「人類学B」2021/10/12 講義ノート

人類学Bの授業です。今週と来週ぐらいはまだ様子を見ながらこのオンラインの掲示板方式で続けます。掲示板のほうが発言しやすいという受講者からの意見もあり、受講者数もかなり多くて、1個おきに席を空けて座ると、入れる教室がない、という問題もあります。これは出席率にもよるのですが。

さて先週はホモ・サピエンスがアフリカを出て世界中に拡散したと、それから日本列島民の起源と、そういったお話をしましたが、それから話を続けます。人類の進化の過程で脳が大脳化した、それと言語の使用、などなどのお話しは、ちょっと来週以降にして、今週は日本列島の文化のルーツ、そういうお話をしたいと思います。

前回の日本列島民の起源、あえて日本人という言葉は使わないのですが、その起源論は、おもに遺伝子から分析したルーツの話です。理系のアプローチですね。それに対して、今回は、文化的なルーツ、こちらは文系、文化人類学のテーマです。これをお話ししたいと思います。

その前に、ちょっと遺伝子の話の補足ですが、私じしんが日本とカリフォルニアの遺伝子検査会社で遺伝子の分析をしてもらった、という話をしましたが、これは「個人向け遺伝子解析」という記事に書きました。

この内容自体は人類学Aのほうでも扱いましたが、個人のゲノムが一万円ぐらいで分析できてしまうという、この技術は画期的であると同時に、生命倫理の問題もはらんでおりまして、いま、とても重要な問題です。今週のテーマからはそれますが、興味があれば読んでみて、もし質問があれば聞いてください。

私じしんが分析した結果、母親のほうのミトコンドリアがじつはインドに由来していたとか、ネアンデルタール人の遺伝子がけっこう混じっていたとか、そういうことも記事の中に書きました。

さて日本文化の起源、という話に戻ります。日本文化といっても、時代によって変わってきたのですが、人類学的には、かなり古い時代のことを見ていきます。古代以前の日本文化の特徴として、母系社会で、女性性の強い社会だという傾向があります。中世以降、変わってきたのですが、平安時代以前ですね。

たとえば、日本の文化の特徴として、文学が大いに発達してきた社会だといえます。哲学や宗教や美術よりも、文学に特徴があります。しかも和歌や日記文学ですね。これはいまのブログにまで受け継がれています。さらにいえば、和歌のジャンルは四季の移り変わり、そして恋の歌です。しかも千年も前から多くの女性が文字を習得していて、人間の感情の機微を繊細に描いていた、これは実は世界に類例のないことです。

この、恋愛の和歌、この背景には、通い婚という文化がありました。今の日本の社会は、中世以来、明治時代以前の父系社会から、逆に母系的な方向に戻っているといわれますが、もっと古い時代には、男女が出会うと、男性のほうから、恋の歌を詠んで、女性にアプローチする。女性のほうも、それにイエスかノーか、微妙な気持ちを、巧みな例えを使って歌に託して、男に返す、そういうやりとりが交わされて、お互いに交際しようと、気持ちが一致すると、次は、夜な夜な男性が女性の家に通うようになる。そして女性が妊娠して子供が生まれて、というシステムがありました。

これは今の日本にはもうありませんが、中国の南西部の雲南省少数民族の文化の中に、同じような習慣があります。「雲南省の地図」に、Googleマップへのリンクを張っておきました。私は18年前、2003年に、この雲南省モソ人という少数民族の文化の調査に行きました。そこで、旧型コロナウイルスSARS-CoV-1の感染の始まりと、中国の緊急状態の混乱に巻き込まれてしまいました。このときの詳細な時系列は「2003年、SARS流行下、中国での調査記録」に書きました。

皆さんの中には、また同じ話か!と思っている人もいると思います。昔話を何度も何度も繰り返すようになると、脳も老化してきたか、とも思いますが、しかし、ちょうど皆さんが生まれたころの昔の話かもしれませんが、しっかりと語り継いでいかなければならないことです。いま流行している新型コロナウイルスは、このときに雲南省のコウモリから人間に感染した同種のウイルスの第二波です。もともとの中国のコウモリのウイルスの起源を解明しなければ、これからも二十年おきぐらいに第三波、第四波が繰り返される可能性があるのです。

