蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

「人類学A」2021/06/08 講義ノート

先週は大麻の話をしましたが、いわゆる薬物関連のお話が続いています。高校までの勉強や一般常識の世界で間違った知識が流布しているので、正しい知識を身につけなければ、ということで、ついつい薬物、ドラッグという話が長くなってしまいます。それは予備知識でありまして、だから中学校、高校で教えておいてほしいのですが。

それから、さらに基礎となる化学の知識ですね。これは高校までに理科、とくに化学や生物を選択したかどうかで大きな差が出ます。いわゆる私立文系ですと、入試で理科を選択する人は少ないですが、化学式をパッと見て、この薬はインドール系だなとか、ドーパミンは興奮させる物質だなとか、高校理科程度の知識は、これは一般教養としてもお薦めです。授業の中でも補っていきます。

それはさておき、この人類学の授業でお話したいメインテーマは、人間とは何か、とくに、ヒトという動物は、他の動物とは、どこが違うのか、どういう特徴があるのか、ということです。ヒトは精神文化を持つ動物であると、それがこの人類学の授業のテーマです。

ずっと宗教の話をしているつもりですが、宗教という言葉だと、キリスト教とか仏教とか、そういう大きな宗教のことを思い浮かべるのがふつうですね。これは文化人類学のほうが特殊なのですけど、人類学で宗教というと、もっと意味が広くて、特別な場所に集まって、特別な薬草のお茶を飲んで、皆で歌ったり踊ったり、呪文を唱えたり、そういう行為も広く宗教といいます。なにか教祖や教典があって、それを信じるという、狭い意味ではなくて、非日常的な儀礼的行為をひっくるめて宗教といったりします。信仰という内面の問題よりは、儀礼という行為のほうに注目する、ともいえます。

たとえば現代社会ですと、スポーツの試合とか、音楽のライブとか、ああいうものも、人類学では宗教に含めてもいいといえます。アイドルという言葉がありますが、中国語では偶像、オゥシィァン、と発音するのでしょうか。偶像というのも崇拝の対象ですから、偶像崇拝ですね、アイドルが好きで、ライブに行ったり、写真を持っていたり、それも小さな宗教であるわけです。この場合、芸術と宗教はあまり区別されません。まとめて精神文化と言ったりします。

さて先週までに精神展開薬を含む薬草を使う儀礼をみてきました。南米ではアマゾンの先住民族アヤワスカというお茶を飲んでいます。同じ成分を含む相思樹という植物があって、これが日本や台湾では自生している薬草でして、麻薬として取り締まることができるのかと、これはいま京都で裁判になっています。

中米、現在のメキシコのほうでは、南のほうではシロシビンを含むキノコが、北のほうではメスカリンを含むサボテンが、やはり意識を変容させる薬草として儀礼的に使われてきました。

それから大麻、アサのことは、先週に扱いました。もともとはアジアに自生している植物で、インドではお祭りのときの屋台で大麻ラッシーが合法的に飲まれているという話でした。大麻に含まれるカンナビノイドは、弱い精神展開薬です。

そして今日は「カヴァ」の話です。これはオセアニアで飲まれている薬草で、カヴァラクトンという物質がカンナビノイドと似たはたらきをします。弱い精神展開薬です。詳しくは「南島の茶道ーカヴァの歴史と現在ー」をご一読ください。

宗教儀礼の話をするのに、精神展開薬を含む薬草の話ばかりしてきましたが、これがいちばんわかりやすい例だからです。

人類学者は現地調査に行きます。そこで現地の人たちの儀礼に参加するのですが、皆で聖地に集まったり踊ったりしているところに、しらふで入っていっても、なかなか感覚が共有できないものですが、精神に作用する薬物、薬草を服用すれば、似たような意識の状態に近づけます。それは同じ人間ですから、同じ物質を服用すれば、同じような体験が起こる。物質の作用によって神秘的な体験が引き起こされて、あるいはうつ病のような病気も治せる、これは医学的にも興味深いことです。

ただ、日本や東アジアには、似たような儀礼がないので、実感として理解するのが難しいかなとは思います。飲んでトランス状態になって幻覚が見える違法薬物だと、どうしてもそういうイメージがあるので、そうではないという釈明が長くなってしまいます。

日本ですと、いま問題になっている飲み会、これは薬草によって意識を変容させる集団的な儀礼によく似ています。アルコールは神道や、もっとふつうのお祭りでも使用されてきた宗教的な薬物ですが、それを飲んで神の啓示を受けたり、祖先の霊と交信したりと、それほどの精神作用はありません。神や霊が出てくるのではなくて、やはり集まった人間どうしの社会的連帯感を強めると、そういう儀礼的意味が強いですね。

いま緊急事態宣言下で禁酒令のような事態になっており、これは奇妙なことです。新型コロナウイルスは唾液に多数いますから、他人の唾液を自分の口に入れてしまうのが、これがいちばん直接的な感染経路です。イタリアではキス禁止令が出たとかいう話も聞きましたが、日本だとなぜか酒が悪者扱いです。

たくさんの人が集まってしゃべりながら同じ机のものを食べるのを避けたほうがいい、居酒屋などが営業できなくなったぶん、家庭内感染の割合が増えたようです。なるほどアルコールは違法とされている薬物と比べてもかなり有害な薬物です。本人の体にも悪いですし、酔うと攻撃的になる人が多いからです。

しかし今、なぜ酒がダメなのかというと、逆に、シラフだと人にホンネが言えないという、これは日本文化の問題ですね。それが議論されないまま、なぜかお店で酒を出すのを禁止するという政策が出てきて、お店のほうも仕方なく従ってしまうという状況が起こっています。

ところで上で紹介したオセアニアのカヴァですが、オセアニア、常夏の南の島、ノンビリしてはいますが、島の人たちは意外にシャイです。人前、とくに目上の人の前では、なかなかホンネが言えない。カヴァは、来客に一杯おもてなし、と使われることもあるのですが、初対面の人たちどうしで、緊張を和らげて、話をしやすくするという社会的な役割を持っています。

日本はアジアとオセアニアの間にある島国ですが、ステレオタイプ化しすぎてはいけませんが、中国や韓国の人のほうが大声でホンネを言える社会で、日本はむしろ東アジアより西太平洋、オセアニアの人と似ているなと、これは私の印象で、定説ではないのですが。

オセアニアのカヴァ茶会は、しかし、日本の飲み会よりも、むしろ茶道に似ています。茶道はお酒の飲み会とは反対で、目上の人を立てるなど、礼儀作法を儀礼的にしたものです。そこではカフェイン飲料が飲まれるのですが、これも心を凜とさせる作用はありますが、宗教的な境地には至りません。日本人は無宗教民族だとも言われます。神道という宗教にもはっきりした教義がありませんが、日本人の宗教性、精神性は、超越的な神などの存在に対する信仰ではなく、人と人との和合、自然との共生といった、そういう世界観、コスモロジーにあるのでしょう。

世界各地の薬草茶を用いた儀礼を、日本の茶道と比較して「密林の茶道ー茶の湯の人類学ー」というエッセイを書いたことがあります。明治大学茶華道部に出入りしていたときのことと、アヤワスカ茶やカヴァ茶の話を比較考察しています。ぜひご一読を。著作権保護のためのパスワード入力が要求される場合には、お尋ねください。

来週あたりからは、もうすこし原点に還って、人間の進化と精神文化の起源、といった話題に移動していきます。それから、性格や知能、あるいは芸術や宗教の方面での才能は、かなり遺伝的なもので、人類とともに進化してきたという、遺伝学のお話、これにも触れていきます。