先週は「個人向け遺伝子解析」のことでだいぶ議論ができまして、有意義でした。さて今週は、また精神文化の話に戻ります。
18年前、2003年ですね、私は中国の雲南省の少数民族の村で調査中に発熱して寝込んでしまいました。謎のウイルス性肺炎が中国全土で感染を拡大していたと後から知って、そして緊急状態宣言下で必死で日本に帰国、という、またあの昔話か、何回も聞かされたよ、という受講生諸君も少なくないとは思いますが、これはもう何度でも言います。SARS関連コロナウイルスは中国の雲南省のコウモリに由来するのです。旧型コロナウイルスです。いまの新型コロナウイルス自体が「第二波」なのです。中国のコウモリのことをなんとかしないと、これから十年後、二十年後に、また同じ病気が何度も流行してしまいます。これ、いろいろな人に話をしても、中国のコウモリから来た病気なんだということが、まだまだ知らない人が多い。未来を担う皆さんにこそ知ってほしい、解決してほしい、そうしないと私も安心して歳をとれません。年寄りの繰り言です。
さてこの2003年、私はコウモリのウイルスの研究のために雲南省に行ったのではなくて、少数民族の文化の調査に行ったのです。ひとつ関心があったのは、チベット系の少数民族の葬送儀礼、お葬式の研究です。これは「送魂 ー雲南ナシ族・モソ人の葬送儀礼」という記事に書きました。この記事が今週の授業のメインテーマです。宗教的には、土着の民間信仰があったところに仏教が入ってきて、火葬という風習がつくられてきたと、これは日本と似ています。
なぜ中国の西のほうの辺境の少数民族に注目するかというと、日本の文化と共通するルーツがあるからです。たぶん二千年ぐらい前の時代から共通するルーツがあるんですね。婚姻制度の研究もしたのですが、男女が歌を交わしあって、お互いの思いを確かめると、男が女の家に通い始める、そういう恋愛結婚の文化は、古代の日本と共通しています。ところが中世以降、親が決めた相手と結婚させられるという、これは中国の漢民族の影響が大きいのですが、そういう文化が広がるにつれて、愛し合っているのに結婚できない、そういうカップルが心中という方法で、あの世で結ばれると、そういう死生観がつくられてきたと、これも日本と並行した現象です。
残念ながら日本は自殺の多い社会ですが、とくに男女が二人で心中する、情死とも言いますが、こういう文化は世界的にみても珍しいというか、決して誇れるものではないのですが、死という形で恋愛を成就させるという、これもまた中国の少数民族と共通したルーツを持っているんですね。
さて不幸にも人が亡くなると、お坊さんが来ます。お坊さんが来てお経を上げて、そして亡くなった人の遺体は火で焼かれる、火葬ですね、これは日本では中世以降に広がって、今でも続いている文化です。
さてお葬式でお坊さんがお経を唱えるわけですが、あれは何て言ってるのか、まあ誰もわかりません。難しい漢文を歌みたいにして読み上げているのですけど、お坊さん自身も意味を知らないかもしれませんね。お経というのは誰に対して何を言っているのか、これは元をたどると、死んだ人に対して、ちゃんと極楽に行けるように、お坊さんが道案内をしているんですね。記事の中に動画があって、仏教のお坊さんとダパというシャーマン、これは神道の神主さんみたいな仕事でしょうか、日本では神主さんはお葬式には来ませんが、動画の中でチベット語やダパ語でお経を唱えているのですが、これは、死んだ人に対して、あなたは死にましたよ、死ぬのは初体験ですからびっくりしているでしょうけど、安心してくださいね、道案内しますよ、と言っているのです。
目の前に光が見えますよね、まぶしくてびっくりするかもしれませんが、その光の中に入っていくと、極楽、天国に行けますよと、そういうガイドをしているんですね。日本だと、浄土宗とか、その系統の宗派が、そういうお経を唱えます。もともとはインドから来たものです。
どうしてお坊さんが死んだ人に、というか、正確には、死にかけている人に、なのですが、目の前に光が見えてきましたよね、などと言えるのかというと、お坊さんは、死んでいく人たちは、臨死体験というものですが、死んでいくときには、目の前に光が見えてきて、安らかな世界に行くと、そういう知識を持っているわけです。これは心理学の方面では臨死体験というもので、人類学の授業とはすこし離れますが、「臨死体験」という記事に書きましたが、これは今日は読んでもらう必要はありませんが、興味がある人は、どうぞ。心理学的なことは、また駿河台のほうで、たぶん来年以降は教室の授業でお話することになります。楽しみにしていてください。それから三年生と四年生のゼミでも、臨死体験の研究をしています。
臨死体験という体験や、人間が死んでいくときに、脳の中でどんなことが起こっているか、これは人類学の授業ではあまり詳しくは触れませんが、脳が死にかけると、神経細胞を保護するために、DMT、ジメチルトリプタミンという物質が分泌されます。アマゾンの先住民の薬草茶、アヤワスカ茶の成分ですね。その物質の作用で、その人自身は安らかな光を見るような体験をするということが明らかになってきました。記事の中で引用した論文は2019年の研究ですから、つい一昨年です。京都の大学の大学生が自分で臨死体験を起こして自分の命を救ってしまい、しかも犯罪者として裁判になってしまったという、世にも不思議な事件、不思議すぎて理解できなくて報道もされない事件、これが起こったのも2019年ですから、まだ一昨年のことです。
人類学という文脈で話を整理します。アマゾンのジャングルで原住民に謎の幻覚茶を飲まされて天使に会ったとか、中国の山の中の少数民族で葬式の調査中に謎の肺炎騒動に巻き込まれたとか、そういう話だけをしていると、なんだか変な研究ですね、面白そうですけど、だから何なんですか、という話になって、なかなか理解されないのですけど、たとえば今、脳の研究が進んできて、死にかけた脳が自分を守るためにジメチルトリプタミンという物質を分泌するとか、そういう物質を飲めば同じような体験が起こる、それで脳が活性化して、逆に自殺したいという気持ちが消えてしまったりとか、そういう研究が進んできています。
ところが、人が死ぬとき、その直前には白い光が見えて安らかになるとか、そういうことは、もう千年も二千年も前の仏教の経典に書いてあったわけです。昔のインドや中国のお坊さんたちは、もうそういうことを知っていたのですね。それから、ある種の植物をお茶にして飲むと、その安らかな白い光の体験をすることができると、アマゾンの森の先住民族が、やはり千年も二千年も、もっと前から知っていたと、人類学はそういうことを研究するわけです。とくに宗教人類学という分野ですけど、大昔の宗教の経典や、辺境の少数民族の不思議な風習をよく研究してみると、じつは今の脳科学の最先端が先取りされていたと、大昔のものが未来を先取りしていたと、これが人類学の面白さです。というところで、講義ノートはこれぐらいにしておきます。