蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「身体と意識」2021/12/10 CE 講義ノート

前回は、意識状態を変化させるための身体技法としての瞑想ということで「タイでの一時出家」という資料にリンクを張りましたが、その件での議論があまりありませんでしたね。記事が長すぎて内容が多すぎたかもしれませんから、今回もこの資料の続きにします。

発言自体が少なくなったかなとは思いますが、もう12月ですし、最後までこの掲示板方式の授業を続けます。期末試験ですが、これも教室での試験ではなく、昨年と同様、期末レポートをオンラインで提出するという方式にします。課題はもうすぐ発表します。

いま新型コロナウイルスの感染は、日本ではほとんど終わってしまったように見えますが、来年にはまた新しい変異が流行するかもしれませんし、これは予測不能です。ウイルスはしょっちゅう変異を起こすものですが、変異するごとに強力にバージョンアップしていくかというと、そうではありません。しょっちゅう新しい変異が起こって、ほとんどは失敗作で消えていきます。たまに感染力があるものが広がりますが、感染力が強いことと、重症化させる強さがあるかどうかも、これもランダムです。

たとえば、新しく感染を広げているオミクロンという変異があるようですが、じつは、感染してもほとんど軽症で終わるのではないかという説もあります。ウイルスの流行は、ウイルスが消えることによって終わるのではなく、非常に感染力が高くて、ほとんど症状を起こさない変異が広がって終わるものです。冬になると風邪という感染症が流行りますが、非常にたくさんの人が感染しますが、ほとんどが軽い症状で終わるか、感染したことにさえ気ずかすに終わります。風邪のウイルスにもたくさんの種類がありますが、コロナウイルスも多数あります。非常に感染力が強く、ほとんどが軽症に終わります。過去に流行した疫病のウイルスが弱毒化した最終的な姿だという説があります。

人間とウイルスが戦って、どちらかが滅びるまで戦って勝利するとか敗北するというものではなくて、最終的には共存関係になって収束する。終息ではなく収束する。こういう共生によって生態系のバランスがとれているわけです。

余談が長くなってしまいました。私も感染症の専門知識があるわけではないので、この話は参考程度にしておいてもらって、さて出家と瞑想の話です。リンク先の記事を読んでもらうのみなので、ここで重複して余計な説明はしません。写真もありますし、じっさいの感覚が伝わることを期待しています。

私は心理学の研究をしていると同時に、方法論としては人類学という方法も使っています。人類学という学問の特徴について補足しておくと、これはとくに文化人類学ですとか、社会人類学という学問の特徴ですが、参与観察、フィールドワークという方法を用います。文献を読んで勉強するだけではなく、タイや中国や、じっさいにその現場に行って、そしてタイの人と同じように出家してお寺で瞑想してみる、そういう実体験を通じて研究するという方法論です。とはいえ、無理に危険な場所に行ったり、危険なことをするわけではありません。そこは、人類学は学問ですから、冒険家とは違います。出家するとか瞑想するとか、どうしても主観的な、内面的な体験です。これは本で読んだり他人から聞いただけでは理解できませんから、必要に迫られて、現地で実体験するわけです。しかし、自分が体験して終わりにするのではなくて、それを学問として研究する、そしてこうやって皆さんにも説明する。体験のない人にも理解できるように説明するわけです。もちろん、限られた文章の中で、言葉で説明するのは難しいことですから、わからないことがあれば質問してください。