が、しかし、話を元に戻しましょう。「走婚と送魂ー雲南ナシ族・モソ人の親族構造と死生観」と「走婚ー雲南省モソ人の別居通い婚」に、ナシ族、モソ人の文化のことを書きました。去年の四月、五月ぐらい、緊急事態宣言下で、これは、2003年に中国で流行していたSARSの再来ではないかと、当時の調査ノートを掘り出して慌てて書いたので、時事的な話題と調査記録が混在しています。2003年のときは、最初はウイルスは広東省のネコ、ジャコウネコ、ハクビシンから来たのだとされていましたが、じつは私自身がいた雲南省のコウモリから来ていて、第一波はコウモリから広東省ハクビシンを経由してヒトに、第二波はコウモリから湖北省武漢センザンコウを経由してヒトに感染したというルートが有力視されています。あのときは、まさか自分がいる雲南省から感染が始まったとは気づいていませんでした。現地では情報が混乱していましたし。

また話が逸れましたが、このモソ人の通い婚の文化が、日本の古代、平安時代奈良時代以前の文化ととてもよく似ているのです。それで、日本文化のルーツは、少なくともその一部は、中国の雲南省少数民族だという説が有力視されています。ただし、日本文化といっても、旧石器時代縄文時代弥生時代、それ以降と、重層的ですから、複数の文化が順々にやってきて、重層的に混じり合ったというのが事実だとはいえますが。

モソ人の恋歌の文化を紹介しておきましたが、これと日本の万葉集古今集新古今和歌集と、そのあたりと似ていると、これは日本文学の先生が比較研究しているものを参考にして書いています。同じ系統の民族ですから顔も似ていますし、風景や雰囲気も日本の昔の原風景と重なるところがあり、どこか懐かしいというか、千年も二千年も前の日本にタイムスリップしたような感覚でした。詳しくはリンク先の記事をごらんください。

そして授業の進め方として、具体例を先に出して、それから理論的な背景を見直す、ということで前後しながら進めたいのですが、ここで親族や婚姻の理論的な部分を見ておきたいと思います。

通俗的には、大昔の人類は多夫多妻の乱婚制で、一人の女性が複数の男性と同時に関係を持つので、生まれた子供の父親がはっきりしない、だから大昔の人間社会は母系社会だった、それが一夫多妻制や一夫一妻制に、社会が発展してきて、父系制になってきたのだ、という説が流布していますが、これは19世紀に考えられていた理論で、今では間違っているとわかっています。

しかし、この百年以上前には最先端だった社会進化論が、当時の最先端の社会思想家だったマルクスとかエンゲルスとかいう人に影響を与えて、これが社会主義とか共産主義とかいう政治思想になって20世紀に大きな影響を与えて、今でも中国などでは基本の政治思想になっていますね。ここでは社会主義共産主義という理想が間違いだというつもりはありません。ただ、その背景にあった百年前の社会進化論は間違いだったと解っています。それと今の社会主義共産主義の政治思想とは、あまり関係がないともいえます。

親族と婚姻の理論的なところですが、まずは「単婚と複婚」です。世界中の何百という民族の婚姻形態を比較検討してみますと、じつは多夫多妻婚はほとんどありません。モソ人の社会は多夫多妻に近いのですが、男女が夫婦のようになってもずっと別居し続けるという点でも、非常に例外的な文化です。大昔の人間社会の名残ではありません。だからこそ興味を持って調査に行ったということでもあります。

それから、人間の社会には一妻多夫婚もほとんどありません。そして、圧倒的に多数は一夫多妻婚です。一夫一妻婚が規範とされる社会はごくわずかです。この話をすると、えーっと驚かれることが多いのですが、一夫一妻婚は西ヨーロッパなどの社会で、ローカルな文化だったのが、20世紀になって一気にグローバル化したという社会史があります。このことは、一夫多妻的な群れを作るゴリラと人間の祖先が共通しているという可能性を示唆しているのですが、類人猿の群れについては、また来週以降にお話しします。

