蛭川研究室

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【講義ノート】「人類学B」2020/12/21

https://www.meiji.ac.jp/koho/6t5h7p00000vgfy1-att/6t5h7p00001m6udj.pdf
上記リンクの学年暦にありますとおり、この人類学Bの授業も、今回を含めてあと二回となりました。

今回から、最終回にかけては、神話という世界観について議論していきます。神話というと、ギリシア神話や、北欧神話のような世界を思い浮かべる人もいるかもしれません。いろいろな登場人物が出てきて、戦ったり、恋をしたり、そうやって物語が展開していきます。あんがい、ゲームの世界を通じて親しんできた人も多いようです。

人類学では「神話」とは、たんなる昔話ではなく、世界や人間の起源を説明する物語のことをいいます。ヤマトタケルのような英雄伝説なども神話の一種ですが、狭い意味での神話というと、創世神話のことです。

結論を先取りすると、神話は「自然」と「文化」の二元論の成立を説明する物語です。神話の構造主義的な解釈です。

人間も動物です。食べものを食べて、生殖をしたり、しなかったり、そして、病気になったり、年老いたりして、死んで、自然に還ります。

しかし、人間は、そのことに意味づけしないと納得しない、そこが、人間がほかの動物とは違うところです。人間は精神文化を持ちますが、その基本にあるのが、神話的な世界観です。

なぜ頑張って畑で働いたり、物を作ったりして働かなければ生きていけないのだろう、そして、どんなに居心地の良い場所に住み、美味しいものをたくさん食べ、親族や友人たちと楽しく過ごせても、最後はどうしても死ななければなりません。

創世神話は、その理由を説明する物語です。子どもは、あまり働かなくても、周囲の大人たちに養ってもらえますし、歳をとって寿命がくるなどとは考えないものです。その比喩で、典型的な創世神話は、誕生したばかりの人間は、半分は神様のようなものであり、働かなくても食べていくことができるし、不老不死だったのが、なにかの失敗をきっかけにして、寿命が有限になってしまい、働かなければ食べていけなくなった、と説明します。祖先の時代に、そういうことがあったからだ、というお話にして、納得するわけです。

どんな民族にも似たような神話があり、もちろん日本にも神話はあります。古事記日本書紀の最初のほうは、歴史というよりは、神話です。しかし、日本の神話は、それほど強い失敗の物語はありません。

強い失敗、いわゆる原罪の神話は、聖書に記録されています。もとをたどると、古代のヘブライ人の神話です。

神の似姿として造られた人間は、最初はエデンの園という世界に住んでいて、働く必要もなく、服を着る必要もなく、永遠に生き続けることができたのですが、神様との約束を破ってしまったために、服を着て働き、寿命がくれば死ななければならない存在になってしまいました。これは、世界各地にある創世神話と、同じ構造を持っています。

ただし、そういう創世神話から発展したキリスト教という宗教ですと、原罪、先祖が神様との約束を破ってしまったことを悔い改めれば、また永遠の生命を取り戻して楽園で生きることができる、という救済の物語があります。たんなる神話だと、過去の失敗を説明するだけですが、宗教は、救済の方法を示します。もちろん、これらの物語は、文字どおりにとれば史実ではないのですが、宗教が哲学へと発展する中で、人間の精神的な救済という物語へと、理解されていくわけです。

また、前置きが長くなりましたが、それが、今までお話してきた、西太平洋諸島の文化では、どうなのか、具体例を見てみましょう。

今日のメインテーマですが、まずは、「神話の構造(オーストロネシアと古代日本)」を一読してください。ここに、日本を含む西太平洋諸島の神話について書きました。どの社会にも神話はあり、日本やヘスペロネシアなど、地域的に近い場所には、似たような神話があります。ストーリー的には荒唐無稽なものが多いのですが、いろいろな地域の神話を比較してみると、原始的自然状態の人間が、ある失敗によって、文化的制約を受けることになる、という同じテーマが繰り返されていることがわかります。

ちなみに、地域は飛びますが、南米、アマゾン川流域の先住民族の神話のことを「起源神話における時間対称性の破れ」に書きました。いきなりアマゾン?というと遠い世界のようですが、もともとは東アジアから移住した人たちですから、雰囲気も似ていますし、文化的にも、太平洋諸島の人たちと似ています。きっと、縄文時代の日本人も、こんな感じだったのかな、と思います。ふつうに日本人的感性を持っていれば、ちょっとシャイで、ふつうに親しめる人たちです。

リンク先のコンテンツだけでも、かなり濃厚で、難解です。今日の授業は、これぐらいにしましょう。今日の授業は、と申しますか、質問の受付範囲ですね。

ちなみに今後、というか、最後のほうは、この、昔の神話の話から、現代の都市文明に生きる人たちの話へ戻ってきます。人類学は、異文化、未開社会の研究であると同時に、自文化、文明社会を映し出す鏡でもあります。そして、私や、皆さんの多くもそうでしょうが、東アジアの文明に生きる人間には、また独自の立ち位置があります。

すこしおまけですが、日本の基層文化は西太平洋諸島とつながりが深いというところに注目して話を進めてきました。しかし同時に、東アジアにおける歴史的文明、中華世界のことも視野に入れる必要があります。中華世界とは、漢民族という単一の民族ではなく、漢字という文字を共有することで、黄河や長江流域で混交しつづけ、朝鮮半島や日本列島などの周辺地域をも含んで発展してきた、ひとつの世界システムのことです。象徴的分類にもとづく世界観を、二元論を超えてさらに発達させた社会もあります。

漢民族を中心とする中華世界の世界観の概論は「陰陽五行の世界観」にまとめました。ご参考までに。

現代の文明社会においても象徴的な二元論は人間の世界観・コスモロジーの背景にあり、人々は神話的思考をつづけています。そのことは、最後の授業でとりあげます。



CE 2020/12/20 JST 作成
CE 2020/12/21 JST 最終更新
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