ウイルス感染症にかんする考察 ー生物学的次元と心理社会的次元ー

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ウイルス感染症との遭遇史

冒頭から個人的な経験談になってしまうが、ウイルスを病原体とする感染症とは、何度か遭遇してきた。ここ二十年ほどで主なものを表にしておく。

西暦 場所 感染症 罹患 特異体験 体験記録
2003 雲南省 SRAS +? こちら
2013 上海 鳥インフル   こちら
2017 東京 インフルエンザ こちら
2018 東京 インフルエンザ
2020 東京 新型コロナ +?   こちら

中国の雲南省四川省文化人類学的調査をしていたときに、たまたまSARSの流行に巻き込まれ、発熱して寝込んでしまったが、それがSARSだったのか、別の病気だったのかは不明である。(→「2003年4月、SARS流行下、四川省・雲南省における調査記録」)

鳥インフルエンザのが上海を中心に流行したときには、やはり、たまたま上海にいたが、感染はしなかった。

その後、ふつうの季節性インフルエンザに2回罹患した。1回は院内感染である。

現在流行中の新型コロナウイルス感染症には感染していない。正確には、症状がないだけで、すでに感染した可能性は否定できない。

2003年と2017年に38℃台の熱を出したときには、臨死体験に似たような体験(NDLE: near-death-like experience[*2])をした。

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「一致団結して『非典』[*3]と闘おう!」(2003年4月、四川省成都市、四川大学)

(ウイルス感染症と病原体の名称および系統関係については「SARS関連コロナウイルスの生物学」のページに簡単にまとめておいた。)

SARS関連コロナウイルス感染症の生物学的側面と心理社会的側面

新型コロナウイルス感染症の病原体はSARS-CoV-2であり、17年前に中国で感染を拡大したSARS-CoVの同種異株である。ようするに、同じ病気の再流行である。今回の感染の拡大も、同じ事件の繰り返しとして、重層的にとらえる必要がある。

それは、ウイルスの感染という生物学的な現象であると同時に、中国における市場の衛生状態の悪さと、政府の情報公開の不透明さ、そして国際的に波及した不安と社会的混乱という、心理・社会的な問題でもある。

遺伝情報と進化

伝染病はなにより生物学の問題である。とくにウイルスは、病原体という生物が感染するというよりは、遺伝情報が(ときに種を超えて)水平伝播するという現象としてとらえることができる。

ウイルスというと、人間を攻撃してくる悪者であって、戦って退治すれば健康になれるというのは、当面の方便である。

ウイルスと人間(を含む他の動物)とは、生態系(ecosystem)というシステムの中で、寄生者と宿主の関係にある。情報論的にみると、寄生者だけではなく、生物の目的は、なによりも自身の情報の複製であって、宿主を病気にすることではない。ましてや宿主を殺してしまっては、自分も生きられなくなってしまう。(→「京大ウイルス研で実験助手をしていた頃のことなど」)

医学的な視点は当面の問題解決には必要なことだが、生物学全体としては、生態系における寄生者と宿主、捕食者と被食者との関係は、進化論的ダイナミズムとして理解されなければならない。

生態系全体からみたとき、個々の個体が死ぬこともまた長い進化のプロセスである。災害や事故による死と老化による死は別の現象だが、老化は有性生殖による遺伝子組換えと一体となった現象であり、病原体、とくにウイルスが媒介する遺伝情報の水平伝播は、生殖による遺伝情報の垂直伝播と相補い合うものとして捉えられなければならない(→「ウイルス進化論」)

死の人称

人間の場合、死は生物学的な現象であると同時に、心理的な体験でもあり、社会的な現象でもある。多くの人間社会では、人が死ぬと葬送儀礼が行われる。葬送儀礼には、遺族の社会的関係を再確認するという、物質文化の側面と、死者の霊魂を送るという、精神文化の側面がある。

死は一人称的、二人称的、三人称的な視点からとらえることができるが、死の淵から生還した人々の証言、いわゆる臨死体験の研究が進むにつれ、人は死後天国や地獄に行くという信念が、たんなる文化的観念ではなく、個人的体験とも合致することが明らかになってきた。臨死体験については、死に瀕した脳を保護しようとする生理的な現象だという解釈もある。

感染症の予防による経済活動の停滞が問題になっているが、ペストの大流行のように人口の半数がが死亡するといった現実的な理由で社会が崩壊するのではない。多くの企業や団体が休業しているのは、ほんとうに働き手が不足しているからではなく、感染拡大を未然に防ぐために待機しているのにすぎない。

今回の新型コロナウイルス感染症にかぎっていえば、もしなにも対策をせずに社会活動を続けていれば、日本では約40万人の死者を出して終わるいう計算もある。

死者の大半は高齢者だから、労働人口はほとんど減らないし、むしろ労働人口が支えなければならない高齢者の数が減ることは、結果的に経済全体を活性化させることになる。

この結論が不条理に思えるのだとしたら、社会全体の経済が順調であれば、一人ひとりの人間は幸福なのか、とも問われなければならない。

食文化の象徴論

食べて良いものと食べてはいけないもの

(→「肉食の文化と人畜共通感染症」として独立記事にしました。)

「クスリ」の功罪

消毒用アルコール(エタノール)の不足に対応するため、サントリーなどの酒造業界が、お酒を蒸留して消毒用アルコールに変身させるという事業をはじめた(→「酒を蒸留して消毒液にすると3万人の命が救える?」「『やってみなはれ。やらなわからしまへんで』」