それからもうひとつ、親族構造論の基礎理論である「出自の規則」です。母系社会とか父系社会という用語の整理です。雲南や日本ではもともと母系だったという歴史があるのですが、世界全体で見ると、原始的な社会が母系で、進化した社会が父系ではないことがわかります。たしかに進化した社会には父系が多いのですが、これは牧畜社会と関係があるのですね。それに対して農耕社会はどうかというと、双系出自という、母系と父系の中間的な社会が多いのです。

じつは日本の社会は双系社会です。日本で親戚というと、父方と母方の親戚の双方向を思い浮かべますね。姓が違っても母方の親戚も親戚だと考えます。これが双系です。こういう親戚の概念を、専門用語ではキンドレッドといいます。中国や韓国の人はわかると思いますが、中国や韓国は基本が父系なので、親戚というと父方の親戚がメインです。沖縄も中国の影響があって、似ています。

日本も昔は、縄文時代から古代ぐらいまでは母系的だったのが、双系に変わってきたということなのですが、この双系社会は、父系の中国や韓国とは違い、日本と東南アジアに共通しています。さらに興味深いことに、双系社会は大陸の反対側のヨーロッパでも発達してきた文化です。日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族などと安易に対比するのは間違いで、どちらも農耕が基本にある双系社会を発展させてきたと、意外な共通性があるところが興味深く、この双系社会が資本主義の発展と関係しており、先進国へと発展したという説もあるぐらいです。

さて今週はこれぐらいにしておいて、来週は、人間の文化という、文化人類学的な話から、また、サルの社会、脳の進化など、理系の、自然人類学の話に戻っていきます。

昨日の月曜から教室授業をメインにするということで、大学にも活気が戻ってきましたが、授業を教室で実施するか、これは、もうしばらく様子を見ます。四月にも、緊急事態宣言が解除されて、これで今年度は大学も通常通り、となったところで、また緊急事態に戻ってしまったということもありましたから、今後、また緊急事態に戻る可能性もあります。その可能性もありますので、しばらくは様子を見たいと思います。



CE2021/10/12 JST 作成
CE2021/10/12 JST 最終更新
蛭川立

「身体と意識」2021/10/08 講義ノート

小僧(一)「風が吹いているから旗が揺れているのだ」
小僧(二)「風が揺れているから旗が動いているのだ」

老師「揺れているのは君達の心だ」



これは、昔の中国の禅宗の高僧、六祖慧能の言行録である『六祖壇経』という本に書かれている逸話です。まあ、私の、超訳ですが。

この授業では、意識の状態が変わればそれに対応して目の前の現実も変わる、というお話をしてきました。もうすこし平たくいうと、心の持ちようによって外の世界はいかようにでも変えられる、少なくとも、外の世界で起こっていることは、いかようにでも解釈できると、こうした考え方は、西洋哲学、近代思想よりも、東洋思想、とくにインド哲学に顕著なものです。

夢は幻覚ですが、それでは起きているときに目の前に見えている世界も幻覚なのか。これは確かめようがないことですが、それはさておき、目の前に見えているのは幻覚かもしれない、と思いながら生きているほうが、目の前にあるものに執着しないで、自由でいられる、という、インド哲学や、そこから派生して東アジアに伝播して、最近は西洋でも流行している仏教思想では、そう考えます。

寝ているときに悪夢を見たりもしますが、そのときに、これは夢ではないか、と気づくことができれば、すこし楽になれるでしょう。いま目の前で嫌なことがあっても、これも夢かもしれないな、と思うと、気分的には楽になれるでしょう。こういう考えは、仏教などではよく言われることです。ただし、それはニヒリズム、厭世的な世界観でもあります。

人生で嫌なことがあったり、社会で悪いことが起こっていても、まあそれは夢みたいなものだから、気にしない、という発想は、現実の人生や社会を変えていくことから逃げているともいえるので、これが仏教思想がニヒリズムだと批判されるゆえんでもあります。

日本に伝わってきた仏教では、地震のような自然災害も、人間の力ではどうにもならないので、あきらめる、という諦めの思想になっているところもあります。

しかし、嫌なことや怖いことに振り回されて不安になったりしているときに、ちょっと冷静になってみる、これは悪いことではありません。

さて、今週は、授業の予定表に書いたように、睡眠麻痺、俗に金縛りというやつです、明晰夢、といった、ちょっと変わった夢を扱います。(→「入眠時幻覚と睡眠麻痺」「日本人の『金縛り』体験事例」「明晰夢と体外離脱体験」「明晰夢・体外離脱体験時の脳波」)

