〈サウダージ〉Saudadeという単語は翻訳不可能だ、とブラジル人はいう。日本人もまた、彼らのことばで〈あわれ〉という単語について同じことをいう。興味深いのはこれらの語にある共通性が見られることだ。どちらの単語にも〈ノスタルジア〉に近い意味を探りあてることができるのだ。しかしそれだけでは誤解しやすい。なぜなら、ポルトガル語にはすでにノスタルジアという語が存在し、日本人はホームシックという英語を自分たちのものとして取り入れて使っているからだ。だからそれらの語の意味はノスタルジアと同じではない。
語源にしたがえば、〈ノスタルジア〉とは過ぎ去ったものや遠い昔への感情である。一方、〈サウダージ〉や〈あわれ〉はいまこの瞬間の経験を表象しているように思われる。感覚によるか、あるいは想起によるか、いずれにせよ、そこでは人やモノや場所の存在が、それらのはかなさ、一過性についての激しい感情に浸された意識によって完全に占領されている。
レヴィ=ストロース『サンパウロへのサウダージ』[*1]
知日家であったレヴィ=ストロースは、日本の古典文学にも造詣が深かった。
「あわれ」は、古代日本語の表記では「あはれ」となる。呼気である。より呼気が強くなると「あっぱれ」になる。
1938年から1939年にかけて、レヴィ=ストロースは先住民族の調査のため、パラナからアマゾニアまで移動している。
1930年代は「ゴム・ブーム」の時代であった。ブラジルではスペイン語圏よりも早く「開発」が進み、先住民族の文化は縮退しつつあった。『悲しき熱帯(Tristes Tropiques)』が、滅びゆくものへの哀愁を帯びているのは、そうした時代背景をとおして理解できる。
ペルーとの国境に近いアクレで、アフリカ系セリンゲイロ(ゴム樹液採取労働者)、ハイムンド・イリネウ・セーハが、先住民族が点てたアヤワスカ茶を一服し、森の女神のヴィジョンを得て、その茶の本当の名前は「サント・ダイミ(Santo Daime)」だという啓示を受けたのが、1930年だという。イリネウが「アウト・サント」を設立し、サンパウロへの進出を始めたのが1945年である。滅んでいくようにみえた、アマゾンの先住民文化の、都市部への逆流がはじまっていた。
記述の自己評価 ★★★☆☆
(文献紹介)
CE 2020/11/14 JST 作成
CE 2020/11/15 JST 最終更新
蛭川立
*1:レヴィ=ストロース, C. 今福 龍太(訳)(2008).『サンパウロへのサウダージ』みすず書房, 3.
*2:Ronald van Tienhoven Studio (2010). Art house SYB: Tristes Tropiques project - October2010>2011, SlideShare. (2020/11/14 JST 最終閲覧)