蛭川研究室

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「人類学A」2021/06/29 講義ノート

今日のテーマは「個人向け遺伝子解析」です。といっても、この話題は、もう先週から盛り上がっていましたね。人類学の本題からは外れましたが、こういう、応用的な、未来的な、倫理的な、答えの出ない問題を考えていく、これは皆さんの興味を惹くようですし、じっさい大事なことだと思います。

自宅のWi-Fiの電波状況が悪いらしく、昨日はこのノートがうまく入力できなかったのですが、リンク先の記事はすでにあるものです。内容はすこし古くなってしまいましたが、もっとも、遺伝子検査は五年ぐらい前に流行りまして、自宅のポストにチラシが入っていたり、電車の中に広告があったりしたものでしたが、いまはすこし落ちついていますね。

遺伝子検査というのは定期的な健康診断と違って、生まれつきの体質を調べるものですから、記事の中にも書きましたが、一回調べれば終わりなんですね。毎年変化したりはしません。これはビジネスとしてはうまくいかないもので、もし全員がやってしまったら、もうお客さんはいなくなってしまいます。

いまは遺伝子検査会社は得意分野を活かして、ウイルスに感染しているかどうかのサービスもやっていますね。PCRという技術の応用です。PCRというと、ウイルスを調べる方法のような意味で広まっていますが、もともとは、唾液を一滴ぐらい、その中に含まれる微量の血液、具体的には白血球の核のDNA、ほんのすこしなんですけど、これをお湯の中で温めてウワーッと増やして、その増えたものを分析して遺伝子、DNAの塩基配列を調べるというものです。その中に潜んでいるウイルスも発見できます。

さて遺伝学の細かい知識、DNAの分子構造やアミノ酸がつながってタンパク質ができあがっていくとか、タンパク質が酵素やレセプターになっていくとか、そういう生物学の基礎知識も大学の授業ではもうすこしお話したほうがいいのかなとは思いますが、それはそれで、半年ぐらいかかってしまうのですが、しかし、問題が先にあって、必要な知識があれば補填していくということにしましょう。教材としてアップしているブログ上の記事も、かなり専門的な知識がないとわからない部分もありますが、わからないことがあれば、随時質問してください。

目の前にある問題としては、氏か育ちか、遺伝子か文化か、体質か環境か、これはひとつ、みなさんの関心があるところのようでした。性格とか知能とか、精神疾患の傾向など、親から遺伝したのか、あるいは育て方が悪かったのか、良かったのか、倫理的な問題とからんでくるので、難しい問題です。

たとえば、性格、パーソナリティは遺伝するかというと、性格とは何か、定義がいろいろあるのですが、結論からいうと、遺伝率は0.4、つまり40%ぐらいは遺伝だと、わかってきています。「遺伝率と遺伝子」という記事に書きました。

あるいは、知能も、知能検査の点数ということで定義されるのですが、知能も70%ぐらいは遺伝だと推測されています。「認知機能・パーソナリティの小進化」という記事に書きましたが、国別、民族別に分けてみると、民族による差が出てきます。東アジア人は西洋人より知能が高い、いや日本や韓国は受験社会で勉強ばかりさせるからだ、アフリカ系は知能が低い、いや、差別されて教育を受ける機会が少ないからだ、といった議論があります。

細かい数字はいろいろ計算があるのですが、知能とか性格とか、そういう心理的な、社会的な特性が、かなり遺伝的なものだとわかってきた、というのが二十世紀の遺伝学の進歩でした。しかし、これは、人間はみな平等だし、良い環境でしっかり努力すれば皆に可能性があるといった理念に反するところがあります。

性別、男女、その他、のことは記事では触れていませんが、遺伝か文化か、よく議論になります。文化的に構成された性別という意味で、ジェンダーというカタカナ語も一般的になりました。ジェンダー論というと、環境や文化を重視する立場ですね。ここで大事なのは、男女の二つだけで話しますが、男女の二つ以外にも多様な性もありうると、それはさておき、男女の間に遺伝的な違いがあるという生物学的事実と、男女を差別してはいけないという文化的な価値、これは次元の違うことなので、混同してはいけないということです。性差別や性役割の押し付けに反対するあまり、男女間では遺伝的な違いはないんだと、生物学的な事実を無視してしまう議論もありがちなのですが、これは混同です。

たとえば、赤ちゃんにオッパイを飲ませると、これは女性にしかできません。遺伝子によって決まっている性別で、解剖学的な違いでして、男性の乳首からは栄養液は出ません。しかし、これと、育児は女性がやるべきだという性役割、それは別の問題です。たとえば哺乳瓶を使えば、男性でも誰でも赤ちゃんに栄養を飲ませることができますし、そういう技術で男性やその他の家族が育児を手伝うことができますから、そうやって生物学的な性差を超えることができます。

子宮とか乳房とか、そういう形態的なところはともかく、知能や性格などはどうか、これは記事の中では触れていませんが、研究はいろいろあります。女性のほうがコミュニケーション能力が高いとか、男性のほうが論理数学的な能力が高いとか、研究が進んでいます。それから性差の場合には個人差のほうが大きいというのも事実ですね。たとえば平均値をとれば男性より女性のほうが背が高い、のですが、もちろん個人差があって、背の高い女性もいれば、背の低い男性もいます。余談ですが、男女のカップルの場合には、男性のほうがすこし背が高いという組合せが多いという、どうでしょう、道を歩いている人たちを観察してみてください。

ところで人類学という学問の面白いところは、理系と文系にまたがっているところです。理系の自然人類学では、遺伝子や人種のことを調べます。人種によって遺伝子が違うという研究結果が出てきています。いっぽう、文系の文化人類学では、世界の色々な文化を比較します。文化には多様性があって、共存しようと、そういう学問です。人間や社会の遺伝的な側面と、文化的な側面の両方から考えることができる、浅いかもしれないけれども広い視点を持つのが人類学です。

緊急事態宣言が解除されて、大学にも入れるようになりました。大学でもワクチンを接種するかどうか、という計画が進んでいますが、これからの授業をどうするか。まだはっきりとは決められませんが、後期、秋学期からは、教室授業の再開も考えています。やはり教室ですと、話が早いですし、世界各地で撮影した動画などを上映しながら解説をしていくということができるのですが。

しかし、大学閉鎖の結果、オンラインのいいところも発見できました。大教室の授業だと質問など出ないで終わるのが普通なのですが、文字だと発言しやすいようです。それなら、教室授業と掲示板の並行もありますね。授業をやりながら、質問があれば掲示板に書き込んでいく、私は文字で答える代わりに、講義中に音声で答える、というやりかたも考えています。携帯電話でメールができるようになったころに、川島高嶺先生が実験的にそんな試みを開発していた時代もありましたが、今またネットを利用した教育や研究のありかた、必要は発明の母ですが、発展させていきたいですね。