明晰夢というのは、夢の中で、これは夢だな、と気づきながら見る夢のことです。悪夢にうなされているときでも、これは夢だ、と気づければ楽になれますし、もっと積極的に、自分の意志で夢の内容を変えてしまうこともできます。これも才能と努力だそうで、私もすこしできるようになったときがありましたが、日々の練習を怠ると、すぐにできなくなってしまいます。あまり才能がないのだと思います。

目の前に見えている世界は幻なのだ、というと厭世的になってしまいますが、自分の心が作っている幻なのだからこそ、自分の意志で変えていくことができるのだ、というポジティブ思考だともいえます。

まさか物理的現実を心の力で変えることはできないでしょう。ヒマラヤの聖者で、本当にそれができるという噂を、ネパールで聞いたことがありますが、まさか、不動の心を持てば地震が起きない、などということは、すくなくとも私には信じられません。

しかし人生の三分の一である夢の世界であれば、ちょっとした努力で身の回りの世界をかなり自由に変えられてしまいます。お金もかかりません。これは意外に知られていない、しかし非常に興味深い現象です。

ちなみに金縛りというのは、これは脳が発達していく十代ぐらいに多い現象で、二十代ぐらいから自然に消えていくのですが、これもかなり悪夢になることが多く、半数ぐらいの人が苦しめられています。しかしこの金縛り、睡眠麻痺の時にも、意識はありますので、これは金縛りだ、入眠時幻覚だ、としっかり意識すると、怖くなくなります。それどころか、楽しんだりすることもできます。余談ですが、これは若い人にとっては実際的なことでもあります。

いま深夜にこの文章を書いていますが、寝ている間に余震が来ては困りますから、こちらの現実で意識を保っておこうと思ったのですが、といって寝なければ体に悪いですし、寝床の身辺を整理して、すぐ横にスマホや予備電源や飲料水などをカバンに入れて置いておいて、寝ることにします。



CE2021/10/08 JST 作成
CE2021/10/08 JST 最終更新
蛭川立

「人類学B」2021/10/05 講義ノート

人類学Bの授業ですが、10月はちょっと試行錯誤、行ったり来たりです。掲示板方式の良さを活かしながら、教室での講義へと移行していきますが、今週はまだディスカッション掲示板方式で続けます。

静止画像で良いものはブログの記事でよいですし、動物の生態や諸民族の調査映像など、動画の上映は教室のほうがよいので、そこは前後させながら進めていきます。

それから、内容も前後します。授業全体の予定(→「毎週の予定」)も毎週リアルタイムで組み立てています。今週、10月5日は、この予定表の10/05の「現生人類の拡散」のリンク先の資料を教材としますが、適宜、生殖と遺伝の仕組み、脳の構造と機能のような生物学的な基礎知識と、日本人の起源やサルの生態などの具体的なテーマを行ったり来たりします。

現生人類、ホモ・サピエンスは二十万年前に南東アフリカで登場した新種で、これが最近、十万年ぐらいかけて、北東アフリカから西アジアへ、そして全世界へと移住していきました。現在では南極に基地を作って住んでいる人もいますね。

その移住の歴史を「遺伝子からみた人類の系統関係」に書きました。そして日本人の起源というか、由来というか、そのことは「遺伝子からみた日本列島民の系統」に書きました。

この二つはもう五年前に書いた古いページなので、重複もあり、ちょっと内容が整理し切れていません。しかし、日本人の起源論は、七十人以上の人たちにブックマークされています。日本人は日本人の起源論が好きだ、と書きましたが、本当に好きな人が多いんですね。

しかし、地球全体から見ても、日本列島の人類史は、謎が多く、興味深いのです。世界中の民族は言語によって分類されていますが、日本語という言語は、一億人以上の話者がいるのに、いまだに系統関係がわかりません。韓国、朝鮮語と文法はよく似ていますが、中国語からの借用語を抜くと、語彙はほとんど共通性がないんですね、日本語の語彙はどうもオーストロネシア、西太平洋諸島の言語に似ていますが、それもはっきりしません。

