蛭川研究室

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【講義ノート】「身体と意識」2020/11/13

11月13日の金曜日の「身体と意識」の講義ノートです。

大学生の救急搬送と、そこから派生した事件について、授業で紹介してきた臨死体験の話と共時的に並行して話が進んできました。

臨死体験」について、体験談から、メカニズムへと議論が進むにつれて、DMTだとか、NMDA受容体だとか、あまり馴染みのないアルファベットが出てきました。

事件の発端となった大学生ですが、「臨死体験をすると人生観が前向きに変わる。本当に死にかけるわけにはいかないので、合法的な薬物を使って臨死体験を再現しよう。臨死体験はDMTとケタミンによって引き起こされる。ケタミンは違法だが、咳止め薬に入っているデキストロメトルファン(DXM)なら合法だ。飲んでも人生観は変わらなかった。DMTは違法だが、DMTを含む植物は合法だ。DMTを含む植物を入手し、お茶にして飲んだら臨死体験のような体験をして人生観が変わり、うつ病が治った」ということだそうです。

大学1年生で、入学後半年、ほとんど大学に行っていなかったのに、一人でここまで勉強して、しかも奇跡的に自己治療に成功してしまったというのですから、本当に驚いています。しかし「奇跡的に」成功したのですから、真似はしないのが賢明です。医者に行って相談するのが当然です。この大学生が医者にかかっていたのかどうかは、まだはっきりしません。(この事件が起こったのは昨年で、まだ大学が閉鎖される前のことです。)ここまで知識があったということは、きっと、もっとたくさんの知識があったのでしょう。生半可な知識では、事故を起こして、逆に心身の健康を害してしまいます。

脳内物質のはたらき

いま、脳科学が進歩し、ブームのようになっています。右脳型人間とか、左脳型人間とか、前頭葉を鍛えようとか、それが脳のどの部分かということについて、「脳の構造」の基本的な部分は、一般教養としても、知っておくとよいでしょう。

しかし、じっさいには、脳のどの部分が、どう機能して、意識や感情が生み出されてくるのか、そのしくみはよくわかっていません。DMTだとか、NMDA受容体だとか、これは脳の中で働いている分子なのですが、そういう部品のことはよくわかっているのですが、部品が集まって脳という複雑な回路ができ、そこから心や意識というはたらきが生まれてくるのが、よくわからないのです。

しかし、脳内の物質が変化することで、精神の状態が変化するのは、向精神薬を服用してみれば体感できます。

たとえばコーヒーを飲むと、カフェインの作用で目が醒めます。お酒を飲むと、エチルアルコールエタノール)の作用で酔います。経口摂取された向精神薬は、小腸から吸収されて血管に入り、脳に作用します。脳のどの部分に作用するかというよりは、脳全体に作用します。そういう単純な物質を服用しただけで、気分や感情が変わります。

向精神薬は、精神状態の改善や、精神疾患の治療にも使われます。不眠症で困っていても、睡眠薬を飲むと眠くなります。

うつ病は、神経伝達物質であるセロトニンが不足する病気だと考えられています。セロトニンのはたらきを活性化する薬を飲むと、症状が良くなるからです。統合失調症(急性の幻覚妄想状態)は、神経伝達物質であるドーパミンの増えすぎだと言われています。ドーパミンのはたらきを抑える薬を飲むと、症状がおさまります。しかし、本当のところ、うつ病統合失調症が、脳のどの部分の変調なのか、その部分がよくわからないままです。

そういうわけで、脳という物質と、心という経験との関係について知るためには、脳について知る必要があるのですが、さしあたりは、脳の構造についてはあまり知る必要がありません。じつは、よくわかっていないからです。むしろ、部品である分子のことは、ひととおり知っておく必要があります。「神経伝達物質と向精神薬」をごらんください。

毎度、言及している、非常に優秀な大学生ですが、じょじょに情報が開示されてきています。証言の中に出てきた「DMT」は、精神展開薬(サイケデリックス)の一種です。「ケタミン」は、解離性麻酔薬の一種ですが、うつ病にも効くという研究が進められています。「DXM」も、ケタミンと同じ、NMDAグルタミン酸受容体に作用する解離性麻酔薬です。大学生さんは、DXMが、違法であるケタミンの代わりに使えるのではないかと考えたようです。

臨死体験から心物問題へ

それをふまえて、「死後の世界は存在するか」といったナイーブな問いから、それなら、目の前に見えている世界は脳が生み出した幻覚なのか、という、哲学が二千年にわたって論じてきた問題へと、一般化していきます。

物質と精神の関係、脳と心の関係、心物問題、心身問題という、より抽象的で一般的な問題に進んでいきます。「インド・ヨーロッパにおける心物問題の略史」に、長大な哲学史を、ざっとまとめておきましたが、ほんらいは哲学の授業で一年ぐらいかけて講義すべき内容です。来週は、これをもうすこし整理しながら、考えていくことにします。

ただし、この授業は哲学の授業ではありません。そんなことを長々と議論しても意味がないのでは?という議論にはあまり拘泥せず、来年の1月ごろには、VR、仮想現実技術という、現実的な話に着地させる予定です。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(リンク先の記事を紹介する口語的語り。)
CE2020/111/11 JST 作成
CE2020/11/12 JST 最終更新
蛭川立