引用した記事にも書いたとおり、酒は日本ではもっともポピュラーなドラッグで有、年間3万人(毎日80人)の死者を出している。それが、感染症による犠牲者を減らすために転用されつつある。

それまで嗜好品として飲んでいたアルコールと、消毒用として使っていたエタノールが同じ物質であったことを再認識させられる出来事であった。以下でも触れるように、不安の感染が病原体の流行を追い越してしまったがゆえの社会現象のひとつであろう。

病気の流行が不安の流行を拡大させる

認知バイアス陰謀論

病原体が感染を拡大するのにともない、病原体に対する不安も拡大する。むしろ不安のほうが先だって感染する。その不安が感染症の拡大を防いでいるという側面もある。未知の現象に対してリスクを大きめに見積もることは、適応的なことだともいえる。

しかしその不安が、ウイルスはじつは生物兵器なのだといった陰謀論にまで発展すると、国際政治までが妄想に巻き込まれてしまう。

社会の混乱が健康を害してしまう

「休業要請」や「自粛」が長引けば、社会的活動が機能しなくなってしまう。たとえば外食産業は感染のクラスターになりやすいから休業する。しかし、お店の売り上げはなくなり、従業員に給料を払うことができなくなる。

従業員のがわとしては、病原菌の感染を防ぐために自宅にいなければならない。出勤したいのに出勤できず、そして給料はもらえない。お店は倒産するかもしれない。これは経済活動に打撃を与え、精神的な健康も害してしまう。

日本では(とくに男性の場合)失業率と自殺率が強い相関を示すことが知られている。仕事を失えば「食っていけない」というのは比喩的な表現であって、本当に食べ物が手に入らず飢え死にするということは、日本ではまずありえない。

逆に、日本では自殺率が高い。これは、経済的な困窮がうつ病のような精神疾患を引き起こし、その症状として自殺念慮があらわれることが多いからである。

これは日本の文化とも深く関係している。たとえば会社の経営が破綻したとき、経営者が「死んでお詫びいたします」という形で責任を取る、という文化がある。経済合理的に考えれば、経営者がいなくなるのは組織にとってはむしろ損失であり、生きて働いて状況を改善すべきであり、死ぬことはむしろ無責任だといえる。

世帯と個人

ウイルスは人から人へと伝染する。それを防ぐためには外出を控えたほうがよい。しかし、一人ひとりが隔離されるべきだとまでは言われない。一人暮らしでなければ、家庭が感染の温床になってしまう。

ここで対立させられるのは「個人」と「社会」ではなく、〈ウチ〉と〈ソト〉という文化的観念である。

日本政府は、1世帯あたり30万円を給付するという政策を打ち出したが、それが1人あたり10万円に変更された。しかし実際に受け取るのは世帯主であり、個々人ではない。奇妙なことに「配偶者からの暴力を理由に避難している者」だけが特別な例外事項として認められている。

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「特別な配慮を要する方」として「配偶者[か]らの暴力」を理由に避難している者」が挙げられている[*4]

近代化された社会では、一夫一妻的な夫婦が同居しているという家族の構造が前提にされているが、それは人間社会、あるいは動物社会一般に普遍的な構造ではない。たとえば、中国の雲南省に住む少数民族モソ人の社会には「走婚」という通い婚の文化がある。「走婚」においては、夫婦に相当する男女は、子が産まれた後であっても同居しない(→「走婚ー雲南省モソ人の別居通い婚」)

2045年問題」の前哨としての「2020年問題」

いままで社会的に不適応だとされてきた「引きこもり」の積極的な側面が注目されるようになっている。一人暮らしは二人以上で暮らしているよりはより良く隔離されているし、「独居老人」のほうが感染のリスクが少ないというのも事実である。

学校や会社にも物理的に移動していく必要がなくなり、オンライン授業が普及すれば、不登校で不適応を起こしている子どもたちは学校に行かなくても勉強できる環境が整うことになる。自室に籠もっていてもインターネットで世界中とつながることができるという技術が、否応なく普及することになるだろう。

2018年は「VR元年」と呼ばれたが、バーチャルリアリティー機器の普及も進むだろう。同じ情報技術でも、インターネットは人間関係を促進するが、バーチャルリアリティは人間関係からの退却を促進する。むしろ、内面世界の積極的探求を促進する、というべきだろうか。

病気の伝染を防ぐために、リスクを避けるために外出しない、そうすると仕事を失ってしまう、経済が崩壊する、というネガティブなとらえ方ばかりではなく、これを機会に、不要なものを生産して無用に消費し続ける社会の仕組みを見直したり、あるいは、物理的に移動しなくても、インターネットで世界中と通信できる、VRを通して仮想世界が広がっていく、そういった技術が進歩発展していく、というポジティブなとらえ方もできるだろう。

いずれは、あの2020年事件がきっかけになって、社会の情報化が加速した。産業の構造が変わり、生活の形態も変わった、と振り返られることになるだろう。



追記

あれやこれやと、今までに思いついたことを、多数の断片的な記事としてアップしているが、内容が重複し、拡散している。あらためて、このページを中心に、まとめなおしたい。



CE2020/04/01 JST 作成
CE2020/05/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:Enrico Faccoand and Christian Agrillo (2012). Near-Death-Like Experiences without Life-Threatening Conditions or Brain Disorders: A Hypothesis from a Case Report Frontiers in Psychology. 3, 490.

*3:非典型肺炎、つまり「旧型」コロナウイルス感染症のこと。

*4:特別定額給付金(新型コロナウイルス感染症緊急経済対策関連)」『総務省』(最終閲覧 CE2020/05/03 JST