おそらく日本列島はユーラシア大陸の東の端にあって、何度もいろいろな民族が渡来して混血が繰り返されて、独特の、民族の吹きだまりになったからだと考えられています。純粋民族だと思われがちな日本人が、じつは何万年もかけて混血した結果、均一化したらしいんですね。

ちなみに、この授業では日本人という言葉は意図的に避けています。というのは、日本人といった場合に、日本国籍を持つ人という意味と、日本民族という意味の二つがあります。日本民族というと、アメリカや南米にもたくさん住んでいますし、日本国籍を持っている人には、アイヌの人たちもいます。沖縄、琉球の人たちを本土、内地の日本人と別の民族だとする考えもあります。これは差別ということではなくて、民族というものを言語に基づいて分類すると、そうなるということですし、人類学はむしろマイノリティの文化に注目します。これも人権上の配慮というよりは、周縁に住む少数民族のほうに古い文化が残されているからだという理由もあります。沖縄などに行くと、方言など、むしろ古代の日本文化がよく残っているなと感動したりします。

日本列島の歴史年表」というページも作ってみました。高校までの日本史というと、日本の本土の歴史が中心ですが、じっさいには北海道から沖縄まで、じつにダイナミックな歴史があったことがわかります。北海道の擦文時代だとか、沖縄のグスク時代とか、そういう時代区分まで広げてみられるのも、大学での勉強、人類学の視点です。

さて私じしんは、日本生まれの日本育ちで、日本国籍を持っている典型的な日本人です。顔が日本人離れしているとか、あんがいネパールなんかに行きますと現地になじんでしまったりとか、一年生、二年生の皆さんは、顔も見たことがない人も多いかもしれませんが、二年生の皆さんは、そろそろゼミ選びの季節が来ますね。ゼミの説明会もまたオンラインになりそうで、いろいろ準備しています。

蛭川という姓は東海地方に多いのだそうですが、自分じしんの遺伝子を分析しまして、その結果も交えながら記事を書いています。「個人向け遺伝子解析」というのを自分でもやってみたのですが、この記事の内容は、この授業の本題からはすこし逸れるのですが、今は一万円ぐらいで自分のルーツがわかってしまう、PCRという、DNAを急速に増やす技術などが急速に進歩してきた結果です。

私もネアンデルタール人からアジア各地のいろいろな人種の混血のようなのですが、母方のミトコンドリアがインドに由来することがわかりまして、こういう人は日本では千人に一人もいない珍しいケースだということで、遺伝子検査会社の人も驚いていました。

ところで人種という言葉は人類学ではよく使う言葉ですが、これは同じホモ・サピエンスでも、遺伝子の違いがあるというニュアンスがあります。世界人類はみな平等なのだから、遺伝子が違うなんていうことはない、人種という言葉自体が人種差別だから、もう使わないようにしよう、という意見もありますが、じっさいに遺伝子の違いがあるということと、優劣をつけて差別することは別問題ですから、そのことは、あらためて「人種・民族・文化」という記事に書きました。

ミトコンドリアって何?Y染色体って何?という知識がないとわからないこともありまして、これは卵子精子の構造であるとか、そういう生物学的な知識が必要ですし、実践的な性教育のテーマでもあります。また、なぜY染色体のほうが急速に拡散しやすいかというと、動物というのは、少数のオスが多数のメスとの間に子供を作ることで進化してきたというメカニズムがあるという知識も必要です。一夫一妻制で、二人ぐらい子供を産むという文化は、百年ぐらい前に世界に広がったもので、それが当たり前という常識から離れる必要があって、そういう知識も、おいおい補っていきます。

人種のこともそうですし、一夫多妻婚が進化の原動力になってきたのだ、といった考えは、近代的な倫理や道徳に反するところもあるのですが、学際領域である人類学では、こういう微妙なテーマがよく出てきます。いつも念頭に置くべきことは、生物として自然なこと、自然科学的な事実と、文化的に倫理的であること、近代的な価値観は、分けて考えることが必要です。そこを混同すると、不毛な議論になってしまうのですが、分けて考えるという科学論的なものの見方、これも文理融合の学問では大事なことです。

