマホやパソコンの液晶画面を見ているでしょう。液晶画面の中の世界は、ピクセルが作り出す幻影です。平らな画面であれば、画面の外側に物理世界が見えますから、これは液晶画面だと認識できますが、これがVRHMD、ゴーグルをかぶりますと、360度、どちらを向いても液晶画面です。その中にいると、画面の中にいるということを忘れかけてしまいます。これも精神展開薬、サイケデリック体験と同じで、体験してみないとわからない世界ですが、たとえば夢を見たことがない人に、夢とはどういうものか、説明するのが難しいのと同じです。私も最初に中に入ったときは驚きましたが、もう自分で買って持っているという人も多いでしょうし、ゲームセンターなどでもちょっと体験できるようになりました。ぜひ試してみてください。