蛭川研究室

蛭川立の研究と明治大学での講義・ゼミの関連情報

日記の試み(5日目)2021/04/21

hirukawa.hateblo.jp
承前。

前夜

あさってにも三度目の緊急事態宣言が発令される予定だという。出勤することで生活のリズムが良好だったのだが、また自宅生活が増えてしまうと具合が悪くなってしまう。布団の中で考えて暗澹たる気分になる。眠くならない。夕食があまり食べられなかったぶん、夜遅くになってゼリーやら魚肉ソーセージやら、いろいろ食べてしまった。

食べると眠くなるのだが、寝るために食べるとは、欲望が倒錯していると、ロンドンの分析医に叱られたものだった。あのころは、睡眠薬の断薬を進めるいっぽうで、練る前にボンベイ・ミックス等、インド系スナック菓子をコップ一杯分ぐらい食べていて、そして肥満になっていた。

ゾルピデムやゾピクロンを組み合わせて、やや多目に数錠服用。その後はすぐに意識を失う。

目覚めると5時、また目覚めると6時、また目覚めると7時。これで起き上がる。朝ふと目覚めると5時、起きるのにはまだ早すぎる、という感覚は、三年前に、入院したときに身について、退院した後も、一年ぐらい続いていたが、やがて消えていった。その感覚がもどってきたような。あるいは睡眠薬をたくさん飲んだから、眠りが深かったのかもしれない。

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4月20日の心拍数

その前の晩も六時に自然に目覚めたのだが、服用した睡眠薬が多かったため、眠りが深くなったようだ。昨日は午後に長時間しっかり働き、その後、ぐったりした、きれいなパターンが出ている。夜にまた心拍が上がったが、その前に入浴して寝てしまえばよかったのだろう。

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ブライトライト二台を並べて光療法

食後はラモトリギンは飲んだがオロパタジンは飲まなかった。今までずっと朝に眠くなる薬を飲んでいたとしたら、それは間違いだった。

食と緊急事態(余談)

阪神地区を中心に変異株が流行し、東京と大阪とそして兵庫が連休期間に緊急事態宣言といったニュースを目にする。

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東京の重症者数は、2020年5月と2021年1月にピークがあった。その後は50名程度で増減なく推移している。

stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

一本鎖RNAウイルスは頻繁に変異する。感染力の弱い変異はすぐ淘汰される。重症化率が高いと宿主を殺してしまう。だから、感染力が強く重症化率の低い変異が選択されて集団に広まっていく。

今回感染力が強いとされる英国株の重症化率はどうだろうか。「変異株は重症化しやすい?」という東京新聞の記事を見つけた。

www.tokyo-np.co.jp

「変異株が重症化に関与か」という部分に、イギリスでの研究では「重症化か死亡した割合は、従来株38%、英国株36%だった」とある。いっぽう、十代の子どもへの感染力が高いという。

語尾が「か?」といったスポーツ新聞的表現には、信用ならない煽りが含まれていることが多いのは、周知の事実である。

www.niid.go.jp

さっそく一読者より、新聞報道などではなく、せめてこの程度の報告には目を通しておくべしという指摘があった。いま詳しくチェックしている余裕はないが

  • 感染力は強い
  • 20歳前後の感染者が多い
  • 死亡リスクを増大させる

といったところだろうか。

ウイルス自身が、より感染力が高く、より重症化率の低い方向に変異しようとしているのではない。突然変異はランダムに、多数起こる。その中で、より感染力が高く、より重症化率が低い変異が、結果的に生き残りやすい、ということである。突然変異はランダムに起こり、淘汰の結果、遺伝子頻度が変わる、というのが、ネオ・ダーウィニズムパラダイムである。これに対し、変異自体に、なにか自主的な方向性をみようとするのが構造主義生物学なのだが、さて、それはまた別記事にて。



10時半、やはり体が怠くなってくる。明日は病院で薬の相談をする。今日はここで改めてコンサータ18mgを試す。

成人のADHDにかんしては、成人の発達障害全般と同様、社会的に構築された疾病喧伝という側面が大きい。双極II型障害における軽躁状態を誤診しているという指摘もある。その場合、多幸感や誇大妄想などを伴うのだが、ADHDの場合は、焦燥感が中心である。もっとも、WHOの国際比較研究では、日本人には軽躁病はほとんどないとされる。アメリカ的診断基準にもとづけば、文化差が出てしまうのは明らかだ。

明確なバイオマーカーが発見されるまでは、精神疾患(ほんとうは神経疾患)の診断は社会的な文脈でなされるのだという注意が必要である。そしておそらく「患者」の多くは、治療が必要なほどの病気ではない。

成人期ADHD診療ガイドブック

成人期ADHD診療ガイドブック

  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本
専門知識にもとづいた良書も多数あるが、研究自体が疾病の存在を社会的に構築してしまうというパラドックスがある。メチルフェニデートの歴史など、科学史的視点から書かれた好著。