先週は脳の進化の話や、サルの生態の話が出てきましたが、これは来週以降に扱うことにします。



デフォルトのリンク先は「はてなキーワード」または「Wikipedia」です。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

明治大学蛭川研究室公式ホームページ ブログ版蛭川研究室



CE2021/10/04 JST 作成
CE2021/10/05 JST 最終更新
蛭川立

「身体と意識」2021/10/01 講義ノート

緊急事態宣言が解除されて新しい日常生活が始まろうかというところですが、さて身体と意識、二回目です。

人間の意識状態は複数あり、意識状態が変われば体験されるリアリティも変わるだとか、ちょっと抽象的な話をしてきましたが、やはりいちばんわかりやすいのは、眠くなれば寝る、寝れば夢を見る、ということですね。この授業では、幻覚の話などもしますが、夢はまったく当たり前で健康的な幻覚ですから、この授業でも、なにかオカルト的な、変な話をするつもりはないのです。人生の三分の一を幻覚混じりの意識喪失状態で過ごすのですから、学問の三分の一は睡眠研究でもいいぐらい重要なことだともいえます。

まず読んでほしい資料は「睡眠と覚醒の概日周期」です。それから、オマケとして、「レム睡眠とノンレム睡眠のサイクル ースマホのアプリでの記録ー」というページも書きましたが、これは、スマホで睡眠の記録がとれて、しかも脳の働きが目覚めてきたところを察知してアラームを鳴らしてくれるという、面白いアプリの紹介です。

講義ノートなのでついでに個人的なお話もしますが、私じしんが睡眠相後退症候群などという睡眠障害に悩まされてきて、それで睡眠や夢に関心がある、ということもあります。まあ簡単に言えば、夜はなかなか寝付けない、朝はなかなか起きられないという、これは誰にでもあることですが、程度が重症になると生活にも支障をきたします。じつは人間の脳は25時間周期で動くようにできているので、何の刺激もないと自然に体内時計が後ろのほうにずれて行ってしまうんですね。

それからもうひとつ、夢の世界、幻覚の世界に関心を持ち、それを追いかけていくうちに、南米のアマゾンの先住民族がビジョンの中で精霊と出会う、現地の言葉でアヤワスカというんですが、そういう幻覚作用のある薬草を煎じて飲むという儀礼がありまして、ぜひそれを体験してみようと、実際にペルーまで行って飲んでみて、驚くような神秘的な体験をした、ということもありました。このことは「アマゾン先住民シピボのシャーマニズム」という記事に書きましたが、これは身体と意識の授業とは直接関係がありません。こちらは和泉校舎、今はオンラインでやっている人類学の講義で扱っています。

しかし私はもともと大学では生物学を専攻していたのですが、その不思議な世界を脳内の物質の働きとして理解できないだろうか、そういう関心で、いま、研究をしています。変わった研究分野かもしれませんが、人生が九十年なら眠りは三十年、幻覚の世界は身近にあります。

そんなことを言いながら研究をしていたところ、去年ですが、ゼミの卒業生を通じて弁護士という人から連絡がありました。京都の大学生がアヤワスカという、アマゾンの先住民が幻覚を見る薬草を飲んで救急車で運ばれて、それを売った人が訴えられて裁判になっているのだが、だれか詳しく知っている人はいないか、という問い合わせでした。以来、この「京都アヤワスカ茶会裁判」という事件なんですが、誰も実態がよくわからないまま、裁判は長引いているのですが、私のほうは専門家として意見を求められています。本業とは別のところで社会貢献ですが、学際的学部で研究してきた成果でもあります。化学から法学まで、私のほうも必死で勉強しています。

さて話がそれてしまいました。話を戻すと、生物学の話をしていたのでしたが、視神経が興奮して松果体におけるメラトニンの生合成が抑制され、セロトニンが、などなど、という話になってきますと、松果体とは?セロトニンとは?という知識も必要になってきます。脳の仕組みや神経伝達物質など、この授業とは関係がなくても、基本的なことは知っておくといいと思います。このあたりは「ヒトの脳の構造」という記事に書きました。記事の中から、さらにたくさんのページにリンクが飛んでいます。

ほかの科目でも脳科学といった授業もありますが、脳の構造や神経の機能などの基礎をひととおり勉強してから、それから夢や幻覚や意識の世界を論じるほうが、順番としてはいいのですが、といって、医学や生物学の専門家になるのならともかく、ですが、脳神経科学の細かい話ばかりするよりは、まずは睡眠や夢といった身近な話から始めて、必要に応じて生物学や化学の話も参照していくと、そういうやりかたで進めていきます。年間の講義計画は「身体と意識、西暦2021年度」に建設中ですが、具体的な事例と基礎知識と、行ったり来たりしながら、授業計画じたいも前後させながら進めていきます。

この講義ノートは音声入力でしゃべったものに手を加えて作っていますが、誤植もありそうですし、また手を加えて、授業の直前までには、もうすこし内容が増えている予定です。



CE2021/09/30 JST 作成
CE2021/09/30 JST 最終更新
蛭川立

睡眠と覚醒の概日周期

この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、その正確性は保証されていません[*1]。検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。

この記事は特定の薬剤や治療法の効能や適法性を保証するものではありません。個々の薬剤や治療法の使用、売買等については、当該国または地域の法令に従ってください。

レム睡眠とノンレム睡眠

ヒトの脳は24〜25時間周期で睡眠と覚醒を繰り返している。

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睡眠・覚醒リズムとホルモンの変動[*2]

睡眠の部分を拡大してみると、以下のようになる。

http://www.shaho-net.co.jp/suimin/03/images/img03.gif
睡眠時の脳波をグラフ化したヒプノグラム(hypnogram)[*3]

睡眠時にはレム睡眠(Rapid Eye Movement sleep)とノンレム睡眠(Non-REM sleep)が周期的に繰り返される。「REM」とは「Rapid Eye Movement: 急速眼球運動」のことである。

通常、入眠時はまず深いノンレム睡眠に入り、徐々に浅くなりながら、約90分ごとにレム睡眠レム睡眠を繰り返し、最後はレム睡眠から覚醒する。目ざめたときに覚えている夢は、この覚醒直前のレム睡眠の体験である。じっさいには一晩に二個以上の夢を見ているのだが、それは思い出せないことが多い。夢などまったく見ないという人もいるが、それは見ても忘れているだけである。レム睡眠のときに無理に起こせば、その時点での夢を想起できる。

脳波をとるというほどのことをしなくても、スマートフォンのアプリでもおおよそのヒプノグラムを計測できる。(→「スマートフォンの睡眠記録アプリ」)

この睡眠と覚醒のサイクルを概日リズム(サーカディアンリズム: circadian rhythm)という。「circa」というのはラテン語で「およそ」という意味。概日リズムには、遺伝的な個体差があるのだが、一般に24時間よりも長い。完全な暗黒状態で生活する実験を行うと、睡眠のサイクルはおよそ25時間になるということが知られている。

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蛭川が体調を崩し睡眠相後退が悪化したころ、2017年4月の睡眠日誌[*4]

概日リズム睡眠障害のうち、睡眠時間が後退していくものを睡眠相後退症候群というが、これは、人工的な文明環境で暮らしている場合、誰にでも起こりうる現象である。

なぜ夢を見るのか?

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c6/Henri_Rousseau_-_Il_sogno.jpg
アンリ・ルソー『夢』[*5]

睡眠と夢の意味については、精神分析学など、さまざまな議論があるが、夢見の機能について、ひとつの有力な仮説は、学習である。起きているときに経験したことを眠りの中で反芻することで記憶を整理し、長期記憶へと定着させているという説がある。じっさい、睡眠時間は年齢によっても変化する。胎児はすべてレム睡眠の状態にあり、睡眠時間は加齢とともに減っていく。これは、学習しなければならない情報量が減っていくからだと言われている。(睡眠と夢の発生について、詳しくは「睡眠の個体発生と系統発生」を参照のこと。)

同調因子

脳が24時間以上のサイクルで活動しているのに、なぜ24時間周期に補正されるのだろうか。光と、その他の社会的な活動が同調因子(Zeitgeber[*6])として機能している。

https://www.bcs-jin-ai-kai.jp/images/blog_bcs/images20190417204952.jpg
光はメラトニンの分泌を抑制する[*7]