明日は東大病院に行く。処方されている薬の種類を相談したい。

病院は案外ノンビリしているということはすでに繰り返し書いた。新型コロナウイルスの最大の感染経路は唾液であるということがわかってきた(症状が出てくれば、咳は唾液や痰、くしゃみは鼻水、下痢は便に注意なのだが)から、緊急事態といっても、ようするに、二人以上で会話しながら食事をする、ということを止めれば良いのだが、そういう方向に規制が特化していったのは、正しい方向だったといえるが、共食欲求は本能に近いものであり、なかなか根治できない。

とくに、家族で共食しない、共食するときにはマスクをする、というのは、かなり抵抗があるだろう。以下のような簡単なアルゴリズムを考えることもできる。

  • 家族のメンバー全員が自宅から出ない
  • 自宅から出ても、会食の場に行かない
  • 自宅から出て会食して戻ってきた人は、二週間ほど他のメンバーとの共食を避ける

考えてみれば、緊急事態になる前から、パソコンを打ちながら軽食をつまむという食習慣が身についてしまっていたので、二人以上で会話しながら食事をするという習慣自体が少なかった。公私ともに打合せは研究室で、軽く飲食しながら行うように集約してきたので、人と会うために飲食店を利用することもほとんどなくなった。ふと、インド料理が食べたくなって、行くことがあるが、基本、思いつきなので、一人で行く。もちろん、集団行動は好きなのだが、誰かと何かのイベントがあって行く場合も、目的重視で現地集合、飲食店などを介さなかったことが多いし、学会や研究会では、二次会で酔ってグダグダと生産的ではない議論になる前に、会場で率先して手を挙げて言いたい放題議論して、二次会には行かず、スッと去るというスタイルをとるようになった。これは、2014年にクイーンズランド大学でお世話になった科学哲学のフィル・ドーウェ先生の真似である。こういうことだから、付き合いの悪い、孤独を愛する人であるかのようなイメージがあるのだろうか。すくなくとも、フィル先生は、そんな感じにみえた。

日本での緊急事態宣言をみて、特異的なのは飲食店における酒類の提供の自粛要請である。酒が自傷他害の可能性の高い薬物だからではなく、飲むと大声で話すからだろう。逆にいえば、日本には、酒を飲まないと人と話ができないという文化があることが前提とされている。フレンドリーで大きな声ではっきり自己主張する白人社会の基準からすれば、日本には軽躁病など存在しないように見えるだろう。

私は酒を飲まないし、料理の味付けとしては美味しいと思うが、他人と話を進めるために飲む必要性は感じない。オキシトシンを吸引しても他人への信頼性は高いままだった。リラックスするだけなら、ベンゾジアゼピンのほうが洗練されている。

このことは不思議に思えるが、結果的にアルコールによって身体を壊したり、酩酊者による器物破損、暴力そして殺人といった弊害は減るだろう。これは、長年、酒害に苦しめられてきた日本社会の大きな変化として注目したい。

さて、余談を書くとまた長くなってしまうが、タグをつけて保存して、別記事にてまとめなおば良かろう。これが日記をつけはじめた理由だった。

けれども、会食の習慣のある人には、食事の記録をつけてみると、どれぐらいの頻度で、誰と、どのように食事をしているのか、それを自省できるかもしれない。

指伝話が、午後1時です、昼食の時間です、と告げる。メチルフェニデートの効きはたしかに切れ味が良いが、やはり食欲低下などが起こる。カフェインのように動悸がしたり、直接胃を痛めるような副作用はない。

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あらためて、未処理の業務、今後の計画をToDoリストとして書き出してみると、じつはスケジュール的には、かなり厳しいことがわかる。身体を壊さぬよう、無理をせず、計画的に作業を進めなければならない。

液晶画面に向かって作業をしているうちに、うとうとしてしまう。それから目覚めると、すこし胃がむかむかする。中途半端に眠って醒めると、後味が悪い。液晶画面から目を離して、すこし休憩。



タイでの出家生活では、人との会話は禁止されていた。禁止されていたということは、同じお寺の中に、たくさんの人がいたということでもある。朝は四時に起こされ、その他、食事や作務の時間も決まっていた。

思考実験ではあるが、もし、働く義務もなく、外出自粛状態で、ずっと同じ部屋に一人で暮らしていて、寝るときは布団で寝て、起きているときは椅子に座っていて、冷蔵庫か何かに、食べるものがあるという状況で、誰とも会わず、誰とも会話しない、という生活が、三日、一週間、一ヶ月と続いたら、どうなるだろうか。人によっては、孤独に耐えられなくなってしまうかもしれないし、人によっては、深い瞑想状態に入れるかもしれない。もし私がそうなれば、ずっと眠り続けてしまうだろう。

オーストラリア滞在中、夏休みで大学に行く必要がなくなったときには、それに近い状態だった。食事と排泄の時以外は、ずっと眠り続けていたことがあった。(→「積極的な「沈黙」としての実証主義」)



記述の自己評価 ★☆☆☆☆
(思いつきを書きとめたものなので、文章が不完全であり、内容の信頼性も低い。)
CE2021/04/21 JST 作成
CE2021/04/22 JST 最終更新
蛭川立