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メラトニンの合成と分解[*8]

眼球の網膜が光を受け取ると、視神経の興奮に変換されて脳に送られる。視神経からの興奮は脳の後頭葉で視覚として処理されるだけでなく、松果体におけるメラトニンの合成も阻害する。つまり、睡眠を阻害する。

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トリプトファンからセロトニンメラトニン、NMT、DMTが合成される過程。内因性DMTはインドールアミンN-メチル基転移酵素(indolethylamine-N-methyltransferase (INMT))によって合成され、モノアミン酸化酵素(MAO)によってすみやかに分解されるため、体内の内因性DMT量はINMTの合成量に依存する[*9][*10]

https://tsumugu-shiatsu.com/wp-content/uploads/2019/12/serotonin_melatonin.jpg
セロトニンメラトニンの日内変動[*11]

食品中に含まれるアミノ酸であるトリプトファンからセロトニンが合成され、さらにメラトニンが合成されるが、光はメラトニンの合成を阻害する。

夢という「幻覚」

トリプトファンセロトニンを経てメラトニンになるが、いっぽう、トリプタミン、NMT(モノメチルトリプタミン)を経てDMT(ジメチルトリプタミン)になる。

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尿に排出される内因性NMTとDMTの日内変動[*12]

NMTは昼間に多く作られ、夜の尿に排泄される。NMTから合成されるDMTは夜間に多く作られ、朝の尿に排泄される。

DMTは「幻覚剤」であり、麻薬および向精神薬取締法でその所持が禁じられている[*13]。しかし、脳内では毎晩、脳内幻覚剤とでもいうべきDMTが合成されている。脳内DMTが「夢」という幻覚を見せている物質なのかもしれないが、これはまだ仮説である。人間の脳では、いつ、どこでDMTが合成されているのか、まだ詳しいことはわかっていない。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(大まかな概論であり、医学的な正確さは不十分である。)
CE2017/02/01 JST 作成
CE2022/02/27 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:吉田集而(編)(2001).『眠りの文化論』平凡社, 197より孫引き

*3:古賀良彦(監修)「睡眠と体のリズム」『良い睡眠で快適生活』(2021/10/01 JST 最終閲覧)

*4:睡眠相後退症候群」に、蛭川による「当事者研究」の体験談を書いたが、2017年4月には概日リズムが24時間10分であった。

*5:夢 (アンリ・ルソーの絵) - Wikipedia

*6:ツァイトゲーバーとカタカナ書きすることもある。ドイツ語で「時間を与える」という意味。

*7:上山菜穗 (2018).「睡眠の質改善に、”メラトニン”」『上山院長ブログ』(2021/10/01 JST 最終閲覧)

*8:K. Jane Hassell, Russel J. Reiter, and Nicola J. Robertson (2013). Melatonin and its role in neurodevelopment during the perinatal period: A review. Fetal and Maternal Medicine Review, 24(02), 76-107.

*9:Jon G. Dean (2018). Indolethylamine-N-methyltransferase Polymorphisms: Genetic and Biochemical Approaches for Study of Endogenous N,N,-dimethyltryptamine. Frontiers in Neuroscience, doi:10.3389 / fnins.2018.00232

*10:Jon G. Dean, Tiecheng Liu, Sean Huff, Ben Sheler, Steven A. Barker, Rick J. Strassman, Michael M. Wang & Jimo Borjigin (2019). Biosynthesis and Extracellular Concentrations of N,N-dimethyltryptamine (DMT) in Mammalian Brain. Scientific Reports, 9.(孫引き)

*11:つむぐ健康通信 (2019).「昼のセロトニン・夜のメラトニンを高めよう ― 神経系を整え、健やかな毎日のために」『つむぐ指圧治療室』(2021/10/01 JST 最終閲覧)

*12:Michael C. H. Oon, Robin M. Murray, Richard Rodnight, Marion P. Murphy & James L. T. Birley (1977). Factors affecting the urinary excretion of endogenously formed dimethyltryptamine in normal human subjects. Psychopharmacology, 54, 171–175.

*13:動植物の体液に含まれるDMTを所持することが違法かどうかは2020年に京都地裁で始まった「京都アヤワスカ茶会裁判」で争われている。